寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み 是に至って遂に秦に併せらる。

2009-06-04 09:37:49 | Weblog
黄帝以来、天下列百里之國萬区。蓋自中國以達于四裔。中國之制、可攷於王制者、九州千七百七十三國。古之建侯、各君其國、各子其民、而宗主於天子。歴夏・殷至周、強併弱、大呑小、春秋十二國外、存者無幾、戰國存者六七。至是遂併於秦。

黄帝より以来、天下、百里の国を列(つら)ぬること萬区。蓋し中国より以て四裔に達す。中国の制、王制に攷(かんが)う可き者は、九州千七百七十三国なり。古の候を建つるや、各々其の国に君とし、各々其の民を子とし、而して天子を宗主とす。夏・殷を歴(へ)て周に至り、強は弱を併せ、大は小を呑み、春秋には十二国の外、存する者幾ばくも無く、戦国には存する者六七のみ。是に至って遂に秦に併せらる。

黄帝以来中国の天下に百里四方の国が一万もあった。まことに四方隅々まで令が達していた。中国の制では、礼記王制篇によって知れることは九州(冀・兗・青・除・揚・荊・予・梁・雍)の中に千七百七十三国あった。その昔、諸侯を置いた時、諸侯はそれぞれその国の君主となり、それぞれその民を我が子の如く慈しみ、天子を宗家と仰いだ。夏・殷を歴て周に至り、強国は弱国を併せ、大国は小国を呑み込んで春秋には十二国(魯・衛・晋・鄭・曹・蔡・燕・斉・宋・陳・楚・秦)のほか無く、戦国には七国(秦・楚・燕・斉・韓・魏・趙)だけとなった。そしてとうとう秦に併合されてしまった。