王莽がまだ帝位を奪わなかった時、官の名称や十二州の境界を、廃止したり新設したり、天下は多事であった。また錯刀・契刀・大銭等の貨幣を新たに鋳造した。やがて位を奪うと、漢室の姓である劉の字は卯と金と刀とで成り立っているとして、印章の剛卯と、貨幣の金刀の使用を禁じて、使うことが出来ないようにした。さらに錯刀・契刀・五銖銭なども廃止した。天下の田地を改称して「王田」と呼び、売買を禁止し、男子の数が八人に満たない家で、田地が一井(九百畝)を過ぎる者はその余分の田地を分けて、親族や郷党に与えさせた。でそれで今まで田地の無かった者が田地を持つことができた。五均・司市・銭府といった役所をつくり、民がそれぞれ生業とするもので年貢を納めさせるようにした。貨幣をすべて改めた。金銀、亀、貝、銭、布の五物、六名、二十八品に分類された。あまりの煩雑さで人々が混乱し、貨幣が通用しなくなって小銭、大銭を流通させた。あまり数しば変更したので信用がなくなった。偽造する者や、廃止した五銖銭を密かに所持する者は罪に問うことにした。このようになって農民も商人も仕事を失い、食物、貨幣ともに流通が止まって、人々は道端に泣き叫ぶばかりとなった。後にまた貨布、貨泉を改めた。一たび貨幣を改める度に、民は私鋳を禁ずる法に触れる者が続出し、護送車に乗る者、首を鎖で繋がれて長安に送られる者が十万以上におよび、その十人に六、七人が命を落とした。制度を度々変え、政令も煩瑣をきわめたので天下は騒然となり、人々は歌に託して漢の世を懐かしく思い続けた。
剛卯 毎年一月の卯の日に印章を佩びて厄除けをする習わしがあった。
五均 市場の物価を調整する役所で長安ほか五箇所に設けた 司市
四季ごとに標準価格を定める。 銭府 低利で金銭を貸し付ける官。 五物 貨幣の材料となる金銀銅亀貝。六名 黄金、銀貨、亀甲、貝貨、銭貨、布貨。二十八品 金貨は一、銀貨は二種、亀貨は四種、貝貨は五種、銭貨は六種、布貨は十種、計二十八品種。 貨布 鋤や鍬をかたどった青銅製の貨幣。貨泉 円形方形孔の銅銭で貨泉の二字を刻した。