広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

中津川周辺の光景

2017-12-13 23:56:19 | 旅行記
盛岡市の続き。
岩手県庁、盛岡市役所などがある中津川沿いは、いい雰囲気。多くの人たちが、道路代わりに川沿いの堤防を歩いていて、そこからの眺めもきれい。
上ノ橋から下流方向。右は岩手県民会館

前回は和風な火の見櫓(大慈寺地区コミュニティ消防センター)を見たけれど、この付近には、
こんな火の見櫓も
こちらはかわいらしい色に塗られているけれど、歴史がありそう。【下の追記の通り、もともとの色が経年で薄れて、この色だそう】
調べると大正時代頃に建てられた「紺屋町番屋」。保存されながら、今も消防団の建物として現役ということらしい。
てっぺんには鶏(風見鶏)? の飾り
たまたま見つけて、面倒なのであまり近づかずに撮影しただけだったけれど、見えていない反対側が正面。
【2021年11月19日追記】2021年11月18日、ケーブルテレビでIBC岩手放送のローカルニュースを見ていたら「紺屋町番屋 改修工事が最終盤 建設当時の姿に/岩手・盛岡市」が報道されていた。「今年5月から改修工事が行われています。」「建物をジャッキで持ち上げ柱が腐った部分を修復し、基礎を作り直したうえで80センチほど中津川の方向に曳家」。外壁は退色前の濃い色にし、耐火性能は向上。「来年2月にはカフェの入った体験交流施設としてオープンします。」

青森県弘前市でも、元消防団の建物が保存されており、奇しくも「旧紺屋町消防屯所」。

下流側から上ノ橋

上ノ橋。右が下流側
でんでんむしも通る上ノ橋は、高欄(欄干)や照明がちょっと変わった橋くらいの見た目だけど、そうではない。
橋そのものは1935年に架け替えられているが、欄干の擬宝珠は江戸時代から代々受け継がれているもの。現在の欄干本体は、岩手県産のヒバが使われているそうだ。

この橋のたもとでは、1984年の映画「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」のロケが行われた。寅さんの舎弟が営む店を訪れるシーンだったのだが、その店として使われた建物は、現在はなくなっている。上の写真の川沿い右にある、グレーのビルの位置。ビルは「ギボーシプラザ」という名前。
写っていないけれど、道路向かい側の建物は映画と同じものが残っているそうで、もちろん橋にも変化はないだろうから、多少は映画の雰囲気が残っていそう。


中津川沿いの道。
一級河川・北上川の支流なので、秋田県の旭川などと同じく、国土交通大臣から県知事へ河川管理が委託されている。こんなイラスト入り看板があった。
「サイレンがなったら川の水が増えてくるので川から出よう。」
新しそう(脚は古いかも?)な看板。
文章では明示されていないが、イラストの内容と「岩手県綱取ダム管理事務所」が設置したものであることから、ダムの放水(放流)時の増水の警告であることが分かる。

近くにはこんなものも。
「危い!!」
これは懐かしい!
おそらくこれと同一の内容が、かつては秋田市中心部の旭川沿いにもあった。旭川ダムの放流についてのものだけど、本文の漢字にふりがなが振ってあって、サイレンを鳴らして止めるのを繰り返す警告方法は同じ。50秒鳴らして10秒止めるという秒数も同じかもしれない。

旭川では、旭川ダムは今もあるのに、いつの間にかなぜか警報装置が撤去され、看板も用がなくなったので撤去されている。
今年、新潟県の二級河川(県管理)で、ダムの放流の増水によって下流にいた人が流されてしまう事故があった。それも踏まえると、盛岡市街地の中津川では警報体制を確立しているのに、秋田市街地の旭川はなくても大丈夫なんだろうかと、改めて不安になってしまった。
【2018年9月28日補足】旭川ダムの運用が変わって、現在は、放流しても市街地では影響がなくなったため、警報装置を撤去しているとのこと。上流側には今もあるらしい。
※長野県の天竜川水系(諏訪湖)の釜口水門の放流の看板について。リンク先中ほど。

魚やカッパの絵入りの「川をきれいにしましょう」は、見た範囲では設置されていなかった。


盛岡市について、さらに少しだけ続きます。

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