李膺初雖廢錮、士大夫皆高其道、而汚穢朝廷、更相標榜。爲稱號、以竇武・陳蕃・劉淑、爲三君。言一世之所宗也。李膺・荀・杜密・王暢・劉祐・魏朗・趙典・朱㝢爲八俊。言人英也。郭泰・范滂・尹勳・巴肅・宗慈・夏馥・蔡衍・羊陟爲八顧、言能以行引人也。張儉・翟超・岑晊・菀康・劉表・陳翔・孔・檀敷爲八及。言能導人追宗也。度尚・張邈・王孝・劉儒・胡毋班・秦周・蕃嚮・王章爲八廚。言能以利救人也。及陳蕃・竇武用事、復擧抜膺等。陳・竇死、膺等復廢錮。
李膺初め廃錮(はいこ)せらると雖も、士大夫皆其の道を高しとし、而して朝廷を汚穢(おわい)として、更々(こもごも)相標榜す。称号を為(つく)り、竇武・陳蕃・劉淑を以って三君と為す。言うは、一世の宗とする所なり。李膺・荀(じゅんいく)・杜密・王暢(おうちょう)・劉祐・魏朗・趙典・朱ウ(しゅう)を八俊と為す。言うは人英なり。郭泰・范滂(はんぼう)・尹勳(いんくん)・巴肅(はしゅく)・宗慈・夏馥(かふく)・蔡衍(さいえん)・羊陟(ようちょく)を八顧(はっこ)と為す。言うは能く徳行を以って人を引くなり。張儉・翟超(てきちょう)・岑晊(しんしつ)・菀康(えんこう)・劉表・陳翔・孔(こういく)・檀敷(だんふ)を八及と為す。言うは能く人を導いて追宗(ついそう)せらる。度尚(たくしょう)・張邈(ちょうばく)・王孝・劉儒・胡毋班(こぶはん)・秦周(しんしゅう)・蕃嚮(ひきょう)・王章を八廚(はっちゅう)と為す。言うは能く利を以って人を救うなり。
陳蕃・竇武事を用うるに及んで、復た膺等を挙抜(きょばつ)す。陳・竇死して、膺等復た廃錮せらる。
相標 誉めはやす。 朱ウ ウかんむりに禹。 蕃嚮 蕃、姓の場合は「ひ」、名の場合は「ばん」
李膺は初め官職を廃され仕官の道を閉ざされたが、士大夫たちは皆その高潔さをほめ、かえって朝廷こそ汚濁に満ちているとして、さまざまな称号をつくって誉めたたえた。竇武・陳蕃・劉淑を三君と呼んだ。それは、この三人を世の宗師とするというのである。李膺・荀・杜密・王暢・劉祐・魏朗・趙典・朱ウを八俊と呼んだ。それは人の中の英傑であるとの意である。郭泰・范滂・尹勳・巴肅・宗慈・夏馥・蔡衍・羊陟を八顧と呼んだ。それは徳をもってよく人を引き立てるというのである。張儉・翟超・岑晊・菀康・劉表・陳翔・孔・檀敷を八及と呼んだ。よく人を導いて崇拝されるというのである。度尚・張邈・王孝・劉儒・胡毋班・秦周・蕃嚮・王章を八廚と呼んだ。よく人の難儀を救うというのである。
陳蕃と竇武が政権の座に就いてから李膺等を抜擢したが、陳竇二人が死ぬと再び李膺たちは官職から追放された。
李膺初め廃錮(はいこ)せらると雖も、士大夫皆其の道を高しとし、而して朝廷を汚穢(おわい)として、更々(こもごも)相標榜す。称号を為(つく)り、竇武・陳蕃・劉淑を以って三君と為す。言うは、一世の宗とする所なり。李膺・荀(じゅんいく)・杜密・王暢(おうちょう)・劉祐・魏朗・趙典・朱ウ(しゅう)を八俊と為す。言うは人英なり。郭泰・范滂(はんぼう)・尹勳(いんくん)・巴肅(はしゅく)・宗慈・夏馥(かふく)・蔡衍(さいえん)・羊陟(ようちょく)を八顧(はっこ)と為す。言うは能く徳行を以って人を引くなり。張儉・翟超(てきちょう)・岑晊(しんしつ)・菀康(えんこう)・劉表・陳翔・孔(こういく)・檀敷(だんふ)を八及と為す。言うは能く人を導いて追宗(ついそう)せらる。度尚(たくしょう)・張邈(ちょうばく)・王孝・劉儒・胡毋班(こぶはん)・秦周(しんしゅう)・蕃嚮(ひきょう)・王章を八廚(はっちゅう)と為す。言うは能く利を以って人を救うなり。
陳蕃・竇武事を用うるに及んで、復た膺等を挙抜(きょばつ)す。陳・竇死して、膺等復た廃錮せらる。
相標 誉めはやす。 朱ウ ウかんむりに禹。 蕃嚮 蕃、姓の場合は「ひ」、名の場合は「ばん」
李膺は初め官職を廃され仕官の道を閉ざされたが、士大夫たちは皆その高潔さをほめ、かえって朝廷こそ汚濁に満ちているとして、さまざまな称号をつくって誉めたたえた。竇武・陳蕃・劉淑を三君と呼んだ。それは、この三人を世の宗師とするというのである。李膺・荀・杜密・王暢・劉祐・魏朗・趙典・朱ウを八俊と呼んだ。それは人の中の英傑であるとの意である。郭泰・范滂・尹勳・巴肅・宗慈・夏馥・蔡衍・羊陟を八顧と呼んだ。それは徳をもってよく人を引き立てるというのである。張儉・翟超・岑晊・菀康・劉表・陳翔・孔・檀敷を八及と呼んだ。よく人を導いて崇拝されるというのである。度尚・張邈・王孝・劉儒・胡毋班・秦周・蕃嚮・王章を八廚と呼んだ。よく人の難儀を救うというのである。
陳蕃と竇武が政権の座に就いてから李膺等を抜擢したが、陳竇二人が死ぬと再び李膺たちは官職から追放された。