石勒長嘯す
孝懐皇帝名熾。當恵帝之十五年、武帝子二十五人、兄弟相屠之餘、存者三人而已。熾其一也。素好學。故立爲太弟。至是即位。
成都王李雄稱帝、國號成。
漢主劉淵稱帝、徙都平陽。遣其子聰及石勒等、攻晉内郡、以至洛陽。勒武郷羯人也。先是嘗至洛陽、倚上東門長嘯。王衍識其有異。後爲寇、已而從漢。
漢王淵卒。子和立。聰弑而代之。
孝懐皇帝名は熾(し)。恵帝の十五年に当って、武帝の子二十五人、兄弟(けいてい)相屠(ほふ)るの余り、存する者三人のみ。熾は其の一也。素(もと)より学を好む。故に立って太弟と為る。是(ここ)に至って即位す。
成都王李雄、帝と称し、国を成と号す。
漢主劉淵、帝と称し、徙(うつ)って平陽に都(みやこ)す。其の子聡及び石勒(せきろく)等を遣わして、晋の内郡を攻め、以って洛陽に至らしむ。勒は武郷の羯人(けつじん)なり。是より先、嘗て洛陽に至り、上東門に倚(よ)って長嘯(ちょうしょう)す。王衍(おうえん)、其の異有るを識る。後、寇(こう)を為し、已(すで)にして漢に従う。
漢主淵卒す。子和(か)立つ。聡、弑(しい)して之に代る。
羯人 五胡の一族で山西省に居住した。族長の石勒は後に後趙を建てた。 長嘯 声を長く引いて詩を吟ずる。 寇 あだ、害をくわえる。
孝懐皇帝は名を熾といった。恵帝の十五年目になると、二十五人もいた武帝の子は互いに殺し合って、僅か三人になってしまっていた。司馬熾はその一人で、平生から学問を好んだので、太帝に立てられていたが、ここに至って帝位に即いた。
成都王の李雄は自ら帝と称して国号を成と名乗った。
漢主の劉淵も帝を称して離石から移って平陽を都と定めた。子の聡は石勒を派遣して、晋の内地の諸郡を攻め、洛陽に迫らせた。石勒は武郷の羯族の長で、以前に洛陽に行ったとき、上東門に倚りかかって長嘯していたときがあった。たまたま通りかかった太尉の王衍が、これを聞いて謀反の心を感じ取っていたが、はたして後に晋に攻め入って、間もなく漢主に従った。
漢主の淵が死んで、子の和が立ったが、聡は兄の和を殺して、之に代った。
孝懐皇帝名熾。當恵帝之十五年、武帝子二十五人、兄弟相屠之餘、存者三人而已。熾其一也。素好學。故立爲太弟。至是即位。
成都王李雄稱帝、國號成。
漢主劉淵稱帝、徙都平陽。遣其子聰及石勒等、攻晉内郡、以至洛陽。勒武郷羯人也。先是嘗至洛陽、倚上東門長嘯。王衍識其有異。後爲寇、已而從漢。
漢王淵卒。子和立。聰弑而代之。
孝懐皇帝名は熾(し)。恵帝の十五年に当って、武帝の子二十五人、兄弟(けいてい)相屠(ほふ)るの余り、存する者三人のみ。熾は其の一也。素(もと)より学を好む。故に立って太弟と為る。是(ここ)に至って即位す。
成都王李雄、帝と称し、国を成と号す。
漢主劉淵、帝と称し、徙(うつ)って平陽に都(みやこ)す。其の子聡及び石勒(せきろく)等を遣わして、晋の内郡を攻め、以って洛陽に至らしむ。勒は武郷の羯人(けつじん)なり。是より先、嘗て洛陽に至り、上東門に倚(よ)って長嘯(ちょうしょう)す。王衍(おうえん)、其の異有るを識る。後、寇(こう)を為し、已(すで)にして漢に従う。
漢主淵卒す。子和(か)立つ。聡、弑(しい)して之に代る。
羯人 五胡の一族で山西省に居住した。族長の石勒は後に後趙を建てた。 長嘯 声を長く引いて詩を吟ずる。 寇 あだ、害をくわえる。
孝懐皇帝は名を熾といった。恵帝の十五年目になると、二十五人もいた武帝の子は互いに殺し合って、僅か三人になってしまっていた。司馬熾はその一人で、平生から学問を好んだので、太帝に立てられていたが、ここに至って帝位に即いた。
成都王の李雄は自ら帝と称して国号を成と名乗った。
漢主の劉淵も帝を称して離石から移って平陽を都と定めた。子の聡は石勒を派遣して、晋の内地の諸郡を攻め、洛陽に迫らせた。石勒は武郷の羯族の長で、以前に洛陽に行ったとき、上東門に倚りかかって長嘯していたときがあった。たまたま通りかかった太尉の王衍が、これを聞いて謀反の心を感じ取っていたが、はたして後に晋に攻め入って、間もなく漢主に従った。
漢主の淵が死んで、子の和が立ったが、聡は兄の和を殺して、之に代った。