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バス停更新'21秋以降3=泉

2022-06-27 19:06:20 | 秋田のいろいろ
手形~旭川地区秋高スクール線・千秋地区に続き、2021年秋以降に行われたバス停表示板の交換について。


その前に、バス停名称のローマ字? 英語? 表記について。「バス協会や国土交通省が基準を作るべきでは」と何度か指摘していたが、すでに作られていた。
公益社団法人 日本バス協会が「訪日外国人旅行者のバス利用を想定した多言語対応に関するガイドライン」を作成し、2017年8月8日で(各都道府県ごとなどの)各バス協会宛てに通知している。
当然、公益社団法人 秋田県バス協会を通して、会員である秋田中央交通にも届いているはず。
ガイドラインは国土交通省のサイトにもアップされている。https://www.mlit.go.jp/common/001221846.pdf

ただし、通知文書には、
「なお当ガイドラインは、既に社内や自治体等で定められているルールの変更を求めるものではなく、今後の各事業者における多言語対応に資するものとして活用していただくために作成したものです。」
とあり、ガイドラインが絶対ではない。
だから、どんなヘンな表記でも、そのバス会社の判断でどうにでもできるのは変わらないのだけど…

ガイドラインより抜粋。
○原則(抜粋)
・原則として発音どおりローマ字表記とする。二中前 Nichu Mae、立命館大学前 Ritsumeikan Daigakumae 【29日追記・金閣寺前 Kinkakuji-mae も例示。この3例では「mae(前)」の前の語との区切りかたが統一されていない。この点はいいのだろうか?】
・ローマ字表記では理解しがたいと認められる場合は、記載スペースがあれば英語により( )で補足表記することが望ましい。永代橋 Eitaibashi (Eitai Bridge)、新宿五丁目 Shinjuku-gochome (Shinjuku 5)
・ローマ字の表記は、ヘボン式を用いる。

○例外(抜粋)
・外国語由来の言語部分は、ローマ字ではなく英語表記とする。また、施設管理者が定める外国語表記がある場合は、当該名称を優先する。新宿ワシントンホテル前 Shinjuku Washington Hotel Mae

今の中央交通ではヘボン式が基本だが、「ITCHOME」「KOMYUNITHI」のような怪しいつづりが散見されるので、ガイドライン以前の問題かも。
そして、「KOMYUNITHI SENTA MAE」「MIRUHASUMAE」は、ガイドラインの例外項目と一致していないことになる。

なお、羽後交通(この記事など)が「美術大学前 Akita University of Art」「ハローワーク秋田前 Hellowork Akita」と、訳せる語は英訳しているのも、ガイドラインとはやや違うことになる。
ハローワークは上記で良さそうだが、美大前は「Bijutsu Daigakumae(Akita University of Art)」となろう(カッコ内にmaeはあったほうがいいのか?)。
再掲)ここでは中央交通の表記のほうがガイドラインに忠実となる

ほかにバス停表記ではないが、その他の案内表示の英訳も挙げられていて、その中に、
  整理券をお取りください Please take a boarding ticket
があった。
鉄道の整理券発行機に「Boarding Vouchers」と表示したものがあった。同じメーカーはバス用整理券発行機も作っている(というか鉄道もバスも同じ物)が、対応はどうなっているだろう。


ここから本題。
今回は、添川線単独区間から2か所。
添川線は、秋田駅西口~通町~保戸野~天徳寺前は神田線と同じルート。天徳寺前で神田線とは反対に進んで、天徳寺の山のふもとと(河川の)旭川の間の古い道を北上する。
秋田温泉線・仁別リゾート公園線とは、旭川をはさんで並行する経路だが、乗客は多くなく、かつては毎時1本だったのが、2011年秋以降かなり減らされてしまった。

駅から行って、天徳寺前の次の「三嶽根(みたけね)」は、以前取り上げた通り、だいぶ前(※)にポールごと交換済み。今回は未確認だがそのままだろう【7月11日そのままなのを確認】。
※以前は移管直後設置のJTCウインRの表示板だったのが、2012年10月から2015年8月の間に頭でっかちタイプに交換。

この辺りの地名は「泉」。ここが元々の泉集落だったが、今は線路向こうの新興住宅地のほうが泉のメインになった。そんな元祖・泉地区は、旭川小学校・秋田東中学校区。警察は昨年度までは秋田東警察署泉駐在所、今年度から秋田中央警察署泉交番の管轄(この記事など参照)。
三嶽根を過ぎて広い道路から曲がると、添川線本来の道。泉一ノ坪、泉上丁と続くが、都合により泉上丁から。
【28日コメントをいただき追記・かつてのバス停順について】1988年の時刻表掲載のバス停は、三嶽根~泉下丁~旭川農協前~泉上丁 であった。おそらく、泉下丁は道路のバイパス化で廃止、交差点角にあったという農協がなくなったので泉一ノ坪に改称されたのだろう。

左奥に下り、右手前に上り。左が天徳寺の山
新しい家も並んでいるが、道路のカーブや古い家など、農村のたたずまいが強い。
杉だろうか針葉樹が1本建つお宅と、土地改良区の前に「泉上丁」バス停がある。
上り北東向き

上り南西向き
上り側は、パソコン印字透明シール・丸ゴシック体の表示板。印字の劣化が激しい。
手形地区は、市営バス時代末期に設置された同様の表示板が多かったが、これは若干異なる。
(文字数も関係するかもしれないが)文字が扁平、ローマ字の文字間隔が狭く中央寄せ、「ちょう」が訓令式の「TYOU(五丁目橋はそうだった)」でなくヘボン式の「CHOU」、といった点。
さらに、下にナールの「太田町」の文字が透けているのか痕跡が。「市営バス」も透けているので、築地経由桜ガ丘/経法大(ノースアジア大)線の楢山太田町にあった停留所の転用だろう。2018年秋に廃止されているが、Googleストリートビューで確認すると、少なくとも2012年10月以降は、上下とも、この泉上丁と同じ扁平な丸ゴシック体のシールだった。ナールの太田町が短期間しか使われなかったことになる。
以上を踏まえると、この扁平丸ゴシック体シールは、中央交通が作成した(中央交通が太田町を更新→転用して泉上丁に)可能性もある。※桜ガ丘・大平台にも、中央交通作成と考えられる透明シールがあった

下りは水路のほとり
下り側はJTCウインR。泉上丁より先は、ほとんどがこれのはず。

交換後。
上り
前回の原の町で新規出現した、支柱もグレー塗装したタイプ。以前の支柱はかなりサビており、これまでなら交換対象だったろうに。

下りも支柱塗装。2つあった時刻表枠を1つ撤去
交換後の泉上丁の下りは、前回の千秋矢留町同様、転用品だった。
「金足農高入口」が透けている
ストリートビューで金足農高入口を確認すると、2017年7月から2018年7月の間に、市営・中央共用表示板からこの表示板に交換されているようだ。どうしてここにそれがあるのだろう?


「泉一ノ坪」。
左手前が下り、右奥・秋田泉郵便局の前が上り
上下とも透明シールパソコン印字で、泉上丁と同程度の劣化具合。しかし、ここは透明シール表示板の中では、特異なタイプ。
下り北向き

下り南向き
これも下に文字が透けており、ナールで「県立球場前」。
2003年に秋田県立野球場こまちスタジアムができる以前の、秋田県立球場(今の県立武道館の場所)のことか。

上り北向き

上り南向き
これも透けていて、ナールの「一ツ森公園入口」。
上記、太田町の隣のバス停で、やはり2012年時点で丸ゴシック透明シールだった(文字数が多く扁平ではない)。「ツ」がひらがなの「一つ森公園」が正当だが、透明シールでもカタカナにしてしまっている。

泉一ノ坪の透明シールの特異な点は、書体が丸ゴシック体ではなく、MSゴシックだろうか角ゴシック体であり、ローマ字は「IZUMI ITI NO TUBO」と漢字1文字ごとに区切ってスペースを入れていること。ローマ字は訓令式。
泉ハイタウン線(市営時代は泉秋操線)の「泉北二丁目(一方向運行のため上下共用)」が、JTCウインRに替わる前も、このタイプだったようだ。ということは、泉一ノ坪も市営バス時代に作られたのか、それとも移管後に中央交通が真似たのか。
この隣り合う2つバス停は、シールの文字の劣化が著しい点は共通するものの、その他は相反する点が多い。真相は謎のまま終わってしまった。

交換後

上りは台座塗装なし、支柱もそのまま

下りは台座とサビサビ支柱に塗装。2つあった時刻表枠を1つ撤去
下り側は、転倒防止で地元の人がやったのか、側溝の蓋と支柱が紐で結ばれていたのを、交換後も継続。一部は作業前と同じ紐で、塗料も付着していなそうだけど、どういう作業手順でやったのだろう。


このほか、神田線の天徳寺前以降も交換されているとのことですが、取り上げないでおきます。いつかまた続く。※添川線泉上丁より先のバス停の状況(リンク先後半)。

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2 コメント

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消えた泉下町 (FMEN)
2022-06-27 23:04:57
秋田大橋環状版載せましたが、見てきて良かったです。

今回の範疇からは外れますが、昔は「泉下町」と「泉東町」がありました。
後者は神田スクールが無くなり廃止になりましたが、前者はバイパスの線形変更によるものでしょうか。
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泉下丁 (taic02)
2022-06-28 17:16:00
例の1988年の冊子時刻表によれば、
三嶽根~泉下丁~旭川農協前~泉上丁
となっていました。
農協は、交差点角にあったそうなので、今の泉一ノ坪のことでしょう。となると泉下丁は、やはり道路付け替えでなくなったのでしょうね。

いつまでも更新されないバス停表示板は、忘れられている可能性もありそう。しぶとく残ってほしい気もします。
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