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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み 趙の終焉

2009-02-20 18:08:38 | Weblog
遂に趙を滅ぼして郡と為す 
短い文章なので白文を先ず掲げました。読み合わせてみて下さい。

趙得李牧爲將。先居北邊、破匈奴。悼襄王子幽繆王遷立。秦王政遣兵攻趙。牧爲大將敗之。秦緃反、言牧將反。遷誅之。秦兵至虜遷。趙之七大夫、立趙嘉爲王。王于代。秦進攻破嘉、遂滅趙爲郡。

趙、李牧を得て将と為す。先に北辺に居て、匈奴を破る。悼襄王の子、幽繆王(ゆうぼくおう)遷(せん)立つ。秦王政(せい)、兵を遣わして趙を攻む。牧、大将と為って之を敗る。秦、反間を緃(はな)って、牧将(まさ)に反せんとす、と言う。遷之を誅(ちゅう)す。秦兵至って遷を虜にす。趙の七大夫、趙嘉を立てて王と為す。代に王たり。秦進み攻めて嘉を破り、遂に趙を滅ぼして郡と為す。

秦王政 後の始皇帝  代 地名  反間 間者、スパイ

十八史略拾い読み

2009-02-19 17:17:34 | Weblog
 孝成王の子悼襄王立つ。復(また)廉頗を用いて将と為さんと思う。時に頗、奔(はし)って魏に在り。人をして頗を視しむ。頗の仇、郭開、使者に金を与えて之を毀(そし)らしむ。頗、使者を見る。一飯に斗米、肉十斤、甲を被(こうむ)って馬に上り、以て用う可きを示す。使者還って曰く、廉将軍、尚お善く飯す。然れども臣と坐すること之を頃(しばら)くにして、三たび遺矢(いし)す、と。王以て老いたりと為し、遂に召さず。楚人、頗を魏に迎う。頗、楚の将と為り功無し。曰く、我、趙人を用いんことを思う、と。尋(つ)いで卒す。
斗米=約一升の米  十斤=約6㎏  甲 よろい(かぶとでは無い) 遺矢 矢は屎に通じ大小便をする  尋 ひろ(寸法)、たずねる、常、用いる、討つ、継ぐ、次いで、の意味がある。この場合はついで、間もなくの意

孝成王の子悼襄王が立ち、再び廉頗を用いたいと思った。人を遣わして魏にいる廉頗を見に行かせたが、廉頗の仇敵郭開が、使者に金を渡して、廉頗に不利な報告をするよう頼んだ。廉頗は使者に会見すると、飯一斗と肉十斤を平らげ、鎧をつけ、騎乗して元気なところを見せた。使者は帰って趙王に「簾将軍はよく食べますが、会見の間に三度厠に立たれました」と報告した。趙王は廉頗に衰えを見てとって、召さなかった。その後楚が迎えて将となったが、とりたてて功はなかった。そして「趙の兵を指揮して戦がしたい」と愚痴を言った。ほどなく廉頗は死んだ。

十八史略拾い読み 卒四十万坑にせらる

2009-02-18 18:07:27 | Weblog
麻生さん人選はしっかりお願いしますよ。場合によっては国を危うくしかねませんから。 では続きを 
父の奢と言う。難ずること能わず。然(しか)れども以て然りと為さず。括の母、故を問う。奢曰く、兵は死地なり。而して括、易く之を言う。趙若し括を将とせば、必ず趙の軍を破らん、と。括の将(まさ)に行かんとするに及び、其の母、上書して言う、括、使うべからず、と。括、軍に至る。果して秦の将白起の射殺する所と為る。卒四十万、皆降り、長平に抗にせらる。

父の奢と兵法を議論しても、父は言い負かすことが出来なかった。だが父は納得した風ではなかったので、母が訳を尋ねると、戦場は人の生死の場であるのに括は事も無げに言う、もし括を大将にしたら趙の軍は敗れるだろうと答えた。括が出発しようとするに臨んで、母が趙王に書を奉って、括を使わないで下さいと嘆願したが、聞き入れられず括は戦陣に赴いた。果して秦の将白起に射殺され、兵卒四十万は降参し、なんと皆生き埋めにされてしまった。

十八史略拾い読み 柱に膠する若きのみ

2009-02-17 18:27:43 | Weblog
 生兵法は大怪我の基
恵文王の子成王立つ。秦、韓を伐つ。韓の上党、趙に降る。秦、趙を攻む。廉頗、長平に軍し、壁を堅うして出でず。秦人千金を行って反間を為して曰く、秦独り馬服君趙奢の子括(かつ)の将と為るを畏るるのみ、と。王、括をして頗に代らしむ。相如曰く、王、名を以て括を使う。柱(ことじ)に膠して瑟を鼓するが若(ごと)きのみ。括、徒(いたずら)に能く其の書を読んで、変に合うを知らざるなり、と。王聴かず。括少(わか)うして兵法を学び、以(おも)えらく、天下能く当たるもの莫し、

恵文王の後、子の成王が立つ。秦、韓を伐った。韓の上党郡が降って趙に入った。そこで秦は趙を攻める。趙の将廉頗は長平に陣して城壁を堅固にして出て戦わなかった。秦は金を使って偽りの情報をながした。秦が恐れているのは廉頗将軍ではなく、馬服君趙奢の子の趙括らしい、と。まんまと信じた王は廉頗から趙括に交代させた。藺相如が趙括の評判だけで用いようとしておられますが、まるで琴柱を膠で貼り付けるようなものです、括は兵法書を読んだだけで、臨機応変に欠けます、と反対したが王は聞かなかった。括は若いうちから兵法を学び、天下で自分に敵う者は居ない、と思っていた。  続く

十八史略拾い読み 刎頚の交わり

2009-02-16 09:46:04 | Weblog
 またぞろ麻生総理の発言が物議をかもしている昨今ですが、思うに言わずもがなの不用意な発言が多すぎる。訥弁でもかまわない、ゆっくり言葉を選んで戴きたい無用な軋轢を避けるためにも。   では中国の紀元前の話に戻ります。

趙王帰り、相如を以て上卿と為す。廉頗(れんぱ)の右に在り。頗曰く、我、趙の将と為り、攻城野戦の功あり。相如は素(もと)賎人なり。徒(ただ)口舌を以て、我が上に居る。吾、之が下たるを羞ず。我、相如を見ば、必ず之を辱(はず)かしめん、と。相如之を聞き、朝する毎に常に病と称し、與(とも)に列を争うを欲せず。出でて望み見れば、輒(すなわ)ち車を引いて避け匿る。其の舎人皆以て恥と為す。相如曰く、夫れ秦の威を以てすら、相如之を廷叱(ていしつ)して、其の群臣を辱かしむ。相如、駑(ど)なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧念(こねん)するに強秦の敢て兵を趙に加えざる者は、徒(ただ)吾が両人の在るを以てなり。今両虎共に戦わば、其の勢い倶に生きず。吾の此れを為す所以の者は、国家の急を先にして、私讐を後にするなり、と。頗之を聞き、肉袒(にくたん)して荊を負い、門に詣(いた)って罪を謝し、遂に刎頚の交わりを為す。

右に在り 中国では右が上位  廷叱 朝廷で叱りつけること  肉袒して荊を負い はだぬぎしてイバラを背に負い(これで鞭打ってくれの意) 刎頚の交り その人の為なら頸を刎ねられてもかまわないという極めて親しい交り