寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 梁の滅亡。

2014-01-16 09:52:15 | 十八史略

遣李嗣源襲取梁鄆州。梁以王彦章爲招討。唐主戒勝守者曰、王鐡槍勇決。謹之。彦章果抜南城、進抜諸寨、至楊劉力攻。不克而退。梁遣彦章攻鄆。唐主救之。梁敗彦章死。唐以嗣源爲前鋒、五日入大梁。梁主猶慮諸兄弟乗危謀亂、盡殺之、尋命其下殺己。在位十一年。改元者二、曰貞明・龍。梁自太祖稱帝、至是二世、一十七年而亡。

李嗣源を遣わして梁の鄆州(うんしゅう)を襲い取らしむ。梁、王彦章を以って招討と為す。唐主、徳勝の守者を戒めて曰く「王鉄鎗勇決なり。之を謹めよ」と。彦章果して南城を抜き、進んで諸塞を抜き、楊劉に至って力攻す。克たずして退く。梁、彦章を遣わして鄆を攻めしむ。唐主之を救う。梁敗れ彦章死す。唐、嗣源を以って前鋒と為し、五日にして大梁に入る。梁主、猶諸兄弟(けいてい)の危きに乗じて乱を謀らんことを慮(おもんばか)り、盡く之を殺し、尋(つ)いで其の下(しも)に命じて己を殺さしむ。在位十一年。改元する者(こと)二、貞明・龍徳と曰う。梁は太祖の帝と称せしより、是(ここ)に至って二世、一十七年にして亡ぶ。

王鉄鎗 王彦章のこと。 勇決 勇猛で決断力に富むこと。 楊劉 山東省の地。

唐(後唐)は李嗣源を遣わして梁の鄆州を襲い陥落させた。梁は王彦章を招討使に任命してこれに当らせた。唐主は徳勝城の守将に戒めて「王鉄鎗は勇猛で決断力に富んだ男であるから充分注意をせよ」と申し渡した。果して彦章は徳勝の南城を陥れ、なお諸所の砦を攻め取り、鄆州の楊劉城の奪還に向かい、激しく攻め立てたが勝てず退いた。梁はなおも彦章をして鄆州を攻めさせたが、唐主自ら救援したから梁軍は敗れ、彦章は討ち死にした。李嗣源を先鋒として、五日目に梁の都の大梁に入城した。梁帝友貞は兄弟たちが危急に乗じて内乱を企てはしまいかと危ぶみ、皆殺しにした。次いで部下に命じて自分を殺させた。在位十一年、改元すること二回、貞明・龍徳といった。かくして太祖朱全忠が皇帝を称してから二代十七年で亡んだ。

唐宋八家文 韓愈 試大理評事王君墓誌銘 二ノ一

2014-01-14 11:50:17 | 唐宋八家文
 大変ご無沙汰いたしました昨年9月26日 大腿骨骨折をいたしまして長期の入院となりました。今後も健康の許す限り続けていく所存です。よろしくお願いいたします。

試大理評事王君墓誌銘 二ノ一
 君諱適、姓王氏。好讀書、懷奇負氣、不肯随人後。擧選、見功業有道路可指取有、名節可以戻契致。困於無資地、不能自出。乃以干諸侯貴人、借助聲勢。諸侯貴人既志得、皆樂熟軟媚耳目者、不喜聞生語。一見輒戒門以絶。上初即位、以四科募天下士。君笑曰、此非吾時邪。即提所作書、縁道歌吟、趨直言試。既至、對語驚人、不中第困。
 久之、聞金吾李將軍年少喜士可撼、乃蹐門告曰、天下奇男子王適、願見將軍白事。一見語合意、往來門下。盧從史既節度昭義軍、張甚。奴視法度士、欲聞無顧忌大語。有以君生平告者。即遣客鉤致。君曰、狂子不足以共事。立謝客。李將軍由是待厚。奏爲其衞冑曹參軍、充引駕仗判官、盡用其言。
將軍遷帥鳳翔。君随往。改試大理評事、攝監察御史・觀察判官。櫛垢爬痒、民獲蘇醒。
居歳餘、如有所不樂。一旦載妻子、入閿郷南山不顧。中書舍人王涯・獨孤郁・吏部郎中張惟素・比部郎中韓愈、日發書問訊。顧不可強起、不即薦。明年九月、疾病。輿醫京師。某月某日卒。年四十四。十一月某日、即葬京城西南長安縣界中。

君が諱(いみな)は適、姓は王氏。読書を好み、奇を懐(いだ)き気を負うて人の後に随(したが)うことを肯(がえ)んぜず。選に挙げられ、功業に道路ありて指(さ)し取りて有(たも)つべく、名節は以って戻契(れつけつ)として致すべきを見る。資地無きに苦しみ、自ら出ずること能わず。乃(すなわ)ち以って諸公貴人に、声勢を借(か)し助けんことを干(もと)む。諸公貴人既に志を得たれば、皆熟軟(じゅくなん)にして耳目に媚ぶるものを楽しみて、生語を聞くことを喜ばず。一たび見(あ)いては輒(すなわ)ち門を戒(いまし)めて以って絶(た)てり。
上初めて位に即き、四科を以って天下の士を募る。君笑って曰く「此れ吾が時に非ずや」と。即ち作るところの書を提(ひっさ)げ、道に縁(よ)って歌吟し、直言の試に趨(おもむ)く。既に至りて、対語は人を驚かせども、第に中(あた)らずして、益々困(くる)しむ。
久しゅうして、金吾李将軍の年少にして士を喜(この)み、撼(うごか)すべしと聞き、乃ち門に蹐(つまだ)ちて告げて曰く「天下の奇男子王適、願わくは将軍に見(まみ)えて事を白(もう)さん」と。一たび見て語は意に合(かな)い、門下に往来す。
盧従史既に昭義軍に節度となり、張(おご)ること甚だし。法度(ほうど)の士を奴視して、顧忌(こき)すること無き大語を聞かんと欲す。君が生平を以って告ぐる者あり。即ち客を遣わして鉤致(こうち)せしむ。君曰く「狂子以って事を共にするに足らず」と。立ちどころに客に謝す。李将軍是に由(よ)りて待すること益々厚し。奏してその衛の冑曹参軍(ちゅうそうさんぐん)と為し、駕仗判官(がじょうはんがん)に充引(じゅういん)して、尽くその言を用う。
 将軍遷(うつ)りて鳳翔に帥(すい)たり。君随(したが)いて往く。試大理評事に改められて、監察御史・觀察判官を摂(せつ)す。垢を櫛けずり、痒きを爬(か)くがごとく、民蘇醒(そせい)するを獲(え)たり。
居ること歳余にして、楽しまざる所有るが如し。一旦妻子を載せ、閿郷(ぶんきょう)の南山に入りて顧みず。中書舍人王涯・獨孤郁(どくこいく)・吏部郎中張惟素・比部郎中韓愈、日々に書を発して問訊(もんじん)す。顧みるに強いて起たすべからざれば、即(ただ)ちには薦(すす)めず。明年九月、疾(やまい)病(あつ)し。輿(よ)して京師(けいし)に医せしむ。その月の某日卒す。年四十四。十一月某日、即ち京城の西南、長安県の界(さかい)の中に葬る。


試大理評事 試は試補、実務には就いていない、大理は大理寺(訴訟を司る)で評事は裁判官。 選 科挙の受験資格。 道路 道筋、つて。 戻契 無理やり。 資地 資格と地位。 声勢を借し 声望と勢威を借りる。 熟軟 耳慣れて軟らかい。 生語 かたくるしい言葉。 四科 臨時の官吏登用試験でその中に王適が受けた賢良方正能直言極諌科があった。 対語 対は答える。 第に中らず 及第しなかった。 金吾李将軍 警視総監にあたる、李惟簡のこと。 蹐 立ちはだかる。 張 傲慢。 法度の士 規則を守る、謹厳な人。 顧忌 はばかる。 生平 平生。 鉤致 呼びつける。 狂子 変人。 謝 謝絶。 冑曹参軍 兵器事務長。 駕仗判官に充引 天子を警護する職務に当てること。鳳翔に帥 陜西省鳳翔県の節度使に就く。 摂 兼任する。 蘇醒 よみがえる。 閿郷 河南省の県。

君の諱は適、姓は王氏。学問を好み、非凡な才能を持ち、気概があって、人に後れることが嫌いだった。科挙の受験資格を与えられたが、官界で功績を上げるには抜け道があってつてを頼れば容易に手に入れられ、名望や節操は無理やりにでも付いて来ることを知った。しかし君には資格も地位も無いから、自ら世に出ることができず、高官や貴族のもとに、力添えを頼みに行った。高官貴族はすでに立身出世をしているから、耳熟れたへつらいを好み、かたくるしい言葉は遠ざけられた。一度面会するとそれ以後は門前払いにされた。
 折しも憲宗皇帝が位に即き、天下の有能な士を募るべく臨時の登用試験を行った。君は喜び「吾が時来たれり」と勇んで自分の著した書を手に、道々歌いつつ四科のうちの直言科の試験に臨んだ。試験の結果答案は人を驚嘆させたが及第せず、ますます苦しんだ。
 しばらくして金吾衛将軍の李惟簡は若年ながら士を好むと聞き、心を動かしてくれるのではなかろうかと出かけて門前に立ちはだかり、「天下の奇男子王適、願わくは将軍にまみえてもの申さん」と呼ばわった。
 李惟簡は会って話すと君が気に入り、君は屋敷に出入りするようになった。その頃、盧従史が昭義軍節度使となっていた。大変傲岸で、実直謹厳な人をまるで奴隷のように扱い、大言壮語を吐く人物を好んで求めた。そこに君の平生からのことを告げた者が居たものだから早速使いを出して、引見しようとした。君は「あの変人はとても一緒に仕事をするに足らず」と即座に断ってしまった。李将軍は益々気に入って、厚遇した。その上、朝廷に奏上して金吾衛の冑曹参軍に任命し、天子を警護する職務に当たらせて尽く君の意見を採り入れた。
 李将軍が鳳翔節度使に転任となり、君も付き従って行った。官は試大理評事に進み、監察御史・観察判官の職を兼務した。君の痒いところに手がとどくような政治に、人々は甦る思いをした。
こうして一年余り経った頃、何か気に障ることがあったのか、或る日妻子を車に乗せ、閿郷の南山に入って出てこようとしなかった。中書舍人の王涯、独孤郁、吏部郎中の張惟素、それに比部郎中の私韓愈が毎日のように手紙で問いただした。しかし無理に呼び出して仕官させるのもどうかと、すぐに官吏に推薦することを止めた。
翌年九月、君は危篤状態に陥った。車に乗せて長安に行き医者に診せたが、その月の某日亡くなった。四十四歳であった。十一月某日都の西南、長安県の地に葬った。