たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「爺さんの備忘録的花図鑑」・「マ」

2024年07月14日 21時57分54秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「マ」

◯マーガレット              ⇨ 2024.05.02  
◯マイヅルソウ(舞鶴草)         ⇨ 2022.02.23
◯マツバウンラン(松葉海蘭)       ⇨ 2020.04.29 
◯マツバギク(松葉菊)          ⇨ 2019.05.28
◯マツヨイグサ(待宵草)         ⇨ 2021.07.01
◯マトリカリア(夏白菊)         ⇨ 2024.07.11
◯マメアサガオ(豆朝顔)         ⇨ 2023.09.22
◯マユミ(真弓)             ⇨ 2022.11.29
◯マリーゴールド             ⇨ 2023.07.21
◯マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)     ⇨ 2021.09.04
◯マロニエ(ベニバナトチノキ)      ⇨ 2019.05.11
◯マンサク(満作・万作)         ⇨ 2024.02.17
◯マンデビラ               ⇨ 2021.09.13
◯マンリョウ(万両)           ⇨ 2021.07.31


 

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懐かしい映画と映画音楽・その8

2024年07月14日 09時29分25秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その8
映画「アラモ」と主題曲「遥かなるアラモ」(再)

先日、「懐かしい映画と映画音楽・その7」で、ジョン・ウエイン主演の「ハタリ!(Hatari!)」を、書き留めたばかりだが、「ジョン・ウエイン」と言えば、「西部劇」、その中のひとつ、「アラモ」を思い出し、「ブログ内検索」してみたら、7年前にも書き込んで有り、早速、コピペ、リメイク、改めて書き留め置くことにした。

今更になってネットで調べてみると
「アラモ(The Alamo)」は、ジョン・ウエイン監督、ジョン・ウエイン、リチャード・ウィドマーク、ローレンス・ハーヴェイ等出演で製作され、1960年(昭和35年)に公開されたアメリカの西部劇映画、テキサス独立戦争中の1836年に起こった「アラモの戦い」を題材にした映画だった。
若い頃のこと、西部劇映画が目白押しの一時代が有った。「アラモ」も、映画館に足を運んで観たような気がするが、後年になって、テレビの映画放送番組等でも観ているので、いつ頃、どこで観たのか等の記憶は曖昧になっている。
ただ、フォークソング グループ ブラザース・フォア(Brothers Four)の4枚目のシングル盤として発表された、この映画の主題曲「遙かなるアラモ(The Green Leaves of Summer)」は、当時大ヒット、ラジオ等から盛んに流れていたもので、脳裏に焼き付いている。

(ネットから拝借画像)

映画「アラモ」と主題曲「遥かなるアラモ」 (YouTubeから共有) 
 

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民謡をたずねて・その40

2024年07月14日 06時27分14秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

                 

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その40
「黒田節」
(福岡県)

先日、図書館から借りていた、葉室麟著、「鬼神の如く・黒田叛臣伝」を読み終えたが、筑前福岡黒田藩の「黒田騒動」を題材にした長編時代小説だった。これまで知らなかった史実や九州各地の地名等にも触れ、大いに、目から鱗・・・・、になった気がするが、「筑前福岡黒田藩」から、ふっと連想してしまう民謡と言えば、福岡県の代表的民謡、「黒田節」。
今更になってネット等で調べてみると
「黒田節」は、元々は、平安中期から流行した白拍子遊女が歌う七五調四句の歌、朗詠式の「今様歌」だったのだそうで、宮廷貴紳にも愛唱され、宮中の節会などでも歌われ、雅楽越天楽の旋律で歌うものを「越天楽今様」と言われていたのだそうだ。後に、この歌を、筑前福岡52万石黒田藩藩主が特に愛唱し、藩士も新しい歌詞を作って興じ、明治以降は、俗謡の影響を受けて陽旋律から陰旋律に変わり現在の形になっているのだという。
「黒田節」と改名されたのは、昭和3年のことで、NHK福岡放送局の芸能係であった井上精三氏によるものだったのだそうだ。
それ以後、「黒田節」は、男性的で、親しみ深い曲調から、大衆に愛され、次第に福岡県の代表的民謡として、全国で歌われるようになったようだ。
因みに、誰でも知っている歌詞、「酒は、飲め飲め、飲むならば・・・」には、次のような実話があるのだそうだ。
天正18年、豊臣秀吉の小田原城攻略の折、手柄を立てた福島正則は、秀吉から「日本号」という名槍を贈られて祝宴を張っていたが、そこに黒田二十五騎の一人、毛利但馬守友信(母里太兵衛)が使者としてやってきた。正則は大盃を出して酒を勧めたが、毛利は酒を禁じられていたため、祝宴であっても受けようとしなかった。毛利は、正則に、飲んだならば望みの品を褒美として使わすと言われ、大盃を3杯飲み干し、「日本号の名槍を所望」と願った。正則は、驚いたが、武士に二言無し、この意気込みこそ、黒田藩武士にふさわしいと、名槍「日本号」を毛利に与えたという話である。
「へー!、そう言う歌詞だったのか、知らなかった・・・・」、
である。

「黒田節」  (YouTubeから共有)


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