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プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

醤油文化

2012-02-13 20:53:24 | 農業・食品

カンボジアの雑貨店でもベトナムの醤油「Chin su」が売られていました。数あるベトナム製醤油の中では名の通った唯一の国産ブランド品とベトナムでは思ってもいた商品です。

数年前、ベトナム製醤油から発ガン性物質が検出されて大騒ぎになったことがありました。ベトナム人の多くが薄々感じていた安い醤油の安全性について決定的な一打を浴びせ、確かChin suにも疑惑が広がったように覚えていますが、大キャンペーンを張って逆に市場を拡大して行ったような印象でした。

        

ベトナムでは今でも醤油よりヌックマム(漁醤)の方が多く使われているとは言え、スーパーでは中国圏や日本の醤油も置かれています。

ベトナム語(南部)では一般的には「nước tương」と呼ばれています。「tương」は大豆「Đậu tương」から来ている言葉では、と思います。ところが大豆は「đậu nành」とも呼ばれ、豆乳の場合は「Sữa đậu nành」。醤油には「Xì dầu」という呼び名もあります。「dầu」は油ですから中国語から来た言葉のようです。ベトナム語ではnước「水」と呼び漢越語では「油」ということに。

カンボジアでは「si yu」と聞こえる発音でベトナム語のXì dầuに近いものがありますが、「トゥック・シーユー」で「醤油水」の意味になります。タイでも確かシーユーと呼ばれていたと思います。

そんなわけで、ベトナム人もカンボジア人も醤油や漁醤は「油」ではなく「水」なのですが、何故か日本人は中国語に忠実に「油」と記しています。火を付けて燃えないのだから水だろう・・・などという素朴な考えは起きなかったのでしょうか?

キッコーマンのホームページに「江戸時代のしょうゆ輸出について」という資料が載っていて興味深いものがありました。18世紀にオランダの船によってバタビアにほぼ毎年2000トンの醤油が送られ、内700トン余りがオランダに送られていたようです。その他に中国船による輸出等があったとか。

オランダ船でカンボジアのピニャルー商館にも1665年に1樽送られています。当時鎖国令で日本に帰れなくなった日本人がカンボジアに300~400名ほど暮らしていたようです。(サイトに掲載されているピニャルー商館、プノンペン西北250kmは25kmの間違いと思います)

347年前のことですが、一代30年として計算すればたかだか11代前のこと。ちょうど現在と「真臘風土記」の時代との中間です。キリシタンが多かったとすれば教会を探せばその子孫に出会える可能性もあるのでしょうけど。

2006年のピニャルー日本人町の発掘調査では何も見つからなかったようです。
http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006072201003424.html


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