広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2008年 梅林から玖村

2014-10-07 23:59:44 | 旅行記
8月20日、広島市で豪雨による土砂災害が発生、74名が亡くなり、多数の人が避難生活を余儀なくされた。
その後、御嶽山の噴火などもあって、全国版ではほとんど報道されなくなったが、復旧はどうなっているだろうか。【11月1日追記】11月1日現在、いまだに10世帯15人が公民館などで避難生活をしているとのこと。

今回の災害は、広島市街地から北方向の山間部に入った、安佐南区や安佐北区で散発的に発生した。
中でも、安佐南区八木地区(特に三丁目)で大きな被害が出たという。


テレビや新聞で、山手から流れてきた土砂が、駅舎や線路まで達した八木地区の映像・写真を見て、自分がここに行ったことがあるのを思い出した。
駅は、JR西日本・可部(かべ)線の梅林(ばいりん)駅。
当ブログの最初期に広島旅行記をアップしているが、訪れたのはその時、2008年7月のことであった。

好奇心と時間つぶしで訪れ、特に観光地などでもなかったので忘れかけていたが、今回、地図・ストリートビュー、当時撮影した写真を改めて見ると、よみがえってきた記憶もある。
「旅行記」とするにはふさわしくないかもしれないが、記録として、ここに残しておきたい。


まず、相変わらず回りくどくなりますが、梅林駅を訪れた理由から説明。
Google航空写真より。黄色い丸が梅林駅(安佐南区八木)付近
広島市街地から北の山間部に向かって、JR西日本の2つの路線が伸びている。西側の可部線(上の写真で赤い線)と東側の芸備線(同青い線)である。

当時、ネットの情報で、芸備線の玖村(くむら)駅にネコが住み着いていて、そのネコが、自動改札機の上に乗っていることがあるということを知った。暖を取っているのだろうが、ネコは乗客のジャマにならない位置に座り、乗客も邪険にせずに普通に改札を通っているとか。(2014年現在はいなくなったらしい)
広島市内から遠くないこともあって、旅行の空き時間にそれを見に行こうと考えた。

さらに調べると、玖村駅付近では、川を挟んで両岸近くを可部線と芸備線が走っていて、芸備線・玖村駅と可部線・梅林駅の間は橋を渡って徒歩でも行き来できる距離だという。
※青春18きっぷの旅行者などの中には、できるだけ効率的に移動したり待ち時間を節約したりするため(もしくは僕のような物好きのため)、違う路線の駅と駅の間を徒歩で移動することがある。

往復とも同じ路線ではおもしろくないし、見知らぬ町を歩くのもおもしろそう。
その時利用したきっぷ(今はなき周遊きっぷ)が、両路線ともフリーエリア内であることもあって、広島市内→(可部線)→梅林駅→(徒歩)→玖村駅→(芸備線)→広島市内という行程にしてみた。
今にして思えば、列車本数は芸備線より可部線のほうが多く、徒歩の時間が読めないことを考慮すれば、玖村→梅林のほうが効率が良さそうなのに、どうして逆コースにしたんだろう? 我ながら分からない。(横川駅で路面電車から乗り継ぐため?)

可部線は、広島駅の西隣「横川駅」が起点ではあるが、全列車広島駅発着。
末端は他路線に接続しない、いわゆる”盲腸線”で、近年は末端部が廃止されたり、それを一部復活させようとしたりしている。広島寄りは都市圏内の交通手段として機能していて、昼間でも1時間に3本が運行されている。14.0キロの単線で電化路線。
広島駅から梅林駅までは12.6キロ、約30分。(元私鉄で駅が多いせいか、時間がかかる)

芸備線は、広島駅と岡山県の備中神代駅を結ぶ159.1キロの非電化ローカル線。
全線通して走る列車はなく、可部線同様広島市街地寄りでは都市圏の輸送を担っていて、区間運転を含めて毎時2本運行。
広島駅から玖村駅まで12.3キロ、約18分。


記憶をたどって、旅行記を始めます。
可部線の列車には、広島から乗ったか横川から乗ったか、どんな形式の電車だったのか、すっかり忘れていた。
時間帯のわりにだいぶ混んでいて、途中まで立っていたような記憶がある。
 あっけなく梅林駅に到着
写真から、乗った電車は「105系」の2両編成らしかった。(車掌乗務あり)
2010年頃から濃い黄色への塗装変更が進んでいて、災害後運転再開のニュースには黄色くなった105系が映っていた。
可部線の主力車両は105系で、朝夕は113系・115系も入るそうだが、先ごろ、広島地区にもやっと新型車両が入ることが明らかになったので、遠くないうちに変化があることだろう。

町の作りか、元私鉄だったという事情によるのか、梅林駅ホームは1面2線の島式の質素なもの。弘南鉄道大鰐線の弘前学院大前駅と大して変わらない(利用客数は別)。
先頭側の構内踏切を渡った山側に駅舎があった。
JR西日本直営ではなく、子会社の駅員がいる。休日は無人扱いになるようだ。
たしか自動改札機は未設置(IC乗車券は使えたはずだから、その装置はあったはず)で、女性駅員が集札していて、周遊きっぷを見せても動じずに通してくれた。(利用者が少ないきっぷを提示すると、慌てたり固まったりする人がいるものだけど)
駅舎はけっこう立派(間口は広いが奥行きはあまりない)
梅林という駅名は、かつて「八木梅林」があったことが由来。
近くに広島市立梅林小学校があるように、地名ではないもののエリアの呼称として認知されているようだ。秋田市の「高清水」のようなものか。

一部報道では、今回の被災地は「新興住宅地であり、無理な宅地開発が災害を招いた」とするものがある。知らない人には、山を切り開いたまったく新しく開発された土地だと思われてしまうかもしれない。
しかし、僕が現地を訪れて持った感想は、大都市・広島の市街地からは離れているものの、平地で瓦屋根の古めの家が多く、古くからの旧農村部が住宅地になった土地のように思えた。
実際には、その奥の山が宅地開発され、災害が起きて、それが下の古くからの町にも到達してしまったようだが、当時は山のほうには気が向かなかった。

土砂災害後には、「線路の向こうにピンク色の大きな家が奥に見える」場所からテレビ中継が比較的多く行われていた。おそらく、そこがいちばん被害が大きかったのだろう。
そこは、梅林駅から広島駅方向に500メートルほど戻った地点。
その途中の線路沿いには、避難場所になった梅林小学校もある。(大量の土砂に襲われなかったから避難場所になって授業も再開できたのだろうが、紙一重だったのかもしれない)
列車を降りた僕が歩いたのは逆方向だった。

ネットの情報をざっと見た限り、小学校同様、梅林駅も壊滅的な被害は逃れたようで、駅業務を再開しているようだ。
可部線は9月に入ってすぐに運行が再開されているが、今なおレール周辺には、流れてきた泥が堆積して乾いて固まって、枕木やバラスト(砂利)が見えないほどだそう。

梅林駅周辺は、簡単に言えば、山-住宅地-線路-道路-川という配置。
線路の駅舎と反対側(川側)には、歩道なし・対面1車線の道路が走っていて、路線バスも通る。沿道には、ちょっとしたお店やオフィスが点在する、地方都市の中心地から外れた一角によくある光景。
お食事処と会計事務所が見える

駅舎側
駅舎側の奥には、瓦屋根の昔からあるような家があり、(当時は意識しなかったが)その向こうに新しい住宅街があって、さらに山がそびえる。
駅舎の前は狭い道、その奥に山
駅舎の前には広場などなく、細い道路が住宅地と山のほうへ続いていた。
この時は、雨模様で山は煙っていた。今年8月20日には、山から道路を伝って大量の水や土砂が流れてきたのだろう。

梅林駅の1日平均乗車人員は、1200人ほど。30年ほど前は500人に達していなかったのが、平成に入ってから急増し、今も微増傾向。
この間に、山を削って宅地化が進んだということだろうか。


この時は、玖村駅に向かうことしか頭になく、梅林駅周辺はこの程度にして先を急いだ。
駅前の道路を川方向へ渡ると、すぐを国道54号線が並行し、さらに南東を太田川が流れている。

玖村駅へは、54号線を少し進んで曲がり、太田川に架かる橋を渡り、川をさかのぼれば到着する。直線では1.3キロだが、道のりでは2キロほど。
国道54号線
国道に出ると、カーディーラーや路面店【2023年5月10日訂正】ロードサイド店が建ち並ぶ、どこにでもありそうな幹線道路の光景。
上の写真では、線路の先・川の上流方向にも山が連なっている。当時も「けっこう山深いな」と感じた。安佐北区の方向だと思うが、これらでも土砂が流れたのだろうか。

県道271号線に架かる、長さ273メートルの「高瀬大橋」で太田川を渡る。
一級河川・太田川は下流で分流し、その1つが原爆ドームの前を流れる「元安川」である。
高瀬大橋手前で来た方を振り返る。斜面にも家が建ち並んでいる

高瀬大橋を渡る
高瀬大橋は、上流側に塔状のものが並んでいる。
これは「高瀬堰」というダムの一種で、ルーツは江戸時代からあった。高瀬大橋は高瀬堰の管理用通路を兼ねている。
川を越えると、安佐北区。安佐南区側よりも川近くまで山が迫っている。
安佐北区側から。対岸が安佐南区
川を渡ると、建物がほとんどなく、堤防に小さい道路が伸びるだけで、急に田舎へ来たよう。
上流側へ進み、高瀬堰を振り返る
堤防のすぐ外を芸備線が走っていて、玖村駅も見えた。
架線がないし、小さい駅なので目立たない
駅の近くになると、住宅地に入る。梅林駅側よりも新しい町並みで、店やオフィスは少ない。
梅林駅から30分ほどで玖村駅到着。
簡素な駅舎
玖村駅は無人駅。1日乗車人員は平成に入ってから1000人ほどをキープしており、梅林駅より“効率がいい”かも。近くに高校があるからだろうか。

期待していた、自動改札機の上のネコさんは…
不在!
※これは簡易型の自動改札機。扉がない上、周りがスカスカで、(ICカードの記録用としてはともかく)磁気きっぷ用としては、あまり意味をなさなそうだけど、JR東海やJR西日本の無人駅では、たまに見かける。
 ホームは1面1線、向かいは堤防
広島駅へ戻る列車は「快速みよしライナー」。2007年までは「急行みよし」だった。
全国各地でおなじみのキハ40系の2両(これは暖地向けのキハ47形)がワンマン運転で来た。
それなりに乗る人がいて、行きの可部線ほどではないが、わりと混雑していたはず。車窓を眺めた記憶がない。
快速を名乗るものの、ここから先は各駅に停車して、広島に戻った。


一見、地方の大都市としては珍しくもないような場所で、大きな災害が起きるとは思わなかった。
一度しか訪れていない場所で、もう訪れることはないかもしれない場所だけど、この先もずっと同じ町があり続けると、漠然と思っていたのに。
うまくまとまらないけれど、普通に人が暮らし続けられる町であり国であってほしい。


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