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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

神を感じる力

2017-01-04 10:29:21 | 熊野の神社

<大斎原 おおゆのはら>

 

神社好きの人たちの間で、

「大斎原が好き」と公言する人は多く、

市販されているガイドブックなどにも、

「熊野随一のパワースポット」として、

大々的に取り上げられているのをよく見かけます。

ただ、熊野本宮大社を訪れるほとんどの観光客は、

立派なご社殿のある本宮大社のみをお参りし、

大斎原にまで足を延ばす人はごく稀です。

 

今回、大斎原を訪れたときも、

熊野古道を歩いてきたと思われる人たちが、

あまり興味のなさそうな顔をしながら、

入れ代わり立ち代わりあらわれるだけでした。

「お社」や「お札」などの目印があれば、

誰に言われなくても神様を意識できるのに、

小さな石の祠しか置かれていないこの場所に、

「見えない存在」を感じるのは難しいのでしょう。


大斎原

2017-01-03 10:25:44 | 熊野の神社

<大斎原 おおゆのはら>

 

熊野本宮大社においては、神域のすべてが、

「撮影禁止(社務所での許可が必要?)」区域です。

そのため、載せられる写真が限られてしまうのですが、

幸い書いておきたい話の大半は、

旧社地である「大斎原(おおゆのはら)」

の周辺に集中しています。

 

明治22年に発生した大水害により、

社殿の大半が流失した本宮大社は、

その後残った社を高台へと移しました。

もともと社殿が建てられていたのは

熊野川・音無川・岩田川が合流する中州で、

現在は「大斎原」と呼ばれています。

 

今では川の形が変わってしまいましたが、

以前の大斎原は「3つ」の川が出会う地点で、

川と川とが交わり渦を巻いていたそうです。

渦が生まれる場所は「異界」への入り口でもありました。

2つのみならず3つの川が流れ込むこの場所を、

古代の人々は「神の坐る地」ととらえていたのでしょう。


熊野に坐る神

2017-01-02 10:36:50 | 熊野の神社

<大斎原 おおゆのはら>

 

熊野三山のかなめの地である「熊野本宮大社」は、

その昔は熊野信仰の中心的な役割を果たし、

現在は世界遺産にも登録された観光地として、

日本全国の人々に知られる「名所」です。

古くは「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」と呼ばれ、

今とは別の場所に鎮座していました。

 

家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、

熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)など、

熊野三山に祀られているご祭神の名前は、

一回聞いただけでは覚えられないような、

ややこしい名称がつけられているのですが、

本来はすべて「熊野に坐る神様」なのでしょう。

 

神様の名前ほど当てにならないものはなく、

表向きの「表記」にこだわりすぎると、

神社の本質を見誤る懸念があります。

古来より正しく伝えられている神名は、

「天照太御神」だけだという話もありますし、

特に熊野など複雑な歴史的経緯を持つ地域では、

神名の裏に隠れている「本当の神様」を

意識しながら、参拝すべきなのかもしれません。


ひとつひとつ丁寧に

2017-01-01 10:33:55 | 熊野の神社

<橋杭岩のご来光>

 

あけましておめでとうございます。

昨年は、本当に多くのみなさまに

ご愛読いただき、ありがとうございました。

2017年も「ひとつひとつ丁寧に」

記事の更新、および神社参拝に

励むつもりでおりますので、

よろしければ覗いてみてください。

 

***** 熊野に関する記事の参考書籍・サイト *****

【参考書籍】

祈りの原風景 桐村栄一郎

世界遺産 神々の眠る熊野を歩く 植島啓司

【参考サイト】

み熊野ねっと

熊野今昔物語


神様の言葉

2016-12-31 15:36:55 | 熊野の神社

<神倉神社 かみくらじんじゃ>

 

よく神社マニアやスピリチュアル好きな人たちが、

「神様からメッセージをもらった」などと言いますが、

残念ながら?個人的にそのような経験はありません。

ただ、そのときどきで遭遇した出来事をきっかけに、

「なるほど」と納得するのは毎度のこと。

今回たくさんの神社を巡る中で、

ふと頭の片隅に浮かんできたのは、

「ひとつひとつ丁寧に」という言葉でした。

 

昨日の記事でも書いたように、

自分の足元あるいは目の前のことだけに集中し、

ひとつひとつゆっくりとこなしていけば、

「怖い」という感情も「不安」という感情も、

自然とどこかに消え去ってしまいます。

そして気づいたときには、

いつの間にかゴールにたどり着き、

安全安心な場所へと降り立っているのですね。

 

神社参りをしておりますと、時折このような形で、

「必要な助言」を見聞きすることがあります。

本当の神様の言葉というのは、

「ここは●●神のおわす場所」とか、

「おまえは●●神社に行くべし」など、

直接的な「声」で伝えらえるものではなく、

こういった何気ないタイミングで、

感覚的に受け取るものなのでしょう。


神倉のおじさん

2016-12-30 10:23:05 | 熊野の神社

<神倉神社 かみくらじんじゃ>

 

松明を持った男たちが勢いよく山を駆け下りる

「御燈祭」で有名な神倉神社という古社があります。

ただし、山頂にある神社をお参りするには、

鳥居の前に断崖のごとくそびえ立つ

急峻な石段を踏破しなればなりません。

その神倉神社へと続く足場の悪い石段を、

岩壁に這いつくばりながら登っている最中、

山頂から降りてきた地元の人と思われるおじさんに、

「登るよりも降りるほうが大変やで。

でも足元だけ見て一歩ずつ降りれば大丈夫」と、

励ましの?声をかけられました。

 

そのときは気の利いた返事を考える余裕もなく、

「わかりました…」と息も絶え絶えに答えたのですが、

山の上にある神社の参拝を終えて、

いざ「恐怖の下り坂」に差し掛かった際、

ふとおじさんの言葉が蘇り、その助言に従い

ゆっくりゆっくり階段を下って行った結果、

とても楽に麓にたどり着くことができたのです。

そのときつくづく思ったのは、

「先を焦ったらダメ」ということでして、

何でもひとつずつ丁寧に取り組むことが、

最も効率よく物事を達成できる手段なのでしょう。


熊野の磁力

2016-12-29 10:19:36 | 熊野の神社

<熊野灘の朝日>

 

2016年という年は、これまであまり縁のなかった

「和歌山」や「熊野」を訪れる機会を得たのですが、

もともと熊野自体を目指していたわけではなく、

名草戸畔をはじめとする、「神武天皇の軌跡」を

たどってみたいという動機が発端となり、

必然的にそれらの地域を探訪する流れになりました。

 

ただ、直接自分の目で見て、自分の足で歩いて、

熊野という土地に接したことで、

「熊野の奥深さ」を知ったのも事実です。

「神武が立ち寄った」という表向きの歴史では図れない、

「何かもっと果てしないもの」がこの地に眠っていると、

実際に自分の身を置いてはじめて気づくことができました。

 

熊野という土地は「そこに行かなければ」

何もつかめない場所であり、

「そこに行ってはじめて」何かを感じるのでしょう。

熊野好きを自認する多くの人たちが、

理由もなく熊野に通い続けてしまうのも、

そんな熊野の持つ磁力に抗えないからなのかもしれません。


神様の依り代

2016-12-26 10:03:17 | 熊野の神社

<熊野・神内神社/古神殿 こうのうちじんじゃ/こしんでん>

 

神様が人々の呼びかけに応じて降り立つのは、

巨大な樹木や巨大な磐座だといわれています。

「樹木」や「磐座」が、

多くの神社のご神体として祀られているのも、

それらの自然物が「神様の依り代」として

機能するからなのですね。

 

神様という存在は、ひとつの神社に常駐したり、

また社殿自体に宿ったりするわけではありません。

神社の建物は、あくまで神様が降りる目印であり、

氏子たちの神様への感謝のあらわれです。

本来日本人は、木や石などの自然物を、

「神様の拠り所」として手厚くお祀りし、

その場を清浄に保つよう心がけてきました。

 

神内神社のご神体である巨大な磐座、

そして熊野地方に点在する巨樹や大岩は、

昔から「神様が降りる目印」だったのでしょう。

古代の人々は、神様とつながりやすい場所を、

直感的に認識できる能力があったのです。

 

幸いなことに現在でも、私たちは無意識に、

巨大な樹木や巨大な磐座に対して敬意を払い、

神社を神聖な場所としてとらえています。

人工的な建物、人為的な祈願所の向こうにある

「自然物」に感謝を捧げることこそ、

本来の神社参拝の形なのかもしれません。


神社の有り様

2016-12-25 10:00:04 | 熊野の神社

<熊野・神内神社 こうのうちじんじゃ>

 

神内神社の「異界感」の元となっていたものは、

参道を突き当って右の方角に向きを変え、

ご本殿へと続く階段を登り始めた瞬間、

はっきりと確信することができました。

神内神社のご神体である磐座は、

神域全体を覆うほど巨大な「岩」です。

参道を歩いているときはもちろん、

ご本殿の正面に立ったときですら、

その全容を拝むことができないほど、

桁外れの大きさの岩壁の一部が、

森の中から顔を出していました。

 

磐座の前には、祈祷所の建物などがあり、

また磐座自体が木々に囲まれているため、

巨岩の全体像をとらえることは不可能ですが、

仮にすべての建物を排除したとすれば、

磐座の迫力は想像以上のはずです。

古代の人々が、この大きな岩を発見し、

「神様」としてお祀りしたのも、

十分うなずける話でしょう。

神内神社に来て改めて感じたのは、

「神社に人工物は不要」ということです。

大馬神社同様、余計な建物を撤去した姿こそ、

本来の神社の有り様なのかもしれません。


異界感の証

2016-12-24 10:45:39 | 熊野の神社

<熊野・神内神社 こうのうちじんじゃ>

 

神社を参拝していますとときどき、

距離感や時間の感覚が狂うことがあります。

実際はほんの数分でたどり着ける場所なのに、

なぜかすごく時間がかかったように感じたり、

実際はそれほど広い境内でないにも関わらず、

なぜかとても大きな神社だとカン違いしたりと、

そのときどきで神社の印象が変わってくるのです。

 

神内神社もそんな「別感覚」を持った場所でして、

実際はそれほど距離はなかったはずなのに、

「長い参道だった」という記憶が残っています。

きっとご社殿の下にたどり着くまでの間に、

珍しい形の木や意味ありげな祠や磐座などが、

あちこちに点在していたからなのでしょうが、

言い換えればそれだけ「異界感」を

放っていた証ともいえるのですね。


産土の道

2016-12-23 10:43:43 | 熊野の神社

<熊野・神内神社 こうのうちじんじゃ>

 

例えば、大馬神社が訪れる人を選別するような、

少々厳しさを感じさせる場所であるとするならば、

神内神社は、まさに訪れる人に安心感を与える

「来る人拒まず」の場所だといえるでしょう。

神内神社の鳥居の前に立ったとき、

身体の中から安堵の気持ちが湧き上がり、

いつまでもその場に留まっていたいような、

居心地のよさを感じていました。

 

住宅に囲まれた狭い神域であるにも関わらず、

一歩境内へと足を踏み入れたとたん、

俗世を離れた神の世界が広がります。

左手にある小さくも清らかな川と、

右手にある鬱蒼とした樹叢の間を、

見たこともないような奇怪な形の巨樹が立ち並ぶ、

「産土の道」がご社殿の下まで続いていました。


母体回帰の風景

2016-12-22 10:36:05 | 熊野の神社

<熊野・神内神社 こうのうちじんじゃ>

 

大馬神社から国道を花の窟方面へと引き返し、

新宮方面に向かってひたすら南下していくと、

和歌山県との県境に位置する三重県紀宝町に出ます。

紀宝町の神内という地区にある

神内神社 (こうのうちじんじゃ)は、

別名子安神社(こやすじんじゃ)とも呼ばれ、

古代信仰の名残を色濃く残す場所として、

近年神社マニアからも注目を浴びる神社です。

 

神内神社に到着したのは、午後の2時近く。

昨晩から降り続いていた雨もすっかり上がり、

ご社殿へと続く細くまっすぐな参道には、

柔らかな午後の日差しが差し込んでいました。

神社のすぐ脇には、涼やかな水音を響かせた小川が、

参道に沿うように神社の奥へと流れています。

 

その様子をひと言で表現するなら、

まさに「母体に回帰するかのような風景」で、

ここが近隣の人々から「子安の宮」と呼ばれ、

慕われている理由がわかるような気がしました。


もとの姿に

2016-12-21 10:34:35 | 熊野の神社

<熊野・大馬神社 おおまじんじゃ>

 

大馬神社という場所は、 山・滝・岩・巨樹・川そして海と、

自然信仰の対象となるすべての要素を兼ね備えた、

稀有なスポットであることは間違いありません。

ゆえに「鬼」を鎮める役目を担ったり、

修験者に修行の場を提供したりと、

古くから人々の信仰を集めてきました。

表向きの主祭神は天照大御神となっていますが、

もともとは自然崇拝の聖地なのでしょう。

 

平成23年に発生した大水害により、

神社入り口の鳥居と橋が損壊して流失し、

境内にも甚大な被害が出たと聞きます。

神社の復興は地域の復興であり、

建物の修繕は神様への敬意にもつながります。

ただし、すべての人工物を排除した大馬神社こそ、

古来の大馬神社の姿であるのもまた事実です。

自然災害とは「もとの姿に」という、

神様の意思表示なのかもしれません。


人工的な色彩

2016-12-20 10:32:22 | 熊野の神社

<熊野・大馬神社 おおまじんじゃ>

 

インターネットが発達したことにより、

現地を訪れなければ得らなかった

悲喜こもごもの感動が薄れがちになり、

また「他人の私見」に惑わされて、

素直に心が動かなくなっているのが、

私たち現代人の悪しき習慣だと思います。

きっと私が大馬神社で感じた既視感、

そして理由のわからない違和感は、

そんな過剰な期待によるものなのでしょう。

 

ただ、家に戻って改めて考えている最中、

大馬神社には「ある弊害」が、

潜んでいることにも気づきました。

その弊害とはいわゆる「修験道」の残影です。

大馬神社のご神体でもある美しい滝は、

その昔修験者の禊の場だったと思われますし、

それ以外にも、当時の名残を伝える社が、

参道沿いに並び立っております。

 

決して修験道を否定するわけではありませんが、

こうした「聖地にそぐわない人工的な匂い」が、

神域の空気を曇らせているのは確かでしょう。

ちなみに、大馬神社の社殿の下には、

「鬼(海賊)」の首が埋められているのだそうです。

神社に漂う「人間の痕跡」というのは、

もしかすると、もともとあった聖域の色彩を、

著しく変えてしまうものなのかもしれません。


既視感の理由

2016-12-19 10:31:01 | 熊野の神社

<熊野・大馬神社 おおまじんじゃ>

 

大馬神社を訪れてまず浮かんだのが、

「あーこんな感じなのか…」という、

既視感ともいえるような感情でした。

参拝の間中「どこかに似ている…」

「昔来たことがあったかな…」等々、

あれこれと思いを巡らしてみたものの、

結局その思いの源泉はわからず…。

何となく心にモヤモヤを残しながら、

山を下りてまいりました。

 

ちなみに、大馬神社という神社は、

熊野市内で最も古い神社のひとつといわれており、

神社好きな人々の間でもよく知られた場所です。

私自身も「今回の旅のメインのひとつ」ととらえ、

大馬神社を参拝するのを楽しみにしておりました。

ただ、実際に大馬神社を訪れてみますと、

想像したほど「すごい」という感覚はありません。

私なりにその理由を考えてみたところ、

あるひとつの答えに思い至りました。