遣李嗣源襲取梁鄆州。梁以王彦章爲招討。唐主戒勝守者曰、王鐡槍勇決。謹之。彦章果抜南城、進抜諸寨、至楊劉力攻。不克而退。梁遣彦章攻鄆。唐主救之。梁敗彦章死。唐以嗣源爲前鋒、五日入大梁。梁主猶慮諸兄弟乗危謀亂、盡殺之、尋命其下殺己。在位十一年。改元者二、曰貞明・龍。梁自太祖稱帝、至是二世、一十七年而亡。
李嗣源を遣わして梁の鄆州(うんしゅう)を襲い取らしむ。梁、王彦章を以って招討と為す。唐主、徳勝の守者を戒めて曰く「王鉄鎗勇決なり。之を謹めよ」と。彦章果して南城を抜き、進んで諸塞を抜き、楊劉に至って力攻す。克たずして退く。梁、彦章を遣わして鄆を攻めしむ。唐主之を救う。梁敗れ彦章死す。唐、嗣源を以って前鋒と為し、五日にして大梁に入る。梁主、猶諸兄弟(けいてい)の危きに乗じて乱を謀らんことを慮(おもんばか)り、盡く之を殺し、尋(つ)いで其の下(しも)に命じて己を殺さしむ。在位十一年。改元する者(こと)二、貞明・龍徳と曰う。梁は太祖の帝と称せしより、是(ここ)に至って二世、一十七年にして亡ぶ。
王鉄鎗 王彦章のこと。 勇決 勇猛で決断力に富むこと。 楊劉 山東省の地。
唐(後唐)は李嗣源を遣わして梁の鄆州を襲い陥落させた。梁は王彦章を招討使に任命してこれに当らせた。唐主は徳勝城の守将に戒めて「王鉄鎗は勇猛で決断力に富んだ男であるから充分注意をせよ」と申し渡した。果して彦章は徳勝の南城を陥れ、なお諸所の砦を攻め取り、鄆州の楊劉城の奪還に向かい、激しく攻め立てたが勝てず退いた。梁はなおも彦章をして鄆州を攻めさせたが、唐主自ら救援したから梁軍は敗れ、彦章は討ち死にした。李嗣源を先鋒として、五日目に梁の都の大梁に入城した。梁帝友貞は兄弟たちが危急に乗じて内乱を企てはしまいかと危ぶみ、皆殺しにした。次いで部下に命じて自分を殺させた。在位十一年、改元すること二回、貞明・龍徳といった。かくして太祖朱全忠が皇帝を称してから二代十七年で亡んだ。