たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

特殊な地形

2016-10-16 10:10:48 | 自然災害・参拝マナー

<女川市街地>

 

海と山とに挟まれた女川町という場所は、

ただでさえ平地の少ない地形だったと思われますが、

先日訪れたときは、町全体が盛り土で覆われ、

車を停める場所さえ見つからないほど、

「地面」を見つけることが困難でした。

 

事前の訪問予定に入れていなかったこともあり、

町の詳しい情報はまったく頭に入っておらず、

とにかく「全体を見渡せる場所」を探して、

目に飛び込んできた坂を上ってみたところ、

そこは当時の女川町立病院のあった高台でした。

 

現在、女川町地域医療センターと呼ばれるその場所は、

広い駐車場から市街地を一望することができます。

震災の当日は、海抜16mもの高さにあるこの建物にまで

津波が押し寄せ、避難してきた多数の車を押し流したそうです。


貴重な生き証人

2016-10-15 10:36:44 | 自然災害・参拝マナー

 

<女川交番>

 

東日本大震災の被災地でる女川町で、

甚大な被害を生じた原因のひとつが、

「引き波」にあったと言われています。

生き残った方々の証言によれば、

「内陸部にまで浸水した津波が、

今度は海に吸い込まれるように一気に逆流した」

そうでして、津波後の町の写真と照合しても、

繰り返される激しい津波の満ち引きが、

被害をより拡大させたことが見てとれます。

 

一口に「津波被害」と言っても、

場所の地形や人口密集度の違いにより、

その様相は千差万別です。 特に女川町においては、

「多くの鉄筋建造物が横倒しになる」

という他の地域には見られない特徴がありました。

ニュースでも幾度となく配信された女川町交番は、

それらの事実を物語る貴重な生き証人かもしれません。


女川町

2016-10-14 10:30:55 | 自然災害・参拝マナー

<女川町>

 

石巻から車で30分ほど行ったところに、

女川町という漁業の町があります。

東日本大震災の発生時には、

約20mもの津波が町全体を襲い、

600名近くの犠牲者を出した場所です。

実は日程の関係で、直前まで女川に

立ち寄る時間が取れなかったのですが、

石巻を訪れたあと急きょ予定を変更し、

一目散に車を走らせてまいりました。

 

女川湾のすぐ近くまで山が迫るこの町は、

すでに市街地の復興工事が着々と進められており、

現在は両側を囲む高い盛り土と、

それを取り巻くフェンスの間を、

ひたすら海岸の地形に沿って進む形になります。

直前に見た石巻の平野の風景とは一変し、

山と盛り土とに挟まれた女川町の様子には、

かなりの圧迫感を感じたのも事実です。


新たな街づくり

2016-10-13 10:02:53 | 東日本・三陸の神社

<石巻・南浜地区 みなみはまちく>

 

東日本大震災の津波被害により甚大な被害を出し、

当時その映像が全国の人々に強い印象を与えた、

石巻市の門脇・南浜地区ですが、

震災前の写真を見ますと、

多くの工場や商店、住宅などが立ち並ぶ、

活気あふれる町だったことがわかります。

 

ただ、他の地域と比べても、

地震発生から津波襲来までの時間が約30分と短く、

さらには町全体が大渋滞で混乱したことなども災いし、

津波から逃げる暇がなかったのでしょう。

 

また、石巻市の中心部が市街地化されたのは、

江戸時代以降のごく近年だと言われており、

それ以前の大きな津波被害の経験が、

少なかったという理由もあるのかもしれません。

 

何もなくなった町にポツンと取り残された、

善海田稲荷神社の姿を見て、土地の人たちは、

「かつての姿に戻った」と感じたそうです。

今後、門脇・南浜地区の一帯は、

住宅地ではなく南浜復興祈念公園として、

新たな街づくりに着手すると聞きました。


あの世との境界地

2016-10-12 10:02:15 | 東日本・三陸の神社

<石巻・門脇地区 かどのわきちく>

 

東日本大震災の津波・火災被害を受けた

石巻市の門脇・南浜地区の一角に、

善海田稲荷神社(ぜんかいたいなりじんじゃ)という

小さなお稲荷さんの祠が残されています。

現在は鹿島御児神社にご神体が移され、

石の祠のみを作り直したそうですが、

もともとはこの地に鎮座するお社だったそうです。

 

善海田(ぜんかいた)という名前の由来は、

調べてみてもよくわからなかったものの、

かつてこの一帯は湿地帯だったらしく、

稲荷社は川の縁にあったという話もあります。

「善い海」という希望的名称がつけられていることや、

近くに水没者の供養塔などが存在したことから考えると、

やはり古くからこの地は、水害の多い場所であり、

「あの世との境界地」だったのかもしれません。


人々の呼吸

2016-10-11 10:56:12 | 東日本・三陸の神社

<石巻・善海田稲荷神社 ぜんかいたいなりじんじゃ>

 

東日本大震災の津波被害を避けるため、

多くの住民が避難をした場所のひとつが、

鹿島御児神社のある石巻市の日和山です。

山の南側に広がる海岸沿いの一帯には、

市内でも特に甚大な被害を出した、

門脇・南浜地区という町がありました。

 

山の上にいるときはさほど感じなかったのですが、

山を下り門脇地区のほうへと車を進めていると、

日和山という山は、市街地にありながらも

かなり標高が高いということに気づきます。

震災当日は、山頂の神社へと続くいくつかの参道を登り、

何百人という住民が着の身着のままで避難してきたそうです。

 

門脇・南浜地区に降り立ち、まず目に飛び込んできたのが、

どこまでも続く広大な草地でした。海沿いの工場らしき建物と、

震災後に作られたであろういくつかの店舗やモニュメント以外に、

「人々の呼吸」を感じさせるものは何ひとつありません。

 

雑草が高く生い茂った「町」の一角には、

かつての住民たちの営みを伝えるかのように、

二本の老松と小さなお稲荷さんの祠が残されています。


微妙な位置関係

2016-10-10 10:55:44 | 東日本・三陸の神社

<石巻・紫明神社 *しめいじんじゃ>

 

東日本大震災の影響により、

石巻・日和山にある鹿島御児神社にも、

本殿の解体を余儀なくされるほどの被害が出たそうです。

ただ神社自体は、市街地を見渡す高台に位置していたため、

津波の直接的な被害を受けることはなく、

震災当日は地域住民の避難場所となり、

その後も家を失った被災者の方々が、

境内の施設で避難生活を送ったと聞きます。

 

また、日和山の周辺や山の北側にあたる石巻駅付近は、

日和山が緩衝材の役目を果たして津波の直撃を免れ、

津波の浸水被害こそ酷かったものの、

建造物の崩壊はほとんどなかったのだとか。

日和山の麓に紫明神社という小さな神社がありますが、

神社のお社の屋根まで波が達したにも関わらず、

若干の補修をした程度の被害で済んだそうです。

 

おそらく旧市役所のあった紫明神社の一帯は、

もともとの石巻の中心部だったのでしょう。

神社の伝承によりますと、

明治の流行り病で町全体に多くの死者が出た際も、

この地区の住民は誰一人亡くならなかったとのこと。

当時も今回の震災に関しても、

様々な条件が重なったのだとは思いますが、

その理由のひとつとして、

海と山と神社の絶妙な位置関係があったのかもしれません。


不気味な静けさ

2016-10-09 10:43:33 | 東日本・三陸の神社

<日和山公園 ひよりやまこうえん>

 

北は青森、南は千葉にまでおよぶ

東日本大震災の広大な被災地の中でも、

最大の犠牲者数を出したのが、

津波浸水域人口の多かった石巻市でした。

津波高は約8m、死者数は3000人以上に達し、

全家屋の77%が被災したそうです。

 

中でも被害が大きかったのが、

日和山公園の南側に位置する、

門脇・南浜と呼ばれる地区です。

もともとは小学校や郵便局、

コンビニや商店などが立ち並ぶ、

にぎやかな街だったそうですが、

現在はいくつかの工場や店舗を除いて、

ほとんどが草地のままになっています。

 

震災当日に日和山から撮られた映像を見ますと、

雪の降りしきる中を、門脇地区のほうから、

多くの人々が避難してくる様子が映っていました。

不気味な静けさを伴いながら押し寄せた津波は、

低地にあったたくさんの建物を一気に押し流し、

鹿島御児神社の参道でもある日和山へと続く道を、

あっという間に家や車、瓦礫で埋め尽くしたのです。


石巻のランドマーク

2016-10-08 10:37:48 | 東日本・三陸の神社

<日和山公園 ひよりやまこうえん>

 

石巻市の日和山に鎮座する

鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は、

その名が示す通り、鹿島神宮の神である

武甕槌命(たけみかづちのみこと)、

そしてその御子神・鹿島天足別命

(かしまあまたりわけのみこと) の

親子二神をお祀りした神社です。

石巻という地名の発祥とも関わる場所であり、

鹿島という名称がつけられていることから考えると、

藤原氏の奥州制圧の起点のひとつだったのでしょう。

 

鹿島御児神社の境内前にある日和山公園からは、

左手に北上川、右手に石巻港、

その向こうに広がる太平洋を一望できます。

この場所は、石巻市民なら誰もが知る

ランドマーク的なスポットでして、

私が訪れた日も平日にも関わらず、

たくさんの人が訪れていました。

そして、高台にある日和山公園の真下に見えるのが、

石巻の中心部で最も津波・火災被害の大きかった、

門脇および南浜と呼ばれる地区です。


避難場所と神社

2016-10-07 10:37:12 | 東日本・三陸の神社

<石巻・鹿島御児神社 かしまみこじんじゃ>

 

今回、三陸地方の記事をまとめるにあたり、

改めて当時の映像を見直しておりましたところ、

動画の多くに「神社」が映っていることに気がつきました。

正確に言いますと、神社が映っていたというより、

「神社から撮影された」と表現したほうが正しいのですが、

いずれにせよ「神社から見た映像」が多々存在することに、

強く興味を引かれた次第です。

 

3・11の津波襲来の際には、

たくさんの人たちが近くの神社に逃れたと聞きますし、

実際に避難場所として指定されていた神社もあったでしょう。

また、基本的に神社は高台にありますから、

たとえ行政の指示がなかったとしても、

地元の人たちの間では「津波が来たら神社へ…」という、

共通認識を持っていたのかもしれません。

 

そんな地域の人々の避難場所となった神社からは、

津波発生時の海・街・人々の様子を映した映像が、

メディアを通して私たちの元に繰り返し配信されました。

それらの中でも特に知られている場所のひとつが、

石巻市の海沿いにある日和山(ひよりやま)という小高い丘です。

ここには、鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)という、

地域の海上安全を見守る神社が鎮座しています。


神社が果たす役割

2016-10-06 10:21:35 | 東日本・三陸の神社

<気仙沼・賀茂神社 かもじんじゃ>

 

地元の人しか訪れないような小さな神社というのは、

メディア等で取り上げられているわけでもなく、

また、伊勢神宮や出雲大社といった著名な神社に比べ、

インパクトのある来歴が潜んでいるわけでもありません。

旅行者にとっては、旅先のよくある風景のひとつで、

あえて立ち止まって眺める機会はないでしょう。

 

ただ、今回津波の被害を体験した場所を訪れ、

直にこの目でその土地の神社の姿を仰ぎ見ると、

そこには大きな神社では決して見えない、

「神社のあるべき姿」が浮かび上がってきます。

残念ながら、震災前と震災後、そして今とでは、

表向きの様相はがらっと変わってしまいましたが、

神社が果たす役割の大きさは、今も昔も同じです。

 

「神社はその土地に暮らす人のためにある」

という当たり前の事実が、三陸の神社では、

むき出しの状態で横たわっていたのですね。


氏神の懐

2016-10-05 10:08:13 | 東日本・三陸の神社

<南三陸・五十鈴神社 いすずじんじゃ>

 

ひと口に「東日本大震災の津波に襲われた神社」といっても、

そのときの状況も現在の姿も千差万別です。

なんとか被災を免れた神社、未だに津波の痕跡が残る神社、

立ち入り禁止になった神社、すでに無くなってしまった神社、

避難所として活用された神社、多くの人々の命を救った神社…等々、

三陸沿岸に点在する神社がたどった経緯は実に様々なのですね。

 

ただ、すべての神社に存在しているのが、

「あの日の記憶」とでも言うべき、

たくさんの生死を見つめた物語でして、

今回縁あって参拝したいくつかの神社でも、

震災当時の様子を聞くことができました。

実際に自分の目で見なければ感じられない

自然災害の非情さや人知を超えた奇跡の数々が、

「氏神」の懐に集約されているのは確かでしょう。


本当の神社の姿

2016-10-04 10:04:16 | 東日本・三陸の神社

<陸前高田・白山神社 はくさんじんじゃ>

 

もともと東北地方(特に北東北)というのは、

奈良・京都などの都から遠く離れていたこともあり、

いわゆる「中央政権」の力が及びにくい地域でした。

ゆえに、誰もが知っているメジャーな神社や、

皇祖との関わりが深い神社が少ない反面、

「日本の原風景」とも呼べるような、

地元密着型の素朴な神社が数多く残っています。

 

東日本大震災で甚大な津波被害に襲われた三陸地方には、

ガイドブックに紹介されているような「著名な神社」は、

ほとんどないと言っても過言ではありません。

神社参拝やパワスポ巡りを趣味とする人でも、

この地を訪れる機会は滅多にないでしょう。

ただ、三陸の地で名もなき小さな神社を探しながら、

私たち日本人が忘れかけている

「本当の神社の姿」がそこにあるということを

はっきりと感じ取ったのもまた確かなのです。


あの日からの物語

2016-10-03 10:02:06 | 東日本・三陸の神社

<釜石市内>

 

いつも神社巡りというのは、

その地方の一の宮やメインとなる神社を中心に、

あれこれ巡っていくのが定番のパターンなのですが、

東北地方にはただでさえ「有名な神社」が少なく、

特に鹽竈神社から北のエリアに、

観光客がこぞって訪れるような神社はほぼ皆無です。

ましてや、災害で被災した地域の神社ともなると、

どの道をどう巡っていいのかさえわからず、

今回三陸地方の神社を訪れる過程においては、

途中で何度も立往生してしまいました。

 

最終的に現地の案内図を見たり、

地元の人に道を尋ねたりしながら、

国道45号線沿いの神社を中心に参拝したものの、

その地域に残る神社ひとつひとつに、

「あの日」からの物語が詰め込まれていると考えると、

どんなに小さな神社でも、可能な限り車を停めて、

手を合わせたい気持ちが湧いてまいります。

朝早くホテル近くの神社に参拝し、

最終目的地にたどり着いたころには、

すでに日が傾きあたりは暗くなっていました。


神社の常識

2016-10-02 13:58:18 | 東日本・三陸の神社

<石巻・善海田稲荷社神社 ぜんかいたいなりじんじゃ>

 ***** 三陸の神社 *****

 

先日、東日本大震災で被災した

東北の三陸沿岸の神社を巡ってまいりました。

実はこれまで「災害被災地を訪れる」という行為に、

必要以上に高いハードルを感じており、

なかなか現地に足を向けることができなかったのです。

ただ、大震災から5年半以上が経ち、

世間の人々の記憶から災害の痕跡が薄れていく中で、

突如「今しかない」という思いに突き動かされ、

バタバタと予定を立てて旅立った次第でございます。

 

事前にある程度の知識は仕入れていたのものの、

ガイドブックに載っているような有名な神社とは異なり、

小さな神社、ましてや被災した地域の神社となると、

災害前の地図はほとんど役に立たず、

まさに手探りで場所を探し当て、

道なき道を見つけていく難しい行程が続きました。

そしてやっとの思いで、目指す神社にたどり着いても、

すでに取り壊されていたり、立ち入り禁止になっていたりと、

これまでの「神社の常識」が崩れ去っていくような、

複雑な思いにとらわれる瞬間が多々あったのも事実です。