「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

陸前高田の「失敗」から何を学ぶべきか

2015-05-02 21:14:40 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
東日本大震災現地踏破8日目。

当初予定ではここまで長く時間を使うつもりはなかったのだが、
気ままな一人旅となったこともあり、講義や学生指導に支障をきたさないギリギリまで、
現地にいることにする。

というので、今日は、陸前高田の海の見える高台を切って作られた(と思われる)
「キャピタルホテル1000」の駐車場からの眺めを皮切りに、
大船渡までのピストンの時間を除いて、じっくりと陸高を見て回った。

陸前高田訪問はもちろん初めてではないが、知らないことが多すぎる。
被害も、復旧・復興の様子も、人の営みも。
もちろん、一人の人間に出来ることには限りがあるが、それにしても、
陸高についてモノを語るには、あまりにモノを知らないな、と思わざるを得なかった。

ではあるが、東日本大震災からの復興過程において、ここ陸前高田は、
大いなる失敗事例として記録に残ることになるのだろう、とは思った。
(もちろん、担当者に傷をつけられないという理由から、
表向きは「復興(=成功)」という処置をされるであろうことは容易に想像できるが……。)

何回目かの現地踏破の際、海岸線の平地の部分だけをざっと見るだけでは物足りなくなり、
高台の裏側をまわってみたことがあった。そこには「鳴石団地」という住宅地があった。
もちろん鳴石団地だけではないだろうが、安全な高台に住まいを求めていた人はいた。
そしていうまでもなく、その方々の「人生最大の買い物」は無事だった。

今、「希望の架け橋」と名付けられたのだそうだが、巨大なコンベアー群が、
旧市街地(=水を被った場所)西側、気仙川をはさんで対岸の今泉地区の高台を切り崩し、
盛り土用の材料として使うなどのため、日々土や岩(砕いたもの)が運び込まれている。

一大社会実験として考え、金目の計算をしないならば、興味深いものではある。
しかし、国も地方も借金だらけの現実を考えた時、そのような社会実験は許されまい。

災害は、もともとそのコミュニティがかかえていた問題点を白日の下にさらし、
あるいはコミュニティがかかえている基本的な方向性を加速化するものである、と言われる。
人口流出のデータは手元にないが、陸前高田が「ぜひ陸高に住みたい!」と
外部からどんどん人が移り住んでくるような場所でないことは明らか。

鳴石団地の周辺の高台を切り拓いて陸前高田市の仮設市庁舎も建てられ、
その周辺に新たに「にぎわい」を作ろうという、その考え方はもちろん理解するし賛同もできる。
しかし、これから先の高齢化のより一層の進展を考える時
(高齢化とは、生まれてくる子供の数に比べて、死んでいく高齢者の数が多いという意味で、多死化と言うことも出来る。)
切るのも盛るのも最低限度にして、高齢者のグループホーム的な住まい方の推奨も含めて、
建てるのも最低限度にして、で、残りは自然に返す、
そのような開発計画はできなかったものか、と思う。

以前にも書いたように思うが、敬愛する都市計画家によれば、
日本の都市計画には、人が住む部分を縮小して余った分を自然に返す、という発想は、
原理的に想定していなかったらしい。

都市化してお金を産めるようになってほしい、というのが、都市計画の基本的発想なのだそうな。
で、投資として作られたのが「希望の架け橋」に象徴されるもの、ということ、なのだろうが……。

どうしても、違和感があった。確実に失敗すると思う。
少なくても、投入された税金の額を考えた場合、「生き金となった」とは言えまい。

事情を良く知らないのにモノを言うな?現地を見てみれば、共感してくれる人は多いと思うが。

であればこそ、この過程からしっかりと学ばなくてはなるまい。
そして、今からでも修正がきく部分については、しっかりと情報を発信していかなくては、
とも思っている。


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