知伯の臣、予譲は仇を取ろうとして囚人になりすまし、あいくちをしのばせて、厠の壁塗りをしていた。襄子が厠に行くと、殺気を感じたので調べさせたところ予譲がとらえられた。襄子が「おまえは以前范氏にも中行氏にも仕えたではないか、知伯が范氏も中行氏も滅ぼしたのに、仇を討とうとしないで、その知伯に礼物まで差し出して臣となった。そして知伯が死ぬと一人でわしをつけねらう。どうしてそこまで執念深いのだ」と。
予譲が答えて言うには「范氏も中行氏も私を普通の人間として遇した。だから私は普通の人間として報いた。知伯様は国士として私を待遇してくれた、だから国士として報いた」これを聞いて襄子は、「義に篤い漢だ赦してやれ、こちらが避けるだけだ」といった。
質(し)進物のこと、委は置くこと。君臣を約すとき進物を差し出して君の前に置くことを礼儀とした。
なお予譲はこの後も襄子をねらい、橋の下に潜んで馬上の襄子を襲わんとしたが、ついに捕らえられて死ぬ。史記の刺客列伝には、捕らえられた後に襄子に上着を請うてこれを仇に見立てて、三度躍り上がって剣を突き刺して曰く「吾、以て下(しも)智伯に報ずべし」と。遂に剣に伏して自殺す。とある(史記では智伯となっている)
予譲が答えて言うには「范氏も中行氏も私を普通の人間として遇した。だから私は普通の人間として報いた。知伯様は国士として私を待遇してくれた、だから国士として報いた」これを聞いて襄子は、「義に篤い漢だ赦してやれ、こちらが避けるだけだ」といった。
質(し)進物のこと、委は置くこと。君臣を約すとき進物を差し出して君の前に置くことを礼儀とした。
なお予譲はこの後も襄子をねらい、橋の下に潜んで馬上の襄子を襲わんとしたが、ついに捕らえられて死ぬ。史記の刺客列伝には、捕らえられた後に襄子に上着を請うてこれを仇に見立てて、三度躍り上がって剣を突き刺して曰く「吾、以て下(しも)智伯に報ずべし」と。遂に剣に伏して自殺す。とある(史記では智伯となっている)