広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

車内販売縮小

2019-03-04 00:42:24 | 旅行記
それなりに報道されているように、3月16日のダイヤ改正で、JR東日本エリアの車内販売(車販)が縮小されることになった。
四国や北海道では同様の動きが既にあった。利用状況と人手不足からすれば、東日本でもいずれはこうなると予想でき、それはやむを得ないことだと思っていた。
だけど、それがこんなに早く、こんなに大規模に行われるのは予想外で衝撃だった。
秋の消費税増税も頭をよぎった。ワゴン販売の飲食物は軽減税率(8%すえおき)の対象になるそうだ。酒やグッズ類は10%になるから、買い控えられたり、計算が分かりにくくなってしまう、といった事情は…関係あるかな?

明らかにされた情報だけでは、疑問点もいくつかある。
マスコミの取り上げかたは、相変わらず公式発表をなぞっただけの薄っぺらなものが多く、見ても解決しない。とりあえず、ここにまとめておく。

●公式発表 【2019年5月29日補足・この後、2019年7月にもさらに縮小が実施されました(末尾追記参照)。以下は2019年3月の変更点ですので、お間違いなく。】
JR東日本2月18日付プレスリリース「新幹線・在来線特急列車の車内販売サービスの 一部列車の終了と取扱品目の見直しについて 」から。
現在、東日本エリアで一手に車内販売を行う日本レストランエンタプライズ(NRE)ではなく、JR東日本本体からの発表。NREのサイトでも、本体へのリンク掲載で済ませている。

1.列車や区間別に、ダイヤ改正時をもって販売終了/取扱品目見直し/そのまま継続の3パターンに分類される。
・3月15日で車内販売終了
新青森-新函館北斗(はやぶさ・はやて)、盛岡-秋田(こまち)、やまびこ、酒田-秋田(いなほ)、関東周辺の特急のいくつか

・継続するも、取扱品目見直し
東京-新青森の東北新幹線、つばさ、とき、あずさ、ひたち、新潟-酒田のいなほなど

・継続 かがやき、はくたか

2.取扱品目見直しの内容は、
中止:弁当・サンドウィッチ等軽食、デザート、お土産、雑貨
継続:ホットコーヒー、ソフトドリンク類、菓子、アルコール、つまみ


●報道で分かったこと
・取扱品目見直しの列車では、アイスクリームの扱いも終了(デザート類に含まれるということでしょう)
惜しむ声が上がっていることが、複数のマスコミやネットメディアで取り上げられている。
個人的にも惜しい。秋田で車内販売以外でスジャータのアイスクリームを入手するのは、おそらく不可能だから。また、地域や路線によっては、スジャータ以外のご当地アイスを売ることもあって、その出会いもなくなる。10年以上前の「あずさ」では、なぜか小岩井ブランドのアイスだった。
【5日補足】冷凍保存の必要があり、管理が大変だったのは想像に難くない。車内の準備室にも冷凍庫はなく、ドライアイスとアイスバッグを使っていたらしい。一方、聞きかじった昔の話では(現在は不明)、ホットコーヒーとアイスクリームは、売上に応じて販売員に報奨金が出るようなこともあったとか。
【6日補足】スジャータのアイスクリームは、「JR東日本(NRE)の新幹線・特急で販売をやめる」のであって、北陸新幹線や東海道新幹線等では販売を継続する。スジャータのアイスクリーム自体が製造中止になるわけではない。ただ、東日本限定の期間限定品の再発売は難しくなりそう。

・NHK秋田では「JR東日本によりますと(中略)昨年度の売上高は前の年度より5%減少しているということです。」としている。これはJR東日本全体の売上高ということだろうか?


●疑問
・観光快速列車の車内販売は?
タイトルが「新幹線・在来線特急列車の」とあるのと矛盾はないけれど、「リゾートしらかみ」などの臨時快速列車の車内販売についての言及がない。
ネットでは継続されるとの情報もあるが、根拠は不明。
乗車時間が長く、乗車途中での供食が難しいローカル線を走るものもあり、そんな時こそ、食べ物やアイスがほしくなるものだけど…
【8日追記】らちが明かないからJR東日本へ問い合わせた。やはり観光列車は今回の発表の対象外であり、3月16日以降も車内販売を継続するとのこと。ただ、将来的にはどうなるか分からないし、突発的・局所的に何らかの変更が生じる可能性も、当然あり得るだろう。特にごはん時に長時間乗る時は、乗車前に販売品目を確認したほうが無難でしょう。
【20日追記】ところが、遅れて4月から「リゾートしらかみ」の車内販売も縮小されることになった。末尾リンク先の続編参照。


・NRE秋田営業支店はどうなる?
これにより、秋田県内または秋田支社管内を走るすべての定期列車(こまち、いなほ)から、車内販売がなくなる。

NREでは管内各地に「営業支店」があって、従業員の所属や販売商品の補充を行っているようだ。秋田にも、秋田駅2番線と秋田支社の間辺りに「秋田営業支店」がある。こまち、いなほ、リゾしらを担当しているはず(一部便は別支店担当)。
そのうち、こまちといなほは確実になくなるわけで、秋田営業支店の存在意義はほぼなくなる。最大でも1日3往復だけの「リゾートしらかみ」のために、支店を存続させるのかという疑問もある。
秋田の各マスコミは、この点に気づいて突っこんで取材できないのでしょうか…

以下、憶測。
新青森にも営業拠点(盛岡支店の営業所扱い)があり、改正以降も存続すると考えられるから、秋田支店を廃止して、リゾートしらかみを新青森に移管したほうが自然。ただ、その場合、弘前発着のリゾしら1往復をどう対応するかは問題。

NREの前身は、国鉄時代の「日本食堂」。
秋田駅には、かつてはその食堂もあったが、なくなった。そして車内販売も? となると、残るのは駅弁だけということになる。


・従業員はどうなる?
秋田以外も含めて、今回の縮小によって、必要な従業員の数はだいぶ減ることになりそう。人手不足であっても、今よりは少なくなるかも。
そのみなさんの処遇はどうなるんだろうか?
商業施設や工場の閉鎖だとマスコミは騒ぎ立てるけど、こういうのはいいんでしょうか…

販売員はパートやアルバイトの人も多かった。特異な勤務形態・就業環境であって、ネット上では、学生の頃にアルバイトしていた思い出を紹介されている方もちらほら。
一方で、近年は、山形新幹線1往復半で53万円売り上げた(平均は7万円)カリスマ車内販売員が本になるといった話題も。
あと、1988~1995年にテレビ朝日で放送されたドラマ「さすらい刑事旅情編」の鉄道警察隊リーダー格の刑事・香取達男(三浦洋一)の妹、恵里(相川恵里)が車内販売員をしているという設定だった。劇中では日本食堂の制服だったが、別の企業ということになっていたそうだ。東北新幹線、踊り子、北斗星と東京起点のあらゆる列車に乗務し、捜査で乗車中の兄としょっちゅう鉢合わせして、「おい恵里。お前なんでこんなところにいるんだ?」「お兄ちゃんこそ!」のやり取りが定番だったイメージ。


・納品する企業への影響は?
車内販売での扱いをやめる品目の製造販売元は、どう感じているだろう。
アイスクリームのスジャータなんかは、大企業だから大したことはないかもしれないけど。各地の駅弁や土産用お菓子はどうだろう。納品数としてはさほどではないのかな。【20日追記】大館の鶏めし弁当の花善では、さほどの影響はないとのこと。末尾のリンク先参照。


●雑感
・お土産
車内販売のメイン商品が、ホットコーヒーとお菓子を中心とするお土産だと思っていた。ある程度日持ちして在庫管理しやすいだろうし。そのお土産がなくなるのが意外。
買い忘れた時だけでなく、降り立ったわけではない土地のお土産(?)も入手できるのも魅力。

1982年の東北新幹線開業直後からしばらく(大宮または上野-盛岡の頃)は、そのお土産といえば、雷おこし、郡山の薄皮饅頭、仙台の笹かまぼこが定番で、各駅ごとに売りに来ていたはず。
薄皮饅頭は、郡山を通過する通称「スーパーやまびこ」や「こまち」でも、売られていたかと思う。
東京帰りの人から「郡山に行ったわけじゃないけど、車内販売にあったので」と思いがけず薄皮饅頭をいただいて、普段秋田では買えないものなので喜んで食べたことがあった。※薄皮饅頭の店舗は、東北地方では福島県内と仙台だけ。

いつの頃からか、東京ばな奈シリーズ、岩手のかもめの玉子や小岩井のクッキー、山形のラスクフランス、秋田の金萬なども積まれるようになり、さらにちょっとマイナーというか地元でもさほど知られないお菓子もあって、知名度向上に車内販売が貢献したかもしれない。
【4日補足】かもめの玉子が広く知られるようになったのは、平成初期だったと思う。僕は平成元年に存在を知ったが、少し後に秋田のダイエーでたまに売るようになり、初めて食べた。

秋田新幹線では、秋田産エダマメをチョココーティングした「青豆のドラジェ」や、秋田市の菓子店・中野屋のサブレ入りモナカ(?)「幸福朗(こうふくろう)」なども近年登場。
※幸福朗には秋田市立四ツ小屋小学校の児童が関わったと記憶して調べてみたら、小学校考案バージョンの派生商品(4色あって、育てた米粉使用)が存在するということらしい。車販は通常版だと思われる。
長らく秋田市に住む者としては、どちらも目新しいお菓子の部類で、どちらも食べたことがない。

そういう新入りの代わりということか、現在は、雷おこしや薄皮饅頭は扱わなくなっている。会津若松の「丸峰 黒糖まんじゅう(おしながきより。正確には「丸峰庵」?)」なるものを扱っているそうだ。



・駅弁
本件を伝える複数のマスコミでは、「車内で駅弁を買うことができなくなる」と象徴的に書いたりコメントしているものがあった。
「駅弁」とは「駅で売る」から駅弁なのであり、車内販売の代表商品として駅弁を挙げることに対して、個人的には少々異議があるが、それもまた事実。
窓が開かなくなって、停車時間が短くなって、途中駅で買うことは難しくなって、車内で買うのも仕方がない。食堂車やビュッフェが廃止され、車内販売が唯一の供食手段になったという事情もある。
でも、車内販売に積みこまれる駅弁は、種類も数も少ない。例えば「こまち」の仙台駅からは「網焼き牛たん弁当」は定番だけど、それ以外はあっただろうか。そんな点では、車内の駅弁に賭けるのはリスクが大きい。

ただ、車内でも駅と同価格で売られていたので買っても損はしないし、(乗車してすぐ販売員に頼み、途中駅から積みこんでもらう等)予約できることもあり、便利ではあったか。
さらに次のような問題も。


・食事難民?
運行時間が長く、途中駅の停車時間が短い列車で、車内販売で弁当を扱わないとなれば、どうなるだろう。
「こまち」「いなほ」など、駅で充分に周知しないと、空腹で何時間も過ごす客が出てしまいそう。
あるいは「こまち」の盛岡での少々長い停車中に、ホームの売り場にかけこむか。1分半停車の仙台では、危ない。
はたまた「いなほ」。新潟と秋田の間では、駅弁を売る駅は今はなくなった。駅のコンビニの品揃えもどうだろう。乗車前にお買い求めをと言っても、買いっぱぐれるかも。


・コーヒー難民?
秋田を朝早くに出る「こまち」では、車内販売の最初の巡回で、コーヒーがけっこう売れていた記憶がある。
これからは、盛岡までお預けになってしまう。秋田駅のスタバは7時開店だから間に合わない。改札向かいのNEWDAYSは5時半からやっていてコーヒーマシンもある。


・NRE以外がやったら?
NREがやらないのなら、他社はできないものか。
昔は上越新幹線の「聚楽(じゅらく)」など、ホテル系列の車内販売業者がいくつか存在した。その他にもあり、こまち開業前の「秋田リレー号」では、伯養軒も担当していたそうだ。
今の時代、新規(もしくは再度)参入はやっぱり難しいか。

では、駅弁業者が短区間だけ乗って売ることはできないだろうか。
大館の花善の鶏めしは、かつて(2008年頃まで??)は花善自身で車内販売を行っていた。
昼前後の特急(当時青森まで行っていた「いなほ」など)で大館→東能代→大館だったか。おばさん2人組があわただしく乗りこんで、車内放送を入れて、あわただしく車内を行って戻って、あわただしく降りていったけれど、今にして思えばぜいたくなサービスだった。【12月19日・弁当のほかに商品は、プラスチックのフタ兼コップ付き容器にお湯とティーバッグを入れた100円の緑茶のみ。いちおう「お茶だけ」を買うこともできたようだが、ぶっきらぼうに対応していた印象。】
今もその程度ならできる業者もいるかもしれないし、助かる客もいるはず。でなければ、駅ホームでの立ち売りの復活とか…
でも酒田付近のような駅弁業者自体がないところでは、それもできない。

【4日追記】自動販売機について。
1990年代中盤の新車両やリニューアル車では、車内に飲料の自動販売機を設置するのが流行ったが、2000年代までに撤去されたり新造車に設置されなくなり、一過性の動きだった。1990年の初代山形新幹線400系や1994年初代2階建て新幹線MaxのE1系にはあった(E1系は弁当の自販機もあった)が、2008年に終了。1997年の秋田新幹線初代E3系には一切なかった。【5日補足・小容量PETボトルが普及した時期と重なり、自販機が対応できなかったという理由もあるかもしれない】
運用上の問題があったのだろうが、こうなってしまったら、再度設置してはどうだろうか。車内で飲み物が入手できず、熱中症やエコノミークラス症候群になった、なんてことが起きないように。
【5日追記】それから、昔の新幹線や特急では、車内に「冷水器」が設置されていた。薄っぺらな紙コップで、無料で自由に飲むことができた。近年の車両にはなくなったし、洗面所やトイレの蛇口には「飲まないでください」とか書いてある。車内販売もない列車では、まさに水すら飲めなくなる。

【5日追記】個人的な偏見だけど、車内販売員が巡回しながら話す口上は「ホットコーヒーにサンドウィッチ、冷たいお飲み物はいかがでございますか」「ビールにおつまみ、お弁当はいかがでございますか」が定番だと思っていた。東北上越新幹線開業記念の車内放送カセットテープ(後にCDも登場)で、効果音として収録されていた販売員の言葉で覚えた気がする。
実際には、営業所や販売員個人、さらに時間帯や区間によって違い、無言でアイコンタクトで回る販売員も登場した。
【18日追記】最近はデッキから客室に入ってすぐ「車内販売でございます」と“名乗って”から、「ホットコーヒーに…」と続ける人も少なくなかったが、昔は「失礼いたします」だけで名乗ることはあまりなかったかもしれない。(以上追記)


車内販売がなくなっても、首都圏は駅ナカ、ホーム等いろいろ店があって影響は少ないかもしれないが、地方にはつらいかも。
※車内販売縮小時の報道やアイスクリームについてはこちら

【4月11日追記】JR東日本のクレジットカード「ビューカード」会員向け月刊紙「VIEW's news」には、切り取って使うJR東日本系列の飲食店などの割引券「ありがとうクーポン」が付いている。
その1つに、車内販売のホットコーヒーの割引券もあった。以前は100円引きだったが、最近は50円引き(Sサイズ・Lサイズとも)。以前は毎月2枚(1枚につき1杯)だったが、後に1枚(同)に。ただし、会員サイト掲載のPDFファイルを印刷する場合は、2回まで印刷できることになっていた(そう書いてあるだけで、3回以上の印刷もでき、そのことを識別できなかったはず)。
2019年2月号には、2月28日まで有効なクーポンが従来どおり掲載されたが、3月号からは掲載がなくなった。

【5月28日追記】その後5月28日付発表で、7月1日からさらに縮小されることになった。
・ホットコーヒーも廃止。
・北陸新幹線も、他と同内容に縮小。
車内販売の代名詞とも言えるホットコーヒー。それだけテイクアウト店やコンビニのコーヒーが脅威だったのか、あるいは淹れたり注いだりが手間だったのか。これにより、かなり省力化できてしまいそう。3か月おいて2段階での縮小になったのは、従業員の雇用契約の問題なんかもあるのかもしれない。
【7月16日追記】さらに7月1日から、車内販売や案内業務を「株式会社JR東日本サービスクリエーション」という新しい子会社(4月にNREの子会社として設立、7月からJR東日本本体の完全子会社に)に移管していた。
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花巻探訪

2018-08-31 00:36:07 | 旅行記
7月末の宮城旅行記は、若干残りがあるのですが、その帰り道を先に。
雨から逃れるために、早めに秋田へ向かったのだが、北上か盛岡での待ち時間が1時間ほどできる。盛岡も北上も降りたことがあったので、それ以外のどこかで降りて時間をつぶそうと考えた。

その日は28日。イトーヨーカドーで5%引きになる。数少なくなったイトーヨーカドーがあるのが、岩手県花巻市。イトーヨーカドー花巻店は、東北本線花巻駅から歩いて10分ほどのところにあるようだ。
花巻市は、花巻温泉には泊まったことがある、市街地から離れた宮沢賢治記念館にも行った気がする。
でも、駅も市街地も訪れたことはなく、長いソフトクリームが有名なマルカンデパート大食堂(百貨店としては廃業、食堂が復活)があるくらいしか知らなかった。降りてみよう。

東北本線で北上から間もなく、花巻駅。東北新幹線の新花巻駅は、花巻で乗り換えて釜石線にある。
県庁所在地でない市の駅としては、平均的規模で、乗降客はやや多い印象を受けた。駅業務は、2017年にJR直営から子会社委託になっているとのこと。
メインの東口
駅前は「街」というほどではなく、思いのほかこぢんまり。ここから南へ500メートルほど行くと、市役所やマルカンデパートなどがある市街地のようだ。市街地の外れに駅があるのだろう。
イトーヨーカドーは東方向。道はまっすぐでないので、下調べしたほうが無難だけど、迷うほどではない。ヨーカドーからさらに1キロ先を北上川が流れており、そこへ向かってけっこうな傾斜がある道。
ちなみに、北上川のその付近が、宮沢賢治がイギリスの海岸のようだと命名した「イギリス海岸」。今は、通常は水の中で、見てもあまりおもしろくないらしい。年に1回、ダムを調節して川底を露出させる試みが行われるが、成功するとは限らないそうだ。

「坂本町」交差点で広い道に出て、小さい川を渡った左側にイトーヨーカドー。その向かいには、木が茂って小高くなった公園のようなものもあって、それが花巻城跡。花巻が城下町という印象がなかったし、こんな場所にあるというのも意外。
ヨーカドーと城跡
先に花巻城跡から。
秋田市の千秋公園ほど高くはないが、それなりに上ったところ。
その名も「市立花巻小学校」という学校があり、宮沢賢治の母校。宮沢賢治の生家はマルカンデパートの近くだそうで最初に入学したのは別の小学校らしい。尋常高等小学校とかいろいろ複雑でよく分からないが、とりあえずここを卒業したようだ。
城跡は狭く、小学校の向こう側には、すぐにまた住宅や公共施設が並ぶ。
塀や門は城跡の風情
いちばん高いところが本丸跡だけど、
一面の草地

本丸跡からイトーヨーカドー花巻店を見下ろす
旧秋田店や弘前店など、イトーヨーカドーといえば、高いビルを連想してしまうけれど、花巻店は2階建てで、前に広い平面駐車場がある。
1988年オープンだから、秋田や弘前よりは新しい造りのヨーカドーということだろう。

中はわりと広く、にぎわっていた。手押しドアの押す部分が、陶器に着色したヨーカドーの鳥マーク(昔のロゴ)になっていたのがかわいかった。
オリオンベーカリーのパンなどを買って、降りた甲斐があったと満足。


その他、いろいろ。
城跡とヨーカドーの間に(というか小学校の通学路か)、押しボタン式信号。
押しボタンが2つ
一般的な黄色い押しボタン箱とともに、白い箱もある。白い箱は秋田でもたまにある「交通弱者用」押しボタン。押すと、歩行者用青信号の時間が延長され、高齢者や足腰の悪い人でも、余裕を持って横断できるという仕掛け。
秋田では「からだの不自由な人用」的な看板は出ているものの、押すとどういうことが起きるのか説明がない。必要とする人が意味を分からなくて押すのをためらったり、反対にやみくもに押してしまう人もいる。
岩手県では「ひとにやさしい信号」と銘打った上、「押すと青時間がながくなります」と、押した結果を明確に表示していた。分かりやすくていい。


花巻市議会議員選挙中だった。
選挙ポスター掲示場
秋田市と同じような、木目がむき出しの掲示板。投票日の下を見ると、
「この掲示板は花巻市産杉間伐材を使用しています。」
秋田市でも、秋田産(秋田市産限定ではないかも)の杉間伐材を使っているのだが、掲示板面にはその旨の表示がない。秋田市では表示しない方針(選挙と無関係の文言は表示できないととらえている)らしい。花巻市は(松江市なども)こうして表示できているのに。


上の本丸跡から見下ろした写真に写っている、小さな川。北上川に注ぐ「後川」。小さくても一級河川の支流だから、これも一級河川で、岩手県に管理が委任されている。
川沿いに看板が立っていた
岩手県の地域ごとの出先機関は「地方振興局」と呼ぶようだ。秋田県では「地域振興局」、青森県では「地域県民局」に相当。
そして絵入りの看板。※シールが貼られているが、イタズラ等でなく、河川に関係した何かの告知がはがれかけているもの。
見覚えのあるタッチと文
秋田県と青森県のものを紹介したことがあった、河川愛護看板のさらなるバリエーションだ。
「川はみんなのものです/ふるさとの川を守り/美しい川にしましょう/○○県」という言い回しは、秋田でも青森でも見られたが、ここのは文が同じで絵は別で、初めて見るもの。
若干気持ち悪い魚が、空き缶が3つ捨てられるのを見て、なぜかどこかうれしそうにしている。

上のカプセル型の中は、秋田と青森では絵・文章違いを含めても「川をきれいにしましょう」しか見たことがなかったが、これは「ゴミを川に捨てないで下さい」。
少なくとも東北地方では、県に関わらず、このシリーズの看板が設置されているようだが、バリエーションはまだほかにもありそう。


花巻駅前(東口側)

イトーヨーカドー花巻店前
市街地の歩道上に、ぽつんと看板が置かれていた。
昔は秋田にもあったはずだけど今は見かけず、八戸盛岡では今も現役の「学童注意」の広告入り看板。
さらに南の花巻にも分布していた。どちらも置き方がちょっと微妙で、目立たない感じはしたけれど、広告からして現役でしょう。

花巻駅前のものは、台座も蛍光色で、横断旗挿し付きと、新しいタイプ。「南部せんべい巖手屋」がスポンサー。
片面は新しいイラスト
八戸にあったのと似ているが、男の子が右手に持つものが違う。八戸のはそろばんが入った手提げ袋だったのが、ここでは横断旗。そういえば2人とも服に「P」と書いてあるのはどういう意味?
もう片面はおなじみの例のイラスト

ヨーカドー前は台座や枠は古そうだが、広告面はほとんど劣化していないし、書体も新しいものと同じ。
こちらは裏表同じ例のイラスト
ここはスポンサー名が「寄贈」となっていて、「岩手銘菓(株)回進堂 岩谷堂ようかん」。「イトーヨーカドー・キヨスク」と発売箇所も宣伝している。ただし、JR東日本になってからは「キオスク」が正当だし、現在は花巻駅はNewDaysになっている。
回進堂は奥州市江刺の店だそう。岩谷堂羊羹の名は、ケーブルテレビで見る岩手放送のCMで知っていた。この時は気付かなかったけど、ヨーカドーに売っているのなら、買えばよかった!


暑い中、短時間ながら充実した花巻探訪だった。いつか中心部やイギリス海岸にも。
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松島駅→高城町駅→塩釜駅

2018-08-13 00:03:45 | 旅行記
宮城旅行記の続き(前回の記事)。
松島から塩釜にかけては、JR東北本線とJR仙石(せんせき)線がほぼ並走している。
海が見えたかと思えば、トンネルもあって地形は変化に富む場所を、両路線は寄り添ったり離れたりを繰り返す。ただし、駅が同じ場所にあるものはない。
この区間の駅の配置を簡単に示す。
駅間の距離は、ある程度意識して配置しています
東北本線の松島・塩釜2駅の間に対応する区間に、仙石線は6~7駅もある。

仙石線は、元々、私鉄として開業したので、駅が多い。
東北本線の駅間が離れすぎているとも言え、ちょうど10.0キロ。東北本線(3セク化された盛岡~青森を含めても)でもっとも駅間距離が長いのがここのはず。
ちなみに、上野を出た東北本線が、370キロほど走って初めて海に出会うのも、この辺りとのこと(この先で海が見えるのは青森の野辺地辺りかな)。


ここに限らず、一部の“乗り鉄”が考えるのが、鉄道で直接つながっていない駅どうしを、バス、船、徒歩などで短絡すること。旅程が効率的になることもあるが、道路や地形が歩きにくかったり、時間が読めずに失敗することもある。※広島でやった記録
松島・塩釜周辺では、松島駅と高城町(たかぎまち)駅、塩釜駅と西塩釜駅の間が近く、いずれも10分ほどで徒歩連絡が可能。
※昨年や前回の記事の通り、バスを使えば、塩釜と本塩釜など塩竈市街地では他の連絡もできる。

今回の旅では、東北本線の列車を塩釜駅で降りて、鹽竈神社に向かうつもりだった。
時刻表を見ると、手前の松島駅で降りて高城町駅まで歩くと、ちょうど乗り換えられそうな仙石線の列車を発見。乗り換えは必要になるが、本塩釜駅から参拝したほうがいいような気もしていたので、それに惹かれた。
車内でぎりぎりまで悩んで、思い切って松島駅で降りた。
東北本線松島駅
2010年にできたきれいな駅舎。駅業務は子会社へ委託されていて、時間帯によっては無人。
旧駅舎であったというキオスクは今はないものの、待合室には紙コップの飲料自動販売機があり、Suica決済可能、しかもフラッペというか水分の多いかき氷も2種類あるという、初めて見たタイプ。後で買ってみたらかき氷とはちょっと違ったけれど、暑い時にはうれしかった。

高城町へのルートは難しくない。
駅正面の一本道を150メートル進むと、国道45号線の横断歩道橋のある交差点と高城川。国道向かいに高城川の橋があり、仙石線の橋も並行するのがさっそく見える。
歩道橋の上から橋と仙石線
道路の橋は「松島橋」だそうで、
古ぼけた表示板に「松島橋」
橋を渡れば、あとは脇道(何本かある)に入って仙石線沿いをたどる。途中、生協のスーパーがあるところで、信号機のない広い道路を渡るので、注意。
仙石線沿いの道

正面の建物側面が見えているのが高城町駅
松島駅到着後、高城町発の電車まで12分ある。800メートルほどだから、10分あれば余裕と高をくくっていた。
ところが、生協の辺りで怪しくなってきた。走れば間に合いそうだったが、汗をかきたくないから断念。次に乗ることにした。

高城町駅から仙台方面への昼間の列車は、昔は、石巻始発の快速と各停が毎時1本ずつだった。
それが2015年からは、仙石線としては石巻始発各停1本、この高城町駅始発(折り返し)各停1本、そして石巻始発で途中から東北本線に入る「仙石東北ライン」の快速が1本の毎時3本体制。
仙石東北ラインとは、東北本線と仙石線を接続する連絡線を建設し、直通車両を開発したもの。連絡線は、東北本線・塩釜駅方向と仙石線・高城町駅方向を行き来できる形状(上の図のピンク色の線)。

乗り損ねた列車の次の列車は、仙石東北ライン。
これに乗ってしまうと、結局、東北本線・塩釜駅で降りることになってしまい、旅程としては時間を無駄にしただけになってしまうのは、ちょっと悔しい。
でも、機会があれば乗ってみたいとも思っていたので、1駅だけ乗っちゃうことにした。

折り返し駅かつ分岐駅である高城町は、小さな駅。
高城町駅。タクシー乗り場だけやけに広く、あとはすべて狭い

ホーム側から
狭い道路と線路に挟まれて小さな駅舎がちょこんとあり、構内踏切で結ばれた1面2線の島式ホームがちょこんとある。昭和の地方私鉄の風情が漂う駅だけど、仙台周辺にはわりとあるかも。例によって駅業務は子会社委託。
列車が到着
仙石東北ラインの車両は2両1組だが、多くは2組つないだ4両で運転されるという。
来た列車は、運悪く2両編成の列車。席は埋まり、立ち客がけっこういた。
ところが、先頭車両の先頭部がぽっかりと空いていた。そこに立つしかあるまい。結果的に、前面展望を楽しむことができた。

車両はHB-E210系気動車。ハイブリッド方式のディーゼルカーで「リゾートしらかみ」などと同じ方式。
東北本線は交流、仙石線は直流で電化されているため、安価に直通運転しようということなんだろう(石巻から先、非電化の石巻線へも直通できるメリットもある)。
※ハイブリッド方式は、男鹿線のような蓄電池式電車ではなく、新潟や五能線に導入される電気式気動車とも少し違う。

ワイドボディ3ドア、セミクロスシートの車両。
1駅だけの乗車、しかも混んでいてよく分からなかったけれど、E721系など最近のJR東日本の普通列車と大差なさそう。
走行音や振動も、ハイブリッドのリゾしらと変わらない感じ。エンジン作動時は、それなりの音と振動がある。

高城町を出て2分ほど。これから2度停車した後、東北本線へ入る旨の放送が流れる。
海の近くとは思えないほど「山」の風景。右側へポイントが切り替わっている
たしかここでいったん停止してから、連絡線へ。
まっすぐが仙石線、右が連絡線
連絡線には架線が張られていない。
連絡線走行中。右に東北本線が見えてくる
東北本線に合流するところに信号機(「場内」と表示)があり、赤なので2度目の停止。
青信号に
青に変わったタイミングで、左隣の仙石線を下り列車が通過。それと入れ違いのように我々の列車は東北本線へ入る。
この場所は「信号場」のような位置付けかと思っていたら、松島駅の構内という扱いらしい。松島駅自体は通過すらしないけれど。

信号機の下に「無線切換」と注意書きがあったので、無線方式が違うのだろうか。なお、自動列車停止装置(ATS)はこの区間では両線とも同じだから、切り替えなくていいはず。

連絡線通過にかかった時間は1分ほど。
あとは、東北本線を普通に走って(車両の最高速度は100km/hだから、E721系よりは少し遅いのかも)、塩釜到着。

仙石東北ラインにより、仙石線の快速と比べて、石巻-仙台が10分ほど短縮されて60分を切った。連絡線の通過時間をさらに短縮する計画もあるらしい。
一方で、よそ者としては運行形態が分かりづらい。地元利用者としても、仙石線の仙台-松島海岸では快速がなくなったし、石巻-本塩釜・多賀城の直通列車は減ったし、東北本線の松島駅では、以前あった仙台-松島の折り返し列車が廃止されたし、場合によっては不便になったところもあるはず。
仙石線側で容易に快速を増発できる環境ではないし、震災復興、地方の活性化の意味もあるけれど、全体的に考えればどんなもんなのだろうか。

旅行記は続く。
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30年越しの鹽竈神社

2018-08-08 00:28:20 | 旅行記
昨年の夏、18きっぷで宮城県を訪れ、塩竈市の鹽竈神社を参拝しようと思ったものの、欲張った計画と雨により、塩釜の街をさまよっただけの計画倒れに終わった。
今年、改めて行くことにした。今回は欲張らず、最大の目的を鹽竈神社として。
※自治体は「塩竈市」、神社は「鹽竈神社」、JR東日本の駅は「塩釜」と表記するのが正式で、いずれも「しおがま」と読む。

鹽竈神社に行こうと思ったきっかけは、小学校の修学旅行で計画に組み入れられながら、飛ばされてしまったこと。
昭和最後の年の初夏のことであったから、平成最後の今年でちょうど30年越しの悲願(?)。

秋田を9時12分に出れば、北上線経由でとてもスムーズな接続が組まれていて、5本の列車に乗って仙台に14時23分に着く。
一泊二日だけど、初日に充分時間があるし、翌日は雨の予報だから、最初に参拝することに決めた。

昨年の記事でも触れたように、塩釜は秋田から行くと仙台よりも手前。JRは東北本線と仙石線が並走しているものの、駅は別の場所。
鹽竈神社は、東北本線と仙石線にはさまれた位置にあり、それぞれの最寄り駅は塩釜駅と本塩釜駅。公式には本塩釜下車とされているが、塩釜駅でも遠くはないし、本塩釜駅-塩釜駅-神社と循環するコミュニティバス「しおナビ100円バス」が毎時1本程度運行されている。

鹽竈神社の参道、というか小高い所にあるので登り口も複数あるらしいが、情報が少ない。
少なくとも塩釜駅寄り(バス停もこちら側)と本塩釜駅寄りに1つずつあって、片方は急な階段らしい。
塩釜駅から参道入口までは1.1キロで一気に階段、本塩釜駅からは500メートルのところから、さらに400メートルほどの緩い坂の参道があるようだ。

上記の仙台14時23分着の列車なら、塩釜14時04分着。
ところが、いろいろ考えすぎて失敗して(この顛末は後日)、15時頃に本塩釜駅に降り立つ結果となった。
門前町というほどではないけれど、街並みの雰囲気としては、塩釜駅よりも本塩釜駅周辺のほうがそれっぽい。
少し進むと、こんな表示があった。
「鹽竈神社の3つの参道」
ネット上にもこの情報がほしかった!(だから当記事でアップします)
塩釜駅寄りが「表参道」で「202段の急な階段」、本塩釜駅寄りが「東参道」で「ゆるやかな石畳の坂」、その間に「七曲坂」という「つづら折りの坂」もあった。
なお、表参道は「表坂」「男坂」、東参道は「裏坂」「女坂」とも呼ぶ。つづら折りは、地図によれば5回向きが変わる。

ということで東参道へ。
東参道入口。鳥居の先で左方向へ坂道が続く
上の写真右は近くにある塩竈市役所の分庁舎の公用車駐車場になっているようで、車体はちゃんと「車竈塩」と正しく表記している。
東参道
平坦部と数段の段差が混在する参道。参拝客がちらほら。気温は秋田市より低いこともあるが、海からの風が心地良く、汗はかかずに済んだ。アブラゼミとミンミンゼミが鳴き、ツクツクボウシも少々。

木々に囲まれて参道らしいたたずまいだけど、すぐ外には民家が見え、参道沿いにアパートも建っている不思議なロケーション。
途中(参道から入ったところ)に「旧亀井邸」という大正期の和洋折衷建築があって、無料公開されている。秋田辺りではガソリンスタンドで知られる、仙台市の総合商社「カメイ」の創業者が建てたもの。帰りに寄ろうかと思ったものの、帰りは通らなかったので見損ねてしまった。
「風致保安林」まといを持ったリス?

上の鳥居に到着
神社の博物館がある。ここで左(外)側から合流する道があった。それがつづら折りの七曲坂。
七曲坂
坂というか山道だ。高知の牧野富太郎植物園近くの遍路道を思い出した。

ここで衝撃の事実。
右側を見ると、舗装された道があって車がいる。なんとここまで車で来ることができ、駐車場があるのだった!
地図を見れば、坂から見えた住宅の中を道が通っている。秋田市のような平坦な土地にいると、坂が多い街の構造は想像が難しい。ただ、車で来ても、まったく歩かなくていいとか、高低差がないというわけでもない。

境内はものすごく広大というわけではないものの、さすが「陸奥国一之宮」。赤系統の立派な造りの建物が並ぶ。鹽竈神社本体の中だけでも、いくつもの神様が祀られている。
正面の拝殿
拝殿が独特な構造。同じ建物の向かって左に「右宮」、右に「左宮」と、2柱の神様が並んでいらっしゃる。賽銭箱も鈴も2セット。
テレビで、長野と群馬の県境にある神社が同じような配置だったのを見たことがあったけれど、予備知識なしで遭遇したので、戸惑った。
作法は知らないけれど、両方にごあいさつするべきと考えて、それぞれ参拝。初詣の時なんかどうなるのだろう。
でも、小銭の持ち合わせが少なくて、そこは適当に… 偶然にも、財布の中に30年前「昭和63年」製造の100円玉があったので、それを入れた。

拝殿の前に囲われた、けっこう大きな木があった。
幹が二股になっている
宮城県指定天然記念物「鹽竈神社のタラヨウ(多羅葉)」。説明板によれば樹齢500年、樹高22メートル。
タラヨウといえば、葉を傷つけると色が変わって文字を書くことができ、「葉書き」の由来とも言われる、モチノキ科の常緑樹。
その由来にちなんで、全国の大きな郵便局の敷地に植えられているそうで、秋田中央郵便局にも、あまり大きくないタラヨウがある。秋田中央郵便局のタラヨウしか見たことがなかったので、鹽竈神社の大木には驚いた。
後で調べると、タラヨウが自生するのは静岡県以西。人為的に植えれば東北地方でも育つことになるが、鹽竈神社のはかなり大きいこともあって、天然記念物になっているのだろう。


鹽竈神社本体の斜め横に、別に区切られた「志波彦神社」もあった。

さらにその横からは、庭園越しに「千賀の浦」とも呼ばれる塩釜港、松島方向の海が見下ろせる。

本当は参拝の順番とか作法があるのだろうけれど、勉強不足。でも、ごく簡単ながらひと通り参拝できて、自己満足。
東参道を戻ろうかと思っていたけれど、気が変わって表参道を下りてみることにした。
ひえーっ
すごく急な階段。方角的に、階段の先に太陽が沈むとかいうことではなさそうだけど、木々に囲まれて神社ならではの趣き。
202段を下りること自体は大したことなかったけど、特に下のほうでは、1段当たりの奥行きが中途半端で、1歩では長すぎて、調子が狂いそうになった。雨の日は避けたほうが良さそう。
無事に下りられた(写真の撮影時刻によれば5分弱かかったようだ)
上の写真に写っている、小さな子ども連れのご一家は、上から下まで下りて、再び上がって行った。よくやるなぁ。
大きな鳥居「陸奥国一宮」と表示

上って参拝して下りるまで、45分ほどかかった。駅からの往復や博物館、亀井邸見学もするなら、1時間以上見ないといけない。
30年前の修学旅行の予定表では、鹽竈神社見学として30分間しか確保されていなかった。バスで駐車場まで乗り入れて、ごく簡単に見るだけだとしても、ちょっと足りないかもしれない。
そして、小学生が見たとしても、心を動かされたり記憶に残ったりはしにくそうなスポットだと思う。
そんな意味では、行程にありながら、あえて飛ばした担任の先生(学年主任兼務)の判断は、間違っていなかったとも言える。(だったら最初から行程に入れさせないとか、時間をもっと確保するとか、旅行会社との事前調整で対応することもできたわけだけど…)

旅行記は続く
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Boarding Vouchers

2018-08-07 00:33:29 | 旅行記
「整理券」について。
考えてみれば、整理券とは不思議な言葉。

日本語には「○○券」という名前の券はいくつもある。
仮に、日本語の語彙は標準的だけど、「○○券」の存在を知らない人がいたとする。
そういう人が「割引券」「福引券」「診察券」「入場券」などを初めて見聞きしたとしても、どういうことをする券なのか、想像はつくだろう。
これらは「割引してもらえる券」「入場するための券」などと、「○○するための券」というネーミングなので、その券を使ってもたらされる結果が明確だから。

一方、「商品券」や「ギフト券」は、その結果がややあいまいで、分かりづらいかもしれない(正確に言うなら、商品引換券とか贈答用商品引換券といったところ)。
さらに分かりづらいのが整理券。券を使うと「整理される」結果になるのか? 整理券を知っている者でも、そう考えると分からない。


しかも、整理券といっても大きく2種類がある。
1つは、ワンマン運転される乗り合い交通機関(バスや鉄道)で、それぞれの乗客が乗車した地点(駅や停留所)を示すもの。
もう1つは、人数・数量制限があったり、サービスを受ける順番や時間帯を区分するために、並んでいる時など事前に配って、その権利があることを示すもの。
まったくと言っていいほど違う目的を持つ、2つの整理券がある。また、交通機関でも、着席定員がある列車における「乗車整理券」など、後者の意味の整理券を販売する場合もある。
以下、前者の整理券について。※以前、秋田市営バスの整理券を取り上げた。

ワンマン運転の列車になじみがない人、首都圏中心部のバスのような均一運賃で整理券がないバスしか乗らない人には、整理券を知らないか知っていても意識できないだろう。
そういう人が地方へ来て整理券方式のバスに乗っても、整理券を取らないでしまったり、名前を知らず「回数券を取らなきゃ」と言ってしまったり、あるいは取っても下車時に運賃箱へ入れるのを忘れてしまったりすることがある。

秋田市中心市街地循環バス・ぐるる(秋田市が秋田中央交通に運行を委託)では、100円均一運賃なのに、整理券を発券している。無意味に思えるかもしれないし、実際に整理券の存在に気づいているのに、わざと取らない乗客もたまにいる。でも、(ぐるる以外も含めて)整理券が出ている以上は取るべきだと思う。理由は2つ。
まずは、上記の原則どおり乗車したバス停の証明。ぐるるは、厳密には「1周を越えるまで100円均一」という運賃設定。だから、乗ったバス停が分からないといけない。

もう1点は、乗客側でなく運行する側のため。簡潔に言えば「利用実態の調査」。
単純に運賃箱に回収された整理券の枚数を数えれば、総乗客数が分かるし、運行ごとに運賃箱を回収して券番号も調べればどこで乗る客がどのくらいいるのかも分かる(秋田市営バスでは時々実施していた?)。
それだけでなく、現在の感熱紙に日付が印字される、電子式(?)整理券では、「何時何分始発の便で、何番目のバス停で何枚発券したか」を集計したデータを印字できる機能があるそうで、理論上は各運行ごとかつ各バス停ごとの乗車客数が把握できる。中央交通のいちばん安い発行機でもできるらしい。
ぐるるの場合、赤字分が秋田市から補填されることもあり、乗車人数の把握には、整理券をカウントして正確を期しているのかもしれない。(ただし、フリー乗車券利用分や無料の子どもが取ってしまった分もあって、整理券だけではどうしても誤差は生じるだろう。)
バス会社によっては始発点では整理券を出さないところもあるが、出ているのならば、乗車実態把握に協力して、定期券やフリー乗車券を使う場合でも、誰もが必ず整理券を取るべきである。
※バスカード類を導入している所では、カードに整理券の情報が書きこまれるので、原則取る必要はない。鉄道では、きっぷ類を持っていない人だけ取るように案内している会社・地域もあるが、まれに全員必ず取れとする会社もある。いずれにしても、取ったほうがいい場合が多い(特にバス)ものの、ケースバイケースなので、表示や放送に従いましょう。


以前、ぐるるの車内でこんな場面に遭遇した。
乗ってきたグループ客が、整理券を取らない。
マジメな運転士さんは「整理券をお取りください」と案内するも、通じない。どうもアジア系外国人のようだ。
どうするか? あきらめるか? と思っていると、すかさず発券機のほうを指差しながら「ナンバーチケットプリーズ」とか言うと、見事に通じた。

これが、冒頭の整理券という言葉の意味を悩むきっかけになった。
そもそも海外の乗り物に整理券(と同じ役目の券)があるのか知らないけれど、「整理券」を英語でどう言うのだろう。
「整理する」意味の英単語はいろいろあるらしいが、そのどれか+ticketだと、おそらくどれも通じなそう。日本語としても整理券がちょっと意味が分からないのと同じように。

ナンバーチケットだと「数字が書いてある券」ということだろうか。直感的には伝わりそうだけど、本質は伝わらなさそう。正確な訳語ではないようだ。
じゃあ、整理券を意味する英語は?

今回の宮城旅行で分かった。
JR東日本仙台支社のキハ110系気動車。
正面「整理券」の横に!
「Boarding Vouchers」だそう。
「Vouchers」は「バウチャー(バウチャー券)」として、パック旅行を申しこんだ時、「提示の必要はありませんが、旅行終了までなくさずにお持ちください」といって渡される券の名前で知っていた。この場合は旅行契約の証明書みたいなものか。旅行業界では、ほかにもこれと似ているようで微妙に違う使い方をすることもあるようだ。
「Boarding Vouchers」だと、「乗車証明書」というニュアンスになりそう。なるほど。整理券の本来の目的である乗車駅の証明という本質を突いた名称だ。


となると、JR東日本盛岡支社が整理券の呼称を使わなくなり「乗車駅証明書」としたのも、とても正しいことのようにも思える。
(再掲)盛岡支社の乗車駅証明書発行機。英語はなし
ただやっぱり、乗客には「整理券」が浸透しているし、駅舎にある証明書とまぎらわしいし、盛岡支社だけが単独で変更した必要性は疑問。


ここで、整理券を発行する機械について。
上の2枚、仙台支社と盛岡支社は、券の名前の表示は違っても、機器は同型だと思われる。
仙台支社のものは銘版が見え、レシップ製の「整理券発行機」「LTM02」「MADE IN JAPAN」であった。
レシップ 整理券発行機LTM02
オレンジ色のボディで、天面に取っ手があり、発券口の上の矢印の部分がひさしのように出っ張っている発券機は、全国的によく見かける。特にJRグループを含む鉄道ではシェアが高い(色違いだったり、出っ張ったひさしがないものもある)。
このようなワンマン機器は、バスと鉄道で共通の製品なのが一般的だが、レシップでは、鉄道向けに特化した製品を積極的に製造(対面で接客する運賃箱など)していて、鉄道会社に好まれているのかもしれない。

バス会社でもそれなりに使われている。秋田市営バスが1990年代中頃に試験的に導入していた、バーコードが印字される発行機とそれに対応した運賃箱が同社(前身の三陽電機製作所)製だった。【発券機について後述あり】
ちなみに中央交通は、別の小田原機器製のもので、「整理券機」と呼称する製品。

仙台支社と盛岡支社の発行機は、どちらも新しそう。盛岡は2013年から券の名称が変わったので、少なくともそれ以降の製造ということになる。
鉄道の整理券発行機は、乗客が立つスペースに置かれていることが多い。
701系の整理券発行機はドアの真ん前(写真は秋田支社の車両)
乗降時に荷物がぶつかったり、混雑時に立ち客にもたれかかられたり、バスよりも過酷な環境に置かれているとも言える。ある程度の年数が経つと、塗装がはげることが多いようで、JRさんはお金持ちなこともあるのか、定期的に新品に交換していると思われる。
廃車から取り外して、別の車で使い回すバス会社とは対照的。ちなみに、小田原の感熱紙式整理券機は、正面の「整理券」と表示された板が、経年で劣化して茶色く汚れる傾向があるようだが、レシップでは見たことがない。

レシップの発行機で特徴的なのが、天面の取っ手。小田原など他社の発行機にはないし、使いみちが不明。
中を開けて用紙補充やメンテナンスをする時に使うのだろうか。あるいはとても頑丈そうな取っ手だから、10キロ弱あるという発行機全体を持ち運ぶ時にも使えそうだけど、そもそも持ち運ぶものではない。
メーカーのホームページには、LTM01という、色は違うがよく似た発行機が掲載されていて「取手はオプションです」とのこと。そんなに必要なものなんでしょうか。

また、LTM01には「音声案内(整理券をお取りください)ができます。(オプション)」そうだ。
仙台や盛岡のはしゃべらないようだけど、よく見れば、正面上部左側(整や乗の上のオレンジ色部分)に小さい穴が空いている。そこにスピーカーや音声ユニットを組みこめそう。

JR東日本秋田支社の整理券発行機は、
すっかりおなじみ
これもきれいだから、最近交換されたのだろうか。でも、側面の「整理券をおとり下さい」は薄れている。
仙台や盛岡とよく似ているが、違うのは、正面から天面にかけての上部が、面取りされたように角度がついていること。おそらく音声ユニットは内蔵できないタイプということになろう。
秋田では701系導入時から、外観はこれと同じ発行機が使われ続けている。他の鉄道会社でも見かけ、レシップの整理券発行機といえば、これというイメージ。今はモデルチェンジして販売されていないのかもしれない。【7日追記】秋田市営バスのバーコード付き整理券も、ボディはこれと同一の形・色だったはず。導入時期も一致する。発券口上の出っ張りはなく、平面に同じ矢印が描かれていたかな?
【10月7日追記】秋田車両センターの男鹿線用のキハ40系ワンマン対応車に設置されたレシップ製の整理券発行機の中には、ドアが開閉できるようになる時とできなくなる時(=運転士がドアスイッチを操作した時)に、「ビー」とブザーのようなけっこう大きい音を出すものがある。有人駅の時は鳴らない。
701系のものと外観は同一だが、中にブザーユニットが内蔵されているようだ。
ドアチャイムが鳴らない車なので、その代わりを兼ねているのかもしれない。

【2019年4月22日追記】秋田地区でも、仙台と同型の「Boarding Vouchers」タイプが設置された車両があった。2018年頃に3両編成から2両に短縮・ワンマン対応されたN12編成で確認。将来的にはこれが主流になっていきそう。(以上追記)

JR東日本秋田支社管内の無人駅にある乗車証明書発行機も、これとよく似た色と形だが、メーカーは未確認。
駅の乗車証明書は、ボタンを押した時にその都度印字(たしか片面だけ)して、カットされて受け口に落ちるので、整理券発行機とは完全に同一の機構ではないけれど、共通部分は多そう。


整理券の由来は、「乗客を整理する」ということなんだろうか。
だとすれば、運行側の視点による命名。
それに、「整理券」はどこか軽い印象がして、取らなくてもいいように感じてしまうかもしれない。「Boarding Vouchers」すなわち「乗車証明書」だと、重要度が増す気もする。
だけど、整理券の名は乗客にも広まって定着してしまっているから、今さら「整理券改名運動」などしようとしても、どうしようもない。
整理券方式の交通機関であっても、ICカード普及により、整理券そのものを使う機会は減っていく(カード内に整理券情報が記録されるから)だろう。でも、整理券の名前は永遠に残るかもしれない。

あと、外国人旅行客が増える時代、各事業者(特に地方のバス会社)には、車内外の表示や乗務員の接客マニュアルにおいて、「Boarding Vouchers」を使っていくべきであろう。っていうか「Boarding Vouchers」でホントに通じるのかな? とまだ半信半疑。

翌2019年、東北地方などJR東日本の一部無人駅で稼働開始した乗車駅証明書発行機には、「BOARDING TICKET」と英訳が表記された。「搭乗券」の意味があるそうだが…
※公益社団法人 日本バス協会が2017年に示したガイドラインでも、整理券を「boarding ticket」としている。
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3支社のワンマン説明を比較

2018-08-01 00:38:33 | 旅行記
青春18きっぷで秋田から宮城まで。今回は、行きは北上線、帰りは田沢湖線で奥羽本線と東北本線をつないだ。接続が良い行程だったので、同じルートをたどるお仲間もけっこういらしたものの、地元の乗客を合わせても車内が混雑することはほとんどなく、快適だった。

さて、地方の鉄道ではおなじみのワンマン運転。その車内に掲出される利用方法の説明に注目。
以前、JR東日本秋田支社のものを紹介した。
(再掲)秋田支社「ワンマンカー 乗り方&降り方」色あせ版
秋田支社では、701系導入時に実写(写真)版が作られ、後にそれをイラスト化したものに差し替えられた。最近は、色あせたものが同じ内容の新しいものに替えられたり、男鹿線の新車にはややサイズが小さい同じ内容のものが出ているので、秋田支社では今も現役ということになろう。
同じ記事では、かつて仙台支社で使われていた編成の掲示も取り上げた。仙台時代の掲示が秋田転属後も残っていて、1990年代チックな女子高校生が登場する漫画もある「駅員のいない駅での ワンマンカー 乗り降りのごあんない」であった。

では、今回の旅行で見た、現在の仙台支社と盛岡支社の説明書きを見て、秋田支社と合わせて東北地方3支社を比較してみよう。
両支社とも、秋田と同様にドアの上に、それぞれオリジナルの説明を掲出していた。
なお、秋田を含めて3支社とも乗降の方法は同じ(※)だから、説明の内容としては同一。それを各支社がどう表現しているかを比べようということになる。
※無人駅(有人駅で駅員がいない時間帯も含む)では、前寄り車両後ろドアから乗車、車内精算して前ドアから降車。有人駅ではすべてのドアが開いて、改札口で精算。
それから、関係ないけれど、仙台も盛岡も、車内に路線図が掲出されていないのは、ちょっと不親切。秋田支社では、天井までかかる巨大な路線図を日本語と英語で掲示しているのに。
仙台の701系。これは後期製造の1500番台
秋田地区では、正面の行き先表示がLED化されても、「ワンマン」の表示は、折りたたみ式の表示灯(昔のバスにあったのと同じヤツ)を使っている。
一方、仙台も盛岡も、表示灯を使わず「ワンマン」もLED内に緑色で表示していた。表示器の幅は秋田と同じで、文字数が多い行き先だとどうなるのか心配だけど「一ノ関」「小牛田」の3文字は収まっていた。秋田の表示器は、緑色にはできるのか、あと「ワンマン羽後本荘」なんかは厳しそう。
現在の仙台版説明
ドア上の掲示枠自体が秋田のものと違っていた。
秋田のものよりも縦方向に大きく(つまり掲示物の面積が広い)、それに全面に透明な板がかかっている秋田と違って、荷棚上の広告と同じように透明な帯で留める方式(秋田ではその広告枠もない)。したがって、説明書きも秋田より大きいが、枠よりは小さくて余白ができている。

ここで701系ではない仙台の車両。陸羽東線のキハ110系気動車にも乗った。そこでは、
キハ110系仕様
まず、紙のサイズがキハ110系のほうが横に長い。内容は細かい相違点がある(後述)。

内容。タイトルは「駅員のいない駅及び、いない時間帯での ワンマンカー乗り降りのご案内」と、極めて正確な言い回し。「駅員」の「駅」の左上に制帽がかかっている。
秋田支社版にはあり、旧仙台漫画版にはなかった「JR東日本仙台支社」のロゴが右下にある。
701系掲出の中央部
以前ほどではないが漫画チックというか、かわいらしいイラストが使われている。
中央部に描かれるのは、山間部にあり、短い簡素な屋根がかかった、いかにも無人駅のホームのシチュエーション。身長が同じ男女5名が、楽しそうにしている。
駅名標は「のりおり」駅。左隣が「じぇいあーる」駅、右隣が「ひがしにほん」駅。

701系用とキハ110系用では、背景や人物は共通だが、描かれる車両は、それぞれに合わせている。
ただし、701系用の車両は、先頭部や窓の形状からすれば719系っぽい。719系は、山形新幹線区間にはワンマン対応編成があるから、そちらに合わせたのか?
それにホームの高さが低いらしく、車輪など車両の床下が少し見えている。あと、右側車両の後ドア(5人並んだ左端)が、開きかけなのか閉まりかけなのか、半開きで車内の床が見えている。
キハ110系のほうは、まだ停車前ということなのか(紙が横に長いからだね)、屋根の外に車両がいる。こちらは床下が見えない。ドアはすべて閉まっている。

説明部分は、内容としてはごく一般的。イラストはホームにいる人物のうち2名が登場し、ここの車体やドアも、電車と気動車で替えている。運賃箱は今は交換された旧型のもの。

若干気になるのは、「進行方向1両目、1番後ろ(または前)のドアから」という言い回し。「進行方向1両目」よりは「前の車両」のほうが分かりやすいと思うし、「1番後ろ」という場合は数字を使うものではない。

盛岡の701系1000番台。ワンマン表示灯も設置されているが使わずにLED内に表示

「駅員がいない時間帯の ワンマン列車の乗り方・降り方」
盛岡支社は、説明に徹した飾り気のないもの。「JR東日本」のロゴはなし。こちらも枠は大型で、紙もぴったり。
イラストは秋田のを少し意識したような雰囲気もあるが、文章も含めて別物。
右側では、気動車1両編成、電車(3ドア)2両編成、気動車2両編成それぞれの開くドアの位置を示しており、電車・気動車共通で掲出されているかもしれない。

気になる点が2つ。
1つは「駅員がいない時間帯の」という表現。
ワンマン列車に不慣れでこの掲示を見ている人にしてみれば、「1日中駅員がいない駅(真の無人駅)ではどうするの?」と思ってしまうかもしれない。反対に、盛岡駅みたいな常に駅員がいる駅でも、「もしかしたら駅員がいない時間帯かも?」と余計な心配をしてしまうかもしれない。
車内放送を聞けば分かることだけど、不特定多数が利用するものだから、極力分かりやすくするべき。でも、それは難しいことでもある。

もう1点は、今回の旅行で受けたカルチャーショック。
冒頭からここまであえて書かなかった、無人駅から乗車する時に乗車口で取る紙のこと。運賃が定額でない後払いの路線バスでも、乗る時に必ず取る、おなじみのアレ。

それって「整理券」でしょ。
いや。それが盛岡支社では、
「乗車の際に乗車駅証明書をお取りください。」
「乗車駅証明書」と称していた!
盛岡支社では、ワンマン列車の自動放送でも、徹底して「整理券」ではなく「乗車駅証明書」と言っていた。ネットで調べたら、どうも2013年9月から言いかたを変えたようだ(昨年乗った時はワンマン列車でなくて気づかなかった)。

701系車内の発券機の表示も盛岡では、
「乗車駅証明書」。紙などでなく、ちゃんとした表示板
新しそうなレシップ製の発券機で、仙台支社キハ110系のと同型のようだ。秋田支社のとは微妙に違う。(詳細は続きの記事にて)
仙台支社のものは「整理券発行器LTM-02」だった。盛岡支社のは型式は確認できなかったが、製品としては「整理券発行器」なのでしょうね。

これまでの認識では、整理券と乗車駅証明書は、その目的や実態(発行機や紙の規格、券面の表示内容)はほぼ同じものながら、区別されるものだと思っていた。
車内の乗車口で取るものが「整理券」、無人駅の駅舎で取るものが「乗車駅証明書」という、設置場所の違い。
※駅員がいる駅で、何らかの事情できっぷを買わず(買えず)に改札内に入る時に手渡しでもらうものも「乗車駅証明書」だけど、ここではとりあえず除外します。
駅で乗車駅証明書を取っていれば、車内で整理券を取らなくても、何の支障も問題もなく、文句も言われないはず。両者に大差はないのは間違いないから、統一したのだろうか。

でも、JR東日本の近隣の他支社では引き続き「整理券」と呼んでいるのだし、全国的にもそうだろう(私鉄などでは違うところもありそう)。バスでも整理券の名は定着している。それに「乗車駅証明書」って言いにくい。
盛岡支社だけ、あえて変える必要があったのだろうか。
【8月1日補足】盛岡、横手、一ノ関周辺などでは、盛岡支社の車両と他支社の車両の両方が走っているため、整理券と乗車駅証明書が混在していることになる。

今年10月から、盛岡支社管轄の八戸線で新たにワンマン運転が始まるそうで、盛岡支社ホームページに掲載された資料にも、これと同じイラストが使われ、整理券でなく乗車駅証明書となっている。


だけど、考えてみれば「整理券」って、日本語としては分かりづらい言葉だ。この券によって何を「整理」するんだ、英語ではどう訳すんだと考えると、難しい。
「乗車駅証明書」のほうが、言葉としてはストレートで分かりやすいのもまた事実。

整理券について、続く
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最初で最後のKenji

2018-06-20 00:15:24 | 旅行記
6月9日の大館・弘前への行き帰りに乗った列車の話。
往復とも秋田-大館間は、この日だけ運行される臨時列車を利用した。秋田から大館を経て花輪線・十和田南まで、朝行って夜戻る、全席指定の快速「アカシアまつり号」。これも今回の目的の1つだった。
ちなみに、ちょうど1年前のこの週には、盛岡支社の「ジパング」編成が秋田-大館で大雨の中運行されていた。

「アカシアまつり」は、9・10日に小坂町で開催された。十和田南駅から小坂までは距離があるので、路線バスに乗らないといけない(大館駅からもバスあり)。実際には、複数の旅行会社がツアーを企画しており、列車から貸切バスに乗り換える人が多かった模様。

えきねっとで予約しようとしたら、1か月前で「×」。やはり旅行会社がおさえたか。
一説では14日前や7日前になると、旅行会社の売れ残りが返却されるとか。それを信じて10日前に見たら「△」になっていたので、すかさず予約。今回は2名で乗車したが、並びの席で確保できた。

秋田駅の発車標
秋田駅から花輪線内へ乗り入れる直通列車は、かつての鹿角花輪行き急行よねしろ(末期は無名快速)のほか、今も花輪ばやしなどの臨時列車が年に数回運行されている。臨時の十和田南行きもなくはなかったはず。
今回は「快速」を下に下げて、上段に赤で「全席指定」と表示。初めて見たけど、分かりやすい(全席指定列車で必ず表示しているわけでもなさそう)。【22日訂正】リゾートしらかみでも同じ表示方法になっており、おそらくこの発車標更新時からこれが標準のようだ。
英字
英語でも「Reserved」と赤表示。
列車名は「AkashiaMatsuri」。アカシアは英語(ラテン語由来でしょう)では「acacia」。まつりもMatsuriだから、ローマ字表示なんでしょう。
ちなみに、ここで言うアカシアとはニセアカシア(ハリエンジュ)のことで、アカシアは別の植物。ところが、主にイギリスでは同様にニセアカシアのことをAcaciaと通称するらしい。
ニセアカシアの英名はといえば「false acacia」、つまり英名を直訳して和名が「ニセアカシア」になったようだ。

秋田駅2番線発。
まだ「回送」表示だけど、駅員が横断幕を持ってお見送り体制
今回の使用車両は、水色の3両編成の気動車。
盛岡支社のジョイフルトレイン(団体・臨時列車用)「Kenji」である。宮沢賢治にちなむ命名だけど、なぜそうなのか由来は不明。
以前は緑色の塗装だったのが、5年ほど前に水色に変わった。引き続き岩手県のキャラクター「わんこきょうだい」も描かれる。
正面のLEDに「Kenji」のロゴも表示できるが、今回は「臨時」。それ以外にはKenjiと書かれていないから、名前を知らずに乗った乗客もいただろう。

この車は、旧国鉄が1961~1969年に急行用として大量に製造して全国に配置された「キハ58系」。
東北新幹線開業以前は、急行列車として東北地方のほとんどの路線を走り、その後21世紀初頭までは、一部の路線で主に普通列車として使われた。
そんなキハ58系もここ10年ほどで廃車が進み、JR各社で現役のキハ58系は、このKenjiだけになってしまった。※私鉄や本線走行できない動態保存では、ほかにも何両か残っているとのこと。

Kenjiは、車内外とも、本来のキハ58系とは大きく違う姿に改造されている。

先頭部は大きな窓の展望車風。運転席直後の窓3つ・座席4列(16席)は、かさ上げされた高い位置にある。
乗るのは初めて。
車内後方から(下り先頭車・3号車)
上の写真では前方に壁があり、そこに階段がある。その壁の向こうが、運転席直後の高い4列。
壁より手前は9列(3号車の場合)あり、通路よりは1段(0.5段程度?)高いところに、どっしりとした2人掛けリクライニングシートが並ぶ。窓は固定。

天井中央は、黒いルーバー。原型よりも床が高く、天井は低くなっているわけだが、圧迫感はなかった。
1990年代に特急「白鳥」に使われていた、新潟の485系グレードアップ編成も、同じような構造で、走行中はルーバーがビリビリと振動する音が気になったものだが、Kenjiではあまり音はしなかった。

上の写真の左側前方と、右側手前では、荷棚(網棚)が不自然に途切れている。また、左奥の壁には黒い部分があり、写っていない右手前の壁も同じ。
以前は、黒い部分にテレビがあって、カラオケができたそうで、その視界を妨げないよう、荷棚がないのだった。少し昔の団体列車らしい装備の名残。
座席。枕カバーは盛岡支社が好む不織布製
肘掛けの銀色の部分は灰皿。今は禁煙なので無用の長物。
座席前には網袋とやや小さめで黄ばんだテーブル。座席間隔は一般的な特急普通車並みだが、足元に足置き用の切れ込みがある席と暖房機のせいでない席とがある。
座り心地は、個人的には嫌いじゃない。厚ぼったいわりにはそれほどでもないけれど、みっちりした感じはする。座面の奥行きがちょっと足りない感じはした。
総じて、快速列車としては充分。

もともとのキハ58は、窓が開き、4人掛けのボックシートの車。ここまで改造されていては、昔キハ58に乗ったことがある人でも、知識がなければ、同じ車だとは思わないだろう。
運転席と反対側の壁
壁にはなぜか装飾された帽子。1号車の同じ場所にはリースがかかっていた。
帽子右上の非常ボタンと非常燈(懐中電灯)は、改造前からのものか。デッキの乗降ドアも原型で「自動ドア」の表記が薄れて消えた跡があった。

一方、左に写っている、本来は重い引き戸であったデッキと隔てる通路のドアは、自動ドア化。
このドアって…
この自動ドア、かつての東北上越新幹線200系のものにそっくり。(東海道山陽新幹線の0系では初期製造分は手動だったそうだが、それ以降は同様の自動ドア)
下に銀色の通風孔(?)があって、茶色というかオレンジ色に着色された窓があって、ドアの上には、
自動/手動を切り替える押しボタンスイッチ!
かつての新幹線は重さを感知して開く自動ドアだった(通路にマットがあった)が、これは現在一般的な赤外線検知方式(天井にセンサーがある)のようだ。
なお、自動/手動切り替えスイッチは、名古屋の「しなの」用381系電車にも使われていたが、ドア自体は別物だった。

あとは「便所使用知らせ燈」。国鉄の車両では、円形の電球色のものが主流だった。
(再掲)583系電車
この車は、上の自動ドアの写真で、左手前、照明のすぐ下・天井際にある(消灯した状態)。
点灯時
消灯時は目立たない小さい横長の部分が、点灯すると内側に描かれたトイレマークが見えるという、ちょっと凝ったしかけ。
ぼーっと電球らしきランプが光って古臭いけれど、昭和40年代の国鉄がトイレマークを採用するとは考えにくい。※トイレのピクトグラムは、1964年の東京オリンピック時に考案された。

ネットで画像検索したら、思い出した。
キハ58(の一部?)だったと思うが、これと同じくらいのサイズで、点灯時に「便所(改行)使用中」の文字が浮かび上がる表示灯が存在した。
おそらく、この車ももともとそのタイプで、改造時にトイレマークに換えたのではないだろうか。

トイレそのものは、垂れ流しの和式だったのが、洋式の真空吸引式に改造。タンクに水が貯まるまで1分ほどかかるから、連続して使う時は待ってねとの注意書き付き。2号車はトイレなし、1号車は車椅子対応。
洗面所(手洗い)は、原型と向きが90度変わっているが、鏡はそのままで、横に鏡がある。

Kenjiは、1992年に土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造されて誕生。
でも、当時は真空吸引式トイレなんて鉄道用ではなかっただろうから、当初は循環式に改造されたはず。何度も少しずつ手が加えられてきたのだろう。
Kenjiには、それより前にもジョイフルトレインとしての経歴がある。1987年に改造された、新潟地区の「サロンエクスプレスアルカディア」。
ところが、1988年に1号車が火災を起こして全焼。代替に新たな1号車を入れるとともに、全体を再改造したのがKenji。
また、この火災をきっかけとして、JR東日本の古い気動車のエンジン換装が進められた。


キハ58には、20年前弘前へ行き来する時にお世話になって、ほぼそれ以来の乗車。
動き出すと、穏やかだけど確実な加速、加速をやめた時のエンジン音など、そうそうこんな感じと感覚がよみがえった。
男鹿線などのキハ40系とは10年以上設計時期が違うから、明らかに違う。(両形式ともエンジン換装されていて、原型とはまた違っているだろうけど。)
急行「よねしろ」と同様、奥羽本線を快調に飛ばし、さすが古いけれど急行用車両。

車内の乗客は、ツアー客のほうが多い。あとは個人の鉄道好きや個人でアカシアまつりに行く人がわずか。
3号車は、前から10列ほどはツアー客。前方の高い席も、関係なくツアー客に割り当てられていた。我々一般客は、その後数列。おそらく最後列は車掌権限の調整席で空席。
△マークだっただけに、乗車率はかなり良好。いつかの秋の「きりたんぽまつり号」とは対照的。

停車駅は上下とも、土崎、追分、大久保、八郎潟、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、早口、大館。
奥羽本線内はかつての急行並みで、特急停車駅プラス土崎、追分、大久保。花輪線内はノンストップ。
3号車のツアー客は、秋田駅だけでなく八郎潟辺りまでの各駅から、数人ずつは乗りこんだ(帰りは降りた)。ちゃんと停車する意味があるもんだと感心。


下りは秋田9時03分発、大館10時38分~45分、十和田南11時18分着。
上りは十和田南17時28分発、大館18時07分~20分、秋田2番線20時21分着。
秋田-大館は、下りは快速にふさわしい所要時間だが、上りは2時間もかかって各駅停車より遅い。下りではなかった、停車駅以外での反対列車の待ち合わせがあったためで、下川沿3分、北金岡10分、鹿渡4分(時間はおおよそ)の停車。
上りの大館駅発車標
大館駅では、上下とも主に花輪線が使う3番線に入線。

乗務員は、運転士も車掌も2~3人ずつは乗っていた。
秋田をキハ58系が走らなくなって10年以上(奥羽本線は2002年、花輪線は2007年まで)。秋田支社の乗務員でキハ58系を扱える人も、減っていることだろう。不慣れな形式を扱うための補助や、故障発生時の対処も含めた要員かな。
車掌は、下りの検札のスタンプ(珍しく青でなく緑インクだった)によれば秋田運輸区。
運転士も、たぶん秋田運輸区。旭川の橋をはじめ、トンネルに入る時も警笛を鳴らさなかったので。


製造から50年経つKenji。
ジョイフルトレインに転用されたのが比較的早く、稼働率が低いので長持ちしているのだろうが、いつまで走り続けるだろうか、もう乗る機会はないかもと考えながら、Kenji乗車を楽しんだ。
乗車時点では、8月に臨時列車として三陸方面で運行されることが分かっていて、とりあえずは安泰かと思っていた。

しかし、6月19日「「Kenji」車両まもなく運行終了!」が盛岡支社から発表された。
9月8日の盛岡-一ノ関の団体運行が最後になるようだ。
1号車・キハ58 1505
窓が固定されても、大きさや雰囲気は以前と変わらない。正面よりは側面のほうがキハ58としての面影がある。
2号車・キハ28 2010
キハ58形は走行用エンジン2基搭載なのに対し、キハ28形は1基で、その多くに後付けで冷房電源用エンジンが搭載された。冷房対応キハ28形1両で、自車とキハ58形2両の計3両に冷房電源を供給できる(=キハ58形だけでは冷房を使えない)。
写真手前の1号車寄りには、オリジナルの運転台が残っている。窓が横長になっている部分は、席番なしで座席を円形に向かい合わせられるフリースペース。
【20日補足】国鉄~JRの呼び方では、いっしょに使うことを前提に設計された複数の「形」の集合が「系」。ここではキハ58形とキハ28形でキハ58系を構成していることになるが、国鉄時代はほかにグリーン車もあったし、北海道仕様などの派生形式も存在した。

キハ58 1505は1968年製、キハ28 2010は最初期の1961年製(当初はキハ28 10)で改造前は広島や長崎にいた経歴、キハ58 650は1965年製で山陰にいた経歴があるそうだ。


今年のアカシアまつり号が、キハ58系の秋田支社管内での最後の運行で、自分にとって最初で最後のKenjiかつ最後のキハ58系乗車(県外の私鉄に乗る機会はなさそう)となった。
【21日補足】秋田支社にも、このような臨時列車に使える車両(旧青池編成であるクルージングトレインがあるし、それが使えなければ旧ブナ編成のクルーズ客船向けの編成だって空いているはず。花輪線でも秋田側ならキハ40系でも走行できる)はあるのに、どうして今回、回送が必要な離れた盛岡にいて、古い車両をわざわざ借りてきたのか、考えてみれば不思議。愛好家向けだとすれば、大々的に「キハ58系Kenji」を前面に出すだろうし。なお、愛好家は(自分を含めて)車内・沿線ともちらほら見かけたが、常識を逸脱した行為などは見られなかった。
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学童注意ほか盛岡

2017-12-19 00:03:07 | 旅行記
11月中旬の盛岡の話題(前回の記事)は今回でおしまい。小ネタ集。

2016年2月に青森県八戸市に行った時、「学童注意」の絵入り広告看板を見つけた。
秋田市では、30年ほど前にはあったような気がするが、いつの間にか見なくなっていたので、懐かしかった。

盛岡駅近く、JR関係ビルやイオンタウンがある辺りで…
ここにもあった! ※薄暗くなってから街灯下での撮影のため、色合いがオレンジがかっています。
八戸にあったのと、同一の仕様。片面は上の写真のような古いタッチの絵(これが懐かしい)で、反対面は今風のタッチなのも同じだし、枠や台座が蛍光オレンジ色なのも同じ。
違うのは広告主と、上の写真で枠左側に、横断旗を差すのだろうか黄色い筒があること。

さらに、鉈屋町の近く、市立大慈寺小学校のフェンスでは、
紅葉に囲まれて2枚
左は別デザインで新しそうな「学童注意」。
そして右。色あせと手書きっぽい書体からして古そう。

縦書きは新しいのと同文の「交通事故から子供を守りましょう」。
違うのは、下段が「交通安全 学童に注意」で、絵を囲う枠は「・・・文・・・文・・・」。
イラストは色は別として、新旧で輪郭線はほとんど同じ。確認できた違いは、2人の手の指の線と、女の子の腰のベルト(?)に新しいほうはリボンが付いていること。ボタンも少し大きいかな。
(再掲)八戸にて。新タイプ

30年前に秋田市にあったのは、この古いタイプかも??
盛岡と八戸では同じ広告代理店が手がけているのだろうか。【20日補足】青森県でも弘前では見た覚えがない。旧南部藩エリアで残っているということか。
※さらに南の花巻市にもあった。この記事後半。


盛岡駅前の線路沿いには、JR東日本盛岡支社などJR関連の建物や施設がいくつか建ち並んでいる。秋田駅と秋田支社と同じ関係。規模としては盛岡のほうが大きい。
夕暮れの盛岡支社ビル
JR東日本盛岡支社ビルの前には、入居する企業の一覧が出ていた。
表示灯、京三製作所、日本信号、大同信号
直接的なJR関連企業でなくても、密接な関係にある取引先(の出張所や営業所)も入居している。うち、京三製作所と日本信号は、道路の交通信号機でもおなじみのメーカー。ライバルどうしで同居するってのは、どうなんだろうか…

秋田では、京三製作所は駅前のJR関連の第一建設工業のビルに入る一方、日本信号は距離を置いて山王の東カンビルに入る。また、JRの支社がない青森には両社とも拠点はなさそう。交通信号よりも鉄道向けのほうが重要ということなのか。


盛岡の駅弁販売場所。
今年夏にも触れたように、盛岡駅には北改札口の外と、新幹線改札内・コンコースに、どちらもNRE運営の店がある(新幹線ホームにもあるらしいが、品揃えと営業時間的に使いにくい)。
店の大きさも品揃えも、営業時間も新幹線改札内のほうがまさっているが、どちらでも、盛岡駅以外の業者の製品も扱っている。
店舗名は、改札外は「駅弁屋旨囲門」。旨囲門は、他地域の輸送駅弁を扱う店舗ブランドで、仙台や大宮など東日本管内各地にある。
新幹線改札内は、
「いわてのお弁当」
少なくとも10年前にはこの店舗名だったと思う。かつては白地にオレンジ色の文字(書体は同じ)の看板だったと思うが、いつの間にか黒ベースになっていた。黒ベースになった当初は、上(天井近く)に岩手山がでーんとあったようだ。
看板には「新鮮な いわての 食材たっぷり!」ともある。右側には弁当の中身の写真が3つ出ているが、右側のは「販売中止」とある。

そのわりには、秋田県大館の鶏めしや仙台の駅弁もある。この看板ではそれは伝わらない。
また、ほんとうに岩手の駅弁を食べたいと看板を見て立ち寄った人は、混乱してしまうかもしれない。
これでは看板に偽りあり。こっちの店舗名も「旨囲門」にしたほうがいいのではないでしょうか。
それに、新幹線に乗る人が、改札前の旨囲門で、少ない品揃えの中から買ってしまい、改札を入ってからいわてのお弁当の品揃えを知って、悔やむ事態も起きていそう。外の旨囲門に「新幹線改札内でも豊富に取りそろえています」という表示があれば親切。
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中津川周辺の光景

2017-12-13 23:56:19 | 旅行記
盛岡市の続き。
岩手県庁、盛岡市役所などがある中津川沿いは、いい雰囲気。多くの人たちが、道路代わりに川沿いの堤防を歩いていて、そこからの眺めもきれい。
上ノ橋から下流方向。右は岩手県民会館

前回は和風な火の見櫓(大慈寺地区コミュニティ消防センター)を見たけれど、この付近には、
こんな火の見櫓も
こちらはかわいらしい色に塗られているけれど、歴史がありそう。【下の追記の通り、もともとの色が経年で薄れて、この色だそう】
調べると大正時代頃に建てられた「紺屋町番屋」。保存されながら、今も消防団の建物として現役ということらしい。
てっぺんには鶏(風見鶏)? の飾り
たまたま見つけて、面倒なのであまり近づかずに撮影しただけだったけれど、見えていない反対側が正面。
【2021年11月19日追記】2021年11月18日、ケーブルテレビでIBC岩手放送のローカルニュースを見ていたら「紺屋町番屋 改修工事が最終盤 建設当時の姿に/岩手・盛岡市」が報道されていた。「今年5月から改修工事が行われています。」「建物をジャッキで持ち上げ柱が腐った部分を修復し、基礎を作り直したうえで80センチほど中津川の方向に曳家」。外壁は退色前の濃い色にし、耐火性能は向上。「来年2月にはカフェの入った体験交流施設としてオープンします。」

青森県弘前市でも、元消防団の建物が保存されており、奇しくも「旧紺屋町消防屯所」。

下流側から上ノ橋

上ノ橋。右が下流側
でんでんむしも通る上ノ橋は、高欄(欄干)や照明がちょっと変わった橋くらいの見た目だけど、そうではない。
橋そのものは1935年に架け替えられているが、欄干の擬宝珠は江戸時代から代々受け継がれているもの。現在の欄干本体は、岩手県産のヒバが使われているそうだ。

この橋のたもとでは、1984年の映画「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」のロケが行われた。寅さんの舎弟が営む店を訪れるシーンだったのだが、その店として使われた建物は、現在はなくなっている。上の写真の川沿い右にある、グレーのビルの位置。ビルは「ギボーシプラザ」という名前。
写っていないけれど、道路向かい側の建物は映画と同じものが残っているそうで、もちろん橋にも変化はないだろうから、多少は映画の雰囲気が残っていそう。


中津川沿いの道。
一級河川・北上川の支流なので、秋田県の旭川などと同じく、国土交通大臣から県知事へ河川管理が委託されている。こんなイラスト入り看板があった。
「サイレンがなったら川の水が増えてくるので川から出よう。」
新しそう(脚は古いかも?)な看板。
文章では明示されていないが、イラストの内容と「岩手県綱取ダム管理事務所」が設置したものであることから、ダムの放水(放流)時の増水の警告であることが分かる。

近くにはこんなものも。
「危い!!」
これは懐かしい!
おそらくこれと同一の内容が、かつては秋田市中心部の旭川沿いにもあった。旭川ダムの放流についてのものだけど、本文の漢字にふりがなが振ってあって、サイレンを鳴らして止めるのを繰り返す警告方法は同じ。50秒鳴らして10秒止めるという秒数も同じかもしれない。

旭川では、旭川ダムは今もあるのに、いつの間にかなぜか警報装置が撤去され、看板も用がなくなったので撤去されている。
今年、新潟県の二級河川(県管理)で、ダムの放流の増水によって下流にいた人が流されてしまう事故があった。それも踏まえると、盛岡市街地の中津川では警報体制を確立しているのに、秋田市街地の旭川はなくても大丈夫なんだろうかと、改めて不安になってしまった。
【2018年9月28日補足】旭川ダムの運用が変わって、現在は、放流しても市街地では影響がなくなったため、警報装置を撤去しているとのこと。上流側には今もあるらしい。
※長野県の天竜川水系(諏訪湖)の釜口水門の放流の看板について。リンク先中ほど。

魚やカッパの絵入りの「川をきれいにしましょう」は、見た範囲では設置されていなかった。


盛岡市について、さらに少しだけ続きます。
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肴町~鉈屋町

2017-12-05 00:03:13 | 旅行記
先月中旬の盛岡旅行記。
でんでんむしで北上川と中津川を渡って、バスセンター前で降りる。中心街ど真ん中だけに人通りが多くにぎやか。それに引き換え秋田市の中心市街地って…
肴町(さかなちょう)というアーケード商店街があったので、入って歩く。長さがけっこうあり、さまざまな業種の店があって、歩く人も多い。「ホットライン肴町」と呼ばれ、長さ365メートルに約80店舗が営業するとのこと。
通路中央に商品を出して売るお店も
路面や屋根は今風のデザイン(秋田駅西口の大屋根と似ている)だけど、雰囲気としてはどこか昭和っぽく懐かしいような。かつて秋田市大町にあった「名店街」をふと思い出してしまった。

バスセンター側の反対・南側の末端には、
「ホームセンター」という屋号のホームセンター(?)
ここ1店舗しかないお店のようだ。秋田市の「金物の通町山下」みたいな店かな。
アーケード内は、昼間は歩行者専用で自転車も(乗ったままでは)通れないことになっているが、21時から10時までは、北から南の一方通行で車両が通れるようだ。

空き店舗はほとんど目につかなかった。
ここは?
1区画だけ、半透明の壁で覆われたところがあった。その壁の向こうは空き地になっており、かつて店があってなくなったのを隠しているのだろう。
秋田駅前の大屋根とぽぽろーどをつなぐエスカレーター脇には、冬期間だけいかにも仮設の風よけが設置されているけれど、こういうのを常設すればいいのではないでしょうか。
南側の出入口。撮らなかったけど北側はもっと立派でした


帰りは、この隣のアーケードでない裏道的な道を歩いた。

コインパーキングの真ん中に、大きな木が生えている。囲われて看板も立っているので、大切にされているのは分かったけれど、中へ入るのも面倒で、道路から写真を撮っただけ。
すっかり落葉してシダレザクラかと思ったが、シダレカツラとのこと。
盛岡市内のお寺にあるものと、それをここともう1か所に株分けされたものがいずれも国の天然記念物に指定されているとのこと。ここは樹齢(? 株分けされてからってこと?)140年ほどらしい。
裁判所の石割桜以外にも、盛岡市街地で大切にされている木があったのだった。


これまで意識したことすらなかったけれど、肴町から数百メートル南へ行った一帯は、歴史ある町並みが残っているそうだ。
名前だけは聞いたことがある盛岡八幡宮も、この近く。寺町でもある。
大慈寺
秋田市よりは若干紅葉が遅いようで、モミジのほかイチョウもなんとか残っていた。十月桜らしき花も。

お寺の南の鉈屋町(なたやちょう)は、2007年のNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」などのロケ地にもなっている。
狭い道路に沿って、新しい建物もあるものの、町家風の建物がいくつか残っている。
手前は湧き水
どんど晴れは見ていないし、こんなもんかと見ながら歩いていると、はっとさせられた。
これがここだったのか!
町家と同じ造りの火の見櫓。これは見覚えがある。NHKBSの「にっぽん縦断こころ旅」で、一行がここを通ったのを見た記憶があった。
反対側から。中央奥には岩手山がちらり
上の写真で右側にタクシーが曲がって行こうとしているように、丁字路の突き当たりに櫓が位置する。こころ旅では、突き当たって右折していたはず。この時は、ちょうど逆光で撮影できず。

火の見櫓のある建物自体は、「大慈寺地区コミュニティ消防センター」が正式名称らしく、消防施設として現役らしい。そのため、非公開だし、ネット上にも建設年やいわれなどの情報は少ない。
火の見櫓と一体化しているように見えるけれど別棟の建物があり、そちらはカフェなどがある。さらにその裏手には、白壁に黒い屋根の蔵が2棟(江戸~大正築)あり、歴史展示や東日本大震災被災地の産物の販売施設。これらをまとめて「もりおか町家物語館」という施設。
裏側から蔵と火の見櫓
建物自体は歴史があるのは分かるけれど、その中はわりと最近手が入ったような感じ。
聞けば、かつては「岩手川」という酒造会社の工場だったものを市が譲り受け整備して、2014年に町家物語館としてオープンしたそうだ。
さらに調べると、岩手川は2006年に倒産しており、その後、八戸のスーパー「ユニバース」が取得して、市に寄付したようだ。
ということで、もっと南へ下がると、
ユニバース鉈屋町店の店舗がある
さらに南には広い道路と北上川の堤防が並行。堤防は高く川面や対岸は見えない。
ここのすぐ上流が、中津川、雫石川との合流点で、対岸を東北本線・東北新幹線が走る。上り新幹線で盛岡駅を出てすぐに見える川が、この辺りということになる。

【5日追記】スーパーや道路がなく酒蔵として現役だった頃は、また違った光景だったはず。それと現在を比べれば、なくなったもの、変わったこともあるとは思うが、貴重な建物を残し、時代に合わせて活用していることは、素晴らしい。盛岡と八戸、南部の心意気だろうか。
一方、秋田市では、秋田港近くにあった「湊御蔵」をきれいにして開放したのはいいと思っていたら、地元スーパーが建つことになってあっさりと解体され、しかもそのスーパー開店は頓挫してしまったという、情けない出来事があった。秋田(県中央地域?)はまったくもって古いものを残したがらない土地柄。

もりおか町家物語館のホームページによれば、アクセスは盛岡駅やバスセンターから路線バスで「南大通二丁目」降車 徒歩7分とされている。歩く距離は500メートルほど。でも、路線が複雑でよそ者にはちんぷんかんぷん。
今回はバスセンター前から肴町を経て歩いたわけだが、1.5キロほど。盛岡駅から歩くとすれば、2.3キロほど。どちらも地図がないと迷うかもしれない。
東北本線で盛岡から1駅の仙北町駅で降りて、北上川を渡っても1.5キロほどだから、むしろこのルートが分かりやすいかもしれない。


鉈屋町周辺には、ほかにも歴史的な建物がいくつかあるようだが、時間の都合でこの程度しか見られなかった。でも、下調べもせず、人に連れられての見物も、たまには悪くはない。盛岡の新たな姿に触れることができた。
盛岡市内の風景など、少し続きます
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でんでんむし

2017-11-24 00:34:45 | 旅行記
湯瀬温泉を後に、今回も花輪線~IGRいわて銀河鉄道で盛岡へ。

岩手県盛岡市は、回数としては弘前の次によく訪れている街。だけど、いつも日帰りで泊まったことはない。しかも、近年はごぶさた(乗り継ぎの1時間での下車は別として)で、ちゃんと街を歩くのは10年ぶりくらい。
盛岡は、大きな川が流れ、きれいで活気がある市街地という印象。今回もそれは変わらず、規模としてはほぼ同格と言える秋田市よりも青森市よりも、にぎやかな都会であると再認識した。

盛岡市街地では、地理感覚がちょっと狂ってしまう。
いつも日帰りで散発的にスポットを訪れていたので、全体的な地図が把握できていないこともあるが、大きい川が3本も流れていて方向や距離の感覚がつかみにくいこと、駅と市街地が少し離れていることが理由だと思う。
今回は、人に連れられての観光だったけれど、以前よりも盛岡を少しだけ深く知ることができた。訪れた場所はまた改めて。今回は「でんでんむし」について。

でんでんむしとは、盛岡市街地の循環バスのことで「盛岡都心循環バス「でんでんむし」」が正式名称。ルート上には、商店街、官庁街、城跡などがある。運賃は100円均一。
運行は、岩手県交通(民営。秋北バス・十和田観光電鉄とともにかつては国際興業グループ))。1998年からの試験運行時は別の会社(岩手県北バス)も運行に加わっていたようだが、本格運行の2000年以降は県交通単独。市から委託されているとかではなく、自前(直営)の路線ということなんだろうか。
盛岡駅の出口に向き合うようにして、白い専用車両が客を待っているのは、すっかりおなじみの光景になっていると思う。

1周5.7キロ、35分で、「右まわり」「左まわり」として両方向の運行。いずれも9時から19時台までの運行。
昼間は、左まわりが15分ごとなのに対し、右まわりは10~15分ごとと不均一。しかも、時刻表にも、その部分は「10~15分間隔運行」としか書かれておらず、いつまで待てばいいのか分からないのは、不親切。
※法令では、時刻表にそのように記載することが認められており、かつての秋田市営バスでも行われていた。ただ、客の立場になれば…ということで。
また、盛岡駅前での待機時間がけっこう長く、運転士がいない状態でだいぶ待たされた。
とは言っても、分かりやすいし便利。多くの市民・観光客に利用されていた。

約10年前に続き2度目の乗車。
駅前の乗り場では、左右両まわりが連なって客待ち中。奥の左まわりに乗車。
場所的に撮影しずらいし、バスが長い
かつて国際興業グループだった頃は、岩手県交通はいすゞのバスばかりで、でんでんむしもいすゞの中型バスだった。現在は、他メーカー製の中古車で、より大きいサイズの車も入っている。専用車両は右まわり6台、左まわり4台。
今回乗ったのは、日野製の長いノンステップバス。中型バスを大型バスの長さまで伸ばした「中型ロング」の「レインボーHR」である。
この車の座席は、東京都交通局のマスコット「みんくる」柄。
つまり、秋田中央交通に今春来たのと同じ、都営バス中古のレインボーHRに乗ることができた!
こうして見ると長いし、非常口が前寄りにあって違和感
乗ってみれば、普通のバスと違いはほとんどなし。戸袋部分に座席がなく、立ち席スペースのようだ。
なかなか出発しないうちに、かなりの混雑になってしまい、乗り心地もよく分からなかった。
右まわり用のレインボーHR。青虫が前のめりになっているような
右まわり用のレインボーHRは、西東京バスの中古とのこと。側面の行き先表示の位置が違う。


でんでんむしの車内には、バスカードリーダーや整理券発行器は、一般路線車両と同じく設置。整理券は出ないし、一般的に100円バスでは割引の重複になるとして回数券・カード類は使えないところが多いのだけど…
まず、支払いは、岩手県交通発行分に限り、バスカードが使えるとのこと。(岩手県北バス発行は使えない)【2019年6月3日追記】コメント欄の通り、2019年にバスカードが使えなくなった。
また、車庫~駅の回送を兼ねた一般路線運用もあるそうで、そのために設置していることになる。反対に一般路線車が間合いででんでんむしに入る定期運用もあるとのことで、なかなか複雑。
運賃表示器はLEDデジタル式で、「100」の固定表示と次のバス停名を表示していた。

車載カメラはドーム型で、車両前部のほか、中ドア付近にもあった。
※秋田中央交通はドーム型でないカメラを前部に車外・車内向きに1台ずつ、弘南バスはドーム型を前に1台。


帰りに乗った右まわりは、
中型のいすゞエルガミオ
やはりこちらも混雑。全部大型車でいいのでは…
これは県交通生え抜きの車両。前回乗ったのもこの車だったかも。
ワンステップで行き先表示が幕式。正面には県交通のマーク(社章)もある。
ノンステップのエルガミオもあるが、そちらはLED表示で、社章あり。
LEDの行き先では英語併記の文字だけだが、この幕式では、
左にカタツムリの絵!

正面のインパクトがあるアオムシ?(ヘビ?)の絵など、車体デザインは運行開始時の小学校1年生の作品だそう。
でんでんむしというわりには正面がアオムシなのはなんか物足りないけれど、これなら分かる。なお、側面にはカタツムリが描かれている。

ただし、運行開始からしばらく(エルガミオ導入時点でもそうだったはず)は、方向幕は「盛岡都心循環」という表示固定だった。
方向幕の車両は残りわずかなようだから、このカタツムリもいずれ見られなくなるのだろう。LEDでも少し工夫してできなくもないでしょうけど。群馬県の「鬼押出し園」行き西武系列のバスでは、正面に鬼の顔が表示されていた。


ところで、帰りに乗車した県庁市役所前のバス停では、でんでんむしを待つ数分の間にも、盛岡駅方面行きの一般路線バスが数台通過した。岩手県交通のほか、赤と肌色の岩手県北バスも1台。
でんでんむしだから100円なわけで、一般路線バスでは、それ以上かかるのだろうとやり過ごす。
帰ってから調べると、たしかに県交通の一般路線バスでは、この区間は150円かかるが、県北バスでは、でんでんむし対抗の意味で100円で乗車できるのだそう。バス停には表示があったのかもしれないけれど、確認せずに決めつけてしまっていた。
【28日追記】鳥取市では、100円循環バスの運行範囲内では、一般路線バスも100円に統一されていた(循環・一般とも民間2社が運行)。このやりかただと、客としては分かりやすいし混雑も分散されてありがたい。

【24日追記】盛岡駅到着前の車内放送の後に、男声の歌が流れた。「バスはぼくらのスニーカー」といった歌詞。弘南バスでは、10年ほど前の音声合成化以前には、同じタイミングでオルゴールの音楽が流れていた。
盛岡駅前。右が駅舎
街の構造が違って一概に比較はできないけれど、周辺各県の市街地循環バスを比較。
弘前市の土手町循環100円バスは、1998年試験運行、1999年本運行。片方向で10分間隔。
秋田市では、1997年に「無料買物バス」を試験運行したが2年ほどで消滅。2012年になって、やっと中心市街地循環バス「ぐるる」が100円均一で運行されるようになったが、秋田市が運行主体となって税金を投じている。片方向で20分間隔(しかも遅れ気味)。
青森市にはこの手のバスはないが、商店街も官庁街も、駅から徒歩圏内にあるせいかもしれない。
歴史と使いやすさでは、やはり盛岡と弘前が抜きん出ている。

【24日追記】地方都市では、JR駅対市内各地の移動が多く、循環・環状運行のバスであっても駅を越えての移動の需要は多くはないはずだけど、皆無でもないと思う。
でんでんむしでは、盛岡駅到着時点で運行を終えて長く待機(回送に入ることもあるだろう)していて、駅を越えての乗車は想定していないようだ。これは、両方向での運行だから、駅を越えて乗りたければ、反対周りに乗車しろということか。
弘前では、駅周辺で行ったり来たりとバスターミナルでの待機・時間調整があり、駅を越えて乗るとすれば10分程度ロスしてしまう。車両交代時には、最初のバスでの支払い時に乗継券を配布。
秋田では、時間調整の待機がほとんどないタイトなダイヤで、駅を越えて乗っても乗車時間ロスはないものの、タイトなダイヤが災いして遅延が多いのが実情。車両交代時には最初のバスで支払わずに降車させてもらえる(買物広場で運行終了・次発が20分後の場合は対象外)。

盛岡旅行の続きはこちら
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本塩釜駅と塩釜駅

2017-10-02 23:56:41 | 旅行記
とりあえず仙石線で本塩釜駅下車
ここ「しおがま」は新旧漢字の使い方がいくつかあり、神社は「鹽竈神社」、自治体は「塩竈市」、JRの駅は「塩釜」が、それぞれ公式表記。
JRの駅は、東北本線に塩釜駅、仙石線に西塩釜駅、本塩釜駅、東塩釜駅と、4つの塩釜の駅がある。
JRだけで「浦和は7つの駅がある(byボキャブラ天国)」浦和にはかなわないけれど、かなり多い。

港や中心市街地、そして鹽竈神社に近いのは本塩釜駅だそうで、降りてみた次第。
※以下、雨が強くてあまり出歩かず、写真も撮影していません。
高架駅で海側と山側に出口があり、山側が神社に近い「神社参道口」。
本塩釜駅神社参道口



参道口から正面。正面に花時計。道路は左右方向
左前方が神社。駅の先で線路が海側に向かっているため、山側とはいえ参道口を出て右に行って線路をくぐれば、すぐに海。
今になって知ったのだけど、このすぐ右側に2007年までジャスコ塩釜店があったとのこと。店舗は線路の反対側に実質移転し、旧店舗跡は更地になっている。

ポストの上

マグロのオブジェ
港町でマグロというのは不思議じゃない。
モニュメントの台座正面に「塩竈市制50周年記念/塩釜郵便局'91.11」、右面に「塩釜郵便局まぐろモニュメント復活の会'92.2」と表示があった。郵便局は「塩釜」表記らしい。
1つのモニュメントで3か月ずれていて、名目が2つあるのは謎。
同じモニュメントが塩釜郵便局と塩竈市役所にもあるらしい。元は塩釜郵便局にあったものがなくなり、市制50周年を記念して復活させ、かつ駅と市役所にも追加で設置したということなんだろうか?【2018年9月28日追記】いただいたコメントによれば、設置後に盗まれて、その後再設置された経緯があったそうで、それを意味しているらしい。


線路反対側は2007年にできた新しい「アクアゲート口」。
ジャスコが移転した「イオンタウン塩釜」や「塩釜港旅客ターミナル・マリンゲート塩釜」がある。「“アクア”ゲート」という施設は存在しないようだ。
29年前の修学旅行の時は、ここで遊覧船を下船し、バスに乗りこんで(鹽竈神社をすっ飛ばされて)宮城を後にしたのでしょう。まったく記憶がないけれど。

駅からイオンタウンは、屋根付き通路でつながっている。
イオンタウンは細長い建物で、マックスバリュ南東北運営のザ・ビッグと専門店が入る。青森のイオンタウン弘前樋の口みたいな雰囲気。別棟でホーマックも。
ホームから。すぐ外がイオンタウン

本塩釜駅アクアゲート口
上の写真、右の壁に青い表示があった。東日本大震災の津波でそこまで浸水したという(地面より若干低い場所)。
塩竈市の資料によれば、本塩釜駅の両側とも「半壊エリア(床上浸水程度)」で200戸以上が全壊または大規模半壊していた。花時計やポストも新しくはなさそうだし、信号機は電球式がまだ使われていた。建物も震災以前らしきものが多く見受けられたけれど、それなりの被害を受けていた場所だった。海水による浸水だけに、苦労された人たちも多いのだろう。


この雨では、鹽竈神社はまたの機会にする踏ん切りがついた。あとは秋田を目指す。
仙石線で松島方面へ向かって、仙石東北ラインに乗り換えて東北本線へ出ようかと思ったけれど、接続が良くない。仙石線で仙台へ戻って、東北本線に乗り直すのも、時間的には同じ。
手っ取り早いのは、本塩釜駅から東北本線・塩釜駅へ行って乗車すること。

時間によってはコミュニティバスもあるが、よく分からない。
仙石線で1駅戻った西塩釜駅から歩くのが近い(900メートル弱)ようだが、上り電車もタイミングは良くない。
そこで、雨の中、本塩釜駅から歩くことに。
線路沿い山側を西塩釜駅付近まで戻り、先で右折すれば、塩釜駅に突き当たる。1.7キロほど。
地図を見ると、線路沿いから離れた道に入ればショートカットできそうに見えたので、細い道や塩竈市立病院前を通った。神社のある丘(修学旅行で鹽竈神社をカットした“口実”として先生が「階段があるだけ」とおっしゃったことからもうかがえる)の続きということか、けっこうアップダウンのある道で、近道効果はなかったかも。
まあ、なんとか、県道35号線に面した東北本線 塩釜駅到着。
塩釜駅
本塩釜に対して、周りに何にもない小さい駅を想像していたが、それほどでもなかった。いい勝負ってところかな。
数百メートルのところにヨークベニマル、斜め向かいに「ふれあいエスプ塩竈」という市の生涯学習施設兼「長井勝一漫画美術館(塩竈市出身で「ガロ」創刊者)」、郵便局もあって、途中下車したとしても時間はつぶせる。
駅自体も規模は本塩釜駅と同じくらいか。本塩釜駅にはなかったNEWDAYSあり。

上の写真でも分かるように、駅舎より建物1フロア分くらい高い位置にホームがある。
崖の上にホームがある形で、階段を上るわけだが、改札口と階段の間には微妙な空間があった。
改札を入った光景
突き当たりの階段まで、屋根付き通路があって、その両側にいろいろと。「塩釜駅OB会寄贈」の植木鉢(?)とか、お宮など。
上り電車が入線
ホームは1面2線。歩いてきた海のほうを見下ろせるが、海そのものは見えなそう。
ホームから海方向
十数分待ちで、小牛田行き普通電車に乗車。以前の通り、運良く719系電車。集団見合い配置の2人掛けシートは、たしかに前後は少々きゅうくつだけど、座り心地はいい。701系の(ボックスでなく)ロングシートと同じくらいの硬さ(柔らかさ)で、それの背もたれが高くなった感じで好き。
塩釜の次の松島駅までは、東北本線最長の駅間距離10.0キロだそうで、車窓に松島も見える(仙石東北ラインの分岐線もある)けれど、反対側に座ったのと雨で見られず。だけど、進行方向向きで横に窓がある普通列車の旅って、とてもいいものだと実感できた。

小牛田からは、701系を乗り継いで一ノ関、盛岡、さらに田沢湖線で大曲。大雨で遅れたものの秋田帰着。
という夏の東北小回りでした。今度こそ鹽竈神社参拝を!→翌年に念願を果たせた
旅行記は、別カテゴリーで食べ物の話題が続きます
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仙石線2WAYシート

2017-09-20 00:20:33 | 旅行記
東北小回り旅行記(前回は仙台到着)の続き。

塩釜へ行こうかなと思ったのは、こんな理由。
29年前の小学校の修学旅行は、仙台・松島が目的地だった。(余談だが、秋田市の小学校では当時は仙台が主流。その5年位前は十和田湖、最近は東京や北海道(函館)へ行く学校が多かった/多いようだ。)
交通公社(JTBになる直前だった)さんが考えてくれた行程は、松島に宿泊した翌朝、遊覧船で塩釜港へ行き、鹽竈(塩釜)神社を訪れた後、バスで平泉へ向かうもの。
ところが、学年主任を兼ねていた我が担任の先生は、行く前から鹽竈神社には立ち寄りたがっていなかった。時間が押した場合にカットできる時間調整の意味があったみたいだけど、「ただ階段があるだけですから」なんて言い訳もされて。
結局、実際にカットされてしまったのだけど、後々、せっかく近くまで行ったのに素通りしたのを残念に思い、いつか行きたいと思うようになった。
松島も、14年前に再訪しただけ。近いだけにいつでも行けそうでなかなか行けず、そろそろまた行ってみたいと思っていた。
今回も、雨と時間不足で結局は行けなかったのだけど、以下と次回、そのてんまつ。


仙台から盛岡方面へ向かう、東北本線下り・小牛田方面は出たばかり。仙石線の東塩釜行きが間もなく発車。
若干時間の余裕もあるから、雨のため神社参拝はやめるとしても、塩釜の町や松島の海ぐらいは見ておこうかと考え直す。

仙台から塩釜・松島までは、東北本線と仙石線が並行している。
東日本大震災の復旧後に、両路線が接続されて「仙石東北ライン」としても運行されている。
鹽竈神社も観光地の松島も、仙石線が便利(仙石東北ラインだと乗り換えて戻らないとだめ)。それぞれ本塩釜駅、松島海岸駅が最寄りとされている。
昔は仙石線に快速が運行されていたのだが、今は仙石東北ラインに取って代わられて、各駅停車のみになってしまった。本塩釜や松島海岸には、仙石東北ラインの恩恵はない。

仙石線はもともと私鉄だった経緯から、飛び地の直流電化路線。車両は代々、首都圏の国電の中古が回されていた。
乗るのは14年ぶり2度目。
前回は、車両が103系から205系に代わりつつある時。103系は最後の1編成だけ(高架工事に伴う予備車とかで)になっていた。【2021年11月29日訂正・最後の1編成になるよりは少し前だったようです。この記事参照→】※2003年のことだった

現在は、山手線と埼京線で使われていた車両を4両編成にし、半自動ドアやトイレを設置するなどの改造をした205系3100番台が使われている。改造は郡山工場と秋田の土崎工場が施工。
正面の顔は改造前とかなり変わっていて、昭和末期・国鉄末期の設計の車両には見えない。
【25日追記】コメント欄の通り、この先頭車は、山手線・埼京線時代には運転台がなかった中間車両に、新しく作った運転台をくっつけた(先頭車化改造)もの。だから、以前とは大きく違うデザインになっても無理はない。同じタイプが首都圏周辺部でも走っている。
(再掲)205系3100番台。帯の色はさまざま【20日追記・基本定期には青・水色帯で、一部だけ色違いの編成がある。後述】
4両×19編成あったが、うち2編成が東日本大震災の津波に遭い、廃車。

行き先の東塩釜は、本塩釜の1つ先の車両基地最寄りの駅。【20日訂正・複線区間が終わるの東塩釜なので、本数が多く設定できるようだ。車両基地は小鶴新田が最寄りでした。】
仙台駅地下ホームからたくさん乗りこみ、車内は立ち客も多数。松島海岸より手前止まりだから、観光客はほとんどいないはず。
地上に出て、多賀城辺りまでには、だいぶ降りてガラガラに。

今回乗ったのは、17本中5本だけの、少し違う編成。違うのは、東塩釜・石巻向きの先頭車車内。【20日補足・車体の帯色が4両それぞれで違う編成が、これに該当する】
車内
座席が違う。基本的には、改造後も車内は、ほぼ製造時の205系のままなので、よくあるロングシートなのだけど、この車は座席も替えられている。
ドア間の7人掛けだったところに、背もたれが高いひじかけ付き座席が6人分。リクライニングはしない。

「デュアルシート」、JR東日本では「2WAYシート」と呼ぶ、座席の向きを90度転換でき、ロングシートとしても、2人掛けクロスシートとしても使える座席。乗客が個別にロング/クロスの転換をすることはできない【20日補足・クロスシート時の前/後向きの180度転換はできるようで、下の写真に写っているように脚の暖房機に折りたたみ式ペダルらしきものがある】。
当初は、観光利用促進のため快速運用時にクロスシートとしていたそうだが、快速がなくなった今は、ロングシートで固定。【20日補足・快速末期頃には、海側をクロス・反対側をロングとしていたこともあったとのこと。】
ロングシートにしては豪華
背もたれの上部がずいぶんくびれているのと、下の暖房機が干渉しないよう独特な形状。
座り心地は悪くない【20日補足・ガタつきなども感じなかった。E721系よりずっと柔らかく、701系ボックス席よりもホールド感がある。】。ロングシートでも背もたれが高いと、また印象が違ってくる。ただ、背もたれが高くて窓がふさがれて、車窓を見るには少々ジャマ。
座席とドアとの間の仕切りは元のものが残る
前述の通り、車内は基本的に山手線・埼京線時代のまま。
上の写真に写っているように、網棚(荷棚)は棒ではなく金網だし、ドアの窓は天地方向が狭く、立って車窓を眺めるには、少し腰をかがめないといけなかった。国電の趣を残す車両。

一方、こんなものも。
ドアボタン
おなじみ半自動ドアボタン。最近主流の大きなドアボタンが最初に採用されたのが、205系3100番台だったと思う。
改めて見ると、とても巨大で細長い。
(前回の再掲)現在、主流のドアボタン
その原因は、ボタンの上の「ドア」表示灯。他形式の新ボタンにはない。
旧ボタンに従って表示灯もつけたけど、考えてみればボタン周囲のLEDがあれば充分だと、後の他形式では省略したのだろう。
【2018年7月31日追記・ドアボタンをドアに向かって左右どちら側に設置するかについて】他社やJR東日本の気動車では、同じ車両でもドアの位置によって、右側設置と左側設置が混在しているものがある。一方、JR東日本の電車(EV-E801系は除く)では、すべて右側で統一されて、直感的に分かりやすいと思っていたけれど、205系3100番台では左右が混在していた。

本塩釜で下車する
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仙山線

2017-09-18 23:55:00 | 旅行記
東北小回り旅行。※山形の食べ物についての直近の記事、旅行記としての直近の記事。

山形を後に、仙台へ。
山形市と仙台市は、(平成の大合併以前から)実は隣り合っている。
JR奥羽本線~仙山線で62.8キロ。直通の各駅停車または快速が1時間に1本運行され、所要時間は1時間20分ほど。快速もそんなに違わない。
地元の人たちの移動には、高速バスのほうが好まれ、本数はずっと多い。仙山線が単線で増発がままならない事情もあるようだ。

仙山線の列車に乗るのは3度目。
最初は1992年頃。山寺へ行った時。455系電車で、2ドアの車内は混雑しておりデッキに立って乗車。地方線区の電車列車に乗るのは初めてで、なかなか飛ばすのに驚いた。
2度目は10年ほど前、仙台から山形へ通しで。719系電車で、みちのく弁当の旅を食べておいしかった思い出。山寺辺りまではのどかな田園で、県境部は山深く、仙台に近づくと急に都会になって車内が混雑するという、変化がおもしろかった。※2003年のことだった。多少の写真がこの記事中ほどに。

現在は、山形まで来る便はすべてE721系電車に変わったことは知っていた。E721系には東北本線で2度ほど乗ったことがある。
ホームにはその4両編成。4人掛けのボックスシートもある3ドアセミクロスシートの車内は、各ボックスに1組ずつ座る程度。空いたボックスにありつけた。

この電車、記憶にあるE721系よりも車体側面の帯の赤い色が、薄くて色あせたように見えた。車内に入ると、新車のにおい。製造番号は1007。
昨秋から今春にかけ、719系の後継として導入されたばかりの車両群・1000番台車だった。従来の2両1組から4両1組になり、帯色が「さくら色」に変わったのだそう。
仙台駅にて。左が1000番台P4編成、右(左奥にも)が基本番台P編成
1000番台のことはほとんど意識していなかったし、なんとなく東北本線限定運用だと思いこんでいた。すれ違った限り、仙山線内では、4回に1回くらいは1000番台が入っていた(他は基本番台2両×2本の4両編成)。

車内は、最近のJR東日本の新型普通電車とほぼ同じ。
ボックスシートの座り心地は……硬い!
初期導入のE721系から「座席のクッションばねの改良」が行われたようだが、どこを改良したのか理解に苦しむ。首都圏の電車のと変わらないのでは。
でも、体のホールドすべき位置をしっかりと保持し、座っていてかえって疲れるようなことはなさそうにも感じた。これでもうちょっと柔らかければいいのに。

秋田の701系の一部にあるボックスシートでは、柔らかいけれど背中の特定の部分が出っ張ったりあるいはスカスカだったりで、落ち着きが悪かった。特に肩甲骨の辺りがヘンにこんもりしていて、あれではロングシートのほうがいいかも。それに比べればE721系がマシ、かな?

車両の乗り心地は良好。これも最近の東日本の車両と同じ。
仙山線は秋田周辺と同じく最高速度95km/hだそうだけど、701系のように不用意にふわふわ揺れたりするのがなく、滑らか。音も静か。


山寺ですれ違った仙台からの列車は、こちらよりも混んでいて、外国人を含む観光客がたくさん降りていた。
県境部は、距離は短いがやはり山深い。田沢湖線の秋田・岩手県境のような深い谷を越えるようなところもあった。

まだ山あいの風情ながら仙台市内であり、温泉地の作並(駅から温泉は少し距離がある)辺りからは、乗りこんでくる人が増える。
秋保温泉の最寄りである愛子(あやし)駅(駅からは遠く、仙台駅からバスを使う人が多いけれど)からは、区間運転の列車が多くあり、山形からの通し列車も含めて1時間に3本の運行。701系も運行される。
温泉帰りの旅行客と仙台市街へ出る地元の人たちがどっと乗ってきて、ボックスが相席に。この列車の前は20分以上空いていたため、乗ってきた人が多かったのかもしれない。隣のホームには、約15分後の愛子始発の4両編成が待っていた。

以降各駅からも、ちらほらまたは続々と乗車。
線路は山から仙台市街の平地へ下りながら進んでおり、電車は滑り下りるように走る。
斜面が迫ったきゅうくつそうな駅もあり、葛岡駅では、ホームから下へ下りる階段があって、「床屋さんでは駅業務をやっていないので、両替はしないで」みたいな掲示。調べると、駅前のマンション運営企業が負担して開設した無人駅で、階段下に駅と棟続きかのように理髪店があった。

東北福祉大前駅は新しい駅と認識していたけれど、もう10年も経つのか。利用状況は好調だが、大学生が生活道路を通行して迷惑だとする住民と対立になっているとか。

そのままどんどん客が増えて仙台に着くのかと思いきや、2つ手前の北仙台でけっこうな下車。仙台市営地下鉄への乗り換え客か。

どことなく東京の私鉄沿線みたいな雰囲気。さすが仙台は大都市で、仙山線もその輸送手段として力を発揮しているのが分かった。
一方で、山間部の車窓も楽しい。奥羽本線と東北本線を東西につなぐ路線は、花輪線、田沢湖線、北上線、陸羽東線、仙山線(あと山形-福島の奥羽本線も)どれもそれぞれ魅力的で甲乙つけがたい。コンパクトに凝縮されていて所要時間が短く、本数も多くて乗りやすい点では、仙山線がいちばん。
【19日補足】車窓写真がないのは、撮りたくなるほど絶景がなかったとも言える。でも、車窓は単調でなくメリハリがあって(かつ短時間で)、飽きずに乗車を楽しめる路線。


ところで、前日乗った(愛称)山形線用の701系5500番台も、このE721系1000番台も、車内側の半自動ドアボタンが、見慣れたものとは少し違っていた。
写真は701系5500番台。E721系1000番台も同じ

(再掲)秋田地区701系の新ドアボタン。現在はラベルではない「あける」「しめる」が主流

E721系や更新された701系でおなじみになった、大きくて押しやすいドアボタン。
この車両でも、部材は同じだが、違いが2点。「しめる」ボタンの縁取りが黄色でなくグレーで、ボタンが使える時でも、ボタン外周の赤色LEDは点灯しない。
すなわち、「しめる」ボタンが従来より目立たないようにされていた。
今までは、LEDの色は違ったものの、どちらも枠は黄色だったのと比べると、たしかに押し間違いは少なくなるだろう。

E721系1000番台では製造時からそうなっていたそうで、追随して701系5500番台も更新されたようだ。したがって、仙台支社ではこれが標準のドアボタンになるのだろうが、秋田支社ではどうするだろうか。

また、E721系1000番台では、ドアチャイムが、開く時は「ピンポーン」1回のみ、閉まる時は2回繰り返していた。分かりやすいし、701系よりも柔らかい音で耳障りではない。
701系では、個体差なのか閉まる時に「キンコーン、キンコーン、キンコ」と2回半鳴る場合もあるが、基本的には開閉とも2回。それ以前の問題として、チャイムが鳴るのは2両編成だけで、3両編成(仙台の4両編成も?)では鳴らない。


仙台駅の外へ出たものの、人が多くて、しかもまた雨が降ってきた。出歩くのは中止。
乗り継いで行けたら行きたい場所があったのだけど、それもどうしようか迷う。それは仙台から北方向の塩釜。時間があれば隣の松島も、などと思っていたけれど、この天候では取りやめて、秋田へ戻るべく盛岡方面を目指したほうがいいかも。続く
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蔵王温泉と蔵王駅

2017-09-10 23:57:55 | 旅行記
東北小回り旅。山形市へ到着した続き。
山形市を訪れた理由は大したものではない。仙台方面へのルートの1つの途中であり、とある駅弁を食べたかった(次の記事にて)のと、どこかの温泉に安く泊まれたらといったこと。
奥羽本線沿線には、いくつも温泉地があるけれど、若干値段がお高い。探したら、蔵王温泉に格安の宿が!

蔵王は宮城側も山形側も行ったことがなく、山形蔵王といえば、スキーや樹氷、ロープウェイがある程度の認識。(御釜は宮城側なんだね)
ロープウェイのふもと側のほうに、蔵王温泉(所在地は山形市内)があって、そこに泊まった人がいたのを思い出し、聞いたらいい温泉とのこと。山形市街からバスでけっこう時間がかかるとも。

調べたら、山形駅から山交バスで40分程度、運賃1000円。それなら、いいかも。
秋田駅から太平山の仁別リゾート公園へ行くようなものかな(37分、700円)。

山形駅-蔵王温泉バスターミナル間のバスは、1時間に1本運行されており、車両はリクライニングシートの観光バスタイプ。オンシーズンとなる冬には、続行便が出て5台くらいが連なることもあるらしい。
北海道の定山渓温泉では、1時間以上、路線バスタイプの車両に揺られて参ったけれど、これは快適そう。

蔵王温泉行きは山形駅のメインである東口のバスのりばの1番が始発。東口を出て左側。
案内所があり、そこの窓口または券売機で乗車券を購入するように案内されているが、車内で現金支払い(二千円札以上の紙幣の両替はできないはず)や路線バス用回数券での支払いも可。
車両は先代三菱エアロバス(? エアロクイーン?)。乗客は10名ほどで、蔵王温泉で宿泊するであろう人が多い。

車両がいいものの一般路線バス扱いだからこまめにバス停があり、途中まで他路線と同ルート。だから、途中から何人か地元の人が乗りこんで、降りていった。
途中「鉄砲町」では、暴力団壊滅の広告放送。秋田中央交通でも流れていて、相談電話番号「893-184」に「やくざいやよ」と語呂合わせもある。山形では、電話番号が「89-3040」と違い、そのまま「89の3040」と言っていた。

市街地を抜け、国道13号線の旧道であろう県道267号線に入り、少し標高が高い郊外に。
県道をそれると、時につづら折りの道になり、ぐんぐん山を登る。この道では立ち客がいたら厳しそうだし、シートベルトを締めるようアナウンスもあった、だから観光タイプのバスを使っているのかもしれない。
極端に険しい道ではなく、景色が抜群でもなく、沿道にわりと家もあった。

大きな鳥居をくぐったところに、山形市立蔵王第二小学校があった。1970年代築と思われる、意外に大きな校舎。市街地にあってもおかしくない規模。
調べたら、現在の児童数は82名。昔は多かったのだろう。斎藤茂吉の母校だそう。

終点の蔵王温泉バスターミナルは、道路と平行に長い建物。バスは建物裏に回りこんで、プラットホーム式の乗降場に停車。建物との間にドアがあり、発車時は5分前に開く。
バスターミナル内から。「蔵王温泉駅」との表示
建物裏のホームには「1」と表示(貸切バス1号車のシールを転用)があった。
じゃあ、「2」は? と思ったら、建物をはさんで反対の道路側のバスターミナルの玄関に見えたところが実は乗り場で、曜日・季節限定運行の特急バスはそちら(間に歩道があるけど、そこに入るの?)のようだ。
奥の屋根下が1番、手前が2番
バスターミナルの建物内は、窓口と券売機のほか、ベンチと自販機、トイレ(現在改修中で外に仮設)がある程度で、がらんとしている。冬は人でいっぱいになるのだろう。

このバスターミナル、外壁には「山交バス バスターミナル」、内部には「蔵王温泉駅(蔵は旧字)」、さらにドアには「山交バス株式会社 蔵王バスターミナル」とあり、表記揺れが激しい。
公式ホームページや各種サイトでは「蔵王温泉バスターミナル」となっているので、当ブログでもそれに従いました。


標高900メートル弱の蔵王温泉は、山形市街に比べると、さすがにいくぶん涼しい。
バスターミナルは温泉街の入口。基本的にどこの宿に泊まっても、ターミナルで降りてぶらぶら歩けばいいはず。ペンションなど宿によっては歩いて行くには大変なものもありそう。【19日補足・徒歩圏内も含めて、宿によってはバスターミナルまでの送迎をしてくれるところもある】
温泉街には飲食店もそれなりにあり、コンビニはファミリーマートが1つ。【2022年1月18日追記・ファミリーマート山形蔵王温泉店は、この直後2017年10月末で閉店(後に建物解体)し、12月7日に向かいにローソン山形蔵王温泉店がオープンしたとのこと。オーナーが同じで、ブランド変更・移転なのか?】【2022年9月30日補足・電話番号はファミマ時代もローソン化後も変わっていないようだ。】

蔵王温泉のお湯はさすが。硫黄(硫化水素)の香りがし、青白く濁り、つるっとして、いかにも温泉。
酸性度が高いのも特徴。以前、同じく強酸性の北海道の川湯温泉に入った時は、ヒリヒリと刺激があったものだけど、蔵王温泉ではそのようなことはなかった。
湯煙漂う蔵王温泉街

水車と酢川温泉神社入口
「酢川温泉神社」という鳥居をくぐって入ってみると、先はとても長い階段(途中に横から入れる道路があったけど)で、疲れた。


翌朝も、バスで山形市街へ。
9時40分発のバスは、山形市の北にある寒河江(さがえ)市の寒河江営業所の先代いすゞガーラ。客数は行きと同じくらい。発車時には、ホームでジリジリとベルが鳴った。

さて、このまま山形駅まで乗り通すのもつまらないし、少しでも安く上げたい。
だけど、調べた限り、路線バス以外に蔵王温泉と山形市街地を結ぶ交通手段はない。

地図を見ると、バスが山の下へ下りてから通る県道267号線は、国道13号線、さらに奥羽本線と並走している。JR奥羽本線にはその名も「蔵王」という駅がある。【11日補足・東北新幹線「白石蔵王」駅とはまったく別。山の反対側です。】
蔵王駅は、蔵王温泉や蔵王の山、つまり観光地としての蔵王へのアクセスの役割はない。山の下一帯も、「蔵王」という地名・エリア名であり、その地域の駅としての存在。

とは言うけれど、山の下では他路線と同ルートの一般路線バスである以上、バス停は多いはず。そのどれかで降りれば、歩いて蔵王駅まで行くことが可能ではないかと予想していた。一般路線バスだから、乗る距離が短いほど、運賃は安くなる。
ただし、バスは毎時1本、蔵王駅の列車は不規則に毎時1本程度なので、乗り継ぎのタイミングは難しい。
行きは、そんな接続のほか、初めて乗るので不安だったことと、帰りの下見を兼ねて、山形駅から乗った次第。

Googleマップではバス停名称が分からないから、マピオンで調べると「成沢」というバス停がいちばん蔵王駅に近そう。ほぼ真東へ進めばよく、歩く距離は1.5キロ。
行きのバスの車窓から確認しても、大丈夫そうな雰囲気。駅方向に向かって下り坂で歩きやすそう。成沢は「なりさわ」と読み、隣(温泉寄り)の「成沢南」では少し遠くなる。
蔵王温泉9時40分発のバスは、成沢は10時02分(山形駅前は10時25分着)。蔵王駅では、下り普通列車が10時23分発(山形10時28分着)。1.5キロを20分なら、歩く自信がある。
蔵王温泉-成沢のバス運賃は810円。蔵王-山形のJRは青春18きっぷを使うから、190円節約。ちなみに、蔵王-山形の正規運賃は190円なので、その場合は合計1000円でバスと同額。

天気が雨だったら歩きたくないけれど、当日朝の蔵王温泉はくもりで安心した。ところが、バスが山を下ると…
昨日は見えた市街地が霞む。中央左に第二小前の鳥居
下界では雨が降っていた!
バス乗車券も買ってしまっているし、予定通り決行。

成沢に3分ほど遅れて到着。他に降りる人はなし。
雨の中、走り去るバス
傘を広げて蔵王駅へ急ぎたいところだけど、バス停のポールに見覚えが。
 成沢バス停
ダルマ型で、台座が金属枠で囲われ、細身でツルツルした支柱、大きめの表示板とその支柱との独特な接続方法。
秋田中央交通で近年新設されるポールで、当ブログで「頭でっかちタイプ」と呼んでいるものと同型だ!
(再掲)秋田中央交通の頭でっかちタイプ
山交バスのものは、台座の支柱がささっていない2つの穴の処理や時刻表枠の留め方は秋田とは異なるし、デザインのせいかさほど頭でっかちでもなさそうだけど、同一としていいだろう。
と、時間を使ってしまう。


バスが来た方向へ戻れば、すぐに信号のある丁字路交差点。そこを右折すれば、右に消防署。
やがて国道13号線の大きな交差点。そこを横断すれば(地上に横断歩道あり)県道170号線。この交差点までの間で、左側(南側)の歩道に横断が必要。
さらに直進すると、自動車教習所があり、ちょっと大きな須川を渡る橋。
この辺りで写真を撮りたかったものの、風と雨が強くてできず。
橋の先で、県道は右へカーブし、三叉路のような形状の交差点。旧道との分岐点だろうか。
こんな交差点形状。車は13号線側から直進できなさそう
ここで直進し、狭い道に入る。
右にスーパー「ヤマザワ」、信号機付き交差点を過ぎれば、先の突き当たりに蔵王駅!
ついに到着
古い建物をリニューアルしたと思われる駅舎。全体的な雰囲気は秋田市の土崎駅、新屋駅なんかと似ている。

蔵王駅は駅員が配置され、駅業務は子会社「JR東日本東北総合サービス」に委託されている。かつては貨物列車も発着していたらしく、駅構内は比較的広く、駅舎とホームに少し距離があった。この辺りは秋田市の羽後牛島駅に似ている。
なお、Suicaは使用できません。【11日補足・繰り返しますが東北新幹線「白石蔵王」駅とはまったく別。山の反対側です。】

駅をじっくり見たいところだけど、(バスの遅れと、雨風と、頭でっかちバス停の発見と、余裕のない計画のせいで)思ったより時間がかかり、もう列車発車3分前。
18きっぷに日付を入れてもらう必要があったが、駅員は事務所奥にいて、こちらを見て「そのままどうぞ」といった感じなので、そのまま入場。小走り気味に橋を渡ってホームへ下りてひと息つくと、719系5000番台4両編成が入線してきた。いっしょに乗りこんだのは3~4人。車内はそこそこ先客がいたものの、なんとか後ろ向きの2人掛け席にありつく。

ということで、成沢バス停→蔵王駅15分はギリギリ。
国道横断で信号待ちも見ておく必要があるし、蔵王→成沢では上り坂なのでさらに時間がかかりそう。実行するのなら、20分強は時間を見ておけば安心でしょう。でなければ、もっと時間を取って駅前のヤマザワ、あるいは国道沿いなどのお店で時間をつぶすなど。


雨で濡れた服と汗で濡れた体が乾かないまま、山形へ到着。きっぷに日付を入れてもらっていったん外へ。名残惜しいけれど次の仙山線で仙台へ向かうことにした。
今回はまったく見物できなかった山形市街地はほんとにまたいつか。蔵王温泉へはぜひとも再び訪れたい。

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コメント (2)
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