東北小回り旅行記(前回は仙台到着)の続き。
塩釜へ行こうかなと思ったのは、こんな理由。
29年前の小学校の修学旅行は、仙台・松島が目的地だった。(余談だが、秋田市の小学校では当時は仙台が主流。その5年位前は十和田湖、最近は東京や北海道(函館)へ行く学校が多かった/多いようだ。)
交通公社(JTBになる直前だった)さんが考えてくれた行程は、松島に宿泊した翌朝、遊覧船で塩釜港へ行き、鹽竈(塩釜)神社を訪れた後、バスで平泉へ向かうもの。
ところが、学年主任を兼ねていた我が担任の先生は、行く前から鹽竈神社には立ち寄りたがっていなかった。時間が押した場合にカットできる時間調整の意味があったみたいだけど、「ただ階段があるだけですから」なんて言い訳もされて。
結局、実際にカットされてしまったのだけど、後々、せっかく近くまで行ったのに素通りしたのを残念に思い、いつか行きたいと思うようになった。
松島も、14年前に再訪しただけ。近いだけにいつでも行けそうでなかなか行けず、そろそろまた行ってみたいと思っていた。
今回も、雨と時間不足で結局は行けなかったのだけど、以下と次回、そのてんまつ。
仙台から盛岡方面へ向かう、東北本線下り・小牛田方面は出たばかり。仙石線の東塩釜行きが間もなく発車。
若干時間の余裕もあるから、雨のため神社参拝はやめるとしても、塩釜の町や松島の海ぐらいは見ておこうかと考え直す。
仙台から塩釜・松島までは、東北本線と仙石線が並行している。
東日本大震災の復旧後に、両路線が接続されて「仙石東北ライン」としても運行されている。
鹽竈神社も観光地の松島も、仙石線が便利(仙石東北ラインだと乗り換えて戻らないとだめ)。それぞれ本塩釜駅、松島海岸駅が最寄りとされている。
昔は仙石線に快速が運行されていたのだが、今は仙石東北ラインに取って代わられて、各駅停車のみになってしまった。本塩釜や松島海岸には、仙石東北ラインの恩恵はない。
仙石線はもともと私鉄だった経緯から、飛び地の直流電化路線。車両は代々、首都圏の国電の中古が回されていた。
乗るのは14年ぶり2度目。
前回は、車両が103系から205系に代わりつつある時。103系は最後の1編成だけ(高架工事に伴う予備車とかで)になっていた。【2021年11月29日訂正・最後の1編成になるよりは少し前だったようです。この記事参照→】※2003年のことだった。
現在は、山手線と埼京線で使われていた車両を4両編成にし、半自動ドアやトイレを設置するなどの改造をした205系3100番台が使われている。改造は郡山工場と秋田の土崎工場が施工。
正面の顔は改造前とかなり変わっていて、昭和末期・国鉄末期の設計の車両には見えない。
【25日追記】コメント欄の通り、この先頭車は、山手線・埼京線時代には運転台がなかった中間車両に、新しく作った運転台をくっつけた(先頭車化改造)もの。だから、以前とは大きく違うデザインになっても無理はない。同じタイプが首都圏周辺部でも走っている。
(再掲)205系3100番台。帯の色はさまざま【20日追記・基本定期には青・水色帯で、一部だけ色違いの編成がある。後述】
4両×19編成あったが、うち2編成が東日本大震災の津波に遭い、廃車。
行き先の東塩釜は、本塩釜の1つ先の車両基地最寄りの駅。【20日訂正・複線区間が終わるの東塩釜なので、本数が多く設定できるようだ。車両基地は小鶴新田が最寄りでした。】
仙台駅地下ホームからたくさん乗りこみ、車内は立ち客も多数。松島海岸より手前止まりだから、観光客はほとんどいないはず。
地上に出て、多賀城辺りまでには、だいぶ降りてガラガラに。
今回乗ったのは、17本中5本だけの、少し違う編成。違うのは、東塩釜・石巻向きの先頭車車内。【20日補足・車体の帯色が4両それぞれで違う編成が、これに該当する】
車内
座席が違う。基本的には、改造後も車内は、ほぼ製造時の205系のままなので、よくあるロングシートなのだけど、この車は座席も替えられている。
ドア間の7人掛けだったところに、背もたれが高いひじかけ付き座席が6人分。リクライニングはしない。
「デュアルシート」、JR東日本では「2WAYシート」と呼ぶ、座席の向きを90度転換でき、ロングシートとしても、2人掛けクロスシートとしても使える座席。乗客が個別にロング/クロスの転換をすることはできない【20日補足・クロスシート時の前/後向きの180度転換はできるようで、下の写真に写っているように脚の暖房機に折りたたみ式ペダルらしきものがある】。
当初は、観光利用促進のため快速運用時にクロスシートとしていたそうだが、快速がなくなった今は、ロングシートで固定。【20日補足・快速末期頃には、海側をクロス・反対側をロングとしていたこともあったとのこと。】
ロングシートにしては豪華
背もたれの上部がずいぶんくびれているのと、下の暖房機が干渉しないよう独特な形状。
座り心地は悪くない【20日補足・ガタつきなども感じなかった。E721系よりずっと柔らかく、701系ボックス席よりもホールド感がある。】。ロングシートでも背もたれが高いと、また印象が違ってくる。ただ、背もたれが高くて窓がふさがれて、車窓を見るには少々ジャマ。
座席とドアとの間の仕切りは元のものが残る
前述の通り、車内は基本的に山手線・埼京線時代のまま。
上の写真に写っているように、網棚(荷棚)は棒ではなく金網だし、ドアの窓は天地方向が狭く、立って車窓を眺めるには、少し腰をかがめないといけなかった。国電の趣を残す車両。
一方、こんなものも。
ドアボタン
おなじみ半自動ドアボタン。最近主流の大きなドアボタンが最初に採用されたのが、205系3100番台だったと思う。
改めて見ると、とても巨大で細長い。
(前回の再掲)現在、主流のドアボタン
その原因は、ボタンの上の「ドア」表示灯。他形式の新ボタンにはない。
旧ボタンに従って表示灯もつけたけど、考えてみればボタン周囲のLEDがあれば充分だと、後の他形式では省略したのだろう。
【2018年7月31日追記・ドアボタンをドアに向かって左右どちら側に設置するかについて】他社やJR東日本の気動車では、同じ車両でもドアの位置によって、右側設置と左側設置が混在しているものがある。一方、JR東日本の電車(EV-E801系は除く)では、すべて右側で統一されて、直感的に分かりやすいと思っていたけれど、205系3100番台では左右が混在していた。
本塩釜で下車する。
塩釜へ行こうかなと思ったのは、こんな理由。
29年前の小学校の修学旅行は、仙台・松島が目的地だった。(余談だが、秋田市の小学校では当時は仙台が主流。その5年位前は十和田湖、最近は東京や北海道(函館)へ行く学校が多かった/多いようだ。)
交通公社(JTBになる直前だった)さんが考えてくれた行程は、松島に宿泊した翌朝、遊覧船で塩釜港へ行き、鹽竈(塩釜)神社を訪れた後、バスで平泉へ向かうもの。
ところが、学年主任を兼ねていた我が担任の先生は、行く前から鹽竈神社には立ち寄りたがっていなかった。時間が押した場合にカットできる時間調整の意味があったみたいだけど、「ただ階段があるだけですから」なんて言い訳もされて。
結局、実際にカットされてしまったのだけど、後々、せっかく近くまで行ったのに素通りしたのを残念に思い、いつか行きたいと思うようになった。
松島も、14年前に再訪しただけ。近いだけにいつでも行けそうでなかなか行けず、そろそろまた行ってみたいと思っていた。
今回も、雨と時間不足で結局は行けなかったのだけど、以下と次回、そのてんまつ。
仙台から盛岡方面へ向かう、東北本線下り・小牛田方面は出たばかり。仙石線の東塩釜行きが間もなく発車。
若干時間の余裕もあるから、雨のため神社参拝はやめるとしても、塩釜の町や松島の海ぐらいは見ておこうかと考え直す。
仙台から塩釜・松島までは、東北本線と仙石線が並行している。
東日本大震災の復旧後に、両路線が接続されて「仙石東北ライン」としても運行されている。
鹽竈神社も観光地の松島も、仙石線が便利(仙石東北ラインだと乗り換えて戻らないとだめ)。それぞれ本塩釜駅、松島海岸駅が最寄りとされている。
昔は仙石線に快速が運行されていたのだが、今は仙石東北ラインに取って代わられて、各駅停車のみになってしまった。本塩釜や松島海岸には、仙石東北ラインの恩恵はない。
仙石線はもともと私鉄だった経緯から、飛び地の直流電化路線。車両は代々、首都圏の国電の中古が回されていた。
乗るのは14年ぶり2度目。
前回は、車両が103系から205系に代わりつつある時。
現在は、山手線と埼京線で使われていた車両を4両編成にし、半自動ドアやトイレを設置するなどの改造をした205系3100番台が使われている。改造は郡山工場と秋田の土崎工場が施工。
正面の顔は改造前とかなり変わっていて、昭和末期・国鉄末期の設計の車両には見えない。
【25日追記】コメント欄の通り、この先頭車は、山手線・埼京線時代には運転台がなかった中間車両に、新しく作った運転台をくっつけた(先頭車化改造)もの。だから、以前とは大きく違うデザインになっても無理はない。同じタイプが首都圏周辺部でも走っている。
(再掲)205系3100番台。帯の色はさまざま【20日追記・基本定期には青・水色帯で、一部だけ色違いの編成がある。後述】
4両×19編成あったが、うち2編成が東日本大震災の津波に遭い、廃車。
行き先の東塩釜は、本塩釜の1つ先の
仙台駅地下ホームからたくさん乗りこみ、車内は立ち客も多数。松島海岸より手前止まりだから、観光客はほとんどいないはず。
地上に出て、多賀城辺りまでには、だいぶ降りてガラガラに。
今回乗ったのは、17本中5本だけの、少し違う編成。違うのは、東塩釜・石巻向きの先頭車車内。【20日補足・車体の帯色が4両それぞれで違う編成が、これに該当する】
車内
座席が違う。基本的には、改造後も車内は、ほぼ製造時の205系のままなので、よくあるロングシートなのだけど、この車は座席も替えられている。
ドア間の7人掛けだったところに、背もたれが高いひじかけ付き座席が6人分。リクライニングはしない。
「デュアルシート」、JR東日本では「2WAYシート」と呼ぶ、座席の向きを90度転換でき、ロングシートとしても、2人掛けクロスシートとしても使える座席。乗客が個別にロング/クロスの転換をすることはできない【20日補足・クロスシート時の前/後向きの180度転換はできるようで、下の写真に写っているように脚の暖房機に折りたたみ式ペダルらしきものがある】。
当初は、観光利用促進のため快速運用時にクロスシートとしていたそうだが、快速がなくなった今は、ロングシートで固定。【20日補足・快速末期頃には、海側をクロス・反対側をロングとしていたこともあったとのこと。】
ロングシートにしては豪華
背もたれの上部がずいぶんくびれているのと、下の暖房機が干渉しないよう独特な形状。
座り心地は悪くない【20日補足・ガタつきなども感じなかった。E721系よりずっと柔らかく、701系ボックス席よりもホールド感がある。】。ロングシートでも背もたれが高いと、また印象が違ってくる。ただ、背もたれが高くて窓がふさがれて、車窓を見るには少々ジャマ。
座席とドアとの間の仕切りは元のものが残る
前述の通り、車内は基本的に山手線・埼京線時代のまま。
上の写真に写っているように、網棚(荷棚)は棒ではなく金網だし、ドアの窓は天地方向が狭く、立って車窓を眺めるには、少し腰をかがめないといけなかった。国電の趣を残す車両。
一方、こんなものも。
ドアボタン
おなじみ半自動ドアボタン。最近主流の大きなドアボタンが最初に採用されたのが、205系3100番台だったと思う。
改めて見ると、とても巨大で細長い。
(前回の再掲)現在、主流のドアボタン
その原因は、ボタンの上の「ドア」表示灯。他形式の新ボタンにはない。
旧ボタンに従って表示灯もつけたけど、考えてみればボタン周囲のLEDがあれば充分だと、後の他形式では省略したのだろう。
【2018年7月31日追記・ドアボタンをドアに向かって左右どちら側に設置するかについて】他社やJR東日本の気動車では、同じ車両でもドアの位置によって、右側設置と左側設置が混在しているものがある。一方、JR東日本の電車(EV-E801系は除く)では、すべて右側で統一されて、直感的に分かりやすいと思っていたけれど、205系3100番台では左右が混在していた。
本塩釜で下車する。
松島に一泊、塩釜にもどり遊覧船からまた松島、班別行動して平泉へ。
ちなみに市営観光バスは仙台まで回送して仙台からは翌日までずっと同じ。
前にも書きましたが市営観光最後の年、最後に乗ったのは自慢です。
班別は五大堂が閉まっていて、途中の観光でグループで喧嘩して嫌な思いでばかりでした。雨でしたし。
夜の番組は生ダラだったと記憶しています。
仙石がそんな大都市式とはあとになりしりました。
サザエさんの電車の103系がいたとは。
バスは岩手県交通でしたが、FMENさんは市営バスがつきっきりだったんですね。うらやましい。
なお、当時は東能代発の「たざわ」があって土崎駅にも停車していて、土崎駅から乗車していた学校もあったそうです。
小学校でも班別行動があったんですね。我々はベニーランド内だけでした。
僕は幸い嫌な思い出はないです。五大堂は橋を渡った記憶しかありません。中も見たんだろうけど…
青葉城からバスに乗った後、数十メートル離れた所をサングラスをかけた男性が歩いており、それを見た女子児童がキャーキャー騒ぎ出し、彼が気づいて手を振ってくれたという一件がありました。
芸能人だったということらしいですが、誰だったんだろう…謎です。
それと前後する30年ほど前だそうですが、仙石線では、72系という終戦直後製造の古い電車に、上(車体)だけ103系と同じものを載せた、奇妙な車もいたそうです。
しかも後に本当に103系に改造されて首都圏へ戻り、10年強前まで走っていたという、変わった経歴だったそうで。
電源の違いで仙台の所属なのに(北)福島駅には入れないため(北)(環)のダブル網羅にはならずが残念。
班別は中学でもケンカになってます。
高校はしませんでした。さすがに。
ケンカは自分が蒔いた種でない巻き込み事故なんですが、あまりそういうのが苦手なのか、旅は独りを好むようになりました。
大学でもわざと独りになるように動いたりした部分もあります。
ケンカではないけれど、高校の班別行動では、計画通り派と行きたい所に行きたい派に途中分裂(そして途中再合流)しました。
僕は計画通り派でしたが、これといって思い出もなく…
団体旅行は「団体旅行」という、「旅」とは別物なんじゃないでしょうかね。
その後遊覧船で塩釜港へ向かい、本塩釜から仙石線で仙台に戻って、デパートでランチを食べてから新幹線+たざわで帰りました。
仙石線は水色一色の103系、新幹線はもちろん緑帯で3列シートが方向転換できない200系の時代です。
観光バスに乗ったのは初日の仙台駅~青葉城~ベニーランド~松島だけでした。バス会社は記憶にありません。
現在の仙石線の先頭車は、もともと中間車に、新造した運転台ユニットを接合した車両ですね。
八高線や鶴見線にも同じ顔の205系がおります。
当時は団体列車の時代でした。
地元の駅に集合し、町全体の学校が連合で行きました。
キハ58系で編成され、たしか、陸羽東線経由で仙台に行きました。
宿泊先は浦島荘でしたが、今もあるようで、懐かしかったです。
時期的にはほぼ同じ頃かと思いますが、似ているようで違う点もありますね。
我々は仙石線の存在など気にも留めなかったし、昼食は平泉レストハウスで餅入り汁物付きの定食でした。
200系の座席の生地は、レンガ色に縦線が入った初期タイプ、「たざわ」は2両を増結して「増○号車」でした。
205系の顔は新規製造でしたね。205系=山手線の印象が強く、ついつい比べてしまいます。
>miu12345さん
集約臨時列車というやつでしょうか。我々は(実際には1校単独でしたが)青森まで、行き583系・帰り485系に乗りましあ。
気動車1本で仙台まで、うらやましいような、小学生としては退屈しそうな旅ですね。幼稚園の頃、北上線経由の急行で仙台まで行きましたが、飽きました。
我々は松島プリンスホテル泊。
今はリニューアルして「ホテル絶景の館」になっているようですが、たしかに景色は良かった思い出があります。