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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 陳平

2009-11-19 09:02:55 | 十八史略
陳平
周勃言於王曰、平雖美如冠玉、其中未必有也。臣聞、平居家盗其嫂、事魏不容、亡歸楚、又不容、亡歸漢。今大王令護軍、受諸將金。願王察之。王讓魏無知。無知曰、臣所言者能也。大王所問者行也。今有尾生・孝己之行、而無成敗之數、大王何暇用之乎。王拝平護軍中尉、盡護諸將。諸將乃不敢復言。

周勃、王に言いて曰く、平は美なること冠玉の如しと雖も、其の中、未だ必ずしも有らざるなり。臣聞く、平、家に居っては其の嫂(あによめ)を盗み、魏に事(つか)えては容れられず、亡(に)げて楚に帰し、又容れられず、亡げて漢に帰すと。今、大王、軍を護(ご)せしめしに、諸将の金を受けたり。願わくは王之を察せよ、と。王、魏無知を讓(せ)む。無知の曰く、臣の言う所の者は能なり。大王の問う所の者は行いなり。今尾生(びせい)・孝己(こうき)の行い有りとも、成敗の数に益無くんば、大王何の暇(いとま)あってか之を用いんや、と。
王、平を護軍中尉に拝し、尽く諸将を護せしむ。諸将乃ち敢えて復言わず。

続々

2007-11-19 16:22:49 | 十八史略
 天子の命令を制といいます。その勅令を奉じて応えた詩に応制の二字を冠しました。希世霊彦(きせいれいげん)釈希世の天の橋立を最後にお送りします。

     碧海の中央六里の松    天橋の絶景是れ仙蹤
     夜深うして人は龍燈の出るを待つ 月は落つ文殊堂裏の鐘

わが国漢詩の黎明期より鎌倉五山までの秋の詩を中心に撰びました。限られたスペースで、採り上げられなかった詩も沢山ありましたが、続編は次の機会といたします。吟者は中野区吟連役員および今年度コンクール入賞者の一部とナレーター高橋徂凰でお送りいたしました。                      終り

おまけ 作者の没年を参考に掲げてみます。
 大津皇子(663~686)
 賀陽豊年(751~815)
 滋野貞主(785~852)
 巨勢識人(?      )
 良岑安世(785~830)
 嵯峨天皇(786~842)
 空  海(774~835)
 菅原道真(845~903)
 春道列樹( ? ~920)
 白居易 (772~846)
 寂室元光(1290~1367)
 虎関師錬(1278~1346)
 義堂周信(1325~1388)
 絶海中津(1336~1405)
 希世霊彦(1403~1488)             
                                    

また続き

2007-11-16 10:59:03 | 十八史略
 僧の名には釈迦の弟子との意で釈の字を冠します。次の 花に対して旧を懐う
の作者義堂周信(ぎどうしゅうしん)の場合は釈義堂と呼ぶのが通例です。

    紛々たる世事乱れて麻の如し 旧恨新愁只自ら嗟く
    春夢醒め来って人見えず   暮檐雨は洒ぐ紫荊の花
   (嗟く=なげく 檐=ひさし 洒ぐ=そそぐ 紫荊=花蘇芳)

続いて絶海中津(ぜっかいちゅうしん)釈絶海の雨後登楼をお送りいたします。

    一天の過雨新秋を洗う   友を携えて同じく登る江上の楼
    写かんと欲す仲宣千古の恨み 断烟疎樹愁いに堪えず
   (写=のぞく 仲宣=王粲の号)

2007-11-15 17:54:47 | 十八史略
 平安時代後期に入り藤原一族の権力が弱まり白河上皇の院政を経て平家の台頭、
そして没落から世は鎌倉時代に入ります。詩の中心は専ら京、鎌倉の禅宗五山の
僧たちにゆだねられてゆきます。始めに寂室元光(じゃくしつげんこう)作、
寒夜の即事を聞いてください。

    風は寒林を攪して霜月明らかなり 客来って清話し三更を過ぐ
    炉辺に筯を閣いて芋を煨くを忘れ 静かに聴けば窓を敲く葉雨の声
  (筯=はし 閣いて=おいて 煨=やく 敲く=たたく)

つづいて虎関師錬(こかんしれん)の秋日野遊です。
 
    浅水柔沙一径斜めなり 機鳴り林響いて人家あり
    黄雲堆き裏白波起こる 香稲熟せる辺り蕎麦の花
  (機=はた 堆=うずたかき)

またまたつづき

2007-11-12 18:10:19 | 十八史略
 平安時代に一つの大きな変革がありました、仮名の発明です。万葉集では漢字の
音を使って表記していましたが漢字から派生した仮名を使うことにより、短歌が急速に浸透し905年には始めての勅撰和歌集 古今集が出ました。しかし漢詩が全く廃れたわけはではなく、当時の貴族の必須の教養として藤原摂関家をはじめ高官たちによって作られて来ました。1012年に藤原公任が漢詩の佳句と和歌を撰び出して和漢朗詠集を世に出しました。今ではどのように朗誦したか知る由もありませんが、現代版和漢朗詠を試みてみます。和歌は春道列樹作、漢詩は白楽天の律詩の一部です。
    山河に風のかけたるしがらみはながれもあえぬもみぢなりけり

    林間に酒を煖めて紅葉を焼き 石上に詩を題して緑苔を掃う
                                つづく