まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

好奇心の巨人

2021年06月24日 | 日記
作家でジャーナリストの立花隆さんが亡くなった。
いつも膨大な書物の山に囲まれて
人懐こい笑顔で語りかけるイメージの人だった。
浅学菲才の私には縁もゆかりもない人で
著作を手に取った機会もほとんどなかったように思う。


人は畏敬をこめ立花さんを「知の巨人」と呼んだと言う。
いささか大仰にも思えるそのニックネームを
ご本人がどう思っておられたかは知る由もないが
その圧倒的な仕事の量と幅広さは比類のないもので
確かに見上げるような存在の人だった。
政治・社会から、生命科学、環境問題、宇宙、医療、脳死体験・・・
よくもまあ次から次へと守備範囲が広がるものだと
感心すると同時にその勉強ぶりにも舌を巻いた。
知の巨人より「好奇心の巨人」の方がふさわしいように思う。
立花さんがもし生きておられれば
このコロナに翻弄される社会をどう見ておられたのか?
政治家の劣化や非科学がまかり通る世の中に
どんな皮肉をこめた遺言を残されたのか?
聞いて見たかった気がするのである。
享年八十歳、冥福を祈りたい。


暴走

2021年06月23日 | 日記
池袋暴走事故の被告人質問。
この日は遺族の松永卓也さんが公判に立ちました。
愛する奥さんと娘さんの遺影を抱きしめながら
初めて被告と対峙する瞬間でした。
その怒りと無念を被告はどう受け止めたのか・・・


しかし、被告の証言は変わりませんでした。
申し訳ないことをしたと言いつつ
自分には「過失はなかった」とキッパりと断言しました。
あらゆる状況捜査と現場検証を通して
ブレーキとアクセルの踏み間違いが指摘されるのに
原因は車両の不具合にあるとして
あらためて自らの無罪を頑なに主張しました。
被害者を前に真実を証言して欲しいという松永さん願いも
この頑迷な暴走老人には通じませんでした。
この人はずっとこのスタンスで
自らを省みることもなく他人の意見に耳を傾けることもなく
長い人生を生きて来たんだろうなあ・・・
と失望と徒労感を禁じえませんでした。



こちらの暴走も止まりませんねえ、
専門家たちが「中止」に言及しなかったのをいいことに
もうやりたい放題状態で呆れ果てます。
無観客どころかやれ5千人だ1万人だとドンドン規模はふくらみ
スポンサーや大会関係者は別枠とまで言い出しました。
なし崩しとはまさにこのことで
いったいどれだけの人間を入れてバカ騒ぎをするつもりでしょうか。
一時は酒の提供もOKなどと言いだして
さすがに世間の反発を受けてそれは断念するようですが
これはまさしく組織ぐるみの暴走でしょうか。
開いた口がふさがりません。


夏至の空

2021年06月22日 | 日記
昨日は夏至でした。
夏に至ると書いて夏至です。
この日から本格的な夏に突入するそうで
一年で昼間の長さが一番長い日でもあるようです。
夕方5時でもまだまだ明るいですねえ。


もうすっかり夏の空です。
暦の上では24節気の一つだそうですが
四季折々に季節感を味わって来た昔の人の伝統と知恵は
いいものだとあらためて思いますねえ。
夏至に続く季節の節目は「大暑」と「処暑」でしょうか。
文字を見ただけで暑さがこみあげて来るようです。
このブログを書いているのは朝の四時過ぎなんですが
東の空はもう朝焼けに染まっています。
なるほど、昼間の時間がますます長くなって来ました。






タチアオイ

2021年06月20日 | 日記
今にも泣き出しそうな梅雨空の彼方で
一度二度、ゴロゴロと雷の音が響きわたります。
この季節ならではの「遠雷」です。
こりゃマズイ、速く帰らなきゃと急ぎ足になった角で
夏らしい花が盛大に咲き誇っていました。



これは「タチアオイ」ですねえ。
いつの間にこんな背丈にと思うほどの勢いです。
高いものでは2メートル以上もあります。
立葵と書いてタチアオイ。
われわれ関西人は京都の「葵まつり」を連想します。
白やらピンクやら紫やら色とりどりで
茎から次々と垂直に空に向かって咲き登っていきます。
夏の花と言えばヒマワリですが
私はこのタチアオイが夏の花のイメージですねえ。

   立葵 遠雷の空を 仰ぎ見る (杉作)

写真を撮っている間に
雷の音がしだいに大きくなって来ました。
マズイ、急がなきゃ!(笑)



雨降りの屈託

2021年06月19日 | 日記
朝から雨がシトシトと降っています。
さほど強い雨ではありませんが
午後からは豪雨などと天気予報が言っています。
梅雨に入ったので仕方ありませんが
気温もひんやりと肌寒くてちょっとブルーな気分です。


フランスの詩人の一節を思い出します。
ヴェルレーヌだったかランボーだったかは忘れましたが
堀口大学の名訳だったことは覚えています。

  巷に雨の降るごとく
  わが心にも涙降る。
  かくも心ににじみ入る
  このかなしみは何やらん?

なんとも物憂くてやりきれない気分の詩ですが
今の私の気持ちにピッタリでしょうか。
最近は何をやってもうまくいかず
心も身体も「屈託」だらけで気分が晴れません。
まさに梅雨空状態ですねえ。
わが心にも涙降る・・・
とまでは行きませんが時には泣きそうにもなります。
言わば「老いの屈託」というやつでしょうか。
この歳になると気力も体力もドンドン衰えて
自分にやれることとやれないことが
残酷なくらいドンドンと明確になって来て
その現実に失望して立ち尽くすことがめっきり多くなりました。
まあ、それが老いというものでしょうが
それを真正面から受け止める勇気が足りないのでしょうねえ。
雨降りの朝に屈託だらけのオジサンです。(笑)