5月19日付八重山日報本島版のコラム「ちゅうさん 車窓から ⑮」は、「復帰46年目のオキナワ」を述べている。
執筆者のちゅうさん氏は1986年生まれの沖縄県民。
全体的に現代の若者としてはバランスの取れた考えで好感が持てる。
だが、残念ながら一つだけ重要な事実誤認がある。
沖縄の祖国復帰を説明する次の部分だ。
「世界史を振り返ってみても、戦争で失った領土を平和的な話し合いによって、しかも短期間のうちに祖国に復帰した例はほとんど例を見ません。一度失った領土を外交交渉で取り戻すことがどんなに難しいか・・・」
確かに沖縄は1953年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約により、米軍の統治下に置かれた。
だが、アメリカが沖縄を戦利品としてアメリカの領土にしたわけではない。
あくまでも沖縄の主権は日本が有し、行政権のみ米軍に委ねるという特殊な統治形体だった。(潜在主権)
したがって、当時の沖縄住民は米軍統治下といえども、国籍はあくまでも日本国民だった。
沖縄県民が日本国民だった事実は当事者の沖縄住民や大学教授ら「識者」の面々でさえ勘違いするくらいだ。
執筆者のちゅうさん氏が事実誤認するのも仕方がない。
米軍統治下の沖縄住民が日本国民であった根拠は思いつくだけでも、次の通りだ。
①復帰前の沖縄の教育は文部省教科書で行われた。
②日本軍人の遺族が対象の「援護法」が沖縄住民に適用された。
③「国費留学制度」により、沖縄の学生を日本の国税で全国の国立大学に留学させた。
④沖縄住民が日本旅行の際、日本の通関は、当時パスポートと呼ばれた「日本旅行証明書」に「日本への帰国を証明する」とスタンプした。(【おまけ】参照)
⑤沖縄は米国が日本から租借したのであり、「信託統治」でさえなかった。(サンフランシスコ講和条約)
【関連動画】 【沖縄の声】沖縄県知事選挙 予想候補者の顔ぶれ/琉球新報爆笑辺野古アンケート[桜H30/5/9](中間部分、ティータイム)
沖縄県民のちゅうさん氏が事実誤認するのも仕方がないと書いたが、沖縄の大学教授の事実誤認を紹介しよう。
石原昌家沖国大名誉教授は、米軍統治下の沖縄の法的地位に間違った理解のまま「天皇メッセージ」を批判している。
とりあえず石原氏の事実誤認の該当部分を引用する。
消える日本への期待 非軍事化の道模索を/石原昌家氏 沖国大名誉教授
琉球新報 2013年3月20日(水)
「屈辱」とは、単に日本から分断されたので屈辱という意味ではなく、対日講和条約第3条にある「信託統治制度の下におく」ことに置かれたことだ。沖縄の人は自治能力がないから、米国が国連に提案して信託統治に日本は同意するということ。沖縄はかつて琉球王国、独立国として存在してきた。それを明治政府が武力を背景に、「廃琉置県」をした。そのような沖縄に「自治能力がない」と、いわば無能呼ばわりしているのだ。その意味で「屈辱」だ。
苦痛の歴史が68年も続く沖縄にとって「4.28」は、人間の尊厳を奪われた決定的な日だ。「主権回復の日」で祝うという安倍首相と、その首相を支持する約7割の日本国民。人間の尊厳を奪っておきながら、安倍首相にとって沖縄人の感情は全く念頭にない。ただ沖縄というものを日米軍事同盟の安全保障の軍事要塞地としか認識していない。
対日講和条約第3条は昭和「天皇メッセージ」と全く同質同根だ。昭和天皇が沖縄を「軍事占領し続けることを希望」した通りに、米軍の実質的占領が続いた。天皇が「主権回復の日」式典に出席予定だが、天皇の出席はそれを踏襲するという意味になりかねない。天皇は皇太子時代から何度も沖縄を訪問し、親近感を持つ人たちも多い。天皇にとっても不本意なことではなかろうか。
☆
石原教授は歴史的事実を事実誤認しているため、それを前提とする同氏の「屈辱」が空しく空中分解してしまっている。
大学教授としては噴飯ものだ。
石原氏が「自治能力がある」と主張する琉球王国が、サンフランシスコ講和条約締結の1951年当時でも果たして独立国として自立できたかどうかはさて措くとしても、沖縄を信託統治にするという話を持ち出したのは、当時既に沖縄を米軍統治下においていた米国であり、日本側ではない。
>「屈辱」とは、単に日本から分断されたので屈辱という意味ではなく、対日講和条約第3条にある「信託統治制度の下におく」ことに置かれたことだ。沖縄の人は自治能力がないから、米国が国連に提案して信託統治に日本は同意するということ。沖縄はかつて琉球王国、独立国として存在してきた。
石原教授は沖縄が信託統治制度の下に置かれたことに、屈辱を感じたようだが、そもそも沖縄は米国の統治下にはあったが、信託統治制度の下におかれたことは歴史上一度たりともない。
これは条文をよく読んでいない素人が犯す典型的な間違いだ。(石原氏はあえて間違った素振りをしているのか?)
念のためサンフランシスコ講和条約の該当条文を引用するとこうなる。
<サンフランシスコ講和条約 第三条>
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
☆
確かに当該条文には「南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」と明記されている。
米国は沖縄侵攻当初から沖縄を「太平洋の要石(かなめいし)」と捉え、日本と沖縄を分断の上永久占領を目論んでいた。
サンフランシスコ講和条約締結時の日米両国の力関係を言えば、米国は世界一の経済力と軍事力を誇る戦勝国。
一方の日本は、首都東京をはじめ地方の各都市も空爆により焦土と化した軍備も持たない米軍占領下の敗戦国である。
両者の力の差は歴然としている。
仮に米国が条文に明記されているように、「(沖縄を)米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」と提案したら、日本は否応なしに同意せざるを得なかった。
沖縄を信託統治にすればいずれは現在のグアムやプエルトリコのように米国の自治領に移行することは必至であった。
いずれ米国の領土になっていただろう。
ところが不思議なことに米国は、喉から手が出るほど領有を望んだ沖縄を信託統治にする提案はしなかった。
したがって日本が沖縄の信託統治に同意することなかったし、当然沖縄が米国の信託統治の下におかれることもなかった。
米国は沖縄を日本の主権を残したまま、統治権のみを継続したのだ。
沖縄は米国の信託統治制度の下に置かれたことはない。
これが歴史の事実である
その理由は何か。
その裏には昭和天皇が発したと言われる「天皇メッセージ」の大きな影響力があった。
当時日本の政治家の誰もが思いつかなかった沖縄を「日本の主権を残した(潜在主権の)ままリースにする」という「天皇メッセージ」こそが当時の日本として実行できる最善の策であった。
■戸籍は残したまま一時里子に出す
日本の主権を残したまま米国に統治を委任することを、親子に例えると、子ども(沖縄)を育てる経済力のない親(日本)が金持ち(米国)に戸籍はそのままにし、一時里子に出したようなものであり、戸籍を移籍する養子縁組とは根本的に異なる。
したがって米国統治下の沖縄人はあくまでも日本人であり、沖縄から祖国に日本の土を踏んだ沖縄人は通関で「パスポート」に「日本国への帰国を証明する」というスタンプを貰った。
参考⇒自爆した琉球新報!「屈辱の日」で - 狼魔人日記 - Gooブログ
■本当に米国は信託統治の提案をしなかったのか。
筆者のような何の肩書きもない者が大学教授の肩書きを持つ石原氏を無知蒙昧と批判したら、肩書きの偉そうな人物の言説を信じるだろう。
だが真実は肩書きで語るものではない。
米軍統治下の沖縄の法的立場については保守系の論客の中にも誤解の多い論点なので、最近の国会質疑で岸田外務大臣が、共産党の赤嶺政賢議員の質問に答えた記録を引用する。
2013年3月12日
第183回国会 衆議院予算委 普天間基地問題について質問(速記録) 赤嶺政賢
○赤嶺委員
(前略)
次に、政府は、本日の閣議で、来月二十八日に政府主催で主権回復を記念する式典を開催することを決めました。四月二十八日というのは、一九五二年、サンフランシスコ講和条約が発効した日であります。敗戦でアメリカの占領下に置かれた日本は、この日をもって主権を回復したと、自民党の皆さんは国民運動を展開してこられた方々もいらっしゃいました。
そこで、外務大臣に伺いますが、この条約によって、奄美、沖縄、小笠原はどのような取り扱いとされたのか、その点を説明していただけますか。簡潔にお願いします。
○岸田国務大臣
サンフランシスコ平和条約第三条におきましては、御指摘の、奄美、小笠原及び沖縄等を「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。」と規定するとともに、「このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」と規定しております。
これらの諸島につきましては、同三条のもとで、我が国は領有権を放棄しない状況で米国が施政権を行使していたということでございます。なお、この信託統治の提案は結局行われずに、その後、奄美諸島につきましては一九五三年、小笠原諸島については一九六八年、沖縄県につきましては一九七二年に返還が行われております。
○赤嶺委員
沖縄は、サンフランシスコ講和条約によって、アメリカの信託統治領に置かれようとして、それが提案されるまでは、永久にアメリカが施政権を握るという状態に置かれていたわけです。
その間、沖縄は、日本本土から切り離されて、米軍の、土地強奪やあるいは人権侵害、まさに、今のような広大な基地というのは、サンフランシスコ講和条約があったから、ああいう人権侵害を含む広大な基地建設ができたわけであります。これが何で主権回復の日になるんですか、総理。
○安倍内閣総理大臣
この四月の二十八日は、まさにサンフランシスコ講和条約が発効した年であります。あのときも、この講和について反対をする人たちがいたわけでありました。いわば、当時のソビエト連邦は反対をしていたわけでございますが、日本は、その中において、まずは占領政策を終えなければ主権を回復できない。
確かに、今、赤嶺委員が指摘されたように、沖縄、そして奄美、小笠原については、これは残念ながら一緒に施政権を回復することはできなかったのでありますが、しかし、それは、それを認めなければ、その後もずっと占領下が丸ごと続いていくということになるわけであります。まずは何とか、我々は占領下から主権を回復して、その後、沖縄についても、小笠原についても、奄美についても、何とか日本に返ってこられるように、交渉力を持って米国と交渉するということでありました。
その後、総理になった佐藤栄作も、政治生命をかけて、この沖縄返還にかけたわけでありまして、沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらないとの考えであった。それは、私もそういう思いであります。
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だからこそ、この四月の二十八日は、そうした意味において、沖縄返還、あるいは奄美、小笠原に向けてのまずは第一歩をしるしたということではないか、このように思うわけであります。(以下略)
那覇地裁で沖縄靖国合祀訴訟の判決が出た。
結果は、もちろん原告の敗訴。
常識ある人なら誰でも予想できた。
さらにこの真っ当な判決に「不当判決」といきり立つ「識者」がいるのも想定できる。
これだから世の中は面白い。(笑)⇒靖国合祀取り消し訴訟不当判決
この裁判は根っこで「集団自決」「援護法」そして「教科書記述」と複雑に絡み合う。
筆者が一番注目したのはこの裁判の勝ち負けではない。
原告側証人の石原昌家沖国大教授の二枚舌発言だ。
石原教授「援護法に適用されることが結果的に(沖縄戦を)歪めないと適用されなかった」
それでは石原氏に聞こう。 援護金受給のため沖縄戦を歪めて「集団自決は軍の命令」との論陣を張ったのは、一体誰だったのか。
沖縄タイムスに援護された石原昌家氏らではなかったのか。
石原教授「存在しない軍の命令を、『軍の命令による集団自決』と申請したら、援護法に適用された」と証言している。
石原教授を当日記がブログで取り上げるのは今回が初めてではない。
集団自決に関してはしつこいほど書いている。
当日記がこれまで「靖国合祀取消訴訟」を避けてきた理由は、きわめて単純。
裁判の内容自体馬鹿馬鹿しくて論評に値しないと考えたからだ。
だが、その馬鹿馬鹿しい裁判も新聞が一面や社会面のトップで誇大に報道すると、多くの読者が誤解する。
それにしても「集団自決訴訟」の当事者といえる沖縄タイムスが、この裁判について社説を書いていないのは不可解だ。
沖縄タイムスは、この訴訟が「死者の尊厳」の問題にみせながら、その実イデオロギーがらみの茶番劇であることを一番分かっているからだ。
まあ、沖タイの社説はしばらく待つとして、この問題で張りきっている琉球新報の社説を引用する。
琉球新報社説 l2010年10月28日
沖縄戦で肉親を亡くした上、無断で靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)され、精神的苦痛を被ったとして、県内の遺族5人が起こした合祀取り消し訴訟で、那覇地裁は国、靖国神社双方への請求を退け、損害賠償も棄却した。
今回、原告が問題視したのは、戦争の被害者である肉親が、加害者側に立つ軍人・軍属と同列視されているからだ。判決は、尊い肉親の御霊(みたま)を無関係な宗教団体が勝手に祭ることで当然生じる精神的苦痛に背を向け、非戦に向けて沖縄戦の歴史を正確に刻む営みに対する理解が欠けている。
沖縄戦で犠牲になった人たちの意思確認がない無断合祀を追認した上で、神社側の「信教の自由」を認める形の筋違いの司法判断が及ぼす影響は大きい。先例となる大阪地裁判決をほぼ踏襲し、激しい地上戦があった沖縄戦の特殊事情を深く考察した形跡もない。
判決理由で、平田直人裁判長は、英霊として祭られたことへの原告の嫌悪感も理解できないわけではないとしながら、「合祀によって社会的評価が低下するとは想定できず、遺族の信教の自由の妨害とは認められない」と指摘した。
国が神社に情報提供したことが合祀につながった点についても、「宗教的な色彩はなく、合祀の一部を構成しているとまでは言えない」と国の責任を否定している。
判決によると、靖国神社は援護法と絡んだ国による情報提供に基づき、遺族の同意なしに10人を合祀した。うち6人は避難壕から追い出され、砲弾の雨の中で死を迎えた主婦や2歳の幼児ら一般住民だが、「準軍属」として合祀された。判決はこうした矛盾と非人間性を正当化、追認した。
遺族の苦痛が法的保護の対象か、権利侵害になるか否かという狭い解釈論にとらわれ、大局を見失ったという印象を抱かざるを得ない。
法廷でも証言した石原昌家沖縄国際大名誉教授は「壕から追い出され死亡した住民が壕を提供したとされるなど、沖縄戦の真実を捏造(ねつぞう)した」と強調し、合祀取り消しが沖縄戦の真実を正す手段と指摘してきた。
事実と違う合祀に伴う遺族の二重の苦しみは救済されず、原告は控訴をすぐ決断した。控訴審は沖縄戦の本質に迫りつつ、被害者を戦争に馳せ参じた英霊として祭る無神経さを常識で問う曇りのない裁きにしてもらいたい。
◇
突っ込みどころ満載だが、「集団自決訴訟」と「靖国訴訟」では真逆のことを平気で主張する石原昌家沖国大名誉教授と「援護金」について2、3述べてみたい。
■政府主導の「公金横領」■
原告は、肉親が英霊として靖国に祭られているのは精神的苦痛だという。
だが、戦死した親の墓を暴いて遺骨を靖国神社に持ち込んだわけでもなければ、また合祀して皆で英霊を侮辱し貶めているわけでもない。
それどころか毎日多くの参拝者が手を合わせて戦死者の鎮魂を祈っているのだ。
それが精神的に我慢できないというのなら、せめて金銭面では身辺をきれいにしてから言うべきではないか。
まず靖国に合祀された根拠となる「援護金」の受け取りを拒否し、過去に受け取った援護金の総額を国に叩き返してから、大口を叩くべきだろう。
英霊としての援護金はしっかりもらっていながら、精神的苦痛もヘッタクレもないだろう。
軍人でもない一般住民が、沖縄に限って靖国に合祀さたれた経緯は、戦後沖縄の市町村が援護法の一般人への適用を熱心に国に働きかけ、それに同情した国側が「拡大解釈」で支給するために軍人扱いしたことが原因である。
その過程で2歳の子供も軍人あるいは軍属として靖国神社に連絡が行き、それが合祀に繋がった。
従って「援護法」を何とか沖縄の民間人に適用したいという国側の善意が、「軍への協力」や「軍の命令」を考え出させたのだ。
現在の弛みきった厚生省官僚達と違って、当時の厚生省援護課には、担当窓口職員にわざわざ沖縄出身者を配属し、沖縄の声を出来るだけ聞くという心優しき官僚がいた。 これは後述のタイムス記事から窺い知ることが出来る。
石原教授は、援護法について「靖国訴訟」では、「戦闘行為が不可能な2歳児が軍属扱いで合祀されるのは、国家による歴史捏造だ」と主張している。
つまり国が援護金を沖縄の民間人に支給するため民間人が「壕提供」や「食料提供」等を軍の命令・強制で行ったと申請書の作成を指導したというのだ。これらは自らの意思で行ったのでははなく、国が指導した書類上の方便であるため、事実ではない。
従って国の歴史捏造という論法だ。
ところがこの人物、「集団自決訴訟」では「集団自決」は軍の命令だと主張している。
一方では国が援護金支給の口実にするため「軍の命令」を捏造したと言いながら、その同じ口で「軍の命令」で集団自決をしたと主張する。
こんないい加減な人物が沖縄の新聞では「識者」として意見を吐くので事情を知らない読者は皆騙されてしまう。
「軍への協力」「軍命による行為」が書類上に記載されなければ、遺族は「擁護法」で救済されなかったのだ。
そこに国側の「善意」の思惑が働き、「援護法」が適用されるに文章を改ざんしてまで救済の道を開いた。 これがが事実である。
ところが石原教授は、この事情を一番良く知る人物でありながら、「靖国訴訟」では「国が歴史を捏造した」と原告側の応援団になり、その一方で「集団自決訴訟」では、国側が自決命令と方便を使った事実には目を閉ざし「集団自決は軍の命令だ」と被告側の応援団にまわるような二枚舌の人物である。
そこに教科書問題が絡むと石原教授はさらに、教科書にも「残虐非道な日本軍」と記述しなければならないと主張する。
当時の厚生省は「援護法」申請者に可能な限り許可を与えるため、政令を連発して軍命を暗示、誘導して申請書を書き換えさせた。
拡大解釈してでも何とか「援護法」申請を受理しようとした当時の厚生省は、「軍命があれば受理出来る」と何度も誘導の文書を村役所の担当者に送っている。
■沖縄への支給は政府ぐるみ(国・村役場・遺族)の公金詐取
言葉を変えれば当時の厚生省の措置は、村役場と遺族を含む三者が口裏を合わせて公金を詐取したと言われても仕方のない強引な処理であった。
従って靖国に合祀された戦死者の遺族が「合祀取り消し」を訴える裁判など馬鹿馬鹿しくて付き合ってはおれないのである。
ただ、実際には存在しない軍の命令を政府指導で捏造し、「援護金」と言う形の公金を詐取したことも現在の価値観や法律で断罪できない。
原告は、控訴をするというが、援護金の受け取りを拒否してからの控訴でなければ、恥の上塗りになるだけだ。
【追記】
沖縄戦遺族の敗訴確定 靖国合祀訴訟で最高裁決定: 日本経済新聞
訴えていたのは、死亡した旧日本兵や民間人計10人の遺族。一、二審判決によると、靖国神社は1950~67年、10人を遺族の同意なく合祀し、国は戦没者の氏名などを神社に提供した。
一審・那覇地裁は「合祀で遺族の信教の自由を妨害したり、戦没者の社会的評価を低下させたりしたとは認められない」と指摘。「神社が何を信仰対象とするかは絶対的に保護されるべき価値。遺族感情を根拠に法的救済を認めることはできない」と判断。国の責任も「宗教的色彩はない」と否定した。二審・福岡高裁那覇支部も支持した。
一方で、一、二審判決は「英霊としてまつられることへの不快感や嫌悪感は理解できないわけではない」などと遺族感情に言及していた
【おまけ】
■厚生省の担当者に沖縄出身者を配属■
当時東京側の厚生省担当に配属された沖縄出身者の証言が沖縄タイムスの2005年3月5日付朝刊に掲載されている。
< 沖縄戦の住民犠牲者が、援護法の対象となる「戦闘参加者」として、「該当」するか否か。最終的に決定したのは厚生省だ。その決定に携わっていたのが、沖縄県出身の祝嶺和子さん(77)=静岡県=だ。
一九八九年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。
沖縄戦当時、女子師範本科に在学していた。四五年三月、女師、一高女の学生が、看護隊として出陣する集合に、空襲に遭い、祝嶺さんは間に合わなかった。
大勢の同級生や後輩が「ひめゆり学徒」として、亡くなった。戦後、そのことは「ずっと、頭を離れることはなかった」という。
多くの友人を亡くし、生き残った元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、五四年、厚生省に入省した。
沖縄出身ということで「『沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい』と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた」。
前年から、米軍統治下の沖縄でも、軍人軍属に対して、日本の援護法適用が始まっていた。祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ。
「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」
当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。
沖縄の市町村が受け付け、琉球政府を経由して、厚生省に送られる援護の申請資料。防衛隊など軍人軍属への申請書類に目を通していた同僚が、祝嶺さんに、尋ねた。
「普通のおじさんやおばさんも、軍のために働いたのか」
沖縄戦では、一般住民が、武器らしい武器もなく、米軍への切り込みを命じられ、日本軍のために弾薬を運び、「集団自決」を強いられた。・・・ (社会部・謝花直美) >
◇
【おまけ2】
政府が援護法認定のために、実際は存在してない「軍命令」を、「軍命令があった」と申請するように示唆した。
その「政府の書き換え指導」を調査した石原昌家沖国大教授の論文はこれ。
語るに落ちたとはこのことだが、石原教授は「集団自決」という言葉さえ「強制集団死」とすべきだと主張している。
★
以下は沖縄靖国合祀拒否訴訟の主任尋問抜粋。
沖縄靖国合祀取消訴訟 那覇地裁 石原昌家証言
ー:事実と異なる内容の申請書を最初から出して、何の問題もなく適応された人も当然いますよね。
石原氏:そうです 圧倒的ですよ
最初の頃はその基準が分からないものだからどんどん突き返されたというふうに、遺族会の会報に書かれてありますね
ー:貴方の見方としてもほとんどの人は、最初から事実と違うことを申請書に書いて適応を受けているんじゃないかという考えですか
石原氏: 考えじゃなくて、もうその証言があるわけですよ。そうゆうことをやっていて、何でこんなに突っ返されるか分からんと。それで、この日本政府のノウハウというのが分かって、もう後はどんどん、この申請が受付られて受理されたというふうに、遺族会報に書いてあります。・・・・・・・・・中略
・・・要するに、戦闘参加者という身分を与えるためですから、日本政府がそのような基準に合うように仕向けたというか・・・中略
・・・・・・・・要するに、日本軍の命令要請、それを受けたという時点での国と雇用類似の関係が発生したということから、積極的な戦闘協力をしたということで、一番わかりやすいのは壕の提供というのが、これが軍事行動だと」いうんですよね。そして、現認承認があれば準軍属として認めるという仕組み。
・・・・中略・・・
だから、突き返されたということは、結果的に書き換えですよ。
ー:・・・中略 (原告のひとりの証言内容を示して)
事実と違って、援護法の適応を受けるためにそういった申請をしたんで、本来間違えたというのではないのでしょうということを貴方は認識されているんですかという質問に、そうですというお答えをされているんですが、こういった方が大多数だということでよろしいですか
石原:そうです。 僕はだから、いい質問をされたなと思ったんですよ。ここは靖国裁判の代理人でしたから、事実を引き出したなというふうに思って聞いておりました。