長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
今から12年前の2012月7月の下旬に、旧い友人であり、先輩であるI氏と、誘い、誘われ合い、二人で、「乗鞍岳」を訪れたことが有った。
I氏は、当時、すでに後期高齢者で、完全に仕事を辞めていたが、遅ればせながら、山歩きに興味感心を持ち出して、近隣の低山を中心に、何座かを歩き、意気揚々としていた頃だったが、
「元気な内に、1度でいいから、3,000m級の山に登頂してみたい]が口癖になっていた。
盛んに、「どこか、登れそうな山無いかな?、連れてってよ!」とせがまれてもいたのだが、そう言われても、こっちだって、体力的にも、経験的にも、技量的にも自信の無い高齢者、毎度困っていたものだった。当時は、まだ、夏になると声を掛け合い、「暑気払い飲み会」をしていたものだが、酒の勢い?で、「乗鞍岳だったら、なんとか大丈夫かも・・・」という話になったような気がする。
ただ、老いらく二人の山歩きである。無理は禁物、行き帰りの長距離運転のことも考慮し、乗鞍高原で1泊して、時間的に余裕たっぷり、ゆっくり、のんびりの山歩きを計画し、実行に移したのだった。
「乗鞍岳」は、長男、次男が小学生の頃に1度、家族で訪れたことがあり、危険性も無く、初級者向きと分かっていたが、2000m級、3000m級、初めての後期高齢者、しかも病気持ちのI氏同伴とあって、終始、緊張の連続だった気がするが、幸いにも、2日間共天候にも恵まれ お目当てだった高山植物にも沢山会えて、結果オーライ、大満足の山旅だったと思っている。
「夏が来ーれば、思い出すー♫」
今年も、今まさに、夏真っ盛り、
「夏山、ヤッホー!」を、存分に楽しんでおられる老若男女が、多い季節であるが、
すでに、足、腰、痛!、痛!で、山歩き等を断念している爺さんは、そんな夏山に思いを馳せながら、もっぱら、古い写真を引っ張り出しては、懐かしがっている風である。
深田久弥著 「日本百名山」
「乗鞍岳(のりくらだけ)」
(一部転載)
どこの山もそれぞれ信者を持っていて、その信者たちはそれぞれ独自の雰囲気があるように思われる。例えば近代登山精鋭分子の道場である北アルプス、その中で穂高と乗鞍を挙げてみると、両信者の間にはどこかニュアンスの差異がある。
それを少し誇張して言うと、穂高信者は闘争的で、現実的で、ドライなのに引きかえ、乗鞍信者は平和的で、浪漫的で、ウエットである。もちろんここで言う乗鞍信者とは、信仰登山のそれではなく、まして遊覧バスで運ばれてくる大衆ではない。お金はあまり無いが暇は十分あるという学生時代に乗鞍に住んだことのある人たちを指す。全く、乗鞍は登るというより、住むと言った方が似つかわしい山である。
(中略)
位ケ原まで登って、初めて真正面に、遮るもののない乗鞍岳それ自身に接する。ここからの眺めを、私は日本で最もすぐれた山岳風景の一つに数えている。まずその姿がいい。雄大で、しかも単調ではない。ゆったりと三つの頭を並べたその左端が主峰である。その主峰の右肩の巨大な岩が、間延びを引きしめるアクセサリーになっている。「それから前景の豊かな拡がりがいい。胸を透くように伸びてコセコセしたところがない。
乗鞍は、北アルプスに入れられているが、遠くから眺めると、北アルプスの連嶺とは独立した形で、御岳と並んで立っている。そして御岳の重厚に対して、乗鞍には颯爽とした感じがある。
うるはしみ見し乗鞍は遠くして
目といえどながくほこらむ
これは、長塚節(ながつかたかし)の歌だが、乗鞍の姿を一ぺん見た人は、その山を忘れることが出来ないだろう。
(中略)
近代の乗鞍信者は信州の大野川から登るが、昔の登拝者は多くは飛騨側からであった。この山を詠んだ多くの詩歌の類が飛騨側にあるところを見ても、昔は乗鞍は飛騨の山であった。そして幾筋かの登山路もその側から開かれていた。
戦後、頂上まで登山バスの通じたことは一つの驚異であった。街を歩く格好で三千メートルの雲の上を散歩出来ようとは、誰が予想しただろう。しかし、自動車道路がついたために、その道路から外れた所はかえって寂れて、本当に山好きな者に静かな場所を残してくれることになった。
現在、夏の頂上はちょっとした繁華街のおもむきを呈しているそうだが、私はまだ知らない。しかし乗鞍の全体は、バス道路くらいで通俗化するようなチッポケなマッスではない。これほど豊かさと厚みを持った山も稀である。
ただ、頂上を極めるだけで飽き足らない人、その湖沼や森林や高原に暇をかけてさまようことに楽しさを見出す人、・・・、私の言う乗鞍信者が多くはロマンチストであるのもそこから来ている。
(中略)
私が最初に主峰に立ったのは、戦前の初冬快晴の日で、そこから眺めた日本アルプスは言わずもがな眼前に大きく御岳、遠くに美しい白山、そしてその二つの間には、限りもない果てまで山並みが続いていた。
(後略)
山行コース・歩程等
畳平バスターミナル→肩の小屋→乗鞍岳山頂・剣ケ峰→(往路を戻る)→肩の小屋→畳平バスターミナル
(標準歩行所要時間=約2時間30分)
(昭文社「山と渓谷地図」から拝借)
古い写真から蘇る思い出の山旅・その54
「老いらく二人山歩き・乗鞍岳」(再)
(1)
畳平バスターミナル→肩の小屋
前日泊の乗鞍高原鈴蘭小屋
掛け流し湯 露天風呂
当日は、乗鞍高原観光センター前 午前6時10分発の路線バス(始発)に乗車したようだ。
メモ
乗鞍高原観光センターには、無料駐車場、約300台分有り、
バス乗車券発売開始時刻は、午前5時50分、
乗鞍高原観光センター前~畳平往復、バス料金=2,400円、片道所要時間=約50分、
途中、14ケ所のバス停に停車、
マイカー規制(マイカー乗り入れ禁止)=エコ-ライン、三本滝~乗鞍スカイライン、平湯峠、
途中、バス車内から撮った写真
7時頃、畳平バスターミナルに到着。
時折、ガスが掛かり、風も強く、気温は、10℃前後、
標高2,702mは、下界とは別世界、防寒に雨具を着用、
午前7時30分頃、畳平バスターミナルを出発したようだ。
鶴ケ池の南側を回り込んで進み、右に折れ、なだらかな登山道を上がって行く、
乗鞍高原方面、エコーラインも、ガスに霞んで見え隠れ・・、
お目当ての山岳眺望は叶わずだったが、
砂礫斜面には、コマクサの群落が有り・・・、
コマクサの群落初見のI氏は感動・・・、
足が止まり・・・、
コイワカガミの群落にも、足が止まり・・・、
I氏の体調に気を配りながら、ゆっくり、のんびり、雲上散歩・・・・・、
8時15分頃、肩の小屋、
濃いガスの覆われていて、展望も無し、
天気予報は、「晴」、
I氏、初めての高山登山、こんな天候のままでは、感動も半減?してしまう、
気になって仕方無かったが、天候回復を期待しながら、山頂へ向かったのだった。
(つづく)