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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 孫策、袁紹、袁術死す

2011-10-08 14:41:24 | 十八史略
袁術初據南陽。已而據壽春。以讖言代漢者當塗高、自云、名字應之。遂稱帝。淫侈甚。既而資實空虛。不能自立。欲奔袁紹。操遣劉備邀之。術走還、歐血死。
孫策既定江東、欲襲許。未發。故所殺呉郡守許貢之奴、因其出獵、伏而射之。創甚。呼弟權代領其衆曰、擧江東之衆、決機於兩陣之、與天下爭衡、卿不如我。任賢使能、各盡其心以保江東、我不如卿。卒。年二十六。
袁紹據冀州。簡精兵十萬、騎一萬、欲攻許。沮授諌曰、曹操奉天子以令天下。今擧兵南向、於義則違。竊爲公懼之。紹不聽。操與紹相拒於官渡。襲破紹輜重。紹軍大潰。慚憤歐血死。

袁術初め南陽に拠(よ)る。已にして寿春に拠る。讖(しん)に、[漢に代る者は塗(みち)に当って高し]と言う以って、自ら、名字之に応ずを云い、遂に帝と称す。淫侈(いんし)甚だし。既にして資実空虚なり。自立する能わず。袁紹に奔(はし)らんと欲す。操、劉備をして之を邀(むか)えしむ。術走り還り、血を欧(は)いて死す。
孫策既に江東を定め、許を襲わんと欲す未だ発せず。故(もと)殺す所の呉郡の太守許貢(きょこう)の奴(ど)、其の出でて猟するに因(よ)って、伏して之を射る。創(きず)甚(はなは)だし。弟権を呼んで、代わってその衆を領せしめて曰く、「江東の衆を挙げて、機を両陣の間に決し、天下と衡(こう)を争うは、卿(けい)我に如かず。賢に任じ能を使い、各々其の心を尽くさしめて、以って江東を保つは、我、卿に如かず」と。卒す。年二十六なり。
袁紹、冀州(きしゅう)に拠る。精兵十万、騎一万を簡(えら)び、許を攻めんと欲す。沮授(そじゅ)諌めて曰く、「曹操、天子を奉じて以って天下に令す。今兵を挙げて南に向かわば、義に於いて則ち違わん。窃(ひそ)かに公の為に之を懼る」と。紹聴かず。操、紹と官渡に相拒(ふせ)ぐ。襲うて紹の輜重を破る。紹の軍大いに潰(つい)ゆ。慚憤(ざんぷん)して血を欧いて死す。


讖 予言書。 塗(みち) 路。 名字之に応ず 名の術には道路の意味があり、あざなが公路であったから。 淫侈 淫楽と奢侈。 機 勝機。 衡 均衡。 輜重 輸送、補給部隊。

袁術は初め南陽郡に拠っていたが、後に寿春を本拠とした。予言書に、「漢に代わる者は途(みち)に当って高し」とあるのを、我が名に符合するとして、遂に帝と自ら称した。淫楽と奢侈(しゃし)にふけり、財政が窮乏して自立することができなくなって、袁紹のもとを頼ろうとしたが、曹操は劉備に途中を遮らせたので、袁術は再び寿春に逃げもどり、悲憤のあまり血を吐いて死んだ。
孫策は江東を平定し、曹操の拠っている許を攻めようとした。まだ出発しない
うちに、嘗て殺害した呉郡の太守許貢の家僕が、孫策が猟に出たのを待ち構えて矢を射た。その傷が恢復しないと見極めた孫策は、弟の孫権を呼んで、軍の統率を引き継がせたうえで「江東の軍勢を引きつれて敵味方の間で勝機をつかみ、天下に雌雄を争うのは、お前は私に及ばない。しかし、賢者や能力の優れた者を取り立て、使いこなし、忠誠を尽くさせて、江東を維持してゆくのは、私はお前に及ばない」と言い残して死んだ。二十六歳の若さであった。
袁紹は冀州に拠っていた。精兵十万、騎兵一万を選りすぐって曹操の許を攻めようとした。すると沮授が、「曹操は天子を奉じて号令しています。今兵を挙げて南の許に向かうのは、大義にもとります。私はひそかにあなた様のためにならないかと心配です」といさめたが、袁紹は耳を貸さなかった。曹操は官渡で迎え撃ち、袁紹の輸送部隊を急襲してこれを破り、軍は潰滅した。袁紹は愧じと憤りのあまり血を吐いて死んだ。