狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

干潟埋め立てか、人工島埋め立てか 経済的合理性とは

2009-01-16 07:51:29 | 未分類

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沖縄タイムス 2009年01月15日【夕刊】 社会 

泡瀬干潟に土砂投入/差し止め判決後 初/国が浚渫開始【01月15日】

泡瀬の人工島に投入する土砂をさらう浚渫工事=15日午前、うるま市州崎

市・県、支持表明


 【中部】沖縄市の泡瀬干潟埋め立て事業で、沖縄総合事務局は十五日午前、うるま市の中城湾港新港地区で、第一区域(約九十五ヘクタール)に投入する土砂の浚渫作業を始めた。浚渫地から第一区域まで船で運搬し、午後に土砂を投入する。昨年十一月に那覇地裁が同事業に対し、経済的合理性がないとして県知事と沖縄市長に新たな公金の支出差し止めを命じた後の本格的な埋め立て地造成工事となる。

 十五日午前九時から、海上で浚渫作業が始まり、土砂が運搬船に積み込まれた。現場には賛成、反対両派の市民団体が集まり、それぞれの主張を訴えた。

 予定では、三月末までに約十五万五千立方メートルの土砂を第一区域に投入する。

 東門美津子市長は「第一区域の工事は進めると表明している。今日から土地造成工事を始めることは連絡を受けたが、通常通りの流れで、特にコメントすることはない」と述べた。

 県の漢那政弘土木建築部長は「始まったのは国の事業だが、県としても粛々と進めていきたい」と話した。

 
同事業は、国が新港地区へ船が進入できるよう整備するため浚渫した土砂を、県、沖縄市が進めてきた人工島の土地造成のための投入土砂として活用しようと、一九九八年以降は三者合同で進められてきた。

 二〇〇二年に工事が始まり、〇七年度末までに第一区域九十六ヘクタールのうち、約六十九ヘクタールが外周護岸で囲われており、土砂の投入で埋め立て地ができることになる。

工事止めるべき

 五十嵐敬喜法政大教授(公共事業論)の話 判決が確定しない中、事業を進めるのは三権分立の一つである司法に対する挑戦だ。泡瀬干潟埋め立て事業訴訟の一審は極めて説得力があり、画期的な判決だ。国は被告でないとはいえ、工事を止めるべきだ。公共事業は、次年度以降の予算獲得のため、年度内の事業を何が何でもやろうという悪いシステムが出来上がっている。日本の公共事業は訂正するという概念がなく、一度着手した事業は、やり続ける。仮に事業がストップした場合、国への賠償や業者との契約撤回など、どこがどういう割合で負担するかというルールもない。国会でもっと問題にするべきだ。

                    ◇

2009年01月15日【夕刊】 社会 

工事開始 賛否で対立/泡瀬埋め立て/推進・反対派が集会/推進派・「美ら島の実現を」/反対派・「自然の埋め殺し」

 【中部】「自然の埋め殺しはやめろ」「美ら島を実現し不況打破を」。沖縄市の泡瀬干潟埋め立て事業の土砂浚渫工事が十五日午前、始まった。経済的合理性が欠けるとして、埋め立て反対派が一部勝訴した那覇地裁の判決から二カ月。うるま市の工事現場では賛否両派が約十メートルの道路を挟み、中止、推進を求めて声を張り上げた。

 泡瀬干潟を守る連絡会が呼びかけた抗議集会で、小橋川共男共同代表は「中部圏域の発展が工事の目的というが、司法は経済的合理性や展望がないと判断している。国や県、市は判決をしっかりと受け止めるべきだ」と工事中止を求め、怒りの声を上げた。

 集会には市民ら約三十人が集まった。沖縄市の桑江直哉さんは「泡瀬から沖縄の自然を守ろう」、泡瀬干潟「自然の権利」訴訟を支援する会の亀山統一代表は「工事が進むほど自然破壊が進む。まだ生きている命を守ろう」とマイクを握りしめた

 約五十人が駆けつけた推進派の集会で、市東部地域の発展を考える会の當眞嗣蒲会長は「工事再開を心待ちにしていた」と第一声。判決について「土地利用計画をきちんと示せばいい。温暖な気候を利用したスポーツコンベンションを建設しよう」と気勢を上げた。

 工事が始まった中城湾港新港地区に進出している企業の社長・桑江浩さんは「那覇に負けない港湾都市を造り、不景気で仕事がない現状を変えよう」と訴えた

2009年01月15日【夕刊】 社会 

[解説]/3者が真剣に議論を

 浚渫土砂の投入開始は、埋め立てという物理的な意味だけでなく、国、県、市の三者が、司法が待ったをかけた事業を、立ち止まらずに進める姿勢を示したと言える。

 見直しを迫られた土地利用計画は、早くて二〇〇九年度末に沖縄市案としてまとまる予定で、当初計画に従い進める工事と、本来前提となるべき土地利用計画の策定が同時に進行する形となる。

 控訴中の工事進行について「県と市は控訴しているが(国は)被告ではない」として工事を進める国側の考えは、新港地区の整備という国策事業を推進したいとする思いが垣間見える。

 判決を不服としてそれぞれ控訴した県と市も、一度走りだした事業を止めるわけにはいかないとの思惑があったのではないか。「第一区域は推進、第二区域は推進困難」を繰り返す東門美津子市長の方針も「消極的推進」の印象は否めず、真に事業の必要性や将来性を踏まえての判断だったのか疑問が残る。

 結審していないため、一審判決に工事を中断させる拘束力はないとはいえ、経済的合理性を欠く公共事業への司法の指摘は、立ち止まっての再考を求めたとも言えるはずだ。

 控訴審を控え、新たな土地利用の青写真も描けていないまま工事を進めるリスクは、市民が負うことになる。埋めてしまえば元には戻らない。二十年以上前に構想が打ち出された同事業が現在の県や沖縄市にぜひ必要なのか、今すぐ土地として埋めなければならないのか、三者が真剣に議論する必要があるのではないだろうか。(中部支社・比屋根麻里乃)

                                             ◇

同じ反対運動でも報道が派手な点では、昨日の宜野湾市の「巨大娯楽施設反対運動」と比べて大きな違いだ。

だが、タイムス記事は一面と社会面、両面のトップを飾る大きな報道の割には分かり難い記事だ。

「識者」の話を聞いても「解説記事」を読んでもピンとこない。

「解発か、自然保護か」という単純な見方でいえば、東門市長が開発派なのも分かりにくい原因。

それに、沖縄問題では通常は対立するはずの国、県、市が揃って開発賛成派なのも分かり難いが、

沖縄地裁が「経済の合理性が認められない」と判決を下しているのもよく分からない。

裁判官が法律の専門家だとは認めても、果たして「経済の合理性」の当否判断を下せる素養を持っているのか。

「お前は経済評論家か!」と、突っ込みを入れたくもなる判決だ。

そもそも、タイムス記事が分かり難いのは記事中に問題の発端である沖縄特別自由貿易地域の文字が見当たらないことにある。

特別自由貿易地域(FTZ)制度の創設は、十数年前のことで懐かしい故山中貞則氏の」名前も出てくる。

特別自由貿易地域、来年度から実施
<1997年12月13日 
【東京】沖縄経済の起爆剤として期待される特別自由貿易地域(FTZ)制度の創設は、12日の自民党税調沖縄対策小委員会(山中貞則委員長)で、進出企業の法人所得課税を35%軽減することを柱とする優遇税制の導入を決定したことから大枠が固まり、来年度からの実施が確実となった。

特別自由貿易地域がスタートすると、外国の大型船舶も出入りするが、特別自由貿易地域に面した新港地区は航路の水深が浅く、大型船舶の入港が難しい。

そこで、国は09年度以降もしゅんせつ工事を続け、12年度までに現在3―4メートルの水深を11メートルまで掘り下げて貿易港としてのインフラ整備を図る予定。

通常は、しゅんせつした土砂の廃棄にコストが掛かるところを、隣接する人口島の埋め立てに使えば、一挙両得、一石二鳥で「経済的合理性」は十分あると思われるのだが。

先ず、沖縄地裁の判決が意味するのは、特別自由貿易地域(FTZ)制度に「経済的合理性がない」のか、それとも人工島の埋め立て工事に「経済的合理性がない」のか、記事ではよく分からない。

「人工島の埋め立て」に経済的合理性がないというのなら、やはり裁判官は法律バカだと言わざるを得ない。

「自然保護」とか「干潟を守れ」といった「プロ市民活動」とは一線を画して「経済的判断」をすれば、人工島埋め立ては廃物を利用したこれほど「経済的合理性」に富んだ工事は他に見当たらないだろう。

「人口島埋め立て」と「泡瀬干潟埋め立て」では、同じ工事でも読者の受ける印象は違う。

埋め立て推進派は「干潟をすべて埋め立てるわけではない」と主張しているが、その声はあまり報じられない。

タイムス記事によると、当日反対派の集会に集まったのは30名だったのに対し、推進派の集会には50名と、推進派の方が多いではないか。
                                              ◇

沖縄タイムス記事はリンク切れが早いので、資料保管の意味で全文引用した。

沖縄タイムスは今朝(6日)の朝刊・社説でも「経済的合理性がない」と繰り返しているが、琉球新報記事の方が特別自由貿易地域にも触れて、工事の「合理性」をよく説明しているようにも思える。

⇒ しゅんせつ工事開始 泡瀬埋め立て(2009.1.15) カメラ ビデオ

沖縄タイムス記事は大きき扱ったスペースの割には問題の焦点がぼかされ、掛かり難い構成になっている。

 

【追記】10:55

沖縄タイムス社説をリンクとコピペしておきます。

[泡瀬埋め立て]
今は事業再検証の時だ

 中城湾港新港地区で、泡瀬干潟埋め立て事業の第一区域に投入する土砂のしゅんせつ工事が始まった。

 新港地区の港湾整備によって発生する土砂の処理・有効利用を図りたい国と、人工島建設によって地域活性化を図りたい沖縄市の思惑が合致し、国、県、市の三者が役割を分担しながら進めてきた公共事業である。

 だが、この計画に裁判所から疑問符がついた。

 「経済的合理性が認められない」―那覇地裁が泡瀬干潟埋め立て事業の費用対効果を疑問視し、県と沖縄市に対して新たな公金支出の差し止めを命じる判決を言い渡したのは昨年十一月のことである。

 判決は、経済的合理性が認められないにもかかわらず、工事が進んでいることだけを理由に工事が継続されるようなことがあってはならない、との考え方を明確に打ち出した。

 公共事業は、いったん工事がスタートすると、計画を中断したり取りやめることが難しい。実際、沖縄市の東門美津子市長も第一区域については「工事の進ちょく状況から考えて推進せざるを得ない」と語っていた。

 そのような公共事業のあり方に司法が正面から疑問符を突きつけたのである。

 地裁判決を受けて市と市民が一緒になって埋め立て事業を再検証していくことが重要だ。

 工事再開によって後戻りのできない状態がますます進むと、「結論ありき」になってしまい、冷静な議論が閉ざされかねない。

 沖縄市が「経済活性化の起爆剤」と位置づけてきた東部海浜開発事業は、二つの大きな問題を抱えている。

 泡瀬干潟に生息する貴重な生き物をどのように保護していくかという問題と、埋め立て後の土地利用計画の問題である。

 泡瀬干潟を埋め立て、約百八十七ヘクタールの人工島(第一区域約九十六ヘクタール、第二区域約九十一ヘクタール)を築き、大型ホテルなどを誘致してマリンリゾートを形成する、というのが当初の計画だ。

 だが、土地利用計画はバブル期に策定されたもので、現状にあわない。

 干潟を埋め立てての人工島づくりがほんとうに今、必要な施策なのか。「工事が進んでいる」という現状追認の理由だけで工事を進めると、将来に禍根を残すことにならないか。

 市はよくよく当初計画の中身を吟味してほしい。

 沖縄市では、保守革新を問わず、市と市議会の大多数が、こぞってこの事業を推進してきた。確かにその通りだ。

 だが、当初計画の策定当時と比べ経済環境が激変し、市民意識が変化しつつあることも事実である。ことは沖縄県の将来像や振興のあり方にもかかわる。

 工事再開によって推進派と反対派の対立が先鋭化し、「のぞましい地域づくり」のための議論が押しやられるのは好ましくない。強引な埋め立ては地域の対立を深めマイナスの結果しか生まないだろう。

 

 

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伊波市長宜野湾と巨大娯楽施設の癒着?! 地元紙の沈黙

2009-01-15 06:38:22 | 未分類

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米軍基地に隣接する「コザミュージックタウン」へのゲーム機設置に「教育上悪い」として反対する市民運動を、沖縄タイムスは社会面トップで派手に報じた。

Mタウンといえば米兵が女子中学生を「拉致した」と報じられた事件現場である。

沖縄タイムスの派手な報道は、何にでも反対の「プロ市民」の政治活動を、地元紙が扇動するパターンだと思い、

今さら何が「教育に悪い」だという思いで、このようにエントリーした。⇒拉致の街・コザミュージックタウン

ミュージックタウン騒動再燃! ゲーム施設に反対決議

ところが、同じようなゲーセン反対運動が、隣接する宜野湾市でも起きていると知った。

だが、県下で最大の巨大娯楽施設であるにもかかわらず、これに反対する運動を報じる地元紙は何故か腰が引けていた。

事態がよく飲み込めないままに次のようなエントリーをした。

イデオロギーか街の発展か ラウンドワン騒動

そして年が明けて・・・・・・。

沖縄タイムス 2009年01月13日【夕刊】 政治 

娯楽施設用途取り消し請求棄却 宜野湾市建築審査会【政治】

 【宜野湾】宜野湾市建築審査会(渡嘉敷勇会長)は十三日午前、市役所で会合し、同市西海岸地区で今年二月完成予定の複合型娯楽施設「ラウンドワン宜野湾店(仮称)」の用途を遊技場とする建築確認処分の取り消しを求める審査請求を棄却する裁決を下した。

 渡嘉敷会長は、棄却理由について「建築主が昨年十月、遊技場としていた用途を店舗に変更しており、訴えの実体がなくなっている」と説明。運営するラウンドワン(大阪府)が昨年十二月の公開口頭審査で、「遊技場への再度の用途変更もあり得る」としたことについて、同会長は「仮定の話であり審査対象にはならない」とした。

 一部市議が昨年七月、用途を「遊技場」とすることは市建築基準法施行条例に違反するとし、処分取り消しを求めていた。

                                             ◇

13日の沖縄タイムスは人には見られたくないような小さななベタ記事で「宜野湾市建築審査会」の裁定を報じた。

Mタウンの反対運動とは大きな違いだ。

地元紙がラウンドワンに関しては腰が引ける理由は何か。

どうやら、宜野湾市のラウンドワンと沖縄市のMタウンでは同じく革新市長を戴く街の「ゲーセン反対市民運動」でも、市民の質が違っていることが分かってきた。

沖縄タイムスの小さな記事はともかく、

これまでラウンドワンと伊波宜野湾市長の協約書締結の模様は写真入で報じていた琉球新報が、市民の反対運動はウェブ記事では報じていないではないか。

第3街区売却で協定書を締結したラウンドワンの鈴木正司店舗開発室長(左)と伊波洋一市長=13日、宜野湾市役所宜野湾市、ラウンドワンと協定書 西海岸第3街区(2007.3.14)

琉球新報は起工式の時も、このような宣伝記事を書いていた。

⇒ 宜野湾でラウンドワンが起工式 県内最大級娯楽施設に(2008.3.16)

県内初出店となるラウンドワンスタジアム宜野湾店地鎮祭であいさつするラウンドワンの吉田健三郎常務=15日、宜野湾市真志喜

 

冒頭のタイムス記事は反対運動側が、建築完成直前になって突如建築差し止めを申し出たような印象をうけるし、当初は筆者もそのような印象を受けていた。

だが、実際は平成19年4月18日に建築現場近くのかつチャーセンターで「巨大遊戯施設の進出に反対する住民大会」も行われている。 

主催者の「巨大遊戯施設進出反対実行委員会」は地域住民だけでなく、市内商工会、真志喜自治会、沖縄コンベンションセンターなどで構成されている。

ちなみに建築現場は、あの「11万人」集会が行われた宜野湾海浜公園、沖縄コンベンションセンターの目と鼻の先である。

そして、何よりも問題なのはこの地域はコンベンションセンターや中学校、高校が隣接する「コンベンションリゾート特別用途地区」に指定されており、

現在建設中の大型遊技施設は条例違反であるということ。

その実情を沖縄タイムスは「一部市議が昨年七月、用途を「遊技場」とすることは市建築基準法施行条例に違反するとし、処分取り消しを求めていた。」と、

まるで市の行政にいちゃもんをつける一部の反対運動であるかのような印象操作記事を書いている。

>建築主が昨年十月、遊技場としていた用途を店舗に変更しており、訴えの実体がなくなっている

ラウンドワンの営業種目が遊戯場であることは自明のことであり、これを承知で伊波市長は強引に遊戯施設のラウンドワンを誘致した。

条例違反を根拠に、建築差し止めが申請されると建築許可の営業種目を遊技場から「店舗」に変更して強引に建築を完成しようとした。

建築が完成してから本来の遊技場に再変更されることミエミエの姑息な手段ではないか。

訴えを受けた「宜野湾市建築審査会」は当然差し止めをするかと思ったら、なんと申請を却下するという。

>運営するラウンドワン(大阪府)が昨年十二月の公開口頭審査で、「遊技場への再度の用途変更もあり得る」としたことについて、同会長は「仮定の話であり審査対象にはならない」とした。

ということは、完成後遊技場に再変更しても、堂々と営業できるということになる。

こんなことがまかり通るなら条例違反の建築物でも、申請時は別の名目で許可を得て、完成してから本来の目的に変更しても「審査対象にならい」というお墨付きを「宜野湾市建築審査委員会」が出したことになる。

宜野湾市とラウンドワン側が、

「宜野湾市建築審査委員会」に手を廻し、条例まで踏みにじって強引に落成、そして営業に持ち込もうとする裏には、一体何があるのか。

こう勘ぐられても仕方ないだろう。

また、このように伊波市長とラウンドワンの胡散臭い動きを一切報じない地元紙には一体どのような思惑があるのか。

琉球新報は昨年までは、こんな記事を出して「遊技場から『店舗』へ変更」に疑問を抱いていたではないか

遊技場から「店舗」 宜野湾市真志喜ラウンドワン(2008.11.12)

 

ラウンドワンに対する住民運動に対し、地元紙が何故か消極的報道姿勢であるのに対し、全国紙は積極的である。

同施設に反対運動をしている宜野湾市議会の呉屋等議員のブログ市議会議員 呉屋等のブログ 新しい風!によると、地元の反対運動は地元紙は一切報じないが何故か全国紙が報じているという。

以下引用です。

大型遊技施設建設に待った!



10月14日に沖縄県庁におきまして「宜野湾市西海岸都市機能用地第三街区に建設中の大型遊技施設(ラウンドワン)」の建設は条例違反であると市議を含む有志11名で記者会見を行いました。

当日は、地元マスコミや全国紙の新聞に対して記者会見を行いましたが、地元紙はこの会見の報道をほとんど行っていませんでした。しかし、ある全国紙では、大きくこの問題を取上げて頂ましたので、ブログで紹介致します。

宜野湾市にあります。都市機能用地第三街区は、「コンベンションリゾート特別用途地区に指定されている地区における現在建設中の大型遊技施設、明らかに条例違反であり違法である。また、当該地区に遊技場が完成すると、児童・生徒の教育環境に相応しくなく、青少年の健全育成に悪影響・悪結果をもたらすのはあきらかである」

建設地は、真志喜中学校より120mしか離れていない。このため、市民は遊技場建設反対住民大会を行ったほか、同市内全小中学校PTAが反対署名活動1万3,691名の署名を実施、市長に提出して建設中止を求めたが、地域住民の声は全く無視されて建設は進んでいる。

この企業の誘致を答申したのは、市長の諮問機関である企業立地検討委員会(野崎四郎 沖縄国際大学教授)同日、市は土地の売却を決定。4日後には、市長が協定書をラウンドワンと締結。近隣住民への周知も無いまま、その6日後には土地売買契約書が締結された、異例のスピード展開だ。

市長は、議会での質問の答弁にラウンドワンは総合レジャー施設で、遊技場はその一部だと条例違反を認めていない。

ラウンドワンは最終事業計画で一階部分に当初予定されていた職業体験施設はなく、ゲーム機184台、パチスロ機44台が入る事になった

地域住民やPTA関係者が反対している大型遊技施設を進める市長。3ヶ月以上も建築審査会が開かれない市の現状。地元新聞が取上げない事実を。全国紙が取上げてくれて感謝します。  >
 
 
結局、沖縄市の「コザMタウン」のゲーセン反対運動と、宜野湾市のラウンドワン反対運動とは似て非なるものということが分かった。

何にでも反対の極左政治家・伊波宜野湾市長と、大型遊戯施設・ラウンドワンとの間にはどんな密約があったのか。

そして両者を結びつける接着剤の役割りの「宜野湾市建築審査会」の存在。

条例無視を無視した同審査会と伊波市長の胡散臭い動きを何故地元紙は大きく報じないのか。

革新市長の怪しい動きを見てみぬ振りで、報道しようとしない地元マスコミはおかしい、と思う方

クリックお願いします。

 

★お願い。

宜野湾市のラウンドワン建設について情報をお持ちの方
下記に連絡願えれば幸いです。

 ezaki@nirai.ne.jp 


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コメント (3)

橋下知事に振られた渡辺喜美

2009-01-14 07:50:33 | 県知事選

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自民を離党した渡辺氏は、1月中にも国民会議の準備会合するんとのこと。

昨日の辞任届けを提出したあとの記者会見。

開会前、記者団のカメラに取り囲まれ、辞任届けと声明文のコピーを掲げてカメラにポーズをとっているときが渡辺氏の絶頂の瞬間だったようだ。

用意したコメントを読み上げ「質問があればどうぞ」といったのだが・・・。

質問が殺到するのを期待したのだろうが、記者団は沈黙のままで気まずい沈黙。 やむ得ず本人がムニャムニャと何か言って場をつないだが。

記者団の沈黙のココロは、クールポコ 状況だったのだろう。

テレビの注目を当て込んだこんな人も「やっちまった」ね。↓

2次補正案で松浪健太氏棄権…自民想定外、党内引き締めへ (1月14日 03:07)

 

渡辺氏がいう「公務員改革」には異論はないが、もし本気なら

何故本人が担当大臣の福田内閣行革担当相のとき、福田首相にはしゃぎ過ぎと釘を指されたとき、離党届けを出さなかったのか。

また、そんなに志が高いのなら

2008年8月1日、福田康夫内閣改造内閣の発足に伴い行革担当大臣の首を茂木敏充氏にすげ替えられたとき、反旗を翻しても良かったではないか。

筆者は週刊誌は読まないが、ネット上に福田首相に釘を刺され腰砕けになる渡辺氏の週刊誌記事があった。

「週刊文春」2007年11月8日号「THIS WEEK 政治」が次のような記事を書いている。

大口を叩くけど打たれ弱い「政界の亀田」渡辺喜美大臣

 <「金看板だった公務員再就職の『人材バンク』構想は、福田首相が『閣議決定は直すことができる』と軌道修正を公言。風向きが変わったと見るや、渡辺氏が設置した有識者懇談会のメンバーたちまで、取りまとめ時期を遅らせるなどサボタージュを決め込みだした」(政治部デスク)

 公務員の労働基本権問題に関する有識者の最終報告だけは、渡辺氏が急(せ)き立てて十月下旬に出たが、内容は「団体交渉の協約締結権付与には五年必要」「争議権(スト権)付与は賛否両論併記」などと、渡辺氏の目論見より後退。「上からも下からもそっぽを向かれ、大臣とは名ばかりでやりたいこともできない飼い殺し状態」(自民党中堅議員)という身の上だ。

 しかも閣僚資産公開では、地元・栃木県の二千平方メートルを超える自宅建物が、株式会社「渡辺美智雄経営センター」の所有で、登記も十二年前に亡くなった父親名義であることが露見。法律違反でないにせよ、いくつになっても親掛かりでは「実像は暴れん坊というより甘えん坊」(同前)と言われても仕方ない。(「週刊文春」2007年11月8日号)

 

渡辺氏は自分がテレビで人気があるのを百も承知で、同じくテレビ露出の多い、橋下大阪府知事や東国原宮崎県知事と連携し、

テレビを味方につけたネットワークを組むつもりだったのか、手始めに地元栃木の福田知事に呼びかけたが丁重に断られている。

渡辺元行革相:離党問題 知事、冷静に受け止め /栃木

さらに連携の本命と期待した橋下知事にも、四時間も食い下がったが、これも断られている。

橋下知事、渡辺喜美氏から連携打診、4時間会談で拒否(12:05)特集:橋下知事の日々2009年1月13日12時5分

橋下知事、渡辺氏と府内で面会「ただちに運動に乗っかれない」1.13 12:18

大阪府の橋下徹知事は13日、自民党離党を表明した渡辺喜美元行革担当相と11日に大阪市内で会い、連携を求められたことを報道陣に明らかにした。
橋下知事は渡辺氏に「霞が関解体には賛成」と伝えたが、「僕は麻生政権を支えていくので、渡辺さんの運動に乗っかることはできない」と答え、連携については拒否したという。

 橋下知事によると、渡辺氏の秘書を通じて面会の打診があり、
11日に大阪市内で4時間ほど会ったという。
橋下知事は報道陣に
「(渡辺氏の)本当の意図は霞が関解体、公務員改革、分権。僕は考え方、軌を一にする」と強調。ただ、「僕は麻生政権を支えると宣言しているし、自民党、公明党との関係もある。渡辺さんは麻生政権に反発しているイメージで、のっかりにくい」などと語った。

 渡辺氏は12日に離党を表明し、地方議員や首長らにも呼びかけ、
政策集団の設立を目指す考えを示していた。(春日芳晃)



さて、残る東国原知事だが、ドンキホーテ化した渡辺氏との連携は断るだろう。

結局孤立化して、地元人気とテレビ人気だけは高い田中真紀子氏のような政治的には何の影響力もない「政治漫談家」になるのだろう。

渡辺議員ほぼ離党宣言、東国原氏と連携も

ちなみに「政治漫談家」とは、東国原知事の師匠のビートたけしが田中真紀子氏につけた名だから、東国原知事が渡辺氏と連携すると、よけい考え難い。

テレビのトーク番組で渡辺氏の造反のニュースを振られた女性タレントが「革命する人って素敵!」とバカなコメントをしていた。

話題になっているチェ・ゲバラの映画とダブったのだろうが、公共の電波を使ってこんなアホタレントのコメントを全国放送してよいものか。

渡辺喜美氏は、個人的には好感を持っていたが、首相が「定額給付金」や「即時解散」と野党やマスコミにボコボコにされて窮地に陥っている時に、野党の肩をもつような「定額給付金反対」「即時解散」を叫ぶようでは、彼も終わった。

マスコミに火を付けられ、自分で消せなくなった。

やっちまったね。

離党後は「二代目劇団ひとり」を襲名との噂もあるが、

田中真紀子氏とペアでも組んで「マキコとヨシミ」のテレビ漫才でもやれば視聴率は稼げると思う。

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コメント (3)

労働者の敵は労働者 ワークシェアリング

2009-01-13 07:59:51 | 県知事選

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昨日のエントリーで「麻生ヤメロ」と「朝青龍ヤメロ」は同じようなマスコミ誘導の結果だと書いた。

「朝青龍ヤメロ」は、相撲が嫌いか無関心なヤツがマスコミに煽られて大合唱しているという証拠は初場所での朝青龍への大声援だ。

「麻生ヤメロ」も、日本が嫌いなヤツか日本再生に無関心なヤツがマスコミに扇動されているに過ぎない。

その大合唱の結果がこれだ。

今朝の沖縄タイムスは社説だけでは足りずに、コラム「大弦小弦」まで使って「麻生ヤメロ」の大合唱。 

なるほど、タイムスは日本が大嫌だった。

コラムでは、麻生内閣を「麻生楽団」に例えて客席の10人のうち7人がブーイングを出しているとのこと。

コラムでは演奏中の指揮者を変えろというが、演奏内容が悪ければ批判することはあっても、演奏中に指揮者を変える話は聞いた事が無い。

演奏中とは予算案を通すこと。

麻生首相は、「朝青龍バッシング」と「初場所の大声援」の格差を考えれば、支持率など気にすることはない。

最後まで演奏をやり終えることだ。

                   ◆


 

労働者の敵は労働者である。

同じように、女性の敵は男性ではなく女性である。 

女性の真の敵が女性であることは,「妻と妾」や「嫁と姑」、その他多くの例を改めて示すには及ばないだろう。

労働者の真の敵が、マルクスが説くような資本家ではなく、実は同じ労働者であることを「派遣村騒動」が示した。 

「派遣村」に集まった年を越せない元派遣社員たちに、同じ労働者である連合は救いの手を差し伸べようとはしなかった。

連合が各地に所有する広大な連合会館を「年越し派遣村」の仮宿舎として元派遣社員に提供する話は聞かれなかったし、連合が炊き出しをしたという話も聞かなかった。

僅か18%の組織率でしかない連合所属の労働者は、「派遣村」の元派遣社員に関わるより、己の賃上げの方が大事なのだ。

「派遣を禁止して、派遣を正社員にしたらかわいそうな労働者はいなくなる」という甘い囁きは幻想である。

これは労働者間の格差が日本より著しく大きい韓国では既に証明されている。

それについては過去に「平和主義が戦争をもたらす 合成の誤謬」で触れたが、一部抜粋引用する。

先日のNHKスペシャル「ワーキングプアⅢ解決への道」で、
 
韓国政府が非正規社員の増加対策として、「非正規社員保護法」を立法した例を紹介していた。
 
その名の通り非正規社員を保護する目的の同法の趣旨は、
 
「企業は二年間非正規社員を雇用したら正規社員にしなければならない」という非正規社員にとってありがたい法律のはずだった。
 
だが、結果は逆であった。

 
大量の非正規社員を抱える韓国の有名百貨店は同法の施行の前に急遽300人もの非正規社員を解雇したというのだ。
 
番組では解雇された非正規社員のデモの様子を伝えていた。
 
個々に見れば非正規社員に有利なはずの法律も全体で見れば思わぬ結果をもたらすという点で、この例も「合成の誤謬」を連想させた。

 
非正規社員を正社員にすると、雇用コストが上がって逆に失業が増える。 

企業に組み込まれたDNAは非正規社員の待遇改善というより、コストを軽減させ、倒産を避けるという方向に走る。

「派遣切りはかわいそうだ」という人々の善意が、その逆の意図せざる結果をもたらす。

正規労働者と非正規労働者の格差が叫ばれるが、

「派遣切り」された元派遣労働者の中にもさらに格差が生まれる。

日曜日の「新報道2000」は、東京都に生活保護を申し込んだ元派遣社員が、「派遣村住民」の申請が殺到し手が廻らないという理由で断られた報じた。

「派遣村住民」は「黄門様の印籠」と同じ効き目を持つようで、他の派遣社員に優先するらしい。

年越し派遣村:207人に生活保護 千代田区が1カ月分支給、1人13万~10万円

                   ◇

連合を支持母体にする民主党は、派遣労働者の味方ではない。

なぜなら彼らを就職させると、労働貴族の連合の既得権が侵されるからだ。

既得権は何かって?

派遣社員大量首切りが社会問題となるご時世に、賃上げ要求が出来る「既得権」だ。

春闘:賃上げ巡り労使が対立--経団連フォーラム

だが、不景気時には賃上げよりワークシェアリングが時の流れ。

ワークシェアリングは、労働貴族の既得権を侵害する。

これまで「正社員クラブの会員」だけで食べていたピザを、「元派遣社員」の新規参入により彼らに分け与えなければならない。

これがワークシェアアリングだ。 労働者の敵が労働者になる仕組みだ。

 

連合も世論は気になると見えて、遅ればせながらミエミエのパフォーマンスを始めた。

生活危機:年越し派遣村、路線の壁超え結束 連合・全労連・全労協、裏方に徹し成功

 

【追記】 11:25

沖縄タイムスウェブ記事がアップされたのでコピペしまう。

沖縄タイムス 2009年01月13日 コラム 

[大弦小弦]

 音楽にコード進行という理論がある。楽曲の「調」に対して不安定な響きを持つ和音は、その後に続く安定した和音を導く要素となる▼政治の舞台でいま「麻生楽団」が奏でる調べは、さながら不安定な和音の繰り返しだ。指揮者のタクトはぶれ続け、楽団員の息はまるで合っていない。加えて定額給付金という不協和音が何とも耳障りだ▼客席の十人のうち七人からはブーイングが飛び出す始末。この楽章が早く終わってほしいと思っているのに、演奏はだらだら続いている。辛抱強い聴衆も、もはや限界で、そのいらだちはピークに達している▼そもそもこの楽団、自信をなくした指揮者が、断りもなく交代したことが迷走の始まり。代わった指揮者もすぐ煮詰まり、さらに指揮者を代えて、不評の楽章を終わらせ、起死回生を図ろうとした▼代わった指揮者のパフォーマンスは、ご存じの通り。十二日、全国の新聞など主要なメディアが報じた直近の内閣支持率は不支持が七割前後という危機的水準となった。これは、国民が退陣要求を突きつけたに等しい▼この国を漂う空気は、安定感のない浮遊した感覚だ。コード進行と同じように、不安定なままだと何とも落ち着かない。よどんだ空気を一掃し、颯爽とした序章を奏でられる指導者が、この国には必要だ。(久高将己)

                    ◇


ついでに「麻生ヤメロ」の社説も。

沖縄タイムス 2009年01月13日 社説 

[内閣不支持7割]
国民はそっぽを向いた


 内閣支持率は三割で「危険水域」といわれるのに、麻生内閣はその数字を大きく割り込み、19%台に落ちたことが共同通信社が十、十一日に実施した全国電話世論調査で分かった。

 支持率低下は全国紙の調査でも明らかである。朝日新聞19%、読売新聞の20・4%をみると、国民は麻生内閣に不信任を突き付け、早期の解散・総選挙を求めているといっていい。

 共同通信社の調べでは、内閣を支持しない人は二〇〇八年十二月調査の61・3%から8・9ポイント増えて70・2%になっている。

 就任後の十一月から三回の調査でここまで支持率が急落したのはなぜなのか。理由ははっきりしている。

 今回の調査からも分かるが、首相が緊急経済対策の目玉として打ち出した定額給付金を70・5%が「評価しない」と答えたように、緊急の経済対策として国民が求めるものと麻生太郎首相の考えには大きな隔たりがある。

 与党は、十三日には定額給付金を盛り込んだ第二次補正予算案を採決するという。だが、代表質問などでの答弁でもあれほどぶれた定額給付金を、なぜ強行採決で通そうとするのか理解できない。

 二兆円の財源を何に優先的に使うべきか―という問いに対しては、定額給付金は3・3%の回答しかなかった。

 ここは一歩立ち止まり、民主党などが主張するように補正予算と切り離す。その上で景気対策に必要な補正予算を与野党の論議で早急に通すことが重要だろう。

 衆院解散・総選挙の時期については33・7%が「今すぐに」と答えている。「二〇〇九年度予算成立後の四月ごろ」(32・7%)と合わせると66%以上が早期解散を求めているのである。

 首相にとって難しい判断が迫られるのは、民主党の小沢一郎代表と誰が「首相にふさわしいか」という問いに対し、小沢氏が46・4%で首相(22・1%)の二倍以上になっていることだ。

 今回の調査結果ではまた、自民党内にも衆院解散・総選挙が一層難しくなったとの見方が強くなっている。

 明らかなことは、「政局より政策」と強調する麻生内閣の経済政策や首相自身の指導力に国民がはっきりとNOを宣告したということである。

 もし解散・総選挙を先延ばしするのであれば、それこそ民意を無視した党利党略といわれても仕方がない。

 昨年末から派遣社員の契約打ち切りや新卒者の内定取り消しが顕在化し、「年越し派遣村」にみるように雇用対策への不安が噴出している。

 これこそ緊急に対応すべき問題であるはずなのに、二次補正の国会提出が遅れ、有効な施策を打ち出すことができなかった。

 このことも、麻生内閣が国民の信頼を損ねる理由になっているのは間違いない。

 このような麻生内閣に「百年に一度」といわれる世界的な難局に立ち向かえるのかどうか。国民の多くがそのような疑いを持っていることを、麻生首相は認識するべきだ。

 

 

 

 

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麻生ヤメロと朝青龍ヤメロ

2009-01-12 08:00:03 | 県知事選

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テレビのコメンテーターが、いかにいい加減かお「朝ズバ!」の杉尾コメンテーターが吐露した。 昨日の大相撲を見にいって、朝青龍が「意外に人気があったのには驚いた」そうだ。

ブーイングでも期待したのだろうが、「朝青龍がんばれ」の声援ばかりだったのこと。 

朝青龍フィーバーは「若貴以来」だとのこと。

テレビ世論と現実の差に驚いた様子。

テレビコメンテーターがいかにウソの民意を伝えていたかを杉尾氏は自ら白状したようなもの。

大相撲ファンは「朝青龍ヤメロ」なんて言ってはいない。

ヤメロの大合唱は、ウソつきテレビコメンテーターに煽られた「相撲に興味のない連中」だけだ!

 

今朝の沖縄タイムスは一面トップで、共同通信による世論調査を基に、麻生ヤメロの大見出し。

内閣不支持70%に拡大 

支持は19% 危機的水準

7割、給付金評価せず

 

2009年1月12日 朝刊

写真

共同通信社が10、11両日に行った全国電話世論調査で、麻生内閣の支持率は昨年12月の前回調査から6・3ポイント下落し19・2%となった。不支持率は8・9ポイント増の70・2%と森内閣以来約8年ぶりに70%を超えた。定額給付金については「評価しない」が70・5%と、昨年11月の同様の調査から12・4ポイント増加。「評価する」は23・7%(7・7ポイント減)だった。

何度も書くが解散は、数少ない首相の専権事項。

支持は19% 危機的水準」だって?

危機的水準なんて、誰が決めるのだ。

マスコミ主導の「辞めろ・コール」なんて、朝青龍バッシングのようなもの。

定額給付金を支給すれば支持率は回復する。

民主党は、その支持率アップが怖いのだ。

それで必死にマスコミ連動で定額給付金に反対しているのだ。

「7割、給付金評価せず」?

これもテレビが造り上げた虚像で、「朝青龍ヤメロ」の世論と同じだ。 

それとも筆者の周辺だけに「給付金賛成者」が集まっているというのか。

いや、野中広務氏の周辺も「子どもの人数を数えて、何時支給されるかと、指折り数えている家族が多い」という。

日曜日のTBS「時事放談」で、民主党と組んで麻生の悪口ばかり言っていた野中広務氏でさえも、「民主党が定額給付金を潰したら、国民の反発は民主党に向かう」といっていた。 

野中氏は麻生は憎いが、「テレビ主導の世論」と国民の声の乖離にやっと気がついたようだ。

テレ朝「サンプロ」でも田原総一郎氏は、給付金がバラマキと言われるのを嫌がっていた細田自民党幹事長に対し「バラマキが何で悪いと開き直ればよい」と発言し、

社民党幹事長は「定率減税なら賛成するのに、定額給付金に反対する理由は」と問われて、もごもご、ムニャムニャのブーメラン状態。

同じ質問にフジTV「新報道2000年」での鳩山民主党幹事長も定率減税なら賛成する理由を説明できなかった。 

定率減税では高額納税者の金持ち優遇になり、納税していない貧乏人には恩恵が及ばないことになる。

ちなみに、大金持ちのみのもんたは「定額」は即時中止して、「定率減税にすべき」だそうだ。

「定額給付金」に対してのマスコミ論調は「定額給付金」vs「○○景気対策、雇用対策」というように二者択一で迫るから、給付金反対との声が上がる。 

昨日のテレビ番組のように、各党代表で議論すれば国民も徐々にマスコミの印象操作から醒めてくる。

議論すれば目が醒める。 

田原総一郎でさえも「国民総反対」には疑念を持ち始めたようだ。

                     ◆

沖縄タイムス一面の続き。(共同配信)

麻生太郎首相と民主党の小沢一郎代表の「どちらが首相にふさわしいか」への回答は、小沢氏が46・4%(昨年12月調査から11・9ポイント増)で麻生氏の22・1%(11・4ポイント減)の2倍以上になった。国民の「麻生離れ」は危機的水準に達し、首相はより厳しい政権運営を強いられ、衆院解散・総選挙に踏み切る時期の判断でも一層困難を迫られることになった。>

時計代わりに見ている「朝ズバ!」でも、「麻生ヤメロ」のニュースを報道しているが、テレビは麻生氏のバッシングはしても小沢氏の「巨大不動産疑惑」については報道しない。

民主党の暗黒面を報道しないで麻生首相の言葉尻を捉え国民をミスリードすれば小沢氏が首相に相応しいと思う国民も増えるが、小沢氏は仮に民主党が政権を取っても首相にはならずに影で操る得意技を使うだろう。

首相になったらマスコミもこれが一斉に表面化してくるから。


 陸山会売却のマンション、取得の建設会社が安く売却 小沢氏不動産問題
 民主党の小沢一郎代表の資金管理団体「陸山会」が東京都港区のマンションの一室を平成19年秋、都内の建設会社に1300万円で売却し、この建設会社が1180万円で売り出していたことが明らかになった政治資金規正法では、営利企業による資金管理団体への寄付行為は禁止されており、自民党は、建設会社の差損が寄付行為にあたるとみて追及する構えを見せている。
 8日の衆院予算委員会で、自民党の葉梨康弘衆院議員が追及した。
 政治資金収支報告書などによると、陸山会は6年12月、東京都港区赤坂のマンションの一室(約17平方メートル)を購入。政治団体では登記できないため、所有者は小沢氏となった。陸山会は当初、外国人秘書の居宅に使用したが、13年12月末、政治経済を研究するコンサルタント会社と賃貸契約を結び、14年1月から5年9カ月間、月7万円、計483万円の家賃を受け取っていた。
 ところが陸山会は一昨年11月、1300万円で都内の建設会社に売却。この建設会社は、17、18両年、小沢氏が支部長を務める民主党岩手4区支部に100万円ずつ献金していた。
 葉梨氏は、建設会社がマンションを売却した際の差損について「プロの業者なら安く買って高く売るのが普通だ。献金という意識があったかどうか分からないが、経緯を自ら明らかにすべきだ」と述べ、小沢氏側の説明を求めた。
 また、葉梨氏は、小沢氏サイドが家賃収入をコンサルタント会社に返還したと説明していることも追及。「返還させたなら営利企業にただで使わせたことになり贈与に当たる可能性がある」と指摘している
 これに関連、鳩山邦夫総務相は「資金管理団体が企業に便宜供与や贈与することは政治資金規正法で想定していないが、ある意味で言語道断だ」と述べた。

 


都内の建設会社に1300万円で売却し、この建設会社が1180万円で売り出していたことが明らかになった。

建設会社が1300万円で買い、1180万円で売りに出すというのは、いかにも不自然。


外国人秘書

外国人秘書って、例の韓国人美人秘書のこと?

小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書

金淑賢さん=9日、東京(聯合)

 

 
こんな人物が、首相に相応しいとは、いかにマスコミ誘導の世論調査がいかがわしいかが分かる。
 
 
解散権を持つ首相が「応じる」というなら分かるが、
 
政局しか胸中にない小沢氏が「応じる」と言うのはおかしいだろう。
 
本当に日本の将来を考える国民なら、この時期に「麻生ヤメロ」とは言わない。
 
「麻生ヤメロ」も「朝青龍」も似たようなものだ。

  

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朝青龍激怒!

2009-01-11 16:53:26 | 県知事選

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朝のエントリーで今日はもう一本民主党のいかがわしさについて、エントリーの予定と書いたが、朝青龍応援に急遽変更です。

今日から大相撲初場所開幕だが、各テレビは「今場所は引退だ!」の大合唱。

横審の内館女史などは、去年のうちから

「朝青龍は私の中ではもう引退している」と笑いながら怒っていた。

お前は、剣四郎か!

笑いながら怒るについては

朝青龍?ほっといてくれ!内館委員の笑顔の怒り?

されにしても内館女史は、笑いながら怒っているのか、怒りながら笑っていたのか、良くワカラン。

 

朝青龍激怒!引退報道紙叩きつけた/大相撲 (1/2ページ)

2009.1.11 05:03
朝青龍激怒!引退報道紙叩きつけた/大相撲
初場所で締める黒いまわしをつけた朝青龍。痛めている左ひじにサポーターはなかった(撮影・周伝進之亮)【フォト】

 大相撲初場所は11日、東京・両国国技館で初日を迎える。強行出場することを決めた横綱朝青龍(28)は10日、都内の高砂部屋で最終調整を行った。3場所連続休場から再起をはかる場所だが、場所前から本調子とは遠い状態で、初日はここ6場所で2勝2敗の稀勢の里と対戦する。進退をかけた試練の土俵が始まる。

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                    ◇
 
テレビを筆頭にマスコミは「今場所は朝青龍の引退だ!」と大バッシングだが、その根拠が年明けのけいこ総見で、白鳳に負け越し、
 
「息が上がった」ことを指して稽古不足だからという。
 
 
そもそも、朝青龍の稽古不足にいちゃもんをつけたのは天敵内館女史だが、いくら横審でも横綱の稽古の内容にまで口を出すのは行き過ぎではないのか。
 
天下の横綱の稽古方針は本人に任すべきだ。
 
稽古も力士によって質・量が違うのは当然で、闇雲に量を多くすればよいものではない。
 
人間の筋肉には長距離型と短距離型があり、朝青龍は瞬発力の優れた短距離型の筋肉を持った力士。
 
だとしたら、長距離型力士のように稽古量を増やしても、上達するどころか怪我をする虞さえある。
 
これまでも朝青龍は「稽古嫌い」で知られており、量より質の稽古で横綱まで這い上がってきたことは周知のはずだ。
 
内館女史の朝青龍バッシングにマスコミが同調するのもおかしなもので、彼女は相撲愛好家ではあっても、相撲の稽古では一度も経験のないただの「相撲好きおばさん」に過ぎない。
 
朝青龍が稽古不足?
 
大きなお世話だ。
 
大相撲ご意見番を自認するやくみつる氏などは、「今場所は1勝3敗で引退だ」と公言しているが、全盛期は過ぎたとはいえ朝青龍はまだまだ強い。
 
ちなみに朝青龍の先輩横綱の引退前10場所の成績がどのようだったか調べたらこうなった。
 
 
先ず武蔵丸は、途中休場は負けとして計算すると全休4場所を含んで
 
合計で45勝45敗。
 
全休も負けとすれば、実に45勝105敗の惨憺たる記録だが、朝青龍のような「やめろコール」は聞かれなかった。
 
◆勝率は30%
 
その前の若乃花は、全休3場所を含んで51勝54敗で全休場所を負けとすれば
51勝99敗になる。◆勝率は38%。
 
 
では評判の悪い朝青龍の成績はどうなのか。
 
全休場所が3場所あるが、そのうちニ場所は本人の意図しない「出場停止」なのでこれを除外すれば、一場所全休を含んで
96勝39敗、全休を負けとしても96勝54敗に過ぎない。

◆勝率は64%である。
 
引退前10場所の若乃花が勝率38%、
武蔵丸が30%であることを考えれば、
朝青龍の勝率64%をもって「引退せよ!」は、
あまりにも理不尽な引退勧告ではないか。
 
内館女史の個人的好みの問題で、で天下の横綱の進退が決められてはたまったものではない。
 
マスコミがこれに同調して大騒動してよいものか。
 
今場所の朝青龍はかつての強さは影を潜めたとはいえ、依然として現在の相撲界では第一人者。
 
当日記は、やくみつる氏に反論して12勝3敗、悪くても10勝5敗は維持できると予想する。
 
 

そもそも内館女史は朝青龍のどかが気にいらないのか。

時は二年前に遡る。

朝青龍が「けたぐり」で稀勢の里に勝ったことに内館女史が「卑怯だ」と批判した。⇒「けたぐり」 横綱審議会は四十八手をしっている?

 

これに反発したのか横審のけけいこ総見で見守る横審の目前で朝青龍は「けたぐり」をやって見せた。

朝昇龍が横綱審議委員会に挑戦!

以後、内館女史は朝青龍の天敵となった。

さて、後一時間足らずで、朝青龍は問題の稀勢の里と対決する。

ここで冒頭の記事に戻るが、朝青龍が激怒した?
 
怒りをバネにして、
 
朝青龍頑張れ!
 
 
                  ◇
 
武蔵丸

①13–2
 
②10–5
 
③13–2
 
④4–2–9
 
⑤ 休場
 
⑥休場
 
⑦休場

⑧2–4–9

⑨休場


⑩3–5–7 (引退)
 
◆45勝-45敗(60全休)
 
 
若の花
 
①12–3
 
②9–6
 
③13–2
 
④5–5–5

⑤3–5–7
 
⑥休場

⑦7–8

⑧休場
⑨休場

⑩2–4–9 (引退)
 
51勝-54敗(45全休)
 

 

朝青龍


 
①14–1
 
②13–2
 
③10–5
 
④14–1
 
★出場停止

★出場停止

⑤13–2
 
⑥13–2
 
⑦11–4
 
⑧3–3–9
 
⑨5–5–5


⑩休場

◆96勝-39敗(全休15)


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続・異説沖縄語講座

2009-01-11 10:38:54 | 沖縄語講座

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昨日のエントリー「異説・沖縄語講座」の続編です。

午後に、「民主党のいかがわしさ」について、もう一本エントリーの予定です。

                  ◆

「花風」(はなふう)といえば沖縄に在住する人なら一度は目にしたことのある琉球舞踊だろう。

沖縄の色んな催しで披露されるし、県下に多数ある琉球舞踊研究所(舞踊教室)でも必修科目だという。

琉球舞踊には縁の薄い筆者も、遠い昔、高校の学園祭で同級生の女子生徒が踊るのを見た記憶がある。

「花風」は、琉球士族が親しんだ王朝舞踊に対し、雑踊りといわれ庶民の心情を表現した琉球舞踊の準古典と言われている。

とりあえず、踊りに合わせて唄う地歌の歌詞を紹介しよう。 (興味のない人はこの部分はスルーを)

 三重城に登て 手巾持ち上げれば  速船のならいや  一目ど見ゆる (花風節)

朝さも御側 拝み馴れ染めの  里が旅せめて 如何す待ちゆが (下出し述懐節)

(訳) 三重城に登って、別れの手巾をうち振っていたら、船足が速く一瞬しか見えないです。(花風節)

朝夕いつもお側に寄り添っていた方を旅立たせて、私はどのようにしてお待ちすればいいのでしょう。(下出し述懐節)

前段は花風節で、1人の遊女が愛する人を那覇港の先にある三重城(みいぐいく)で船送りをする様子を美しい所作で表現している。

紺地(くんじ)のかすりの着物をウシンチーという着け方をし、沖縄髪(うちなーからじ)を粋な形に結い、左肩に花染手巾(はなずみてぃさじ)、右手に藍紙の日傘を持って、別れのつらさを強調。

歌詞の「手巾持上げれば」で、左手で振る花染手巾の所作、「早舟の慣れや」で左手の花染手巾と、右手の藍紙の日傘の所作は、この踊りの見どころ。

後段は、「下出述懐節」(さぎんじゃししゅつくえーぶし)で、船送りした後の遊女の心境と家路につくやるせなさを、右手の日傘を使って、叙情的に見せる。

 歌詞の「里や旅しめて」で、日傘を開いて見せる所作と座って上手先への悲痛な目付(みじち)は、一幅の絵を見る所作といえる。

 

当日記は琉球舞踊の解説を目的としていないし、解説する素養も持ち合わせていない。

上記はすべて聞きかじりである。

では、一体ここで筆者は何が云いたいのか。

沖縄で現在日常の生活に慣れ親しまれている琉球舞踊にも、元を辿れば遊女、尾類にまつわる出自が沢山ある、・・・と云いたいだけ。 ただその導入部分が一寸長すぎただけ。

話が随分脱線したが、昨日のエントリーで触れた尾類馬行列に話を戻そう。

尾類馬行列に反対する女性団体の理由は、

尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでなく、

「尾類」という単語の文字そのものにあるような気がしてならない。

少年時代に読んだ冒険小説に「魔境の有尾人と言ったようなタイトルがあったような気がする。 

≪天外魔境に棲息する奇怪な有尾人を探索する波乱万丈の怪奇大冒険小説・・・・≫ と言ったオドロオドロしたイメージが記憶の隅にある。

そう、「尾類」という文字をを見たときの連想は、まさにこの奇怪な「有尾人」のイメージであった。

これは差別のイメージだ。

沖縄の方言で尻尾(しっぽ)のことを「ジュ」という。

それで「ジュリ」をそのまま「尾類」という漢字を当てた。

女郎の訛りが「ジュリ」という説もあるが、これは正確ではない。

話が突然変わるが、スペイン料理で「パエーリャ」と言う炊き込み御飯がある。

 ところが地域によっては「パエーヤ」、とも「パエージャ」とも言うらしい。

ここで音声言語学のウンチクを、・・・というつもりはないが「リャ・リ・リュ・レ・リョ」は「ヤ・イ・ユ・エ・ヨ」又は「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」に変化する事はよく知られている。

 「パエーリャ」はその例のひとつだ。 

これはスペイン語だけではなく、発音がスペイン語のローマ字発音によく似ている日本語にも例は多い。

西郷隆盛の弟西郷従道の本名が、隆道と云うことはあまり知られていない。 

それが従道に変わった経緯もこの音韻の訛りにあった。

隆道が明治新政府の役人に名前を名乗った時「サイゴウ・リュウドウ」と言ったのが、薩摩訛りが出て「ジュウドウ」に聞こえ、そのまま名簿に「西郷従道」と記録されたと言う。

本人も特に気にせず結局「従道」のままであったというから昔の人はのどかだった。

 「リュ」が「ジュ」に訛った例である。

 沖縄は慶長の「薩摩入り」以来薩摩の役人が多数沖縄に駐在した。

そのため沖縄方言は薩摩訛りの影響を受けた。 

特に「らりるれろ」の付く発音にそれが著しく見られる。 

標準語が昨今のように普及する前、家庭では方言しか話さない学童達は国語の朗読で苦労をした。

そのとき、今では見られなくなったが、道路の事を「ローロ」と発音する子供達が多くいた。

 ちなみに鹿児島市内に石灯篭通りと言う地名があり「イシズロ通り」と発音するらしい。(ローロが更にズロに訛った)

                  

 再び話を「尾類」に戻して結論を急ぐと

「ジュリ」は「料理」と書くのが正しい。

「リョウ」が「ジュウ」に訛った例だ。

 従って「ジュリ」が居る所「ジュリヌヤー」は「料理の家」つまり「料理屋」であり、言葉を変えれば「料亭」になる。

料亭だってその出自を問われれば現代では存在できなくなる。 

 「ジュリヌヤー」に勤める女たちの事を「ジュリ」というようになったのである。

だから「尾類」ではなく「料理女(おなご)」(ジュリ・イナグ)が正しい。

「ジュリの家」は単なる売春宿ではなかった。 

「料理屋」或いは「料亭」は元々料理を提供しそれを食しながら歌舞音曲を楽しむところであった。  

 そこで働く「ジュリ」と薩摩からの単身赴任の役人や士族の師弟とが恋に落ちるといった話も良くあった。

これが冒頭に挙げた「花風」や「述懐節」で唄い、踊られた風景である。

 因みに料亭という言葉は、元々沖縄方言には無い。

これに相当する料理屋をサカナヤー (魚屋)といった。

薩摩の影響でサカナヤーが料理屋になり、明治以降更に料亭となった。

≪サカナヤーは男の遊び所≫と言った言い回しがあるくらいだ。

 現在の常識で過去を断罪する事は人間の傲慢であり、大愚である。

「ジュリ」は尾類ではない。 料理のジュリからの転用である。

     ◇         ◇         ◇

★蛇足1:本稿は想像力で書いた随筆の類であり、学術論文でないことは云うまでもない。

★蛇足2:「尾類行列の中止」については塩月亮子(日本橋学館大学人文経営学部助教授 )がマジメな論文を書いている。

http://homepage2.nifty.com/RYOKO/jyuriuma%20ronnbunn.htm

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異説・沖縄語講座

2009-01-10 07:01:13 | 沖縄語講座

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当ブログを開設当初、沖縄語講座なる連載を続けていたが、政治ネタを書くようになって以来絶えて久しい。

講座なんて名乗ってはいても筆者は学者でもなければ、沖縄語の専門家でもない。

異説が多いゆえんである。

 

初期のエントリーに加筆して再エントリーです。

                 ◇

テレビのクイズ番組で「京都の三大祭は何か」という問いに、はたと考え込んだ。

答えは「葵祭」、「祇園祭」それに「時代祭」。

云われてみると、どれも聞き覚えはある。

が、改まって問われると、なかなか出てこない。

地元沖縄の祭りではないせいなのか。

いや、そうでもない。

沖縄にも三大祭りがあると云うが、これを聞かれると、何人のウチナンチュが正解できるやら。

沖縄の三大祭りとは、5月のハーリー(舟漕ぎ競争)、10月の大綱引き(那覇祭り)、そして2月の「尾類馬行列(尾類馬祭り)」を指すという。

ハーリーと大綱引きは、テレビでも放映され、沖縄観光の目玉として観光客にも知られている。

だが、尾類馬行列についてはあまり語られる事はない。

それどころか現在中止されているという。

中止の理由はその「尾類(ジュリ)」という言葉にある。



沖縄の解説本によるとジュリは尾類と書いて、女郎のこととあり、ジョロウがジュリに訛ったといえば一応の説得力はある。

だが、当日記ではこれに異を唱える。

女郎とは今では既にに死語になりかけているが、遊女、おいらん、娼妓のこと。 要するにかつての遊郭で、遊客と枕を共にした女のこと。

尾類馬行列が中止になった理由は、戦前は主に経済的理由であったらしい。

景気が良くなれば行列をケイキよく繰り出し、不景気になればフケイキ面して中止する。

話は明快だった。

ところが沖縄の施政権が返還され、沖縄県になってからの中止理由は簡単明瞭にはいかなくなった。

婦人団体が「尾類行列祭りの存続は公娼制度の復活につながる」と、尾類行列に反対運動を起こしたのだ。

勿論、その一方、尾類行列存続を訴える意見もある。

自治会や市の観光課が、「観光振興・地域活性化」と言う理由で尾類馬行列の復活を訴えているらしい。

だが現在中止されているところを見ると、反対派の意見が勝ったようだ。

観光振興だけでなく、伝統保存の立場からも復活を望む声もある。

こういうとき検索が威力を発揮する。

2003年3月23日の沖縄タイムスのオピニオン面に「ジュリ馬行列は立派な芸能」と題する屋部邦秀(65歳)さんという方の投稿があった。(★文末に転載)

その中で尾類馬行列を「売春云々」の面だけを捉え、伝統芸の面を無視してはいけないと主張しているが頷けるいけんである。

この手の問題で、反対派の婦人団体に対抗するのは容易な事ではない。

議論が熱すると、話が一気に飛躍する。

「では、貴方は売春制度を支持するのか」

「貴方は女性差別主義者か」

更に論理を超えて感情的になると、もうお手上げだ。

「貴方の趣味は買春か」に始まり、挙句の果ては

「エロオヤジ」、

「女性の敵」

と罵声を浴び、自宅を婦人団体の糾弾の声で包囲されかねない。

話は多少大袈裟だが、ご婦人方を敵に回すのことは、かくも恐ろしい事だという覚悟は必要だ。

戦後、学校で剣道の部活に反対する婦人団体があった。

いわく「剣道は人殺しを練習する術だから反対」ということだった。

これに異論を唱えると、さー大変。

「人殺しを認めるのか!」

「戦争を賛美するのか!」

「軍国主義者!」

といった感情論で大変だったようだ。

東京都の「はとバス・おいらん道中ツアー」の例を待つまでも無いが、

現代の常識で過去の伝統行事の是非を判断するのは愚だ。

伝統歌舞伎だって元を辿れば、遊女歌舞伎から始まったという。

第一、「歌舞伎者(カブキモノ)」という悪いイメージの言葉さえあるくらいだ。

お座敷遊びについては、ウンチクを傾けるほどの知識は無いので、映画などの受け売りだが、

今では京都観光のシンボルともなっている花柳界でも、旦那とか身請け、借金による身売り(人身売買)など、今の常識では許せない言葉が飛び交う。

いうまでもないが、それらを根拠に現在の舞妓さんや芸子さんの出自を問うのは愚かなこと。

唐突に結論を急ぐ。

尾類馬行列に反対する女性団体の理由は尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでない。

「尾類」という漢字の当て字にある。

「尾類・・・有尾人・・・」と言った奇異なイメージが許せないのだ。

では、ジュリの正しい漢字は?

料理(リョウリ)と書く。

語源的には、料理と書くのが正しい。

その解明は次回に譲る。

(続く)


                  ◇


★≪[わたしの主張あなたの意見]/「立派な芸能」ジュリ馬行列/屋部邦秀=65歳

 二月十一日の辻自治会の紹介に、三百年以上の伝統を誇り、那覇の三大祭りの一つであった「ジュリ馬行列」が「売春肯定になる」との批判から市の補助も絶たれ、その伝承に苦労している、とある。

 「売春云々(うんぬん)」の考え方を否定はしませんが「ぜひ伝承していきたい」と懸命に努力なされている人がいることも考えてほしい。


 なぜ「売春云々」になるのか。もし、ジュリの踊りだから、というのであれば、金細工や花風の歌や踊りもジュリの歌、踊りだが「売春云々」の話は聞きません。むしろ、立派な芸能として、歌い、踊られているのでは。ジュリ馬行列も立派な芸能と考えます。


 異なる考え方を受け入れる寛容さが社会をつくるための大切なことでは。私の考えが正しい、ほかはだめ、否定、抹殺すべきである、ではいびつな社会にしかならない。


 私たちの時代で途絶えさせることなく、次の時代にも確実に伝承させなければならない「立派な芸能」と考えます。(那覇市) ≫

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「琉球処分」が沖縄タイムスの今年のテーマ?

2009-01-08 07:55:33 | 歴史

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現在でいう国という概念が日本に定着するのは明治期になってからである。

国という言葉は古くは「大国主の尊」にみられるが、戦国時代の国や司馬遼太郎の『国盗り物語』で盗リあいをした国々は、現在で言えば県と県が侵略しあっていたことになる。

ちなみに「国」のつく言葉は思いつくだけでも、「国訛り」「お国言葉」「(殿様の)お国入り」などがある。

ちなみついでにもう一つ挙げると、川端康成の名作『雪国』に出てくる有名な冒頭の一節「国境のトンネルを抜けるとそこは雪国であった」に出てくる「国境」は「くにざかい」と読むのが正しい。(・・と思うが、確証はないので詳しい方教えて)

それが明治期になって、それまで国といわれた各藩が中央政府によってすべてを没収されることになる。 

侵略史観に立てば明治政府による地方国家の侵略であり、琉球王国が琉球藩、そして沖縄県と明治政府に組み込まれていくのも侵略だということになる。

さて、今年の沖縄タイムスは「沖縄が日本の一部に組み込まれていく状況」がテーマのようで、今朝の朝刊文化面も連載企画の第四回で「琉球処分」と大見出しである。

「琉球処分」とは琉球から沖縄に代わる際の行政手続の様子をいうが、「恨み史観」で見ると遠く慶長の「薩摩の琉球入り」を称して「第一次琉球処分」、明治期のそれを「第二次琉球処分」そして大戦後の米軍統治下の沖縄を「第三次琉球処分」と呼ぶらしい。

三つの「処分」に共通するのは「恨み史観」である。

以下は「琉球処分」に関する1年前のエントリーの再掲です。

                   ◇

 

■ 「琉球処分Ⅲ」■

「琉球処分」も廃藩置県も日本各県が経験したという視点で見れば日本史流れのの中の共同体験だと言うことが出来る。

廃藩置県は全国諸藩の意志に関係なく、反対する藩があれば容赦なく武力で討つという明治政府の威圧の元に断行された。

その意味で言えば、確かに「琉球処分」は廃藩置県の一種だといえなくもない。

明治維新の原動力となった薩長土肥の下級武士は出身藩の兵と資金でもって幕府を倒した。

それにも拘らず、倒幕から成立した明治政府によって倒幕を支援した藩そのものも潰され、更には武士の誇りも特権も経済基盤である禄高制さえ取り上げられ四民平等の「国民」に組み込まれた。

自分の資金と人材により幕府を倒し新政府を作ったら、その新政府が今度は自分の全ての権益を取り上げ更には解体を迫る。

倒幕派の藩主から見れば、歴史上これほどバカバカしい話はない。

現在の例えで言えば投げたブーメランに己が身を打ち砕かれたようなものだろう。

島津藩主久光が家来の西郷隆盛や大久保利通が突きつけた「廃藩置県」の断行に怒り狂った気持ちは一世紀以上の時を隔てても理解できる。

明治の群像を『飛ぶが如く』や『坂の上の雲』でみずみずしく描いた司馬遼太郎氏は、

「琉球処分」という言葉が多くの琉球史では一見琉球のみに加えられた明治政府の非道な暴力的措置のように書かれていることに疑念を投げかけている。

「(琉球処分と)同時代に、同原理でおこなわれた本土における廃藩置県の実情については普通触れられてはいない。 つまり、本土との共同体験としては書かれていない。」(「街道をゆく 6」)

琉球が特殊な歴史・文化を持っていることは認めても、「琉球処分」はウチナーンビケン(沖縄独特)ではない。

日本史の明治国家成立の過程で見られる普遍的な歴史的現象だというのである。

琉球の場合は、歴史的にも経済的にも、本土の諸藩とはちがっている。 更には日清両属という外交上の特殊関係もあって、琉球処分はより深刻であったかも知れないが、しかし事態を廃藩置県とという行政措置にかぎっていえば、その深刻のどあいは本土の諸藩にくらべ、途方もない差があったとはいえないように思える。」(「街道をゆく」⑥27頁)

しかし、このように「琉球処分」を琉球独自の歴史ではなく日本史の中の明治維新の一過程と捉える司馬氏の歴史観には沖縄の左翼歴史家は猛然と反発するだろう。

その例が先日取り上げた某大学講師の、

琉球は日本ではないのだから、琉球処分は明治維新の国造りの過程ではなく、海外侵略である」という論である。

その論に従うと「琉球処分」は無効だという。

煩雑を承知で、その無効論を再引用する。

<「人道に対する罪を構成」

戦争法規の適用

では、日本による琉球統治は正当だったのか。 日本が琉球の領土支配正当化するためには、日本が琉球を実行支配してきたか、もしくは琉球人に日本人としての帰属意識があることを証明する必要がある。

紙幅の関係上結論を先に述べると、日本による琉球の日本の領土編入は、国際法上の主体である琉球の意志を無視した、明治政府による暴力的で一方的な併合であり、国際法上大きな疑義があるということである。(上村英明『先住民族の「近代史」』>(琉球新報 1月15日)

このような論が当時から沖縄に存在するのを司馬氏は先刻ご承知のようで、自分で表立って反論せずに沖縄民俗学の大家・比嘉春潮氏の著書からの引用でやんわりと対処している。

<何にしても、私は10年ばかり前では、沖縄と本土とが歴史を共有しはじめた最初は廃藩置県からだ、とばかり思っていた。 しかし、そのことはすこしのんきすぎたようでもある。 ホテルの部屋にもどって~ベッドの上に寝転がっていたが、このことを考えはじめると、眠れそうにない。 
雑誌「太陽」の1970年9月号に、比嘉春潮氏が「沖縄のこころ」という、いい文章を寄せておられる。

≪沖縄諸島に日本民族が姿をあらわしたのは、とおく縄文式文化の昔であった。 このころ、来た九州を中心に東と南に向かって、かなり大きな民族移住の波が起こった。 その波は南九州の沿岸に住む、主として漁労民族を刺激して、南の島々に移動せしめたと考えられる。 この移動は長い年月の間に、幾度となくくりかえされた。 そしてここに、言語、習俗を日本本土のそれと共通する日本民族の1支族ー沖縄民族が誕生する。≫

沖縄人の由来について、これほど簡潔に性格に述べられた文章はまれといっていい。 さらに「沖縄民族」という言葉については、氏はその著『新稿沖縄の歴史(三一書房)の自序において、「フォルクとしての沖縄民族は嘗て存在したが、今日沖縄人はナチオンとしての日本民族の1部であり、これとは別に沖縄民族というものがあるわけではない」と、書いておられる。

日本民族の中における沖縄人の巨視的関係位置はこの優れた民族学者のみじかい文章で尽くされているわけで、いまさら私が、那覇の町で思いわずらうこともなさそうである。
しかし、という以下のことを書く前に、1氏族が1社会を構成する前に歴史の共有ということが大きい、ということを、つい思わざるをえない。 日本の本島のなかでも、歴史をすみずみまで共有したのは、さほどの過去ではない。 例えば奥州の青森・岩手の両県が九州の五島列島とおなじ歴史の共同体験をするという時代は、秀吉の天下統一からである。(略) 豊臣政権下で大名になった五島氏は、明治4年の廃藩置県で島を去り、東京に移された。 旧藩主を太政官のおひざもとの東京に定住させるというのは、このとうじの方針で、薩摩の島津氏の当主忠義も、長州の毛利氏の当主も東京にいわば体よく長期禁足されていて、丘陵地に帰ることを許されていない。 このことは最後の琉球王尚泰においても同じである。>(「街道をゆく 6」)

大きな流れで言えば沖縄民族は日本民族の支流である、の一言で某大学講師の「琉球処分=違法な植民地侵略」論を粉砕している。

それでも司馬遼太郎氏は「共同体験をしたから結構だといっているのではない」と断り書きを入れて、

琉球藩が廃藩置県以前、250年にわったて薩摩藩から受けた「痛烈な非搾取の歴史」を述べて日本史上他の藩と異なる特殊性を完全に無視はしていない。

司馬氏は「司馬史観」と呼ばれるリアリズムを歴史小説のバックボーンにしており、

封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新を高く評価する。

その歴史観によれば「琉球処分」も日本が近代国家建設のため中央集権国家を作っていく合理主義つまりリアリズムの産物であり、肯定的な見方をしている。

■「鉄の暴風」に毒された「司馬史観」■

一方で、「司馬史観」は昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定して自虐史観に陥っていく。

沖縄史に関しても明治期の「琉球処分」では日本の発展していく過程の歴史共有(廃藩置県)として前向きに捉えていたのが

「沖縄戦」となると突如大江健三郎氏と同じ軸足で歴史を見るようになるから不思議だ。

「街道をゆく 6」でも「琉球処分」を述べた後に次のようなくだりがある。

<太平洋戦争における沖縄戦は、歴史の共有などという大まかな感覚のなかに、とても入りきれるものではない。
同国人の居住する地域で地上戦をやるなど、思うだけでも精神が変になりそうだが沖縄では現実におこなわれ、その戦場で15万の県民と9万の兵隊が死んだ。
この戦場における事実群の収録ともいうべき『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)という本を読んだとき、一晩ねむれなかった記憶がある。>(「街道をゆく」6-1978年刊)

なるほど、『デマの暴風』とも言われる『鉄の暴風』を、沖縄戦の「戦場における事実群の収録」として読んだら流石の司馬遼太郎先生も精神が変になりそうで、大江健三郎を彷彿させる逸話を書く羽目に陥っている。

ところで大江健三郎氏の「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、」という有名な文を書いたのは昭和33年だが、

司馬遼太郎氏が『鉄の暴風』を読む以前にこの文を読んでいた可能性はある。

司馬氏はRさんという在日朝鮮人らしき人の口を借りて、沖縄人にも「帰るべき祖国がない」といったことを言わしている。

■大江健三郎にも毒された「司馬史観」■

<ごく最近、古美術好きの私の友人が、沖縄へ行った。彼は在日朝鮮人で、歳は50すぎの、どういうときでも分別のよさをかんじさせる人物である。

彼は帰ってきて、那覇で出会った老紳士の話をした。 私の友人はRという。
ーーRさんはいいですね。
とその老紳士は、しみじみとした口調で、「祖国があるから」と言った。相手が日本人ならば、このひとは決してこうわ言わなかったにちがいない。 
この話をきいたときの衝撃は、いまなおつづいている。 自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いがした。>(「街道をゆく 6」)

沖縄人の立場から言わせてもらうと、司馬氏が「街道をゆく 6」を出版した1978年の時点で、この沖縄の老紳士のように「祖国がない」と考える沖縄人は特殊な思想の人々はともかく普通の県民ではとても考えられないことである。

それにしてもあれほどリアリズムで歴史を見てきた司馬氏が、

沖縄の地上戦のことを考えて精神が変になりそうになり

『鉄の暴風』を読んだら一晩眠れなくなってしまう

あげくの果てには司馬氏は、沖縄の老紳士の話を伝え聞いて、

衝撃が続き、自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いをしたと述べている。

■帰るべき祖国とは■

文中の沖縄の老紳士の特殊な思想に影響を与えたと思われる大江健三郎氏の文を下記に引用する。

<結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった> (わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭36年3月号)>

このお方、日本人であることを放棄しているのだろうか。


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謝るなら最初からしゃべるな!坂本「問題発言」

2009-01-07 09:29:44 | 県知事選

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坂本哲志 総務政務官が問題発言 ─ 自民党 有権者意識とのズレ(01月06日09:02)
[耳より情報]

 坂本哲志・総務政務官(自民)の発言が波紋を呼んでいる。5日、総務省の仕事始めにあたっての挨拶で、同日閉鎖された東京・日比谷公園の「年越し派遣村」を引き合いに「本当にまじめに働こうという人たちが集まっているのか」としたうえで「(学生運動のような)『学長出て来い』、そういう戦略のようなものが垣間見える」と語った。
 同日「年越し派遣村」が閉鎖され、派遣労働者らが国会までデモ行進、雇用や住居の確保などを求め請願を行なうなどの動きが注目される中での発言だった。
 
派遣労働者に対しては、正規雇用を求めてもなかなか就業できず、「やむなく」というケースが多いのも事実。しかし、自民党内や財界には「好きで派遣を選んだ」とする批判的な見方も多い。(略)
                 

経済学者は「ある一定の条件」を設定して屁理屈をこねると書いた。

環境が急変し「条件」が大きくずれると、経済学者の予測は占い師より外れる。

「派遣村住民」と一定の概念(条件)で一括りすると判断を誤る。

人間が300人も集まればそれこそ、「人それぞれ」で事情は夫々異なる。 人間は金太郎飴ではないのだ。

急激な経済環境の変化に対応できず困窮する人がいるのが事実なら、派遣村はそれなりの意義はあるはずだ。

「派遣村住民」の中には突然の派遣切りで本当に「食う寝る」所に困窮した人もおれば、職を選んでいる余裕のある人もいるだろう。 中にはマスコミの過剰報道に便乗して「派遣村住民」を利用していると聞く。

坂本哲志・総務政務官の発言は「派遣村」の一面を鋭く突いており、マスコミや野党が色めき立って騒ぐほどの「問題発言」とは思えないが、当然マスコミが騒ぎ出すと読めなかったことは政治家としてKYだった。

マスコミの扇動で野党が大喜びで食いつくことに気が付かなかったのか。

それにしてもたった1日で腰砕けで謝罪とは情けない。

坂本政務官が謝罪、発言撤回 「関係者に迷惑かけた」   01/06 11:38  

坂本発言の当日の朝の「みのもんた朝ズバ!」で、「年越し派遣村」の ニュースの後、みのもんたはハローワークの談話として

「職の求人はけっこうたくさんある、と。だけど『アレがいい、コレがいい』となると、なかなか決まらない面もある」

「もちろん政府は努力すべきだけど、派遣を切られた、職がないといった方たちも努力しないといけないでしょうね。権利だけ主張して『住居を、食べ物を』と言うけれど、仕事があるなら、(気に入らなくても)とりあえず仕事をしたらどうなのかと思うことがある」

ん?

坂本氏は、その日の「問題発言」の前、「朝ズバ!」を見ていて、みのもんたの発言でソノ気になったのでは?

だとしたら、坂本氏はみのもんたにはめられたのか、それともTBSの釣りにひっかかったのか、いずれにせよだらしない。

みのもんたがマスコミを代表しているから大丈夫と思ったのか。

同じ5日の「週刊!木村剛に「派遣村」についてみのもんたと同じような意見があるが、この方が説得力はある。

ただ、「年越し派遣村」に限定して申し上げると、日比谷公園のテントでわざわざ年越しをする必要があるのだろうか、というそもそものところから、やや不自然なものを感じます。政治活動を主目的に活動している方がいるような気がしてなりません。故郷があるのなら、帰省のための交通費を貸してあげた方が親切なのではないでしょうか。職探しに東京に出てきたというのなら、年末年始という時期でなく、地元でそれなりに準備させながら、就職先候補を探してあげて、可能性の高い職場を案内してあげた方が親身なサポートになります。わざわざ日比谷公園に連泊させる必要はないはずです。
 実際、東京の飲食業やコンビニでは、今でもバイトを大量に募集しています。だから、内定取り消しにおいても多くの企業が救いの手を差し伸べました。年越し派遣村の方々にもチャレンジしてもらうように橋渡しすべきです(チャレンジしても謝絶されるのであれば、その根本の理由を解決すべきです)。当然のことながら、東京出身で両親も家屋もないという本当に可哀そうな人々であれば、国家として正式に生活扶助を施すべきです。
 「派遣切り」というインパクトのある言葉にエクスタシーを覚えて、それで、「派遣労働者を切るのはケシカラン」という情緒的な報道を垂れ流すだけで、雇用環境が改善されることはありません。悲しいながら、それが現実というものです。そして、厳しい現実を直視できずに逃避しても、その方々の境遇が改善することはありません。

ひょっとして、坂本氏は朝このブログを読んでソノ気になったのか、その日の仕事初めの挨拶で「問題発言」をしている。

いずれにせよ、野党は坂本発言が問題というなら、早急に「定額支給金」を含む予算案を通過させるのが理屈ではないか。

「派遣村住民」に関してもマスコミ情報とネット情報の格差は大きい。

                                            ◆

困っている人がいるときに、政府が救援の手を差し伸べることはがあっても、それはあくまで緊急避難であり、忘れてはならない重要なことがある。

それは、日本は社会主義国ではないということ。

政府が食べ物や寝る場所を面倒を見るの当然といった風潮が蔓延すると、要求がどんどんエスカレートしてくる。

厚労省が講堂を開放したことに異議はないが、「厚労省だから当たり前」という態度はおかしい。

遂には新年会をするのはおかしいというものまで出てくる始末。

新聞報道にはないが、テレビのインタビューで

「自分等がこんなに困っているのに、新年会で酒飲んでいる場合ではないだろう」といきまいている「派遣村住民」?もいた。

「何もしないのか?」と抗議 派遣切りなどで財界の責任問う 派遣切り」などで職を失った非正規労働者や支援する労組メンバーら約40人が6日、日本経団連など経済3団体共催の新年祝賀会が開かれた東京都内のホテル前で、「何もしないのですか?」などと書かれた紙を持ち、財界の責任を問う抗議行動をした。

 ホテル前の路上に並んだ参加者は「労働者の生存権が脅かされているのに、財界だけ何もしないのはおかしい」「膨大な企業の内部留保を雇用対策に使うべきだ」と次々に発言。「生きるために闘うぞ」とシュプレヒコールを上げた。

 参加者は、今後の対応などについて、日本経団連の御手洗冨士夫会長あての公開質問状を提出する予定だったが、経団連側は受け取りを拒否。参加者の1人は「紙1枚をなぜ受け取れないのか。わたしたちは人間扱いされていない」と不満を漏らした。
2009/01/06 18:15   【共同通信】

                    ◇

社会主義の要諦は、ある意味妬みである。

「贅沢」をする人を、妬み羨みそして最後は罵倒する。

自分は「居酒屋で飲む」といいながら、首相が「高級ホテル」のバーで飲むことを一斉に揶揄・罵倒した「世論」のいやらしさ。

これは社会主義のいやらしさだ。

そもそもホテル内に、それなりのバーの設備があるのは高級ホテルに決まっているはずなのに、ことさら「高級」と但し書きを付けるところにいやらしさがある。 

筆者が世間知らずなのか、ビジネス・ホテルでバー設備があるホテルを知らない。自動販売機でビールを買ったて飲んだ記憶はあるが。

経済界のトップが新年会で酒を飲む場に抗議のシュプレヒコールをあげるヤツがいる。

首相の「高級ホテルのバー」での飲食に抗議することに相通じるいやらしさだ。

>「労働者の生存権が脅かされているのに、財界だけ何もしないのはおかしい」「膨大な企業の内部留保を雇用対策に使うべきだ」

これも妬みが凝縮された社会主義のいやらしさだ。

彼らの理屈に従えば企業は潰れるまで利益を吐き出し労働者を救済し続けなければならない。

「蟹工船」が売れて共産党が若者に人気だと聞くが、「派遣村」でメシを食わされミョウな思想を植えつけられたら、日本の企業は更に沈没する。

いや企業どころか日本そのものが沈没して北朝鮮のような国にもなりかねない。

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テレビ芸者の経済学者は引っ込め!

2009-01-06 08:00:46 | 県知事選

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どこまでも「定額給付金」を政局の火種にしようと躍起になる民主党。

ここまできて「給付金」が消滅したら、

暴動が起きるよ。

怒りの矛先は太郎へ?

間違っちゃいけない、一郎だよ。

そう、小沢一郎。

100年に一度の経済危機だよ。

対決国会開幕、野党いきなり定額給付金分離要求

2009.1.5 10:32

首相官邸に入る麻生首相=5日午前 第171通常国会が5日召集され、衆院解散・総選挙をにらんだ与野党の対決劇が開幕した。国会では早朝から、総額2兆円の定額給付金制度をめぐり与野党がつばぜり合いを演じるなど激突ムードが高まっている。麻生太郎首相は未曾有の景気後退と雇用情勢悪化に対応するため、第2次補正予算などを早期成立させ政権への信頼を取り戻したい意向だが、野党側は予算案審議で抵抗して早期解散に追い込む方針だ。

 民主党の山岡賢次、社民党の日森文尋、国民新党の糸川正晃の各国対委員長は5日朝、自民党の大島理森国対委員長を訪ね、2次補正から定額給付金を切り離すよう要請した。これに対し大島氏は「生活支援として、今本当に重要な予算だと思っている」と拒否し、山岡氏はその後の記者会見で「給付金は選挙目当ての一時的なバラマキだ」と述べて徹底抗戦を宣言した。(略)

       ◇

>2次補正から定額給付金を切り離すよう要請した。

>これに対し大島氏は「生活支援として、今本当に重要な予算だと思っている」と拒否し、

定額給付金ほどマスコ誘導の「世論」と、「国民の実情」が乖離した例を知らない。 

反対する野党や一部与党議員は、口をそろえて「バラマキだ」「税金の無駄遣いだ」「貯金をするので景気浮揚に役立たない」とトンチンカンなことを叫び、

マスコミはこの先棒を担いで国民すべてが反対しているように報じている。

バラマキ?

バラマキで結構じゃないか。 

バラ撒かれた金こそ使っても見たくなる。 貯金するなんて一部の金の亡者だろう。

税金の無駄使い?

そもそもこの話しは減税から出発したはず。減税では納税していない人に反映されないということで「定額」になったのではなかったか。 その反映していない人ほど「支給」が必要なのだ。

税金をよその国にばら撒くならともかく、国内の同胞に還元して何がムダ使いだ。

貯金をするので景気浮揚に役立たない?

マスコミはその日のメシ代にも事欠く人の群れを紹介し、家賃を払えず追い出される人を放映し、炊き出しをするテント村を紹介する。 

その一方で、預金するってか。この矛盾に気がつかないのか。

預金するのは懐の暖かいマスコミ、お前たちだろう。

こんなのは氷山の一角なのだ。⇒“年越し派遣村”220人超に 行政の対応訴え

これが何で税金の無駄使いだ。

彼らを扇動するのは役立たずの経済学者たちだ。 

ミクロだ、マクロだ、やれ新自由主義だケインズだ、やれフリードマンだ。 金融緩和だ財政出動だ、インフレターゲットだやれリフレだ。

彼らの理論、いや屁理屈は、過去の学者が「ある一定の条件」をモデル設定して試みた屁理屈論だろう。

経済活動や景気の動向に大きく影響を与える人間の「気」は彼らには計測できないのだ。

このような机上の屁理屈で経済を論ずるから百家争鳴どころか、声の大きいモノに引きづられマスコミはこれを面白おかしく報じるのだ。

特にテレビに媚を売るテレビ芸者の「経済学者」ども。

早急に退場すべし。

卑近な例を挙げれば彼らが、定額給付金を反対する根拠が「地域振興券」の経済不浮揚効果が小さかったからという。

何度もいうが経済理論の乗数効果は「ある一定の条件」を同じだと設定したもの。

当時と現在で賦与条件が違う。

国民を取り巻く環境が激変していることは説明不要だ。 

少なくとも「地域振興券」の時代に世界のトヨタが赤字をこいて、大量首切りの結果国民の批判を浴びようとは誰が想像出来たか。

今はこんな時代なのだ。⇒派遣切りの孤独な新年 大阪の寒空、帰省もできず雑煮もなく

「町の声」をミスリードするテレビ芸者の「経済学者」は引っ込んでいろ。

都知事の方が現状をよく理解している。 アッパレ!

石原知事、派遣村問題で国に苦言「大事な現場を知らない」2009.1.5 18:17
 
 東京都は5日、派遣契約の打ち切りなどで仕事や住居を失った労働者ら約500人を収容する収容施設に石油ファンヒーターを設置したほか、朝、昼、晩の弁当の手配や、毛布の貸与など、収容に向けて対応した。

 さらに、収容施設では12日までの収容期間中、ハローワーク職員による就労相談や、都社会福祉協議会による緊急小口資金の貸し付け相談(最高10万円)などを行い、収容者の就労促進を目指すという。

ただ、困っている国民は派遣村に集まってマスコミで報道される人たちだけではない。

派遣村は氷山の一角に過ぎない。

東京以外の全国には遣村難民よりもっと困っている多数いる人もいる。 マスコミが報じないだけだ。

困っているのは派遣村の2~300人だけではないのだ。

 

麻生首相よ、無学な「学者」の戯言や野党、マスコミの「世論操作」は無視してよい。

>山岡氏はその後の記者会見で「給付金は選挙目当ての一時的なバラマキだ」と述べて徹底抗戦を宣言した。

仮に野党の反対で定額給付金が中止になったらどうなるか。

日本にも暴動が起きるだろう。 

それほど状況は激変し、「経済学者」やマスコミの想定を超えている。

ミステリーゾーンに踏み込んでいるのだ。

暴動が起きても攻撃の対象、つまり天誅を受けるのは麻生首相や政府要人ではない。

国民が期待していた「定額給付金」をもみ消した野党首脳こそ暴徒の攻撃対象であり、マスコミもこれに含まれる。

 <自民党の渡辺喜美元行政改革担当相は5日、国会内で石原伸晃幹事長代理に会い、麻生太郎総裁(首相)にあてた(1)早期の衆院解散と危機管理内閣の立ち上げ(2)定額給付金の撤回など2008年度第2次補正予算案の修正-など7項目の政策要求を文書で提出した。この後の記者会見で「真摯に検討されなければ離党する」と明言した。

この男、離党しても自分の人気で当選できると踏んでいるらしいが、テレビに煽てられたドンキホーテになる可能性がある。

今朝の「朝ズバ!」でもみのもんたが声援を送り、吼える姿が放映されていたが。

仲間(と本人が思っている)やマスコミに煽てられて舞い上がっているのだろうが、後で梯子を外され一人で離党する羽目に陥るか、泣いて謝って留まるか。 オヤジの轍を踏むことになるのか。

そうなれば・・・みっともない!

 

◆関連エントリー:

定額給付金はバラ撒いてこそ! アッパレ佐保市

ヘリコプターマネー ノーベル経済学者がお墨付き!

 

【付記】08:30

さきほどから「朝ズバ!」をつけっぱなしにしているが、与野党代表で「定額給付金」で喧々諤々。

野党にとっては「国民の反対」を無視した愚策とのことらしいが、その根拠を石井・民主党ネズミいわく

「(定額給付金は)エコノミストのすべてが、経済効果がないと証明した」とのこと。

エコノミストってテレビ芸者のこと?

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集団自決訴訟ー公務員に人権はない

2009-01-05 08:25:34 | ★集団自決

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「戦後民主主義」の象徴ともいえる大江健三郎と岩波書店の表現の自由を守るため、そして彼らを勝訴に導くため、

小田裁判長は、梅澤、赤松両隊長の名誉も人権も踏みにじってまで「新判断」示した。

最高裁の判例を無視し、アメリカの判例に従ったようなその「新判断」を記述した判決文の、「公務員」について触れた部分を抜粋するとこうなる。

特に、公務員に関する事実についてはその必要性が大きい。そうだとすると、仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる。 したがって、新しい資料の出現によりある記述の真実性が揺らいだからといって、直ちにそれだけで、当該記述を含む継続が違法になると解するのは妥当でない。(判決文抜粋)≫

出版物で罵詈雑言で名誉を毀損され人権を踏みにじられ、後に新資料によりその罵詈雑言が誤りであると判明しても、被害者は人権蹂躙にも名誉毀損にも寛容であれ?

個人の寛容という犠牲の下に、自由な言論の発展のために出版の継続を認める?


小田裁判長よ、貴方は言論出版社の廻し者か!

貴方に人間の名誉と人権を踏みにじる権利があるのか!

仮に梅澤、赤松両隊長が、63年前に軍人であったことを理由に「公務員」の範疇に入れたとしても、次の理由で彼らの人権を制限することには無理がある。

①両隊長は軍人といっても大本営から遠く離れた沖縄派遣の第32軍の所属であり、しかも沖縄の参謀本部から更に離れた慶良間島の特攻隊長に過ぎない。 少なくとも「A級戦犯」に問われたような日本軍の軍事作戦の中枢部にいた軍人ではなく、日本の戦争指導には関係のない現地の一隊長に過ぎない。

②「集団自決」訴訟では「隊長命令の有無」から、タテの構造による「日本軍の命令」にすりかえられ、「軍命」の責任の所在はいつのまにか一軍人から日本軍そのものに変わってしまった。

③ならば、一離島の現地戦隊長に「高度な公共の利害」とか、「公益を図る」とか本来日本軍の幹部が負うべき重責を求めることは矛盾ではないのか。

④小田判決の「新解釈」がいう「自由な言論の保障」を求めるのなら、軍人が公務員だといっても、少なくとも大本営に属した戦争指導者たちではあっても、両隊長のような現地の一戦隊長ではないはずだ。

⑤A級戦犯に指名されるような日本軍の幹部ならともかく、両隊長のような下級の一軍人に「言論の自由」を保障するため、「公務員だったから」という理由で、名誉も人権も我慢せよとは、小田裁判長の越権行為である。

 

裁判官は世論を気にするという。

世論は新聞によって操作され、新聞は記者の驕りによって作られる。

記者の驕りが作った「見出し」が判決に多大な影響を与えるとしたら、判決は見出しが作る。

恐ろしいことだ。

判決は「見出し」が作る 「全知全能」と驕る記者と判事が日本を劣化させる

以下は上記エントリーの抜粋です。

■新聞が「歴史」の判決を下す■

新聞の見出しが歴史を作ったという、もっとも典型的な例は「南京百人斬り競争」であろう。

そもそも判事は法律の専門家ではあっても歴史の専門家とは限らない、いや専門家では無いと断定してもよい。

その判事が専門家の検証はともかく新聞記事が出たということだけを証拠にしたという。

こうなると新聞の恣意的記事、(この場合は読者に媚びて面白おかしく講談のように書いたのだが)が裁判の判決さえ作ることになる。

下記引用文の「この記事」とは「100人斬り競争」を講談のように報じた毎日新聞の記事のこと。

この記事を「事実」と判断するにあたって、内心の躊躇を感じなかった判事はおるまい彼らは「虚報」とは別の事実を体験していた。 だがこの体験を基にすれば、この記事が「非戦闘員虐殺」「虐殺者の英雄化」「日本人虐殺民族」という「論理」をたどらざるを得ない。 だが、そうならざるを得ない点が探求の出発点で筈であって、痴呆のようにこの「論理」のコンベアにのせられていくなら、それは裁判官の任務を放棄したと言えるであろう。(『私の中の日本軍』下 山本七平)

南京落城時、便衣隊、即ちシナ人の市民服を着た兵隊が市民生活の中に溶け込んでいた。 勿論便衣隊を殺しても戦時法違反ではない。

その時期、実際に百人斬りを見た人はいない。

■全知全能と錯覚する記者■

歴史の専門家が専門誌に研究の成果を論文として掲載するより、

新聞記者が歴史の一部分を誇大に捉え、場合によっては捏造してセンセイショナルなキャンペーン記事を書いたほうが歴史は動く。

人間はポジションによって、自分の能力を超えて、その道に関しては、専門家以上に専門家であると思い込んでしまうことがある。

新聞記者が「○○を取材した」となると、その瞬間○○の専門家に化身する。

山本七平は、戦前の陸大出の軍官僚は現在の東大に負けずとも劣らないエリート意識に満ちた集団だったとこき下ろした後、現在の新聞記者について次のような文を書いている。

こういうタイプの人(陸大出の軍官僚ー引用者注)は、戦後はあまりお目にかからないが、暴力という点を別にすれば、新聞記者の中にはいるようである。 いわば自分は何もかも知り、かつ何もかも理解しているという前提に立つので、自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプである。 従って自分に理解できないことがあると、それを理解するために質問しようとはせず、反射的に「おかしいですね」「そんなことはないでしょう」と言い、あげくの果ては滔々(とうとう)一方的にまくし立てと、「つまるところ、こういうことですネ」と勝手に決めて帰ってしまい、こちらを唖然とさせるタイプである。(『私の中の日本軍』上 昭和50年)

いわば自分は何もかも知り、かつ何もかも理解しているという前提に立つので、自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプである。 

勿論山本氏は彼が接した新聞記者一般のことを言っているのだろうが、

最近の沖縄の「集団自決」に関する記事を見る限り、沖縄紙の記者を特定して述べているのではないかと思うほど見事に当てはまる。(山本七平氏が沖縄タイムスの愛読者だったかどうかは寡聞にして知らないが、それにしても当てはまり過ぎる!)

そう、『鉄の暴風』を書いた大田記者は、現地取材などしなくとも全知全能の記者たる自分達が歴史を作っていくとでも考え、自分の知らないことは「嘘か間違いか、ありえないこと」にした。

彼の後輩である現在の沖縄の記者達は、彼から継承した自分の基準を絶対化する。

そして新聞社の基準に外れたものは「不都合な真実」として決して紙面を飾ることはない。

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白旗の少女の神話ー改定版

2009-01-03 08:25:52 | 未分類

沖縄戦で、圧倒的物量をほこる米軍は、その戦力の余裕から数多くの報道班を配備した。

彼らが撮影した多くのフィルムは冷徹に戦争の実像を記録をした。

だが、後世これらを見た沖縄の「識者」たちはそれを基に数多くの神話を捏造した。

イデオロギーまみれの「平和教育」のために。

白旗の少女の写真を知る者は多いが、「平和教育」のために作られた少女にまつわる神話の背景を知る者は少ない。

                   ◇

 

 

「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” 

 

米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの中でも特に有名な二枚の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。

その写真の一枚が白旗の少女として知られ、もう一枚は「うつろな目の少女」として後に有名になる写真である。

うつろな目の少女が、実は女装した男の子であったということを知る人は少ない。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

  

白旗の少女とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女のことで、大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。1986年公開の米軍撮影記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。少女は当時7歳の比嘉富子さんであった。

手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)

 

後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影したという。

以後白旗の少女の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。

白旗の少女の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。

白旗の少女が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』というタイトルの本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。

 白旗の少女が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。

「平和教育」のため、沖縄の「識者」の予断により歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿に衝撃を受けたのである。

米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは結構なことだが、それを扱う「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される例は多い。

例えば子供用の絵本として出版されたの『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』(文・新川明、版画・儀間比呂志)には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)では、少女は日本兵と住民が雑居する壕にもぐりこむが、壕を取り囲む米軍に投降勧告をされ、誰が最初に壕をでるかで日本兵達が醜く言い争うクライマックス・シーンで次のようなくだりがある。

<兵隊たちがいいあらそいをはじめました。

「おとなしく出れば殺さないはずだよ」

「では、だれがさいしょに出るのか」

「こういうときは、兵隊さんがさきだよ」

ほかの人たちもいいあらそっています。

「あなたたちは、そんなに死ぬのがこわいのか!」

りゅう子をガマに入れまいとした女の人が叫び出すと

隊長はあわてて雑のう(ものをいれるもの)から白い布をとりだしていいました。

「ためしに子どもをさきに出してみよう!」

ゆっくりと目をあけると

すきとおるひかりのむこうに

アメリカ兵のすがたがみえました。

戦車のかげで鉄砲をかまえたまま

白い歯をみせてわらっています。

 

ふりかえると、日本兵たちが

両手をあげてついてきました。

おじいさんや女の人も

よろよとつづいていました。

そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。

 

同書の「あとがき」には次のようなことが書かれている。

 
  <さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
 本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました

 
私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
 はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、もんぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
 
さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
 

日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は元沖縄タイムス社長で、沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリスト。

また、版画による絵を担当した儀間比呂志氏は沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は大きなインパクトを与えた。

絵本が糾弾するのは、白旗を持った少女を盾にその後ろから、米兵に命乞いする日本兵の卑劣な姿であった。

で、実際はどうであったのか。

記録映画版の映像で動画を見ると、虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振ったという印象である。

それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する少女を盾にした卑劣な日本兵という雰囲気は画面からは読み取れない。

 


 

 

1985年、沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。

それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。

そして1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社)が刊行される。

その本の後書きには、当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していた比嘉が、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません
。(204、205頁)>

比嘉富子さん、よくぞ生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に語られたであろう。

ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されないが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」が定着していたであろう。

記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。

だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。

 

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。

否、相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。

これはデタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。

「りゅう子の白い旗」の書評

 

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  りゅう子の白い旗―沖縄いくさものがたり (1985年)
新川 明,儀間 比呂志
築地書館

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白旗の少女
比嘉 富子,依光 隆
講談社

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白旗の少女の神話

2009-01-03 08:25:51 | 未分類

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沖縄戦において米軍は圧倒的物量をほこり、その戦力の余裕から数多くの報道班を配備した。

彼らが撮影した多くのフィルムは冷徹に戦争の実像を記録をした。

だが、後世これらを見た沖縄の「識者」たちはそれを基に数多くの神話を捏造した。

イデオロギーまみれの「平和教育」のために。

「白旗の少女」の写真を知る者は多いが、「平和教育」のために作られた少女にまつわる神話の背景を知る者は少ない。

<白旗の少女 とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女。大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。1986年公開の記録フィルム「沖縄戦・未来への証言」の中の笑顔が県民の印象に残った。少女は当時7歳の比嘉富子。(琉球新報)>

                   ◇

 

 

「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” カメラ 2008年3月26日

 文部科学省は25日、2009年度から主に高校高学年で使われる教科書の検定結果を公表した。高校英語教科書には、沖縄戦で白旗を掲げて米軍に投降した「白旗の少女」と沖縄の長寿の秘密を探る「東洋の長寿の秘密」が登場する。「白旗の少女」は三友社出版で2、3年生対象、「東洋の長寿の秘密」は増進堂で3年対象のリーディングの教科書にそれぞれ05年から掲載されている。また音楽ではBEGINの「島人(しまんちゅ)ぬ宝」、寺島尚彦さんの「さとうきび畑」が登場するなど、沖縄を題材としたものが紹介されている。
 「白旗の少女」は沖縄への修学旅行生が増加し、関心が高まる中、平和問題につながる教材として05年に発行した教科書に初めて掲載され、現場教師らに好評だったことなどから今回も掲載を決めたという。
 内容は沖縄戦末期に一人戦場をさまよった少女が白旗を持って一人米軍に投降し、奇跡的に一命を取り留め、その時撮られた写真が“白旗の少女”として写真集に掲載され、少女は写真を撮ったカメラマンと43年ぶりに再会を果たした―という体験談をまとめた。(略)
 
                                             ◇

米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの姿には心を痛める。

その中でも特に有名な二枚の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。

その写真は太田昌秀著『写真記録「これが沖縄戦だ」改訂版』(琉球新報刊)の中にそれぞれ収録されているが、その一枚が「白旗の少女」として知られる一枚。 もう一枚は「うつろな目の少女」として後に有名になる「傷つき血みどろになった少女」とキャプションのついた写真である。

「うつろな目の少女」の写真を知る人は多いが、そこに写るカメラ目線のオカッパ頭の少女がが、実は女装した男の子であったということを知る人は少ない。

この「女装の少年」については過去のエントリーで素朴な疑問を呈しておいた。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

  

上記記事でも紹介している「白旗の少女」は、アメリカ軍が沖縄戦を撮影したフィルムを買い取る「一フィート運動」の成果として、1984年に紹介されたフィルムに写っていた。

手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)

 

後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影したらしい。

以後「白旗の少女」の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。

「白旗の少女」の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。

「白旗の少女」が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』というタイトルの本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。

 「白旗の少女」が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。

「平和教育」のため、沖縄の「識者」の予断により歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿に衝撃を受けたのである。

米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは結構なことだが、それを扱う「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される例は多い。

例えば子供用の絵本として出版されたの『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』(文・新川明、版画・儀間比呂志)には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)では、次のような文がある。

ゆっくりと目をあけると

すきとおるひかりのむこうに

アメリカ兵のすがたがみえました。

戦車のかげで鉄砲をかまえたまま

白い歯をみせてわらっています。

 

ふりかえると、日本兵たちが

両手をあげてついてきました。

おじいさんや女の人も

よろよとつづいていました。

そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。

 

同書の「あとがき」には次のようなことが書かれている。

 
  <さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
 本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました

 
私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
 はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、もんぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
 
さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
 

日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は元沖縄タイムス社長で、「沖縄イニシアティブ方式」と呼ばれる卑劣な手段で沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリストである。

「沖縄イニシアティブ方式」の詳細は、雑誌『WILL』2008年8月増刊号に寄稿してあるので参照されたい。

また、版画による絵を担当した儀間比呂志氏は沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は大きなインパクトを与えた。

絵本が糾弾するのは、「白旗を持った少女を盾にその後ろからついて来て、米兵に命乞いする」といった日本兵の卑劣な姿であった。

で、実際はどうであったのか。

記録映画版の映像で動画を見ると、「虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に白旗を持った少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振った」といった印象である。

それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する「少女を盾にした卑劣な日本兵」という雰囲気は画面からは読み取れない。

 


 

 

1985年、沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。

それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。

そして二年後の1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社 文・比嘉富子 絵・依光隆)が刊行される。

そしてその本の後書きには、当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していた比嘉が、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません
。(204、205頁)>

比嘉富子さん、よくぞ生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に語られたであろう。

ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されないが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」が定着していたであろう。

記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。

だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。

その昔、佐藤栄作が辞任会見の折に、

「テレビはしゃべったことをそのまま映すが新聞はウソを書くから記者は出て行け」

と新聞記者を会場から追い出した話しを想い出す。

 

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。

否、相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。

これはデタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。

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  りゅう子の白い旗―沖縄いくさものがたり (1985年)
新川 明,儀間 比呂志
築地書館

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白旗の少女
比嘉 富子,依光 隆
講談社

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麻生首相と櫻井よしこ:「日本人よ自信を持て!」

2009-01-02 09:37:57 | 県知事選

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麻生首相:「世界最速で不況脱出」

 麻生太郎首相は1日付で年頭の所感を発表した。米国発の世界的な金融・経済危機に触れ、「国民の景気や生活に対する不安を取り除くため、政府は全力を尽くす。世界で最も早くこの不況から脱出するのは日本だ」と危機脱出に向けた決意を表明した。また、「日本、日本人はその底力にもっと自信を持っていい」とし、持論である「日本の底力」を強調。「望むべき未来を切りひらくために、行動を起こさなければならない」と国民に協力を呼びかけた。

毎日新聞 2009年1月1日 東京朝刊

                 ◇

マスコミは麻生首相が何を話しても、重箱の角を突っついて粗探しに終始する。

<今回の所感は、ここ数年の歴代首相と違い、外交や教育などの個別政策には触れず、「精神論」に比重を置いているのが特徴となっている。(読売)>

年頭の所感では、「精神論」こそ必要なのではないか。

いや、現在のように日本国中が自信喪失しているときこそ「精神論」そして「麻生節」が必要なのではないか。

>「国民の景気や生活に対する不安を取り除くため、政府は全力を尽くす。世界で最も早くこの不況から脱出するのは日本だ

現在の世界経済の動向を、100年に1度の経済危機と認識して、「全力を尽くす」。

それでいいのだ!

赤塚不二夫さん言っているではないか。

>「日本、日本人はその底力にもっと自信を持っていい

年頭の首相所感でやっと麻生らしさが出てきた。

第二次大戦で日本全土が廃墟と化したときも、

資源のない日本がオイルショックに見舞われたときも、

日本は驚異的能力でいち早く危機を脱してきた。

櫻井よしこ氏によると、現在の日本には他国に不足する三つの長所があるという。

<第一は千五百兆の個人資産と外貨準備一兆ドルの健全な資金だ。 

第二に、どの分野にもある世界一の水準の技術。 

第三に、額に汗して働く労働倫理がある。 

金融資本主義の行き過ぎが明らかな今こそ、日本の力を活用し、より公正で、より多くの人々を幸せにする制度設計を日本が行い、世界に広げていく好機である。>


 

昨日のエントリーで、沖縄タイムス掲載の櫻井よしこ氏の論文から「田母神論文」に関連する村山談話の部分を抜粋して紹介したら、沖縄タイムスを購読していない知人より、全文紹介して欲しいとの要望があった。

櫻井氏の論文はその論旨が明快で筆者の下手なコメントは不要と書いたが、正月に免じて敢えて蛇足を書き連ねることお許しいただきたい。

櫻井論文は「サバイバル米中時代」と大きく括っているが、いかにも正月らしく論旨は多岐に渡っている。

論文で触れている今年の問題を拾うとこうなる。

①米中接近により変化する日米同盟の在り方

②中国の平和友好の衣に隠れる鎧の恐怖

③上記引用の日本人の長所

④核保有国の増加に伴う「核保有論議」の必要性

⑤拉致問題と金正日体制と

⑥村山談話の出自のいかがわしさ

⑦最後の麻生、小沢にかんするくだりは、沖縄タイムスの「要望」を受け入れた櫻井氏の、タイムスへの「おつきあい」と筆者は読んだ。

自分を嫌っている新聞に論文を載せるのにはある程度の「おつきあい」も必要なことなのだろう。

④の「拉致問題と金正日体制」については、沖縄タイムスは日頃、あまり触れたがらないし、仮に触れたとしても「援助はすべき」だろう。

何しろ将軍様はこのようにご立腹なのだから。↓

北朝鮮、重油支援巡り日本を批判
北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議に参加している北京の北朝鮮大使館幹部は29日、日本が拉致問題を理由に実行していない重油支援について「どの国からでもいい。(肩代わり)できない場合、無能力化を中断する」と日本政府の姿勢を批判した。(30日 07:00) >

だが、櫻井氏は沖縄タイムスにも将軍様にもここでは寸分の妥協も見せない。

12人の政府認定拉致被害者や460人余の特定失踪者をそのままにして援助すれば、日本はもはや国家ではない。

櫻井女史に首相になってもらいたいくらいだ。

以下は2009年1月1日付沖縄タイムスよりの引用です。(太字強調は引用者)

サバイバル米中時代

制度の手本示す好機  自衛力整備で本格論議を

櫻井よしこ(ジャーナリスト)

ブッシュ政権下で中国への接近を特徴とするアジア政策の変化が進行した。 この変化はオバマ次期大統領の下でさらに進み、日米同盟に依存してきた日本の在り方が問われる年になるだろう。ピーターソン国際経済研究所のバーグステン所長は、主要国首脳会議(G8)に代わる米中首脳の提起協議「G2」を提言し、ゼーリック前国務副長官は中国をステークホルダー(利害共有者)と位置づけた。対して、中国は、その軍事力は平和目的であり、中国は多くの人口を抱える脆弱(ぜいじゃく)な国家だとする「平和的台頭」論で、米国の協議への誘いに前向きに答えた

微笑みと軍拡

しかし微笑を外交の全面に押し出す一方で、中国の軍事力拡大路線はいささかも変わらない。彼らは日本、台湾、フィリピンに至る「第一列島線」での覇権の確立を目指し、グアム、サイパンを含む「第二列島線」をさらなる目標とする。 
米太平洋軍のキーティング司令官は、中国海軍が「太平洋を二分し、米国がハワイ以東を、中国がハワイ以西」を管理する分割支配を提案したと証言した。 微笑と軍拡、中国の真意を日本のみならず国際社会は慎重に判断する必要がある。 
福田前政権は対米、対アジア外交でシナジー(共鳴)を目指すとした。 中国が一党体制維持を目指すため、自由も人権も認めず、異民族弾圧を続け、日本などは基本的価値観を異にする人治国家であることに目をつぶり、結果としてそれを許す的外れの発言だ。

三つの長所

日本には他国に不足する三つの長所がある。第一は千五百兆の個人資産と外貨準備一兆ドルの健全な資金だ。 第二に、どの分野にもある世界一の水準の技術。 第三に、額に汗して働く労働倫理がある。 金融資本主義の行き過ぎが明らかな今こそ、日本の力を活用し、より公正で、より多くの人々を幸せにする制度設計を日本が行い、世界に広げていく好機である。
日本は世界に貢献する資格はあるか。「植民地支配や侵略行為」を認めた戦後五十年決議は、衆院で議員が大量欠席したままだまし討ちのように採決され、参院は決議もしなかった。 
そこで当時の村山富一首相は「村山談話」を閣議決定したが、記者会見で具体的にどの部分の歴史を反省すべきかと問われ、答えに詰まった。
社会党時代は一貫して自衛隊を違憲とし、首相就任で一夜にして合憲に変わり、就任後またも違憲と主張した村山氏の談話を、金科玉条とし続けてよいのか。 日本の歴史を間違いも正しかったことも含め見つめることと、村山談話を聖域視することは同じではないと気付くべきだ。

政権は交代

国連安全保障常任理事国に加え、インド、パキスタン、北朝鮮、そしてイランも間もなく核保有国となるだろう。 世界の安全保障体制の質的変化認識せざるを得ない。 その中で日本には、より多くの自己責任と真の自立が求められている。 日米同盟や日本の自衛力の整備を、核の選択も含めて透明な形で議論すべきゆえんである。 
朝鮮との交渉では、どの国の融和策もしっぱいしてきたが。拉致解決には、金正日体制をさらに追い詰めるしかない。 12人の政府認定拉致被害者や460人余の特定失踪者をそのままにして援助すれば、日本はもはや国家ではない。 
麻生太郎首相は保守の政治家と見られているが、実のところ、氏の新年ははっきり伝わってくるわけではない。 民主党の小沢一郎代表は政局を追うあまり、重要な政策さえも政争の具にしている印象だ。 政権交代はあった方がよい。 保守とリベラルというふうに、価値観を基軸とした政党に分かれていくのがよい。(沖縄タイムス 2009年1月1日)

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