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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 李嗣源立つ  

2014-02-15 09:15:00 | 十八史略
將召兵攻亂者。安重誨曰、公爲元帥、不幸爲凶人所劫。不若、星行詣闕、見天子。庶可自明。嗣源乃南趨相州。譖者奏、嗣源已叛。嗣源上章自理。遏不得通。始疑懼。石敬瑭曰、安有上將與叛卒入城、而佗日得保無恙者乎。大梁天下都會。願先往取之。始可自全。康義誠曰、主上無道。軍民怨望。公從衆則生。守節必死。嗣源乃以敬瑭爲前鋒、李從珂爲殿、引兵入大梁。

将(まさ)に兵を召して乱者を攻めんとす。安重誨(あんじゅうかい)曰く「公、元帥と為って不幸にして凶人の劫(おびや)かす所と為る。若(し)かず、星行(せいこう)して闕(けつ)に詣(いた)り、天子に見(まみ)えんには。庶(こいねが)わくは自ら明らかにす可し」と。嗣源乃ち南のかた相州に趨(はし)る。譖者(しんしゃ)奏す「嗣源、已に叛す」と。嗣源、章を上(たてまつ)って自ら理(ただ)す。遏(とど)められて通ずることを得ず。始めて疑懼(ぎく)す。石敬瑭(せきけいとう)曰く「安(いずく)んぞ上将、叛卒と与(とも)に城に入って、佗日(たじつ)恙(つつが)なきを保(ほ)するを得る者有らんや。大梁は天下の都会なり。願わくは先ず往いて之を取れ。始めて自ら全うす可し」と。康義誠曰く「主上無道なり。軍民怨望す。公、衆に従わば則ち生きん。節を守らば必ず死せん」と。嗣源、乃ち敬瑭を以って前鋒と為し、李従珂を殿(でん)と為し、兵を引いて大梁に入る。

星行 急いで駆けつけること。 闕 宮闕。 詣 いたる、参詣の意はない。 譖者 告げ口する者。 遏 さえぎる。 理 申し開きをする。 疑懼 疑い懼れる。 佗日 他日。 怨望 怨も望もうらむの意。 殿 後づめ、しんがり。

李嗣源はすぐに兵を招集して叛乱軍を攻めようとした。部下の安重誨が言うことには「公は元帥となって、不幸にして凶悪人におびやかされてこんな事になりました。とすれば、すぐにでも駆けつけて宮中に参内して天子に目通りして自ら釈明すべきです」と。嗣源はそこで都を目指して、南のかた相州まで駆けつけた。すると讒言する者があって、「嗣源が謀叛しました」と奏上した。嗣源は相州から上書して自ら弁明したが、途中で阻止されて天子に達するに至らなかった。嗣源は始めて疑い恐れた。石敬瑭という部将が「大将が反乱軍と一緒に城に居て、あとで禍いのないことが保障できましょうか。大梁は天下の大都会です、先ず行って攻め取りなさい。それで始めて命を全うすることができましょう」と言った。また康義誠という部将も「天子は無道です。兵士も民も怨んでいます。将軍が衆望に従うならば生きられます。忠節を守られたらきっと殺されるでしょう」と言って決起を促した。嗣源はそこで敬瑭を先鋒として李従珂をしんがりとして、兵を引き連れて大梁に攻め入った。

唐宋八家文 韓愈 原性 二ノ一

2014-02-13 08:47:57 | 唐宋八家文
性也者、與生倶生也。情也者、接於物而生也。性之品有三。而其所以爲性者五。情之品有三。而其所以爲性者七。曰、何也。曰、性之品有上中下三。上焉者善焉而已矣。中焉者可導而上下也。下焉者惡焉而已矣。其所以爲性者五。曰、仁。曰、禮。曰、信。曰、義。曰、智。上焉者之於五也、主於一而行於四。中焉者之於五也、一不少有焉、則少反焉。其於四也混。下焉者之於五也、反於一而悖於四。性之於情視其品。
情之品有上中下三。其所以爲情者七。曰、喜。曰、怒。曰、哀。曰、懼。曰、愛。曰、惡。曰、欲。上焉者之於七也、動而處其中。中焉者之於七也、有所甚、有所亡。然而求合其中者也。下焉者之於七也、亡與甚、直情而行者也。情之於性視其品。
孟子之言性、曰、人之性善。荀子之言性、曰、人之性惡。揚子之言性、曰、人之性善惡混。夫始善而進惡、與始惡而進善、與始也混而今也善惡、皆擧其中而遣其上下者也。得其一而失其二者也。

性なるものは、生(せい)と倶(とも)に生ずるなり。情なるものは、物に接して生ずるなり。性の品に三有り。而(しか)してその性たる所以(ゆえん)のものは五。情の品に三有り。而してその情たる所以のものは七。曰く「何ぞや」と。曰く「性の品に上中下の三有り。上なるものは善これのみ。中なるものは導いて上下すべし。下なるものは悪これのみ」と。
その性たる所以のものは五。曰く、仁。曰く礼。曰く、信。曰く、義。曰く、智。
上なるものの五に於けるや、一に主として四に行わる。中なるものの五に於けるや、一少しく有せざれば、則ち少しく反す。その四に於けるや混ず。下なるものの五に於けるや、一に反して、四に悖(もと)る。性の情に於けるや、その品に視(なぞら)う。
情の品に上中下の三有り。その情たる所以のものは七。曰く、喜。曰く、怒。曰く、哀。曰く、懼。曰く、愛。曰く、悪。曰く、欲。
上なるものの七に於けるや、動いてその中に処(お)る。中なるものの七に於けるや、甚だしき所有り、亡(うしな)う所有り。然(しか)してその中に合わんことを求むるものなり。下なるものの七に於けるや、亡うと甚だしきと、直情にして行うものなり。情の性に於けるや、その品に視う。
孟子の性を言う、曰く「人の性は善なり」と。荀子の性を言う、曰く「人の性は悪なり」と。揚子の性を言う、曰く「人の性は善悪混ず」と。
それ始め善にして悪に進むと、始め悪にして善に進むと、始めや混じ、而して今や善悪なると、皆その中を挙げてその上下を遺(わす)るるものなり。その一を得てその二を失うものなり。


性 もって生まれた心の働き。 情 心が物に感じて動く作用。 仁 慈しみ。 礼 真心の行い。 信 まこと。 義 正しいみち。 智 智慧。 悖る そむく。 視 なぞらえる。 甚 過剰なもの。 亡 足りないもの。 直情 情に流される。 揚子 揚雄、前漢の学者。
 
ひとのもって生まれた性質というものは、生命と共に生ずるものである。情というものは心が物に感じて動くはたらきである。性には三つの品がある。そしてその性の性たらしめるものは七つある。それは何かと言えば、「性の品等には上・中・下の三つがある。上の性は善だけであり、中の性は導きによって上の善にも下の悪にもなれるもので、下の性は悪だけである」その性を性たらしめているのは仁・礼・信・義・智の五つである。
上の性はこの五つのうちの一つをしっかり持って他の四つもまた並び行うものだ。中の性はこの五つのうちの一つが少し欠けていて、他の四つも過不足があって混然としている。下の性はこの五つにおいて全く欠けていて、他の四つにも背いている。性の情において情の品等に対応する。
情の品等に上・中・下の三つがある。情の情たらしめているものは、喜・怒・哀・懼・愛・悪(にくしみ)・欲の七つである。
上の情は、七つにおいて、どれも中正の状態を保っている。中の情は七つにおいて、過剰なものと足りないものがあり、その過不足が中正になろうとしている。下の情は過剰と不足が無秩序に行われる。情の性において性の品等に対応する。
孟子は人の性を善であると言い、荀子は人の性を悪であると言う。揚子は人の性は善悪混っていると言った。始め善であったものが悪に向かってしまうもの、始め悪で善に向かうもの、始め善悪混っていたものが次第に善と悪に分かれるもの、この三様はどれも中の性について言っており、上下の性を忘れているのである。性の一つ中の性を挙げて二つの性を失っているものなのである。

十八史略 李嗣源、窮地を逃れる 

2014-02-11 08:25:36 | 十八史略
魏博將戍瓦橋。第代歸、復遣留屯貝州。遂作亂、奉趙在禮、入據鄴都。唐遣將李嗣源之。至城下、軍士大譟曰、將士從主上十年、百戰以得天下。今貝州戍卒思歸。主上不赦。從馬直數卒喧競、遽欲盡誅其族。我輩初無叛心。但畏死。今欲與城中合勢。抜白刃擁嗣源入城。城中不受外兵、逆撃之。皆潰、嗣源詭辭得出。

魏博の将、瓦橋を戍(まも)る。代わって帰るや、復(また)留って貝州(ばいしゅう)に屯せしむ。遂に乱を作(な)し、趙在礼を奉じて、入って鄴都(ぎょうと)に拠(よ)る。唐、将李嗣源を遣わして之を討たしむ。城下に至れば、軍士大いに譟(さわ)いで曰く「将士、主上に従うこと十年、百戦して以って天下を得たり。今貝州の戍卒(じゅそつ)帰らんことを思う。主上赦さず。従馬直(じゅうばちょく)の数卒喧競(けんきょう)すれば、遽(にわか)に尽(ことごと)く其の族を誅せんと欲す。我が輩初めより叛心無し。但死を畏るるのみ。今城中と勢いを合わせんと欲す」と。白刃を抜き、嗣源を擁して城に入る。城中、外兵を受けずして、之を逆(むか)え撃つ。皆潰(つい)ゆ。嗣源詭辞(きじ)して出ずるを得たり。

魏博 魏州の節度使。 瓦橋 瓦橋関、河北省雄県にある。 貝州 河北省清河県。 鄴都 今の河南省臨漳県、三国時代魏の都。 従馬直 近衛兵。 喧競 言い争うこと。 外兵 李嗣源の兵。 詭辞 詭弁。

魏博の大将(指揮使の楊仁晸)が瓦橋関の守備を終えて帰ってくると、再び貝州に駐屯させて魏博に還ることを許されなかったので、部下が反乱を起こして楊仁晸(ようじんてい)を殺して趙在礼を立て、鄴都に入って立てこもった。唐は李嗣源(りしげん)を遣わしてこれを討伐させた。城下に到着すると、李嗣源の部下の兵士たちが騒いで「われわれは天子に従って十年、百戦して天下を得たのに、いま貝州の守備兵が帰国を願って騒ぐと天子はこれを許されない。また近衛の数名が言い争って軍使を殺すと、急遽近衛の部隊まで皆殺しにせよとされる。われわれとて初めから謀叛をしようとした訳では無い、ただ罪もないのに殺されることを畏れただけである。だから、城中に立て籠っている魏博の兵と合流し活路を見出したい」と刀を抜いて嗣源を囲み城に入ろうとした、ところが城中は事情を知らず、嗣源だけを受け取ると、外部の兵を受け入れずに攻撃したので、追討の兵は総崩れになった。嗣源は叛将の趙在礼に(事を成すには兵が必要でしょう、私が敗走した部下を集めて来ましょうと)だまして、城を抜け出した。

唐宋八家文 韓愈 伯夷頌

2014-02-06 16:30:04 | 唐宋八家文
伯夷頌
士之特立獨行、適於義而已、不顧人之是非、皆豪傑の士、信道篤而自知明者也。一家非之、力行而不惑者寡矣。至於一國一州非之、力行而不惑者、蓋天下一人而已。若至於擧世非之、力行而不惑者、則千百年乃一人而已耳。
若伯夷者、窮天地亘萬世、而不顧者也。昭乎日月不足爲明。崒乎泰山不足爲高。巍乎天地不足爲容也。當殷之亡周之興、微子賢也。抱祭器而去之。武王・周公聖也。從天下之賢士與天下之諸侯、而往攻之。未嘗聞有非之者也。彼伯夷・叔齊者、乃獨以爲不可。殷既滅矣、天下宗周。彼二子乃獨恥食其粟、餓死而不顧。繇是而言、夫豈有求而爲哉。信道篤而自知明也。
今世之所謂士者、一凡人擧之、則自以爲有餘、一凡人沮之、則自以爲不足。彼獨非聖人、而自是如此。夫聖人乃萬世之標準也。余故曰、若伯夷者、特立獨行、窮天地亘萬世、而不顧者也。雖然微二子、亂臣賊子、接跡於後世矣。

士の特立独行、義に敵(かな)うのみにして、人の是非を顧みざるは、皆豪傑の士、道を信ずること篤くして、自ら知ること明らかなる者なり。
一家これを非とするに、力行して惑わざる者は寡(すくな)し。一国一州これを非とするに、力行して惑わざる者に至っては、蓋(けだ)し天下に一人のみ。若(も)し世を挙げてこれを非とするに、力行して惑わざる者に至っては、則ち千百年にして乃(すなわ)ち一人なるのみ。
伯夷の若(ごと)き者は、天地を窮め、万世に亘って、顧みざる者なり。昭乎(しょうこ)たる日月も明るしと為すに足らず。崒乎(しゅっこ)たる泰山も高しと為すに足らず。巍乎(ぎこ)たる天地も容るると為すに足らざるなり。
殷の亡び周の興るに当って、微子賢なり。祭器を抱いてこれを去る。武王・周公は聖なり。天下の賢士と天下の諸侯を従えて、往きてこれを攻む。未だ嘗てこれを非とする者有るを聞かざるなり。
彼(か)の伯夷・叔斉は、乃ち独り以って不可と為す。殷既に滅びて、天下周を宗(そう)とす。彼の二子は独りその粟(ぞく)を食らうを恥じ、餓死して顧みず。是に繇(よ)って言えば、夫(そ)れ豈(あに)求むること有って為さんや。道を信ずること篤くして、自ら知ること明らかなるなり。
今、世のいわゆる士は、一凡人これを誉むれば、則ち自ら以って余り有りと為し、一凡人これを沮(はば)めば、則ち自ら以って足らずと為す。
彼独り聖人を非として、自ら是とすること此の如し。夫れ聖人は乃ち万世の標準なり。余故に曰く「伯夷の若(ごと)き者は、特立独行、天地を窮め、万世に亘って、顧みざる者なり」と。
然りと雖も二子微(な)かりせば、乱臣賊子、跡を後世に接せん。


特立独行 衆に抜きんでて立ち、自分の信じることを行うこと。 豪傑 才知優れた人。 崒乎 山の高く険しいさま。 巍乎 高大なさま。 微子 紂王の諸兄微子敬のこと、しばしば紂王を諌めたが聞き入れられず亡命した。武王 周建国の王。 周公 武王の弟、旦。 粟 穀物。 繇(ゆう) 由に通じて、よって。 標準 あるべき形。接 続く。

世に抜きんでて信じるところを貫こうとするとき、義に適うことのみ考えて他人の評価などを顧慮しない人は、皆才知優れた立派な人物で、道理を深く信じて自身をはっきり知っている人である。
家中の人から非難されても、力を尽して邁進し、迷わない人は少ない。国中の人が非難しても力を尽して信じることを貫く人となると、おそらく天下にただ一人であろう。もし世の中全ての人が非としても、力を尽して行い迷うことのない者となると、百年、千年待ってようやく一人出るだけであろう。
伯夷と叔斉の如き人物は、天地の間、万世の永きにわたってみてもたずねあたらぬ人物である。輝く日月の光も及ばず、高々と聳える泰山も、高大な天地も伯夷の偉大な器量を容れるには足らないのである。
殷が亡び周王朝が興るにあたって、殷の賢人微子敬は宗廟の祭器を持ち出して亡命した。武王と周公は共に聖人であった。天下の賢人と諸侯を糾合して殷を攻めた。これを悪い事だと批判した人が居たとは聞かないのである。ところがあの伯夷と叔斉だけが、良くないことだと思い、死を賭して武王を諌めた。すでに天下は周を君主とした。二人は周の穀物を食うことを潔しとせず、餓死してもよしとした。是によって言うなら、名利か何かを求めてしたことではなく、道理の正しさを信じ自分自身を良く知っていたからである。
今の世の中で人物といわれる人は、ある人から誉められると、誉めすぎだと自身を戒め、ある人が貶すと、自分でも反省する。ところが伯夷独りは武王を非とし、自分は間違っていないと言って譲らないのである。聖人たる武王は永遠に人々の規範である。だから私韓愈は「伯夷のような人は、世俗に抜きんでて立ち、信ずるところに従って道を行くので、天地を窮め、万世を見渡してもたずねあたらぬ人物である」といったのである。
とは言えもし伯夷と叔斉が居なかったら、国を乱す臣、反逆の輩がぞろぞろと続けて出て来たことであろう。


制作年不詳。伯夷と叔斉の烈しい生き方に共感を寄せる韓愈は「特立独行」という言葉でとらえ、信ずるところの義を貫徹するために、死を賭けた二人を称揚したのである。韓愈自信も「仏骨を論ずる表」によりあやうく死罪になりかけた経験を有する。


十八史略 天下を理むる者

2014-02-06 10:05:00 | 十八史略
唐帝自克梁後寖驕。首以伶人爲刺史。帝幼習音律、或時自傅粉墨、與優人共戲。優名謂之李天下。嘗自呼曰李天下李天下。優人敬新磨、遽前批其頬。帝失色。新磨徐曰、理天下只一人。尚誰呼邪。帝悦。諸伶出入宮掖、悔弄搢紳。羣臣憤疾、莫敢出氣。亦有反相附託、納貨展轉、以干恩澤。蠧政害人、恣爲讒慝。帝疎忌宿將、不恤軍士。數出遊獵、蹂踐民田。 上下咨怨。

唐帝、梁に克ってより後寖(やや)驕る。首として伶人を以って刺史と為す。帝、幼より音律に習い、或いは時に自ら粉墨を傅(つ)けて、優人と共に戯る。優名之を李天下と謂う。嘗て自ら呼んで李天下李天下と曰う。優人敬新磨、遽(にわか)に前(すす)んで其の頬を批(う)つ。帝、色を失う。新磨徐ろに曰く「理天下は只一人、尚誰を呼ぶや」と。帝悦(よろこ)ぶ。諸伶、宮掖に出入して、搢紳(しんしん)を侮弄(ぶろう)す。群臣憤り疾(にく)めども、敢えて気を出だすもの莫(な)し。亦反って相附託(ふたく)して、貨を納れ展轉(てんてん)して、以って恩沢を干(もと)むるもの有り。政を蠧(と)し人を害し、恣(ほしいまま)に讒慝(ざんとく)を為す。帝、宿将を疎忌(そき)し、軍士を恤(あわれ)まず。数しば出でて遊猟し、民の田を蹂践す。上下(しょうか) 咨怨(しえん)す。

寖 次第に。 首 初め。 伶人 楽人。 刺史 州の知事。 粉墨 おしろいと眉墨。 傅 附に同じ。 優人 俳優。 優名 芸名。 宮掖 宮中。 搢紳 高官貴顕。 附託 結託。 展轉 転びまわる、つてを辿って頼みまわる。 干 もとめる。 蠧 ずい虫。 讒慝 讒言と隠れた悪事。 疎忌 遠ざける。 蹂践 踏みにじること蹂躙。 咨怨 咨は嘆くこと。

唐帝は梁に勝ってから次第に驕慢になっていった。まず初めに、楽人を州知事に任命した。帝は幼い時から音楽を習い、時には化粧して俳優と一緒に楽しみ、芸名を李天下といった。ある時、自分から「李天下、李天下」と二度言った。俳優の敬新磨という者が進み出て、帝の頬を打ったので、帝ははっと顔色を変えた。新磨はおもむろに「天下を理(おさ)めるお方は只一人でありますのに、一体誰をお呼びになるつもりですか」と追従を言った。帝はかえって喜んだ。この一件以後、楽人どもは宮中に出入りし、高官をも侮り愚弄したので、臣下たちは憤慨したけれど、誰一人として気力を振り絞って排斥する者が居なかった。のみならず楽人と結託したり、賄賂を贈って、手づるを伝って帝の恩沢に与かろうとする者もあった。そのため政治はむしばまれ、人民を苦しめ、讒言悪行が横行した。また帝は恩顧の将軍たちを遠ざけ、兵士にも目をかけず、しばしば遊猟に出かけ、田畑を踏みにじった。このため、公卿大臣から庶民に至るまで嘆き怨んだ。