たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

懐かしい映画と映画音楽・その14

2024年07月20日 15時04分10秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その14
映画「真昼の決闘」と主題曲「ハイヌーン」(再)

昭和30年代~40年代頃には、数多の西部劇映画が制作され、日本でも一時期、西部劇映画ブームが有ったように思う。映画は、若者を中心にした、レジャーの中心でもあり、ご多分に漏れず、結構、西部劇映画も観ていたはずではあるが、本当に記憶に残っている作品となると、やはり指折り数える程になってしまう。そんな記憶に残る映画のひとつに、「真昼の決闘」が有る。

(ネットから拝借画像)

今更になってネット等で調べてみると、
映画「真昼の決闘(ハイ・ヌーン、High Noon)」は、1952年(昭和27年)に、フレッド・ジンネマン 監督、ゲイリー・クーパーグレース・ケリー(後のモナコ王妃)主演で、製作、公開された、アメリカの西部劇映画だった。
映画の方は、当然、公開当時に観ているはずはなかったが、主題曲「ハイ・ヌーン(High Noon (Do Not Forsake Me,Oh My Darlin)」の方は、当時、ラジオ等から盛んに流れていて、脳裏に焼き付いたものだ。
当時、アカデミー歌曲賞を受賞、アメリカ映画主題歌ベスト100にも選ばれている楽曲だった。
映画の内容は、ほとんど覚えていないが、多くの西部劇映画に登場する保安官が、悪漢に立ち向かう無敵のヒーローとして描かれることが多いが、「真昼の決闘」では、暴力を恐れる普通の人間として描かれていて、多方面に影響を与えたと言われた映画だったようだ。因みに、日本の時代小説、藤沢周平著の「孤立剣残月」は、「真昼の決闘」の時代小説版等とも言われているのだそうだ。
「へー!、そうだったのか」、
である。

映画「真昼の決闘」・主題曲「ハイ・ヌーン」 (YouTubeから共有)

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その52(2)

2024年07月20日 11時10分26秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その52
「家族で初めて訪れた乗鞍岳と上高地ハイキング」(再)
(2)


山行コース・歩程等

健康保険保養所上高地山の家→河童橋→明神池→穂高神社奥宮→嘉門次小屋→明神橋→小梨平→河童橋→上高地バスターミナル
(標準歩行所要時間=約2時間15分)


正確な記録メモが残っておらず、記憶も曖昧だが、
早朝に目覚め、
快晴、爽快な山の空気に歓喜、
朝食までの時間、梓川周辺を散歩したような気がする。
2日目は、宿泊した健康保険保養所上高地山の家から、
梓川河畔の遊歩道を明神池まで周回するコースをハイキングすることにしていて、
絶好のコンディションを喜んだような気がする。
いざ、出発!、

梓川の右岸、
後方には、焼岳の姿が、

河童橋

後方に、岳沢、前穂、奥穂・・・、

明神池で、小休憩、

嘉門次小屋に立ち寄り、
なにか、土産物?(記念品?)を買ったような気がするが、
何、買ったか、記憶が無い、

 

明神橋を渡り、明神、小梨平を辿り・・・・、
梓川左岸の遊歩道を、下り・・・・、

正確な記録メモが残っておらず、記憶も曖昧になっているが、
確か、「上高地バスターミナル」には、そろそろ、観光客でごった返し始める時間帯、
9時~10時頃には、戻り着いたような気がする。
人混みを嫌って、そそくさと、バスだったか、タクシーだったかで、沢渡に戻り、
途中、数ケ所観光しながら、のんびり、ドライブし、家路に着いたような気がする。
「上高地」には、学生時代、松本市出身の友人U君に誘われて、「西穂高岳」に登ったことが有ったが、その頃は、貧乏学生、電車、バスを乗り継いで、上高地入りするしか無く、当時、上高地に夏季常設?していた、その友人U君の出身高校の登山部のテントに、頼み込んで潜り込み1泊させてもらい、翌日、西穂高岳へピストンしたものだが、初めて訪れた「上高地」に興奮した記憶が有る。
その時以来の、数十年振りの「上高地」であり、ほとんど初めて訪れるようなもので、ほんの僅かな滞在だったが、最高に感動したような気がしている。
後年になって、「中高年の山歩きブーム」到来で、前穂・奥穂に、2回、槍へ、1回登る機会が有り、登山口、下山口として、再び「上高地」を訪れることが出来、結局、トータル、4回、「上高地」を訪れたことになる。今となっては、「上高地」もまた、二度と訪れることの出来ない、遠い思い出の地になってしまった。

(おわり)

 

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