準初發京師、命朝士出知諸州、皆於殿廊受勅。戒之曰、百姓皆兵、府庫皆財。不責汝浪戰。但失一城一壁、當以軍法從事。恐欽若沮親征之議、以其有智且有福、出欽若知天雄軍。契丹至城下。欽若閉門、束手無策、修齋誦經而已。上還自澶淵、待準極厚。欽若歸深恨準。嘗退朝、上目送準。欽若進曰、陛下敬準、爲其有社稷功邪。城下之盟、春秋小國所恥也。上愀然。欽若毎曰、澶淵之役、準以陛下爲孤注。上待準遂寢薄。尋罷相。
準、初め京師を発せしとき、朝士に命じて出でて諸州に知たらしめ、皆殿廊(でんろう)に於いて勅(みことのり)を受けしむ。之を戒めて曰く「百姓は皆兵にして、府庫は皆財なり。汝に浪(みだ)りに戦うを責めず。但一城一壁を失わば、当(まさ)に軍法を以って事に従うべし」と。欽若(きんじゃく)が親征の議を沮(はば)まんことを恐れ、其の智有り且つ福有るを以って、欽若を出して天雄軍に知たらしむ。契丹、城下に至る。欽若、門を閉じ、手を束ねて策無く、斎(さい)を修し経を誦するのみ。上、澶淵(せんえん)より還り、準を待つこと極めて厚し。欽若帰って深く準を恨む。嘗て朝より退くや、上、準を目送(もくそう)す。欽若進んで曰く「陛下の準を敬するは、其の社稷の功有るが為か。城下の盟(ちかい)は、春秋の小国も恥ずる所なり」と。上、愀然(しゅうぜん)たり。欽若毎(つね)に曰く「澶淵の役、準、陛下を以って孤注と為す」と。上、準を待つこと遂に寝(やや)薄し。尋(つ)いで相を罷(や)む。
朝士 朝廷の役人。 知 知事。 天雄軍 魏博節度使の軍名。 城下の盟 不利な条件で和議を結ぶこと。 目送 見送る。 愀然 顔色を変える。 孤注 博奕で有り金を投げ出して勝負に出ること。
冦準は契丹征伐の折出発に先立って、朝廷の役人を諸州の知事に任命して、宮中の回廊で勅命を受けさせた。そのとき訓戒して「諸州の人民は国家の兵であり、州庫の財産は国家の財産である。諸君にやみくもに戦うことを求めないが、一城一壁たりとも失うことがあったら軍法に照らして処罰するからそのように心得よ」と申し渡した。また冦準は、王欽若が天子親征を反対しているので、欽若が智慧もあり、福相であるので、都から追い出して河北の天雄軍を治めさせた。さて契丹に城下まで攻められると、王欽若は城門を閉ざしてなす術もなく、お祓いをして経を唱えるだけであった。真宗が契丹と和睦して澶淵から還ってくると、冦準に対する待遇が一層厚くなった。王欽若が都に帰ると、冦準が自分を地方に追い出したことを恨んでいたので或る日のこと、帝が冦準退朝の際、後姿を見送っていたのを見た欽若が進み出て「陛下が冦準に敬意を払われるのは国家に功労があるとお思いだからでございましょうか。適に城下まで攻められて和議を結んだことは小国と雖もこれを恥ずべきことでございます」と言った。真宗はすっかり落ち込んでしまった。それ以来度々「冦準は澶淵の戦いにおいて陛下に大きな賭けを強いたのです」と吹き込んだ。これ以後、帝は冦準を待遇することが次第に薄くなり、ついには宰相を罷めさせてしまった。
準、初め京師を発せしとき、朝士に命じて出でて諸州に知たらしめ、皆殿廊(でんろう)に於いて勅(みことのり)を受けしむ。之を戒めて曰く「百姓は皆兵にして、府庫は皆財なり。汝に浪(みだ)りに戦うを責めず。但一城一壁を失わば、当(まさ)に軍法を以って事に従うべし」と。欽若(きんじゃく)が親征の議を沮(はば)まんことを恐れ、其の智有り且つ福有るを以って、欽若を出して天雄軍に知たらしむ。契丹、城下に至る。欽若、門を閉じ、手を束ねて策無く、斎(さい)を修し経を誦するのみ。上、澶淵(せんえん)より還り、準を待つこと極めて厚し。欽若帰って深く準を恨む。嘗て朝より退くや、上、準を目送(もくそう)す。欽若進んで曰く「陛下の準を敬するは、其の社稷の功有るが為か。城下の盟(ちかい)は、春秋の小国も恥ずる所なり」と。上、愀然(しゅうぜん)たり。欽若毎(つね)に曰く「澶淵の役、準、陛下を以って孤注と為す」と。上、準を待つこと遂に寝(やや)薄し。尋(つ)いで相を罷(や)む。
朝士 朝廷の役人。 知 知事。 天雄軍 魏博節度使の軍名。 城下の盟 不利な条件で和議を結ぶこと。 目送 見送る。 愀然 顔色を変える。 孤注 博奕で有り金を投げ出して勝負に出ること。
冦準は契丹征伐の折出発に先立って、朝廷の役人を諸州の知事に任命して、宮中の回廊で勅命を受けさせた。そのとき訓戒して「諸州の人民は国家の兵であり、州庫の財産は国家の財産である。諸君にやみくもに戦うことを求めないが、一城一壁たりとも失うことがあったら軍法に照らして処罰するからそのように心得よ」と申し渡した。また冦準は、王欽若が天子親征を反対しているので、欽若が智慧もあり、福相であるので、都から追い出して河北の天雄軍を治めさせた。さて契丹に城下まで攻められると、王欽若は城門を閉ざしてなす術もなく、お祓いをして経を唱えるだけであった。真宗が契丹と和睦して澶淵から還ってくると、冦準に対する待遇が一層厚くなった。王欽若が都に帰ると、冦準が自分を地方に追い出したことを恨んでいたので或る日のこと、帝が冦準退朝の際、後姿を見送っていたのを見た欽若が進み出て「陛下が冦準に敬意を払われるのは国家に功労があるとお思いだからでございましょうか。適に城下まで攻められて和議を結んだことは小国と雖もこれを恥ずべきことでございます」と言った。真宗はすっかり落ち込んでしまった。それ以来度々「冦準は澶淵の戦いにおいて陛下に大きな賭けを強いたのです」と吹き込んだ。これ以後、帝は冦準を待遇することが次第に薄くなり、ついには宰相を罷めさせてしまった。