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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 蕭王劉秀帝位に即く

2011-05-12 09:54:24 | 十八史略

赤眉西攻長安。王遣將軍禹等兵入關。禹薦寇恂。文武備具、有牧民御衆之才。使守河内。王自引兵徇燕・趙、撃尤來・大槍等諸賊、盡破之。王還至中山。諸將上尊號。不許。至南平棘、固請。又不許。耿純曰、士大夫捐親戚、棄土壌、從大王於矢石之間。固望攀龍鱗、附鳳翼、以成其所志耳。今留時逆衆。恐望絶計窮、則有去歸之思。大衆一散、難可復合。馮異亦言、宜從衆議。會儒生強華、自關中奉赤伏符來。曰、劉秀發兵捕不道。四夷雲集、龍鬭野。四七之際、火爲主。羣臣因復請。乃即皇帝位于鄗南、改元建武。

赤眉西のかた長安を攻む。王、将軍禹等の兵をして関に入らしむ。禹、寇恂(こうじゅん)を薦(すす)む。文武備具し、民を牧し、衆を御するの才有りと。河内(かだい)を守らしむ。王自ら兵を引いて燕・趙を徇え、尤來(ゆうらい)・大槍等の諸賊を撃ち盡く之を破る。王還って中山に至る。諸将、尊号を上(たてまつ)る。許さず。南平棘(なんぺいきょく)に至り、固く請う。又許さず。耿純(こうじゅん)曰く、士大夫、親戚を捐(す)て、土壌を棄てて、大王に矢石(しせき)の間に従う。固(もと)より龍鱗を攀(よ)じ、鳳翼に附き、以って其の志す所を成さんと望むのみ。今、時を留め衆に逆らう。恐らくは望み絶え計窮まらば、則ち去帰の思い有らん。大衆一たび散ぜば、復た合(がっ)す可きこと難からん、と。馮異も亦言う、宜しく衆議に従うべし、と。会々(たまたま)儒生強華、関中より赤伏符(せきふくふ)を奉じて来る。曰く、劉秀、兵を発して不道を捕(とら)う。四夷(しい)雲集し、龍、野(や)に闘う。四七の際、火を主と為す、と。群臣因(よ)って復請う。乃(すなわ)ち皇帝の位に鄗南(こうなん)に即(つ)き、建武と改元す。

赤眉が西方更始帝の長安を攻めた。蕭王劉秀は、将軍禹らの兵を、函谷関から長安の救援に向わせた。禹は出陣にあたって、文武兼ね備え民を教導し衆を統治する才があるとして、寇恂を推薦した。蕭王は寇恂に河内の留守を任せ、自ら兵を率いて燕や趙の平定に向かい、尤來・大槍らの諸賊を攻め、撃ち平らげた。蕭王が凱旋して中山郡に着いたとき諸将が皇帝の尊号を上ったが、ゆるさなかった。常山郡の南平棘に至ったとき将軍たちが再び強く願い出たが、これも却下した。
耿純が王に説いた。「しかるべき家柄の者たちが、親兄弟に別れ、土地を離れて矢玉をくぐり、大王に従っているのは、あたかも龍の鱗に取り付いたり、鳳凰の翼にすがったりするように、王によって、おのおの志を遂げようとしているのに外なりません。今この好期を逃し、将士の期待に背かれましたら、おそらく意気消沈し、先行き不安になって、故郷に帰る者も出てきましょう。この大勢の者たちが一旦散じてしまえば、再び集めることはもはや適いますまい」と。馮異も「どうか皆の意見にお従いください」と言った。ちょうどその折、儒生の強華という者が、関中から赤伏符なる予言書を携えやって来た。それには「劉秀が兵を起こして無道の輩を捕える。天下のつわものどもが雲の湧き出るごとく立ち上がり、龍が野に戦う如くであるが、四七の数にあたって、火の徳にあたる者が天下の主となる」とあった。群臣はこの予言書によって再び天子の位に即くことを願ったので、劉秀は鄗県の南で即位し、建武(西暦25年)と改元した。

民を牧し 牧は導くこと。 捐て 捨てると同義、義捐金は義のためになげうつ金の意。 矢石 弓矢と弩の弾。 龍鱗鳳翼 龍も鳳も天子の象徴。 赤伏符 符は予言書、赤は漢の象徴の火徳をあらわす。 四七二十八、劉秀が二十八歳で兵を起こしたから。鄗県 常山郡(今の河北省)にあった。 建武(けんぶ) 後醍醐天皇が光武帝に倣って建武(けんむ)を用いた(1334年)

十八史略 赤心を推して、人の腹中に置く

2011-05-10 13:01:36 | 十八史略

耿弇以上谷・漁陽兵、行定郡縣。會秀於廣阿、進抜邯鄲、斬王郎。得吏民與郎交書數千章。秀會諸將燒之曰、令反側子自安。秀部分吏卒、皆言、願屬大樹將軍。謂馮異也。爲人謙退不伐。諸將毎論功、異常獨屏樹下。故有此號。更始遣使、立秀爲蕭王、令罷兵。耿弇説王、辭以河北未平、不就徴。王撃銅馬諸賊、悉破降之。諸將未信降者。降者亦不自安。王敕各歸營勒兵。自乘輕騎、案行諸部。降者相語曰、蕭王推赤心、置人腹中。安得不效死乎。悉以分配諸將、南徇河内。

耿弇(こうかん)、上谷・漁陽の兵を以って、行く行く郡県を定む。秀に広阿に会し、進んで邯鄲を抜いて、王郎を斬る。吏民の郎と交わるの書数千章を得たり。秀、諸将を会し、之を焼いて曰く、反側子をして自ら安んぜしめん、と。秀、吏卒を部分するに、皆言う、願わくは大樹将軍に属せん、と。馮異(ふうい)を謂(い)うなり。人となり謙退にして伐(ほこ)らず。諸将功を論ずる毎に、異、独り樹下に屏(しりぞ)く。故に此の号有り。
更始使いを遣(つか)わし、秀を立てて蕭王(しょうおう)と為し、兵を罷(や)めしむ。耿弇、王に説き、辞するに河北未だ平らがざるを以ってし、徴(め)しに就かざらしむ。王、銅馬の諸賊を撃ち、悉く破って之を降す。諸将未だ降者を信ぜず。降者も亦自ら安んぜず。王、敕(ちょく)して各々営に帰って兵を勒(ろく)せしむ。自ら軽騎に乗り、諸部を案行す。降将相語って曰く、蕭王、赤心を推して、人の腹中に置く。安(いづ)くんぞ死を效(いた)さざるを得んや、と。悉く以って諸将に分配し、南のかた河内(かだい)を徇(とな)う。


劉秀と別れていた耿弇は、上谷・漁陽の兵を率いて行くさきざきで多くの郡県を平定した。広阿で劉秀と会し、さらに進んで邯鄲を攻略して王郎を斬り殺した。官吏や民で王郎と誼(よしみ)を通じていたことを明かす、書簡数千通を手に入れた。劉秀は諸将を集め、その一つを焼き捨てて言った「王郎についていた者もこれで安心して眠ることができよう」と。その後劉秀が吏卒を編成すると、皆が「願わくは大樹将軍に属したい」という。大樹将軍とは馮異のことである。その人となりが謙虚で、功名を誇らず、諸将が軍功を論争しているとき、いつも一人大樹の下に退いていた。それでこう呼ばれるようになった。
更始帝は使者をおくり、劉秀を蕭王に立て、戦をやめて来朝するよう命じた。耿弇は、蕭王劉秀に説いて、河北が未だ平定されていないとして、召還に応じさせなかった。そして銅馬の諸賊を伐ち、ことごとく破って降服させた。だが将軍たちは、降伏した者達を信用できず、降者もまた自ら安心することができないでいた。蕭王劉秀は詔勅を下して、降将たちをもとの陣営に帰らせて、部下を統括させた。そして自身は兵装なしの身軽な出で立ちで、馬を駆って各部隊を巡察した。そこで投降した者たちは口々に「蕭王はご自身の誠実な心が、人の身にも移され宿っていると信じて疑わない。どうしてこのお方に命を投げ出さないでいられようか」と語り合った。蕭王はこれらの兵たちを諸将の下に配置し、南のかた河内地方を説き従えた。

伐る 誇る、手柄  屏く 退く、かくれる。 勒せしむ 統率させる。 案行 調べてまわる、巡察。 赤心を推して、人の腹中に置く 真心を以って人に接し少しもへだてをおかないこと、人を信じて疑わないこと。

十八史略 徳の厚薄に在り、大小に在らざるなり。

2011-05-07 11:26:33 | 十八史略

至南宮遇大風雨、入道傍空舎。馮異抱薪、禹爇火。秀對竈燎衣。異復進麥。至下博城西。惶惑不知所之。有白衣老人。指曰、努力、信都爲長安城守。去此処八十里。秀即馳赴之。時郡縣皆已降王郎。獨信都太守任光・和戎太守邳彤不肯。光出聞秀至、大喜。彤亦來會。發旁縣、得精兵、移檄討王郎。郡縣還復饗應。秀引兵抜廣阿。披輿地圖、指示禹曰、天下郡縣如是。今始得其一。子前言不足定何也。禹曰、方今海内殽亂、人思明君、猶赤子慕慈母。古之興者、在厚薄、不在大小也。

南宮に至り大風雨に遇い、道傍の空舎に入る。馮異(ふうい)薪を抱き、禹(とうう)火を爇(た)く。秀、竈(かまど)に対して衣を燎(あぶ)る。異、復麦飯(ばくはん)を進む。下博城の西に至る。惶惑(こうわく)して之(ゆ)く所を知らず。白衣の老人有り。指さして曰く、努力せよ、信都は長安の為に城守(じょうしゅ)す。此(ここ)を去ること八十里、と。秀即ち馳せて之に赴く。時に郡県皆已(すで)に王郎に降る。独り信都の太守任光・和戎の太守邳彤(ひゆう)肯(がえ)んぜず。光出でて秀来ると聞き、大いに喜ぶ。彤も亦来たり会す。旁県(ぼうけん)を発して、精兵を得、檄(げき)を移して王郎を討つ。郡県還復(またまた)饗応す。秀、兵を引いて広阿を抜く。輿地図を披(ひら)き、禹に指示して曰く、天下の郡県是の如し。今始めて其の一を得たり。子(し)前に定むるに足らずと言いしは何ぞや、と。禹曰く、方今(ほうこん)海内(かいだい)殽乱(こうらん)して人びと明君を思うこと、猶お赤子(せきし)の慈母を慕うがごとし。古(いにしえ)の興りし者は、徳の厚薄に在って、大小に在らざるなり、と。

こうしてやっと信都郡の南宮に来たが、暴風雨に遇い、道ばたの空き家に入って雨宿りした。馮異が薪をかかえ運び、禹が火を燃やし、秀がかまどに向って衣服を乾かすというありさまであった。馮異がまた麦飯を炊いてすすめた。下博城の西方まで落ちのびたが、一行は逃げ惑い、どちらに向えばよいのかわからなくなった。その時、白衣の老人が現れて、行く手を指さしながら言った。「しっかりせよ、信都郡は長安の更始帝に付いて城を守っている。ここから八十里だ」と。劉秀は直ちに馬を走らせて信都に向った。当時このあたりの郡県は皆すでに王郎に降っていたが、信都郡の太守任光と和戎の太守邳彤だけは降服を拒んでいた。そこに劉秀が来たと聞いて任光は大いに喜んで出迎え、邳彤もやって来て加わった。そこで近隣の諸県を徴発して精兵を集め、檄文を廻して、王郎を反撃した。今まで王郎に降っていた郡県は、皆翻って饗応し、劉秀に従った。劉秀は兵をひきいて広阿県を攻め落とした。ある日、地図を広げて禹に指し示して、「天下の郡県はこのように多い、今やっとその一つを手に入れることが出来たばかりだ。そなた、以前に、天下の平定はさして難くはない、自然に定まります。と言った。あれは気休めか」と愚痴を言った。禹は「ただ今天下は乱れに乱れております。人びとは英明な君主の出現を待ち望むこと赤子の慈母を慕うのと同じであります。かのいにしえの大業を興した人を見るに、徳の厚薄によって成し遂げたのであり、領地の大小によってでは、決してありません」と言った。

惶惑 恐れまどうこと。 信都は長安の為に・・長安(更始帝が長安に居たから) 更始帝の為に。 旁県 近隣の傍とおなじ。 輿地図 輿地は輿(こし)のように万物を乗せる大地の意、すなわち地図のこと。 海内 天下。 殽乱 殽もみだれる。

十八史略 馮異、豆粥を上る。

2011-05-05 15:11:28 | 十八史略
邯鄲卜者王郎、詐稱成帝子子輿、入邯鄲稱帝。徇下幽冀、州郡響應。秀北徇薊。上谷大守耿況子弇、馳至盧奴上謁。秀曰、是我北道主人也。薊城反應王郎。秀趣出城、晨夜南馳、至蕪蔞亭。馮異上豆粥。至饒陽乏食。至下曲陽。聞王郎兵在後。至滹沱河。候吏還白、河水流澌、無船不可濟。秀使王覇視之。覇恐驚衆、還即詭曰、冰堅可渡。遂前至河。冰亦合。乃渡。未畢數騎而冰解。

邯鄲の卜者王郎、詐って成帝の子子輿と称し、邯鄲に入り帝と称す。幽冀(ゆうき)を徇下(じゅんか)し、州郡饗応す。秀北のかた薊(けい)を徇(とな)う。上谷の太守耿況(こうきょう)の子弇(かん)、馳せて盧奴(ろど)に至って上謁す。秀曰く、是れ我が北道の主人なり、と。薊城反して王郎に応ず。秀、趣(すみや)かに城を出で、晨夜(しんや)南に馳せ、蕪蔞亭(ぶろうてい)に至る。馮異(ふうい)、豆粥(とうじゅく)を上(たてまつ)る。饒陽(じょうよう)に至り食に乏し。下曲陽に至る。王郎の兵後に在りと聞く。滹沱河(こだか)に至る。候吏(こうり)還って白(もう)す、河水流澌(りゅうし)す。船無くば済(わた)る可からず、と。秀、王覇をして之を視しむ。覇、衆を驚かさんことを恐れ、還って即ち詭(いつわ)って曰く、冰(こおり)堅くして渡る可し、と。遂に前(すす)んで河に至る。冰も亦合う。乃(すなわ)ち渡る。未だ数騎を畢(おわ)らずして冰解く。

占い師の王郎という者が先の成帝の子の子輿と偽って、邯鄲に入って皇帝と称し幽州・冀州を説き降し、近隣の州や郡が呼応した。劉秀は北方の薊城(けいじょう)を説いてまわっていたが上谷郡の太守耿況の子耿弇が、馬を駆って盧奴県(ろどけん)にかけつけて目通りした。劉秀は「そなたこそ北方の良き案内者だ」と喜んだ。ところが一旦降った薊が寝返って王郎についたので、劉秀は支度もそこそこに薊城を抜け出した。昼夜を分かたず南に逃げ蕪蔞亭に至ってはじめて馮異が豆粥をさしあげた饒陽県に来たころには食糧が底をついた。下曲陽に来ると、王郎の軍がすぐ後ろに迫っていると伝わってきた。さらに滹沱河にさしかかると、斥候が引き返して、「氷が解けだしてきて船がなければ渡れません」と報告した。劉秀はさらに王覇を遣って確かめさせた。覇は全軍の兵が不安に陥ることを恐れて、引き返すと「氷は堅く張っていて渡ることができます」と偽って報告した。そこで進軍して川べりまで来てみると、運よく氷が張りつめていた。ほとんど渡り終わる頃、ついに氷が割れた。

候吏 もの見、斥候の兵。 流澌 氷が解けること。 白 もうす、独白、告白の白。 合 かたまる

十八史略 惟枕席に涕泣する処あるのみ

2011-05-03 16:50:48 | 十八史略
縯兄弟威名日盛。更始殺縯。秀不敢服喪、飮食言笑。惟枕席有涕泣處。更始慙、拜秀大將軍、封武信侯。未幾以秀行大司馬事、遣徇河北。所過除莽苛政。南陽禹、杖策追秀、及於鄴。秀曰、我得專封拜。生遠來、寧欲仕乎。禹曰、不願也。但願明公威加於四海、禹得效其尺寸、垂功名於竹帛耳。更始常才、帝王大業、非所任。明公莫如延攬英雄、務悦民心。立高祖之業、救萬民之命、天下不足定也。秀大悦、令禹常宿止於中、與定計議。

縯兄弟の威名日に盛んなり。更始縯を殺す。秀敢えて喪に服せず、飲食言笑す。惟枕席(ちんせき)に涕泣(ていきゅう)する処有るのみ。更始慙(は)じて、秀を大将軍に拝し、武信侯に封ず。未だ幾(いくばく)ならずして、秀を以って大司馬の事を行わしめ、河北を徇(とな)えしむ。過ぐる所莽の苛政を除く。南陽の禹、策を杖つき秀を追い、鄴(ぎょう)に及ぶ。秀曰く、我封拝を専(もっぱ)らにするを得たり。生(せい)遠く来るは、寧ろ仕えんと欲するか、と。禹曰く、願わざるなり。但(た)だ願わくは明公の威徳四海に加わり、禹其の尺寸を效(いた)すを得て、功名を竹帛(ちくはく)に垂(た)れんのみ。更始は常才、帝王は大業、任ずる所に非ず。明公、英雄を延攬(えんらん)し、務めて民心を悦ばしむるに如(し)くは莫(な)し。高祖の業を立てて、万民の命を救わば、天下は定むるに足らざるなり、と。秀、大いに悦び、禹をして常に中(うち)に宿止(しゅくし)せしめ、与(とも)に計議を定む。

劉縯・劉秀兄弟の声望は日増しに高まっていった。危機感を抱いた更始帝と側近たちに劉縯は殺されてしまった。劉秀はあえて喪に服さず、普段どおり飲食し、談笑していた。ただ夜床に就いた時に涙するばかりであった。これを聞いた更始帝は心中恥じて、劉秀を大将軍に任じ、武信侯に封じた。さらに程なくして大司馬の任務を行わせ、河北を説き巡らせた。劉秀は行く先々で王莽の悪政の弊害を除いていった。
南陽の禹は、馬の鞭を杖にして秀の後を追って鄴までやって来た。秀は「私は封侯の事や将を拝する専権を得ている、あなたが遠く尋ねて来たのは、私に仕えたいと思ってのことか」と聞いた。禹は「そうではありません、ただ私の願いは、あなた様の威光や徳が天下にあまねく布かれ、わたくしめがほんの僅かでもご助力でき、功名を後の世に残したいのでございます。更始帝は凡庸、帝王は大事業でありますから、とてもつとまりはしません。あなた様には宜しく天下の英雄を糾合し、つとめて民心をよろこばせることが肝要かと存じます。高祖皇帝のような大業を立て、万民の命を救うことだできれば、天下の平定はさして難くはございますまい」と申し上げた。劉秀はたいそう喜び、禹を引き止め、幕中に宿泊させてともに策を練った