チョーライ病院の名は日本語で覚えてしまったため、バイクで向かうときに道に迷って人に訊いても発音が通じませんでした。Benh Vien Cho RaiのBとVの発音も正確ではなかったようです。
16日の晩、Gia Dinh病院からの移動は救急車で、まるで映画のカーチェイスさながらの運転には驚かされました。運転席と助手席に二人の病院スタッフが座り、H君と僕が後部のDさんの寝台の傍に乗り込みました。途中の振動で点滴の管がビンから抜けました。気が動転して何の管がどう抜けたのかも分からず慌てて運転席との仕切りの窓を叩きました。運転席の二人は冷たいほどの冷静さで答え、それでも運転に手加減を加える様子はなくサイレンを鳴らしながら小刻みに車線を左右に変えながらチョーライ病院に到着しました。
車から寝台を降ろし、チョーライ病院の寝台に移し変える作業も僕たち付添い人二人の仕事でした。夜11時を過ぎても救急病棟の一階は野戦病院のような混雑。病気で倒れることよりも、ここでこうしてモノとして扱われることの方が耐え難いと思いました。人間の尊厳などというのは所詮幻想に過ぎないものであるかのようにすら感じられます。胃の中の夕食とビールがすべて排出された寝台は汚物にまみれ、病院のスタッフが僕たちにその服を脱がせるように命じました。ズボンはすっかり濡れていて体重も重く二人がかりでも手間取りました。
ここでもまた治療費、入院費の前払いを要求されました。400万ドン近くの金額です。救急受付の医師の説明の後、二階のICU措置室に移され、再び別の医師の説明の後、25番地で待つように言われました。25番地は病院敷地内の家族の待合室でした。地方から来た患者家族の宿泊施設です。ここで夜を明かして待たねばならないのかと思うと少し憂鬱で、兎に角一度家に帰り、Dさんの家族に連絡を入れるほうが先だと、病院を出ました。
ベトナム社会の不親切なシステムには慣れているつもりでも特に病院の対応のわかり難さには困ります。言葉が通じる通じない以前の問題で、二年前に眼科病院へ行ったときも診察を受けに来た見知らぬベトナム人にどこに行けば良いのかと訊かれたほどです。
「取敢えず何か飲むか食べるかしよう」とH君と話し、病院の道路向かいにテーブルを出している店に腰を下ろしました。H君が箸をつける間もなく携帯が鳴り、直ぐ来いとの医師からの電話でした。わけも分からず走って病棟を駆け上りました。二階ですがGRAND FLOORがあるので日本的には三階です。
ICUの処置室から脳外科のICU室に移され、そこで入院することになると告げられました。
午前2時前後になっていたにも関わらず人影は多くサイゴンの不夜城という趣でした。タクシーを拾い、Gia Dinh病院でH君を下ろし、GO VAPに戻りました。勿論10万ドンを超えるタクシー代の手持ちがあるはずもなく、運転手を待たせて家に取りに戻りました。
16日の晩、Gia Dinh病院からの移動は救急車で、まるで映画のカーチェイスさながらの運転には驚かされました。運転席と助手席に二人の病院スタッフが座り、H君と僕が後部のDさんの寝台の傍に乗り込みました。途中の振動で点滴の管がビンから抜けました。気が動転して何の管がどう抜けたのかも分からず慌てて運転席との仕切りの窓を叩きました。運転席の二人は冷たいほどの冷静さで答え、それでも運転に手加減を加える様子はなくサイレンを鳴らしながら小刻みに車線を左右に変えながらチョーライ病院に到着しました。
車から寝台を降ろし、チョーライ病院の寝台に移し変える作業も僕たち付添い人二人の仕事でした。夜11時を過ぎても救急病棟の一階は野戦病院のような混雑。病気で倒れることよりも、ここでこうしてモノとして扱われることの方が耐え難いと思いました。人間の尊厳などというのは所詮幻想に過ぎないものであるかのようにすら感じられます。胃の中の夕食とビールがすべて排出された寝台は汚物にまみれ、病院のスタッフが僕たちにその服を脱がせるように命じました。ズボンはすっかり濡れていて体重も重く二人がかりでも手間取りました。
ここでもまた治療費、入院費の前払いを要求されました。400万ドン近くの金額です。救急受付の医師の説明の後、二階のICU措置室に移され、再び別の医師の説明の後、25番地で待つように言われました。25番地は病院敷地内の家族の待合室でした。地方から来た患者家族の宿泊施設です。ここで夜を明かして待たねばならないのかと思うと少し憂鬱で、兎に角一度家に帰り、Dさんの家族に連絡を入れるほうが先だと、病院を出ました。
ベトナム社会の不親切なシステムには慣れているつもりでも特に病院の対応のわかり難さには困ります。言葉が通じる通じない以前の問題で、二年前に眼科病院へ行ったときも診察を受けに来た見知らぬベトナム人にどこに行けば良いのかと訊かれたほどです。
「取敢えず何か飲むか食べるかしよう」とH君と話し、病院の道路向かいにテーブルを出している店に腰を下ろしました。H君が箸をつける間もなく携帯が鳴り、直ぐ来いとの医師からの電話でした。わけも分からず走って病棟を駆け上りました。二階ですがGRAND FLOORがあるので日本的には三階です。
ICUの処置室から脳外科のICU室に移され、そこで入院することになると告げられました。
午前2時前後になっていたにも関わらず人影は多くサイゴンの不夜城という趣でした。タクシーを拾い、Gia Dinh病院でH君を下ろし、GO VAPに戻りました。勿論10万ドンを超えるタクシー代の手持ちがあるはずもなく、運転手を待たせて家に取りに戻りました。