自分の心の奥底の感情、「嬉しい」「悲しい」「楽しい」「きつい」、さまざまな感情が、その時その時の出来事で変わったり、どんなに消したくても消せない想い・・・
それを、上手く言葉にできて、誰かに話せたり、どこかに書き出して、嬉しいことはもっと嬉しく
悲しいことや、苦しいことは、自分の心と共感し、自分自身と会話して、その苦しみが少しでも和らぐように・・・
そうすることが出来ない時、本当に本当にもどかしくどうやってもその中から抜け出せない・・・
そういうことって、生きていると経験する場面があります。
須永博士の詩というものは、そんな方々と旅の中で出逢ってきて、目の前の人の、「言葉にできない感情」を、目に見える文字にして表わしたものが、これまでたくさんたくさんあります。
「なんで、私の気持ちがわかったのですか?」
この言葉を、私もスタッフとして須永博士の近くにいてこれまで数え切れないほど聞いてきました。
自分では、上手く言葉にできなかった感情が目の前に現れた時、その時に「はっ」と自分がなぜ苦しんでいるのかが分かり、涙をドッと流されて・・・その後に、その涙が心を洗い流してくれたかのようにすっきりとして、自分の置かれている状況をしっかりと把握し、それに立ち向かう勇気や、乗り越える力を自分自身に得た方々が、笑顔で帰られてゆきました。
出逢ってきた方々に実際に書いた詩を、展覧会場で書きうつしたり写真に撮らせてもらったりしたものの中から、「詩集」としてこれまで約50冊以上作ってきました。
その第1冊目の詩集が「ひとりぼっちの愛の詩」(1972年3月12日発行)です。
現在発行されている「小さな夢の詩集」シリーズは第1集~16集までが七賢出版にて制作し、販売されています。
ですので、当時の詩集を購入された方は、現在発行されている詩集と絵も中の詩も「自分が持っているものと違う」というお客様もいます。当時は1集につき500部制作し、また次の詩集を作り、在庫が無くなれば絶版となっていました。
40年近く前の須永博士(ちょうど30歳のころ)の心に触れられるような言葉を、紹介します。
まえがきより
「字あまりがあるかもしれません
誤字があるかもしれません。
でも
ゆるして下さい。
わたしは、ガムシャラに旅をしてきました。
わたしは、心の思うままに書いてきました。
そこには
わたしの目に映ったものしかありません。
わたしの心に響いたものしかありません。
それがあなたのさみしさを、
少しでも和らげることが出来るのならば、
少しでも幸福にできるのならば、それだけで、
わたしがひとりぼっちで歩いてきた旅が
報われるように思うのです。
生きてきたならば、幸福になって下さい。
苦しむことは、本当にさみしいものです。
あなたの人生が、幸福であることを願っています。」
原点とも言える、この詩集の最初のページの詩です。
その次の詩がこちら↓
ご存じの方も多い、「夢」の詩です。
現在の「小さな夢」の作品はこちらです。
イラストの表情も雰囲気も違いますね。
書の「夢」も、現在も人気があります。
そして、そのほかのページにも、愛の詩や、旅人の詩など、今の表現とはまた違った詩が入っています。
旅の中で出逢う、恋愛をしている女性の心を書いた詩でしょうね。
自分の想いを書いてであろう、こんな詩もあります。
もう現在は販売されていない初期のこの詩集シリーズ、いつかまとめて、発行できたらいいなと思っています。
また、紹介しますね!