天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

夕顔

2012-09-20 21:22:33 | 小説
一ヶ月くらい前の話だ。俺は本屋にいた。その本屋は、駅前のビルにあった。かなり大きく、ワンフロア全部が本屋になっていた。俺は奥まった所にある参考書のコーナーで、目当ての参考書を探していた。その時、声をかけられた。
「もしかして、隆君。」
静かなアルト。柔らかくて、落ち着いた声。聞き覚えのある声だった。俺は振り返った。本屋の制服である緑色のエプロンをつけた小柄な女性が微笑んでいた。白い顔に浮かぶえくぼ。俺は驚いた。
「澤部さん、お久しぶりです。」
「良かった。覚えててくれたんだ。」
「そりゃ、古典赤点を救ってくれた恩人ですから。」
「え、じゃああの後、古典の成績上がったんだ。」
「ばっちり。そのおかげで、受験勉強も順調ですよ。」
「そっか。今年は受験生なんだ。」
そう言った後、澤部さんはすまなそうな顔をした。
「あ、ごめん。忙しいのに、呼び止めたりして。」
俺はもう少し澤部さんと話したい気分だった。彼女の落ち着いた声と白くて丸い童顔に久しぶりに遭遇して、とてもうれしかったのだ。
「俺は全然大丈夫ですよ。澤部さんこそ、仕事中ですよね。手を止めてすいませんでした。久しぶりに会えて、うれしかったです。」
澤部さんの笑顔が大きくなる。
「ありがとう。じゃあね。」
彼女は軽く手を上げて、その場を去ろうとした。俺は思いきって、澤部さんに言った。
「もっとお話したいんです。また会えませんか。」
彼女の目は丸くなり、戸惑った表情になった。

夕顔

2012-09-19 13:50:54 | 小説
だらだらと続く登り坂。俺は必死にマウンテンバイクのペダルを漕ぎ続ける。八月の熱帯夜。風はない。俺は滝のような汗をかく。白く大きな月が天上に浮かぶ。一番高い位置で、青白い光をはなっている。逢瀬にふさわしい夜だと俺は思う。「逢瀬」という言葉がこれほど似合わない年齢もないだろう。この言葉を使うには、俺は若すぎるかもしれない。俺は先月、十八になったばかりの高校生だ。この言葉を知っている同級生は少ないだろう。たとえ知っていたとしても、使うやつはほとんどいないだろう。俺だって、日常生活で使うことなんてない。使う場面が想像つかない。でも、今はそうとしか言いようがない。俺は恋をしている。密かな恋。恋しい人に会いに行くのだ。



高校三年生。受験まっただ中である。だが、俺は何の心配もしていなかった。それと同じくらい俺の周囲の人間ー両親、教師、友人、その他もろもろーも何の心配もしていなかった。なぜなら、俺は目標がはっきりしていれば、黙々と突き進んでいくからだ。計画を立て、それを実行する。これは自慢ではなく、単なる俺の性格だ。いろいろ考える前に、とりあえず目の前のことを片付けていく性格なのだ。それがいいか悪いかは別の問題なのだろう。というわけで、志望大学を三年になって早々に決めた俺は、必須の問題を片っ端から解き始めていた。