よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
昨日のエントリー「異説・沖縄語講座」の続編です。
午後に、「民主党のいかがわしさ」について、もう一本エントリーの予定です。
◆
「花風」(はなふう)といえば沖縄に在住する人なら一度は目にしたことのある琉球舞踊だろう。
沖縄の色んな催しで披露されるし、県下に多数ある琉球舞踊研究所(舞踊教室)でも必修科目だという。
琉球舞踊には縁の薄い筆者も、遠い昔、高校の学園祭で同級生の女子生徒が踊るのを見た記憶がある。
「花風」は、琉球士族が親しんだ王朝舞踊に対し、雑踊りといわれ庶民の心情を表現した琉球舞踊の準古典と言われている。
とりあえず、踊りに合わせて唄う地歌の歌詞を紹介しよう。 (興味のない人はこの部分はスルーを)
三重城に登て 手巾持ち上げれば 速船のならいや 一目ど見ゆる (花風節)
朝さも御側 拝み馴れ染めの 里が旅せめて 如何す待ちゆが (下出し述懐節)
(訳) 三重城に登って、別れの手巾をうち振っていたら、船足が速く一瞬しか見えないです。(花風節)
朝夕いつもお側に寄り添っていた方を旅立たせて、私はどのようにしてお待ちすればいいのでしょう。(下出し述懐節)
前段は花風節で、1人の遊女が愛する人を那覇港の先にある三重城(みいぐいく)で船送りをする様子を美しい所作で表現している。
紺地(くんじ)のかすりの着物をウシンチーという着け方をし、沖縄髪(うちなーからじ)を粋な形に結い、左肩に花染手巾(はなずみてぃさじ)、右手に藍紙の日傘を持って、別れのつらさを強調。
歌詞の「手巾持上げれば」で、左手で振る花染手巾の所作、「早舟の慣れや」で左手の花染手巾と、右手の藍紙の日傘の所作は、この踊りの見どころ。
後段は、「下出述懐節」(さぎんじゃししゅつくえーぶし)で、船送りした後の遊女の心境と家路につくやるせなさを、右手の日傘を使って、叙情的に見せる。
歌詞の「里や旅しめて」で、日傘を開いて見せる所作と座って上手先への悲痛な目付(みじち)は、一幅の絵を見る所作といえる。
当日記は琉球舞踊の解説を目的としていないし、解説する素養も持ち合わせていない。
上記はすべて聞きかじりである。
では、一体ここで筆者は何が云いたいのか。
沖縄で現在日常の生活に慣れ親しまれている琉球舞踊にも、元を辿れば遊女、尾類にまつわる出自が沢山ある、・・・と云いたいだけ。 ただその導入部分が一寸長すぎただけ。
話が随分脱線したが、昨日のエントリーで触れた尾類馬行列に話を戻そう。
尾類馬行列に反対する女性団体の理由は、
尾類という「職業」に対する嫌悪感だけでなく、
「尾類」という単語の文字そのものにあるような気がしてならない。
少年時代に読んだ冒険小説に「魔境の有尾人」と言ったようなタイトルがあったような気がする。
≪天外魔境に棲息する奇怪な有尾人を探索する波乱万丈の怪奇大冒険小説・・・・≫ と言ったオドロオドロしたイメージが記憶の隅にある。
そう、「尾類」という文字をを見たときの連想は、まさにこの奇怪な「有尾人」のイメージであった。
これは差別のイメージだ。
沖縄の方言で尻尾(しっぽ)のことを「ジュ」という。
それで「ジュリ」をそのまま「尾類」という漢字を当てた。
女郎の訛りが「ジュリ」という説もあるが、これは正確ではない。
話が突然変わるが、スペイン料理で「パエーリャ」と言う炊き込み御飯がある。
ところが地域によっては「パエーヤ」、とも「パエージャ」とも言うらしい。
ここで音声言語学のウンチクを、・・・というつもりはないが「リャ・リ・リュ・レ・リョ」は「ヤ・イ・ユ・エ・ヨ」又は「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」に変化する事はよく知られている。
「パエーリャ」はその例のひとつだ。
これはスペイン語だけではなく、発音がスペイン語のローマ字発音によく似ている日本語にも例は多い。
西郷隆盛の弟西郷従道の本名が、隆道と云うことはあまり知られていない。
それが従道に変わった経緯もこの音韻の訛りにあった。
隆道が明治新政府の役人に名前を名乗った時「サイゴウ・リュウドウ」と言ったのが、薩摩訛りが出て「ジュウドウ」に聞こえ、そのまま名簿に「西郷従道」と記録されたと言う。
本人も特に気にせず結局「従道」のままであったというから昔の人はのどかだった。
「リュ」が「ジュ」に訛った例である。
沖縄は慶長の「薩摩入り」以来薩摩の役人が多数沖縄に駐在した。
そのため沖縄方言は薩摩訛りの影響を受けた。
特に「らりるれろ」の付く発音にそれが著しく見られる。
標準語が昨今のように普及する前、家庭では方言しか話さない学童達は国語の朗読で苦労をした。
そのとき、今では見られなくなったが、道路の事を「ローロ」と発音する子供達が多くいた。
ちなみに鹿児島市内に石灯篭通りと言う地名があり「イシズロ通り」と発音するらしい。(ローロが更にズロに訛った)
再び話を「尾類」に戻して結論を急ぐと、
「ジュリ」は「料理」と書くのが正しい。
「リョウ」が「ジュウ」に訛った例だ。
従って「ジュリ」が居る所「ジュリヌヤー」は「料理の家」つまり「料理屋」であり、言葉を変えれば「料亭」になる。
料亭だってその出自を問われれば現代では存在できなくなる。
「ジュリヌヤー」に勤める女たちの事を「ジュリ」というようになったのである。
だから「尾類」ではなく「料理女(おなご)」(ジュリ・イナグ)が正しい。
「ジュリの家」は単なる売春宿ではなかった。
「料理屋」或いは「料亭」は元々料理を提供しそれを食しながら歌舞音曲を楽しむところであった。
そこで働く「ジュリ」と薩摩からの単身赴任の役人や士族の師弟とが恋に落ちるといった話も良くあった。
これが冒頭に挙げた「花風」や「述懐節」で唄い、踊られた風景である。
因みに料亭という言葉は、元々沖縄方言には無い。
これに相当する料理屋をサカナヤー (魚屋)といった。
薩摩の影響でサカナヤーが料理屋になり、明治以降更に料亭となった。
≪サカナヤーは男の遊び所≫と言った言い回しがあるくらいだ。
現在の常識で過去を断罪する事は人間の傲慢であり、大愚である。
「ジュリ」は尾類ではない。 料理のジュリからの転用である。
◇ ◇ ◇
★蛇足1:本稿は想像力で書いた随筆の類であり、学術論文でないことは云うまでもない。
★蛇足2:「尾類行列の中止」については塩月亮子(日本橋学館大学人文経営学部助教授 )がマジメな論文を書いている。
http://homepage2.nifty.com/RYOKO/jyuriuma%20ronnbunn.htm
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします