周主還大梁、留兵圍壽州。唐兵復江北諸州。周主將皆棄去、并兵攻壽州。周主復自將如壽。唐人以城降。周主還大梁。已而復自將攻濠・泗。皆降。進攻楚州、遣兵取揚・泰。周主克楚州、還至揚州。唐主遣使、盡獻江北地。周主乃還。唐主更名景、去帝號、奉周正朔。
周主、大梁に還り、兵を留めて寿州を囲ましむ。唐の兵、江北の諸州を復す。周の守将皆棄て去り、兵を併せて寿州を攻む。周主復た自ら将として寿に如(ゆ)く。唐人、城を以って降る。周主、大梁に還る。已にして復た自ら将として濠(ごう)・泗(し)を攻む。皆降る。進んで楚州を攻め、兵を遣わして揚・泰を取らしむ。周主、楚州に克ち、還って揚州に至る。唐主使いを遣わして、尽く江北の地を献ず。周主乃ち還る。唐主、名を景と更(あらた)め、帝号を去り、周の正朔(せいさく)を奉ず。
濠・泗 共に安徽省の州名。 楚州 今の江蘇省の地。 名を景と更め 南唐の主は李(えい)であったが周主栄に音が通じるため敬遠して改めた。 正朔を奉ず 正朔は暦のこと、その国の統治に服すること。
周主は大梁に還ったが、兵を留めて寿州を包囲させた。すると唐兵が盛り返して長江以北の諸州を取り返したので、守っていた周の将軍たちは皆城を棄て寿州攻略にかかった。それでも寿州は持ちこたえたので、周主は再び自ら指揮をして寿州を攻撃すると、さしもの唐軍も遂に降伏したのであった。周主は大梁に還ったが、しばらくして再び自ら将として濠州と泗州を攻撃した。忽ち二州は降伏した。さらに楚州を攻めながら、別に兵を遣わして揚州と泰州を取らせた。周主は楚州で勝ち、還って揚州まで来たところ、唐主が使者を遣わして和平を請い、長江以北の地を悉く献上したので、周主はこれを受けて大梁に凱旋した。南唐の主李は名を改め李景とし、皇帝の称号をやめて、周の暦に従って、臣下となった。