寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 

2009-06-24 18:37:55 | Weblog
今日見た花を並べてみます、紫陽花、くちなし、ざくろ、半夏生、姫檜扇水仙、まつげの落ちかかった未央柳、ねじばな、などなど
十八史略は前回の続きです。
今乃棄黔首、以資敵國、卻賓客、以業諸侯。所謂籍寇兵、而齎盗糧者也。王乃聽李斯、復其官、除逐客令。斯楚人。嘗學於荀卿。秦卒用其謀併天下。有韓非者。善刑名。爲韓使秦、因上書。王悦之。斯疾而之、遂下吏。斯遺之藥令自殺。

今乃(すなわ)ち黔首(けんしゅ)を棄てて、以て敵国に資し、賓客を卻(しりぞ)けて以て諸侯を業(たす)く、いわゆる寇(あだ)に兵を籍(か)し、盗に糧を齎(もたら)す者なり、と。王乃ち李斯に聴いて其の官を復し、逐客(ちくかく)の令を除く。斯は楚人なり。嘗て荀卿に学ぶ。秦其の謀を用いて天下を併す。
韓非という者あり。刑名を善くす。韓の為に秦に使し、因って上書す。王之を悦ぶ。斯、疾(にく)んで之を間し、遂に吏に下す。斯、之に薬を遺(おく)って自殺せしむ。

今人民を敵国に追いやり、客を逐って、敵国、諸侯を利することは、いわば敵に武器を貸し、泥棒に食糧を施すようなものです、と。王は李斯の意見を取り入れ、李斯の官位を元に復し、異国人の追放令を取り消した。
李斯は楚の人で、かつて荀子に学んだ。秦は其の策を用いて天下を併合した。
韓非という者が居た。やはり荀子に学び、刑名の学説に通じていた。ある時、秦に使いして秦王に書をたてまつった。王は喜んだが、李斯に憎まれて、離間され、獄吏の手にゆだねられた。そして李斯はひそかに毒薬をおくって韓非を自殺させてしまった。

黔首 人民  荀卿 荀子、性悪説  韓非 韓の公子、韓非子を残した  刑名 刑は形に通じ、名称とその形が一致すること、言行一致。