狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

朝青龍激怒!

2009-01-11 16:53:26 | 県知事選

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朝のエントリーで今日はもう一本民主党のいかがわしさについて、エントリーの予定と書いたが、朝青龍応援に急遽変更です。

今日から大相撲初場所開幕だが、各テレビは「今場所は引退だ!」の大合唱。

横審の内館女史などは、去年のうちから

「朝青龍は私の中ではもう引退している」と笑いながら怒っていた。

お前は、剣四郎か!

笑いながら怒るについては

朝青龍?ほっといてくれ!内館委員の笑顔の怒り?

されにしても内館女史は、笑いながら怒っているのか、怒りながら笑っていたのか、良くワカラン。

 

朝青龍激怒!引退報道紙叩きつけた/大相撲 (1/2ページ)

2009.1.11 05:03
朝青龍激怒!引退報道紙叩きつけた/大相撲
初場所で締める黒いまわしをつけた朝青龍。痛めている左ひじにサポーターはなかった(撮影・周伝進之亮)【フォト】

 大相撲初場所は11日、東京・両国国技館で初日を迎える。強行出場することを決めた横綱朝青龍(28)は10日、都内の高砂部屋で最終調整を行った。3場所連続休場から再起をはかる場所だが、場所前から本調子とは遠い状態で、初日はここ6場所で2勝2敗の稀勢の里と対戦する。進退をかけた試練の土俵が始まる。

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                    ◇
 
テレビを筆頭にマスコミは「今場所は朝青龍の引退だ!」と大バッシングだが、その根拠が年明けのけいこ総見で、白鳳に負け越し、
 
「息が上がった」ことを指して稽古不足だからという。
 
 
そもそも、朝青龍の稽古不足にいちゃもんをつけたのは天敵内館女史だが、いくら横審でも横綱の稽古の内容にまで口を出すのは行き過ぎではないのか。
 
天下の横綱の稽古方針は本人に任すべきだ。
 
稽古も力士によって質・量が違うのは当然で、闇雲に量を多くすればよいものではない。
 
人間の筋肉には長距離型と短距離型があり、朝青龍は瞬発力の優れた短距離型の筋肉を持った力士。
 
だとしたら、長距離型力士のように稽古量を増やしても、上達するどころか怪我をする虞さえある。
 
これまでも朝青龍は「稽古嫌い」で知られており、量より質の稽古で横綱まで這い上がってきたことは周知のはずだ。
 
内館女史の朝青龍バッシングにマスコミが同調するのもおかしなもので、彼女は相撲愛好家ではあっても、相撲の稽古では一度も経験のないただの「相撲好きおばさん」に過ぎない。
 
朝青龍が稽古不足?
 
大きなお世話だ。
 
大相撲ご意見番を自認するやくみつる氏などは、「今場所は1勝3敗で引退だ」と公言しているが、全盛期は過ぎたとはいえ朝青龍はまだまだ強い。
 
ちなみに朝青龍の先輩横綱の引退前10場所の成績がどのようだったか調べたらこうなった。
 
 
先ず武蔵丸は、途中休場は負けとして計算すると全休4場所を含んで
 
合計で45勝45敗。
 
全休も負けとすれば、実に45勝105敗の惨憺たる記録だが、朝青龍のような「やめろコール」は聞かれなかった。
 
◆勝率は30%
 
その前の若乃花は、全休3場所を含んで51勝54敗で全休場所を負けとすれば
51勝99敗になる。◆勝率は38%。
 
 
では評判の悪い朝青龍の成績はどうなのか。
 
全休場所が3場所あるが、そのうちニ場所は本人の意図しない「出場停止」なのでこれを除外すれば、一場所全休を含んで
96勝39敗、全休を負けとしても96勝54敗に過ぎない。

◆勝率は64%である。
 
引退前10場所の若乃花が勝率38%、
武蔵丸が30%であることを考えれば、
朝青龍の勝率64%をもって「引退せよ!」は、
あまりにも理不尽な引退勧告ではないか。
 
内館女史の個人的好みの問題で、で天下の横綱の進退が決められてはたまったものではない。
 
マスコミがこれに同調して大騒動してよいものか。
 
今場所の朝青龍はかつての強さは影を潜めたとはいえ、依然として現在の相撲界では第一人者。
 
当日記は、やくみつる氏に反論して12勝3敗、悪くても10勝5敗は維持できると予想する。
 
 

そもそも内館女史は朝青龍のどかが気にいらないのか。

時は二年前に遡る。

朝青龍が「けたぐり」で稀勢の里に勝ったことに内館女史が「卑怯だ」と批判した。⇒「けたぐり」 横綱審議会は四十八手をしっている?

 

これに反発したのか横審のけけいこ総見で見守る横審の目前で朝青龍は「けたぐり」をやって見せた。

朝昇龍が横綱審議委員会に挑戦!

以後、内館女史は朝青龍の天敵となった。

さて、後一時間足らずで、朝青龍は問題の稀勢の里と対決する。

ここで冒頭の記事に戻るが、朝青龍が激怒した?
 
怒りをバネにして、
 
朝青龍頑張れ!
 
 
                  ◇
 
武蔵丸

①13–2
 
②10–5
 
③13–2
 
④4–2–9
 
⑤ 休場
 
⑥休場
 
⑦休場

⑧2–4–9

⑨休場


⑩3–5–7 (引退)
 
◆45勝-45敗(60全休)
 
 
若の花
 
①12–3
 
②9–6
 
③13–2
 
④5–5–5

⑤3–5–7
 
⑥休場

⑦7–8

⑧休場
⑨休場

⑩2–4–9 (引退)
 
51勝-54敗(45全休)
 

 

朝青龍


 
①14–1
 
②13–2
 
③10–5
 
④14–1
 
★出場停止

★出場停止

⑤13–2
 
⑥13–2
 
⑦11–4
 
⑧3–3–9
 
⑨5–5–5


⑩休場

◆96勝-39敗(全休15)


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続・異説沖縄語講座

2009-01-11 10:38:54 | 沖縄語講座

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昨日のエントリー「異説・沖縄語講座」の続編です。

午後に、「民主党のいかがわしさ」について、もう一本エントリーの予定です。

                  ◆

「花風」(はなふう)といえば沖縄に在住する人なら一度は目にしたことのある琉球舞踊だろう。

沖縄の色んな催しで披露されるし、県下に多数ある琉球舞踊研究所(舞踊教室)でも必修科目だという。

琉球舞踊には縁の薄い筆者も、遠い昔、高校の学園祭で同級生の女子生徒が踊るのを見た記憶がある。

「花風」は、琉球士族が親しんだ王朝舞踊に対し、雑踊りといわれ庶民の心情を表現した琉球舞踊の準古典と言われている。

とりあえず、踊りに合わせて唄う地歌の歌詞を紹介しよう。 (興味のない人はこの部分はスルーを)

 三重城に登て 手巾持ち上げれば  速船のならいや  一目ど見ゆる (花風節)

朝さも御側 拝み馴れ染めの  里が旅せめて 如何す待ちゆが (下出し述懐節)

(訳) 三重城に登って、別れの手巾をうち振っていたら、船足が速く一瞬しか見えないです。(花風節)

朝夕いつもお側に寄り添っていた方を旅立たせて、私はどのようにしてお待ちすればいいのでしょう。(下出し述懐節)

前段は花風節で、1人の遊女が愛する人を那覇港の先にある三重城(みいぐいく)で船送りをする様子を美しい所作で表現している。

紺地(くんじ)のかすりの着物をウシンチーという着け方をし、沖縄髪(うちなーからじ)を粋な形に結い、左肩に花染手巾(はなずみてぃさじ)、右手に藍紙の日傘を持って、別れのつらさを強調。

歌詞の「手巾持上げれば」で、左手で振る花染手巾の所作、「早舟の慣れや」で左手の花染手巾と、右手の藍紙の日傘の所作は、この踊りの見どころ。

後段は、「下出述懐節」(さぎんじゃししゅつくえーぶし)で、船送りした後の遊女の心境と家路につくやるせなさを、右手の日傘を使って、叙情的に見せる。

 歌詞の「里や旅しめて」で、日傘を開いて見せる所作と座って上手先への悲痛な目付(みじち)は、一幅の絵を見る所作といえる。

 

当日記は琉球舞踊の解説を目的としていないし、解説する素養も持ち合わせていない。

上記はすべて聞きかじりである。

では、一体ここで筆者は何が云いたいのか。

沖縄で現在日常の生活に慣れ親しまれている琉球舞踊にも、元を辿れば遊女、尾類にまつわる出自が沢山ある、・・・と云いたいだけ。 ただその導入部分が一寸長すぎただけ。

話が随分脱線したが、昨日のエントリーで触れた尾類馬行列に話を戻そう。

尾類馬行列に反対する女性団体の理由は、

尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでなく、

「尾類」という単語の文字そのものにあるような気がしてならない。

少年時代に読んだ冒険小説に「魔境の有尾人と言ったようなタイトルがあったような気がする。 

≪天外魔境に棲息する奇怪な有尾人を探索する波乱万丈の怪奇大冒険小説・・・・≫ と言ったオドロオドロしたイメージが記憶の隅にある。

そう、「尾類」という文字をを見たときの連想は、まさにこの奇怪な「有尾人」のイメージであった。

これは差別のイメージだ。

沖縄の方言で尻尾(しっぽ)のことを「ジュ」という。

それで「ジュリ」をそのまま「尾類」という漢字を当てた。

女郎の訛りが「ジュリ」という説もあるが、これは正確ではない。

話が突然変わるが、スペイン料理で「パエーリャ」と言う炊き込み御飯がある。

 ところが地域によっては「パエーヤ」、とも「パエージャ」とも言うらしい。

ここで音声言語学のウンチクを、・・・というつもりはないが「リャ・リ・リュ・レ・リョ」は「ヤ・イ・ユ・エ・ヨ」又は「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」に変化する事はよく知られている。

 「パエーリャ」はその例のひとつだ。 

これはスペイン語だけではなく、発音がスペイン語のローマ字発音によく似ている日本語にも例は多い。

西郷隆盛の弟西郷従道の本名が、隆道と云うことはあまり知られていない。 

それが従道に変わった経緯もこの音韻の訛りにあった。

隆道が明治新政府の役人に名前を名乗った時「サイゴウ・リュウドウ」と言ったのが、薩摩訛りが出て「ジュウドウ」に聞こえ、そのまま名簿に「西郷従道」と記録されたと言う。

本人も特に気にせず結局「従道」のままであったというから昔の人はのどかだった。

 「リュ」が「ジュ」に訛った例である。

 沖縄は慶長の「薩摩入り」以来薩摩の役人が多数沖縄に駐在した。

そのため沖縄方言は薩摩訛りの影響を受けた。 

特に「らりるれろ」の付く発音にそれが著しく見られる。 

標準語が昨今のように普及する前、家庭では方言しか話さない学童達は国語の朗読で苦労をした。

そのとき、今では見られなくなったが、道路の事を「ローロ」と発音する子供達が多くいた。

 ちなみに鹿児島市内に石灯篭通りと言う地名があり「イシズロ通り」と発音するらしい。(ローロが更にズロに訛った)

                  

 再び話を「尾類」に戻して結論を急ぐと

「ジュリ」は「料理」と書くのが正しい。

「リョウ」が「ジュウ」に訛った例だ。

 従って「ジュリ」が居る所「ジュリヌヤー」は「料理の家」つまり「料理屋」であり、言葉を変えれば「料亭」になる。

料亭だってその出自を問われれば現代では存在できなくなる。 

 「ジュリヌヤー」に勤める女たちの事を「ジュリ」というようになったのである。

だから「尾類」ではなく「料理女(おなご)」(ジュリ・イナグ)が正しい。

「ジュリの家」は単なる売春宿ではなかった。 

「料理屋」或いは「料亭」は元々料理を提供しそれを食しながら歌舞音曲を楽しむところであった。  

 そこで働く「ジュリ」と薩摩からの単身赴任の役人や士族の師弟とが恋に落ちるといった話も良くあった。

これが冒頭に挙げた「花風」や「述懐節」で唄い、踊られた風景である。

 因みに料亭という言葉は、元々沖縄方言には無い。

これに相当する料理屋をサカナヤー (魚屋)といった。

薩摩の影響でサカナヤーが料理屋になり、明治以降更に料亭となった。

≪サカナヤーは男の遊び所≫と言った言い回しがあるくらいだ。

 現在の常識で過去を断罪する事は人間の傲慢であり、大愚である。

「ジュリ」は尾類ではない。 料理のジュリからの転用である。

     ◇         ◇         ◇

★蛇足1:本稿は想像力で書いた随筆の類であり、学術論文でないことは云うまでもない。

★蛇足2:「尾類行列の中止」については塩月亮子(日本橋学館大学人文経営学部助教授 )がマジメな論文を書いている。

http://homepage2.nifty.com/RYOKO/jyuriuma%20ronnbunn.htm

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