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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

そのまたつづき

2007-11-09 18:05:53 | 十八史略
 嵯峨天皇が退位し弟淳和天皇が即位した後、827年に経国集が世に出ます。
ここでもやはり嵯峨天皇の詩は一際光彩を放っております。
     山の夜
    居を移して今夜薜蘿に眠る 夢裏の山鶏暁天を報ず
    覚えず雲来って衣暗に湿う 即ち知る家は深渓の辺に近きを
     (薜蘿=隠者の住まい)

 弘法大師空海も遣唐使となりました。在唐の詩が経国集にありますが、これは
最も有名な詩です。
     後夜仏法僧鳥を聞く
    閑林独坐す草堂の暁 三宝の声一鳥に聞く
    一鳥声有り人心あり 声心雲水倶に了了

 空海の没後十年菅原道真が生まれています。宇多天皇の信任を得て右大臣にまで
昇進しますが、讒言にあって大宰府で生涯を終えます。
絶頂期に御所で醍醐天皇の御前で詠んだ秋思と、配流先で失意の中で一年前を偲んだ九月十日を続けてお送りします。
      秋思
    丞相年を度って幾たびか楽思す 今宵物に触れて自然ら悲し
    声は寒し絡緯風吹くのところ  葉は落つ梧桐雨打つの時
    君は春秋に富み臣漸く老ゆ   恩は涯岸なく報ゆること猶遅し
    知らず此の意何くにか安慰せん 酒を飲み琴を聴きまた詩を詠ず
   (丞相=道真自身 君=醍醐天皇 春秋に富む=若い)

      九月十日
    去年の今夜清涼に侍す 秋思の詩編独り断腸
    恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日余香を拝す
                              またつづく

またつづき

2007-11-08 17:07:05 | 十八史略
 凌雲集の4年後にこれも嵯峨天皇の勅命により文華秀麗集が世に出ます。生没年
事績は不詳ですが、有力なサロンの一員であった巨勢識人(こせのしきひと)の
秋日友人に別るをお聞きください。
    林葉翩翩秋日曛れ    行人独り向う辺山の雲
    唯余す天際孤り懸かるの月 万里流光遠く君を送る
  (曛れ=くれ たそがれ)

次に大納言良岑安世(よしみねのやすよ)五夜の月をおおくりします。
    客子眠ること無く五夜に投り 正しく逢う山頂孤なる明月に
    一たび円鏡を見て羈情断つ  定めて知る閨中憶いて歇まざるを
  (五夜=午前三時すぎ 投=いたる 羈情=旅人の心 閨中=妻の寝室
   歇=やめる)
 三集を通じて最も作品数が多く、且つ後世の人々に愛された詩を多く残したのが
嵯峨天皇でありました。文華秀麗集より山寺の鐘をお聞きください。
    晩に江村に到り枕を高うして臥す 夢中遥かに聴く半夜の鐘
    山寺は知らず何れの処にか在るを 旅館の東第一峰

 楓橋夜泊を思い起こす一編でした。続いて老翁吟を聞くことにいたします。
    世に有り不羈の一老翁   生来王公を羨むの意無し
    門に入るや忘却す貧と賎と 酔うて臥す芳林花柳の風
  (不羈=束縛されない 王公=身分の高い人 花柳=紅い花と緑の柳)
 
 嵯峨天皇自ら、かくありたいとのあこがれを詩に残したと思われるのですが
いかがでしょうか。
                              つづく


 

昨日のつづき

2007-11-07 17:50:29 | 十八史略
 平安時代にはいって814年から827年の間、すなわち嵯峨天皇、淳和天皇の
世に三篇の勅撰漢詩集がうまれました。凌雲集、文華秀麗集、経国集であります。
この頃から唐詩の影響も見えてきて、七言詩があらわれてきます。はじめに凌雲集
より高士吟を紹介します。作者は賀陽豊年(かやのとよとし)高邁な志を史記の名
文を借りてうたいます。
   一室何ぞ掃うに堪えん 九州豈歩むに足らん
   言を寄す燕雀の徒   寧ぞ知らん鴻鵠の路を

 これも凌雲集より 中国前漢時代の悲劇の主人公を題材にした滋野貞主(しげの
のさだぬし)の七言詩、王昭君をお聞きください。
   朔雪翩翩として沙漠暗く  辺霜惨烈として隴頭寒し
   行く行く常に望む長安の日 曙色東方看るに忍びず
   (朔雪=北方から吹き付ける雪 隴頭=長安のはるか西方隴山のほとり)

                                 つづく 

懐風藻から五山まで

2007-11-06 17:12:02 | 十八史略
 去る10月21日中野区吟剣詩舞連盟の55周年記念大会が催されました。プログラムの中に、漢詩の黎明期から鎌倉時代までの流れを追って構成しナレーションを入れた番組を持つことができましたので紹介します。
 今から1400年前西暦607年 小野妹子が隋の都を目指して船出をしました遣隋使です。その後遣唐使としてひきつがれ、以来多くの文物がわが国にもたらされました。大化の改新を経て中国の制度文化を積極的に取り入れる中、漢詩もまた天皇を中心に留学僧、帰化人、多くの高官達によって作られていきました。
751年にはわが国最初の漢詩集である懐風藻が現れました。多くは中国六朝詩の
模倣ともいわれていますが、キラリと光る詩もあります。686年謀反の疑いをかけられ、死に臨んだ大津の皇子の即興詩 臨終がその一つです。
  金烏西舎に臨み  鼓声短命を催す
  泉路賓主なし   この夕べ家を離りて向う
   (金烏は太陽、3本足の鴉が棲むという、離りてさかりてとよむ)
                                 つづく



秋のほたる

2006-11-01 18:40:37 | 十八史略
今朝NHKで季節外れのホタルの映像を見た。対馬に生息する大陸系のアキマドボタルと名がついていた。
以前より漢詩のなかで、蛍が秋の情景として詠われていたのを疑問に思っていたのでこの朝氷解した。その漢詩を紹介したい。
はじめに杜牧の七言絶句
 秋 夕             杜牧
銀燭秋光画屏冷    銀燭秋光画屏冷やかなり
軽羅小扇撲流蛍    軽羅の小扇流蛍を撲つ
天階夜色涼如水    天階の夜色涼水の如し
坐看牽牛織女星    坐に看る牽牛織女星

 倦 夜             杜甫
竹涼侵臥内      竹涼臥内を侵し
野月満庭隅      野月庭隅に満つ
重露成涓滴      重露涓滴を成し
稀星乍有無      稀星乍(たちまち)に有無
暗飛蛍自照      暗きに飛ぶ蛍は自ら照らし
水宿鳥相呼      水に宿る鳥は相い呼ぶ
万事干戈裏      万事干戈の裏
空悲清夜徂      空しく悲しむ清夜の徂(ゆ)くを