昨日は「母の日」だった。
せめてカーネーションの一本でもと思っても
母はもうこの世にはいない。
亡くなってもう何年になるのか・・・
最近は命日さえ思い出せない親不孝の極みである。
せめてカーネーションの一本でもと思っても
母はもうこの世にはいない。
亡くなってもう何年になるのか・・・
最近は命日さえ思い出せない親不孝の極みである。
それでもやはり母の日には特別な感慨がある。
母は若くして盲目となったばかりか
生涯、難病に苦しんだ不幸の申し子の人だった。
ただ、傍目には確かに不幸でしたが
本人が自分の境遇を不幸と思っていたかどうかはわかりません。
むしろネアカの母だったような気がします。
いや、つとめて明るくふるまって生きた人生と言えるかも知れません。
母の口癖は「ケセラセラ~♪」でした。
スペイン語で「なるようになるさ」という意味です。
たしか歌手のドリス・デイが
ヒチコックの映画の中で歌った曲だと思うのですが
いつも身体の痛みにじっと耐えながら
小さく「ケセラセラ~♪」と口ずさんでいた母の姿を思い出します。
口癖というより自分への応援歌だったのかも知れません。
不幸を数えたらキリがないけれど
なんとかなるさ、なるようにしかならないさと
ある種の諦観をこめて歌っていた彼女のあの歌声こそが
明るさの原点ではなかったのかなどと
母の日が来るたびに懐かしく思い出すのです。
生涯、難病に苦しんだ不幸の申し子の人だった。
ただ、傍目には確かに不幸でしたが
本人が自分の境遇を不幸と思っていたかどうかはわかりません。
むしろネアカの母だったような気がします。
いや、つとめて明るくふるまって生きた人生と言えるかも知れません。
母の口癖は「ケセラセラ~♪」でした。
スペイン語で「なるようになるさ」という意味です。
たしか歌手のドリス・デイが
ヒチコックの映画の中で歌った曲だと思うのですが
いつも身体の痛みにじっと耐えながら
小さく「ケセラセラ~♪」と口ずさんでいた母の姿を思い出します。
口癖というより自分への応援歌だったのかも知れません。
不幸を数えたらキリがないけれど
なんとかなるさ、なるようにしかならないさと
ある種の諦観をこめて歌っていた彼女のあの歌声こそが
明るさの原点ではなかったのかなどと
母の日が来るたびに懐かしく思い出すのです。