愈始聞而惑之。又從而思之。蓋賢者也。蓋所謂獨善其身者也。然吾有譏焉。謂其自爲他過多、其爲人也過少、其學楊朱之道者邪。楊之道、不肯抜我一毛而利天下。而夫人以有家爲勞心、不肯一動其心以畜其妻子。其勞其心以爲人乎哉。
雖然、其賢於世之患不得之、而患失之者、以濟其生之欲、貪邪而亡道、以喪其身者、其亦遠矣。又其言有可以警余者。故余爲之傳而自鑒焉。
愈始め聞きてこれに惑う。また従ってこれを思う。蓋(けだ)し賢者ならん。蓋し所謂(いわゆる)独りその身を善くする者ならん。然れども吾譏(そし)ること有り。謂(おも)うに、その自ら為にすること多きに過ぎ、その人の為にすること少なきに過ぐるは、それ楊朱の道を学ぶ者か。楊の道は、我が一毛を抜いて天下を利するを肯(がえ)んぜず。而して夫(か)の人は家有るを以って心を労すと為し、一たびその心を動かして以ってその妻子を畜(やしな)うを肯んぜず。それ肯(あえ)てその心を労して以って人の為にせんや。
然りと雖も、それ世のこれを得ざるを患(うれ)えて、これを失うことを患うる者、以ってその生の欲を済(な)し、貪邪(たんじゃ)にして道を亡(うしな)い、以ってその身を喪(うしな)い、以ってその身を喪(ほろぼ)す者より賢なることそれ亦た遠し。またその言、以って余を警(いまし)むべきもの有り。故に余これが伝を為(つく)りて自ら鑑(かがみ)とす。
蓋し まさしく、おそらく。 譏る 批判する。 楊朱 戦国時代の思想家、我が為にする個人主義を主張。 肯んぜず 承諾しない。 家 家庭。 貪邪 貪はむさぼる。 賢 まさる。 鑑 いましめ、てほん。
私は始めこれを聞いて思い惑った。そしてよく考えてみた。彼はまさしく賢者であろう。またおそらく、言うところの自分だけを善くみせる者であろう。
しかし私は彼に批判することがある。それは彼が自分の為にすることが多くて、他人の為にすることが少なすぎることだ。かれは楊朱の道に倣ったのであろうか、楊朱の説くところは、自分の毛たった一本も天下のために役立てようとしない利己主義で彼もまた、家庭を持つことは苦労が増えることだと言って、心を動かして妻子を養おうとしない。これでは心をこめて他人のために尽すはずもなかろう。
しかし、富貴を得ないことを憂い、あるいは手にいれた富貴を失うことを恐れて、貪欲、邪悪に走り道を踏み外して身を滅ぼす者に比べればはるかに勝っている。また彼の言葉には、私自信の戒めとすべきものがある。故に彼の伝記を作り、わが身の手本とする。
制作年不詳。韓愈は左官職人の口を借りて、富貴に固執し、身を滅ぼしていく人を批判する。一方王承福にも彼の独善的な考えに批判の眼を向けている、徹底して儒家思想を信奉する韓愈には、市井の左官職人に老子から続く楊朱の思想の流れをみたのであろう。
雖然、其賢於世之患不得之、而患失之者、以濟其生之欲、貪邪而亡道、以喪其身者、其亦遠矣。又其言有可以警余者。故余爲之傳而自鑒焉。
愈始め聞きてこれに惑う。また従ってこれを思う。蓋(けだ)し賢者ならん。蓋し所謂(いわゆる)独りその身を善くする者ならん。然れども吾譏(そし)ること有り。謂(おも)うに、その自ら為にすること多きに過ぎ、その人の為にすること少なきに過ぐるは、それ楊朱の道を学ぶ者か。楊の道は、我が一毛を抜いて天下を利するを肯(がえ)んぜず。而して夫(か)の人は家有るを以って心を労すと為し、一たびその心を動かして以ってその妻子を畜(やしな)うを肯んぜず。それ肯(あえ)てその心を労して以って人の為にせんや。
然りと雖も、それ世のこれを得ざるを患(うれ)えて、これを失うことを患うる者、以ってその生の欲を済(な)し、貪邪(たんじゃ)にして道を亡(うしな)い、以ってその身を喪(うしな)い、以ってその身を喪(ほろぼ)す者より賢なることそれ亦た遠し。またその言、以って余を警(いまし)むべきもの有り。故に余これが伝を為(つく)りて自ら鑑(かがみ)とす。
蓋し まさしく、おそらく。 譏る 批判する。 楊朱 戦国時代の思想家、我が為にする個人主義を主張。 肯んぜず 承諾しない。 家 家庭。 貪邪 貪はむさぼる。 賢 まさる。 鑑 いましめ、てほん。
私は始めこれを聞いて思い惑った。そしてよく考えてみた。彼はまさしく賢者であろう。またおそらく、言うところの自分だけを善くみせる者であろう。
しかし私は彼に批判することがある。それは彼が自分の為にすることが多くて、他人の為にすることが少なすぎることだ。かれは楊朱の道に倣ったのであろうか、楊朱の説くところは、自分の毛たった一本も天下のために役立てようとしない利己主義で彼もまた、家庭を持つことは苦労が増えることだと言って、心を動かして妻子を養おうとしない。これでは心をこめて他人のために尽すはずもなかろう。
しかし、富貴を得ないことを憂い、あるいは手にいれた富貴を失うことを恐れて、貪欲、邪悪に走り道を踏み外して身を滅ぼす者に比べればはるかに勝っている。また彼の言葉には、私自信の戒めとすべきものがある。故に彼の伝記を作り、わが身の手本とする。
制作年不詳。韓愈は左官職人の口を借りて、富貴に固執し、身を滅ぼしていく人を批判する。一方王承福にも彼の独善的な考えに批判の眼を向けている、徹底して儒家思想を信奉する韓愈には、市井の左官職人に老子から続く楊朱の思想の流れをみたのであろう。