「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

震災報道の「ぬるさ」について

2016-03-08 22:04:12 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
気づいたら、2月は一度もブログの更新ができないまま、1カ月が過ぎていた。
1月も初旬に1回更新したっきりゆえ、2か月ぶりの更新となる。
情報発信の重要性は十二分に理解しているはず。
かつ、今週金曜日には東日本大震災から5年の節目の日を迎えるというのに、
この体たらくはかなり情けないなぁ、と我ながら思いつつ。

普段の生活では、日曜朝7時のニュースを見ることはまず間違いなくない。
ただ、一昨日の日曜は、知る人ぞ知る「山崎絆塾」で勉強するため7時前に起床。
朝食をとりつつNHK総合での女川からの中継を見ていた。

で、考えた。「いくら何でもこれは情けない」、と。

なぜ、女川の「復興」を「早い」「フロントランナー」と言うのか。否、言えるのか。
震災から5年も経ってようやく(ハードという意味での)形が見えつつあるものを、
どこをどうつつくと「早い」と形容できるのだろうか。
「旅の坊主」にはまったく理解できない。

国民から放送料を徴収している放送局が、
そのことを理解できず、恥ずかしげもなく全国に向けて発信しているとは……。
(「現地は頑張っています」ストーリーでお茶を濁すべきではなかろうに……。)

5年という時間は長い。
中学1年生が終わろうという時に被災した者がこの4月からは大学生になる。
それくらいの時間経過である。

「故郷を捨てたくて捨てる者はいない」は、「旅の坊主」の愛読書(?)の一つ、
(漫画版の)『鬼平犯科帳』のどこかにあったセリフ。
しかし、5年かかっても形が出来ただけのものを「早い」と表現するような状況であれば、
生活力がある者はそんなに待てない訳で、力がある者から外に出ていく。

というよりも、自分と家族の生活、息子・娘の可能性を考えれば、出ていかざるを得ない、
と言うべきだろう。そしてその結果、人口は減り(特に先のある若い世代が!)、
当然のことながらそれに反比例して高齢者率は増える。

そうなることは初めからわかっていた。
今起こっていることは、それが「やはり」起こっただけのこと。
それを、今さらのように言って、恥ずかしくないのだろうか。
日本のジャーナリズムはそこまで質が落ちてしまったのか?
(もっとも、すでにNHKはジャーナリズムの看板を下ろした、との声も聞こえてきそうだが……。)

これから先、「オーガスト・ジャーナリズム」ならぬ「マーチ・ジャーナリズム」なる言葉が定着していくのかもしれない。
防災を学び教える者としては、ある意味では歓迎すべきことなのかもしれない。
それでも、初めからわかっていることを、殊更言い立てることに、どれほどの意味があるのか。
やはり「ぬるい!」と言わざるを得ない。
(それとも、今の地上波ってそんなもの?)

ただ……。

「では、お前は何をしたのか?」と、当然のことながら問われるだろう。
プレ阪神淡路大震災世代の防災研究者として、何ほどのことをしたのか、と。
その突っ込みは当然のものであり、正当なもの。
そして、それに応えるだけの成果を出していないことも認めざるを得ない。

震災報道の「ぬるさ」を糾弾することは簡単。否定しようもないだろう。
しかし、「まずこれを読め!」「読んでから震災報道に取り組め!」というものが書けていない以上、
その「ぬるさ」は、部分的ではあれ、己の努力不足に起因するものでもある。

そんな、苦々しい思いも感じつつ、今宵から3泊3日の予定で、
震災から五年目を迎えようという現地を訪問する。


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