封建論 (七ノ二)
故近者聚而爲羣。羣之分、其爭必大。大而後有兵有、又有大者、衆羣之長又就而聽命焉、以安其屬。於是有諸侯之列。則其爭又有大者焉。又大者、諸侯之列又就而聽命焉、以安其封。於是有方伯連帥之類。則其爭又有大者焉。又大者、方伯連帥之類就而聽命焉、以安其人。然後天下會於一。是故有里胥、而後有縣大夫。有縣大夫、而後有諸侯。有諸侯、而後有方伯連帥。有方伯連帥、而後有天子。自天子至於里胥、其在人者、死必求其嗣而奉之。故封建非聖人意也。勢也。
故に近き者は聚(あつま)って群を為す。群の分かるる、その争い必ず大なり。大にして後に兵有り徳あり、また大なる者有りて、衆群の長また就いて命を聴き、以ってその属を安んず。是(ここ)に於いて諸侯の列有り。則ちその争いまた大なるもの有り。徳また大なる者ありて、諸侯の列また就いて命を聴き、以ってその封を安んず。是に於いて方伯(ほうはく)・連帥(れんすい)の類有り。則ちその争いまた大なるもの有り。徳また大なる者ありて、方伯・連帥の類また就いて命を聴き、以ってその人を安んず。然る後に天下一(いつ)に会す。
是の故に里胥(りしょ)有りて、而る後に県大夫有り。県大夫有りて、而る後に諸侯有り。諸侯有りて、而る後に方伯・連帥有り。方伯・連帥有りて、而る後に天子有り。天子より里胥に至るまで、その徳人に在るものは、死すれば必ずその嗣を求めてこれに奉ず。故に封建は聖人の意に非ざるなり。勢いなり。
兵あり徳あり 武力と人徳がある。 方伯・連帥 周代十国の諸侯の上に立って一地方を支配した官、二百十国を州といい、州の長を伯という方伯は州伯のこと、また十国を連といい連の長を帥という。 里胥 村の長、二十五戸を里という。 県大夫 県知事。二千五百戸を県といい、十六里四方の耕地をさす。
このような訳で、利害の近い者同士が集まって群れをつくり、その群れが分かれると今度は群れと群れの間の争いが大きくなってくる。そうなるとこんどは武力を持ち、徳の高い者のもとにさらに大きな群れができて、多くの群れの頭はその大きな群れの長の命令を聞きいれ群れの民の安全を保つことになる。こうして諸侯の階層ができた。そうなると争いはさらに大きくなる。徳のなお一層高い人物が居て、諸侯がその人物の命令を聞き従って、その領地の安全を保つ。ここに於いて方伯・連帥ができる。すると又争いが大きくなり、さらに一層高徳の人物が居ると方伯・連帥の類が又その命令を聞き、領民の安全を保つ。こうなって天下は合一して国家となったのである。
以上の経過によって、まず村の長ができ、その後県の長ができた。県の長ができた後に諸侯ができた。諸侯の後に方伯・連帥ができ、方伯・連帥のできた後に天子ができたのである。天子から村の長に至るまで、その人の徳が人民に及ぶ場合には、その人が死ねば必ず後継ぎを選んで奉戴した。故に封建は聖人の考え出したものではなく、成り行きによってできたものである。
故近者聚而爲羣。羣之分、其爭必大。大而後有兵有、又有大者、衆羣之長又就而聽命焉、以安其屬。於是有諸侯之列。則其爭又有大者焉。又大者、諸侯之列又就而聽命焉、以安其封。於是有方伯連帥之類。則其爭又有大者焉。又大者、方伯連帥之類就而聽命焉、以安其人。然後天下會於一。是故有里胥、而後有縣大夫。有縣大夫、而後有諸侯。有諸侯、而後有方伯連帥。有方伯連帥、而後有天子。自天子至於里胥、其在人者、死必求其嗣而奉之。故封建非聖人意也。勢也。
故に近き者は聚(あつま)って群を為す。群の分かるる、その争い必ず大なり。大にして後に兵有り徳あり、また大なる者有りて、衆群の長また就いて命を聴き、以ってその属を安んず。是(ここ)に於いて諸侯の列有り。則ちその争いまた大なるもの有り。徳また大なる者ありて、諸侯の列また就いて命を聴き、以ってその封を安んず。是に於いて方伯(ほうはく)・連帥(れんすい)の類有り。則ちその争いまた大なるもの有り。徳また大なる者ありて、方伯・連帥の類また就いて命を聴き、以ってその人を安んず。然る後に天下一(いつ)に会す。
是の故に里胥(りしょ)有りて、而る後に県大夫有り。県大夫有りて、而る後に諸侯有り。諸侯有りて、而る後に方伯・連帥有り。方伯・連帥有りて、而る後に天子有り。天子より里胥に至るまで、その徳人に在るものは、死すれば必ずその嗣を求めてこれに奉ず。故に封建は聖人の意に非ざるなり。勢いなり。
兵あり徳あり 武力と人徳がある。 方伯・連帥 周代十国の諸侯の上に立って一地方を支配した官、二百十国を州といい、州の長を伯という方伯は州伯のこと、また十国を連といい連の長を帥という。 里胥 村の長、二十五戸を里という。 県大夫 県知事。二千五百戸を県といい、十六里四方の耕地をさす。
このような訳で、利害の近い者同士が集まって群れをつくり、その群れが分かれると今度は群れと群れの間の争いが大きくなってくる。そうなるとこんどは武力を持ち、徳の高い者のもとにさらに大きな群れができて、多くの群れの頭はその大きな群れの長の命令を聞きいれ群れの民の安全を保つことになる。こうして諸侯の階層ができた。そうなると争いはさらに大きくなる。徳のなお一層高い人物が居て、諸侯がその人物の命令を聞き従って、その領地の安全を保つ。ここに於いて方伯・連帥ができる。すると又争いが大きくなり、さらに一層高徳の人物が居ると方伯・連帥の類が又その命令を聞き、領民の安全を保つ。こうなって天下は合一して国家となったのである。
以上の経過によって、まず村の長ができ、その後県の長ができた。県の長ができた後に諸侯ができた。諸侯の後に方伯・連帥ができ、方伯・連帥のできた後に天子ができたのである。天子から村の長に至るまで、その人の徳が人民に及ぶ場合には、その人が死ねば必ず後継ぎを選んで奉戴した。故に封建は聖人の考え出したものではなく、成り行きによってできたものである。