先月の帰国の際、寝起きに足がふらついたり、駅の階段を下りる時にふわっとバランスが崩れたりが何度かあり、ひょっとすると脳血管に異常があるのではないかと心配にもなって病院で検査を受けるべきでは、と自分でも思いました。が、そうと指摘された時には既にその時間もなく、こちらに戻ってからはそんなことも忘れていたところです。それに脳血管障害は、身近なところでも、カワギシさんやミズタさん、ワカヤマ君と皆、僕より遥かに優秀な頭脳の持ちという共通点を持つため、自分がその仲間入りをするということはないだろうという気がしていたわけです。鋭利な刃物が折れやすいように、鋭利な頭脳も壊れやすいのだろうか、というところです。
ところが、それはわが身にではなく、突然Dさんの脳血管に起こりました。木曜日の夕方Dさんが先に一人で食事に出掛け、後から家を出た僕が食事とカフェから戻ったのは8時過ぎでした。散らかった床を箒で掃いていると先に戻っていたDさんが二階から降りてきて言葉を交わしました。かなり酔っていたようで、話がかみ合わないので僕は掃除を続け、Dさんは二階に引き返そうとした時だと思います。
Dさんの足元がもつれ、家の中に止めてあったバイクにもたれ掛りました。てっきり酔っ払って足にきたのだと思いました。足を擦っているので、「どこが痛いの」?と僕は酔っ払いにウンザリという口調で冷たく声を掛けましたが返事をしません。事の深刻さに気付くまでに数分間あったかも知れません。喋る意思がないのではなく喋れないのです。慌てて身体をバイクから引き離し、身体を床に横たえ、直ぐに救急車を呼ぶから動かずにじっとしているように声を掛けました。
115番に電話すると「何を言ってるのか分からないからベトナム人に電話させろ」と冷たくあしらわれてしまい、H君に電話しました。
救急車を呼ぶよりタクシーで運んだ方が早い、とのことでH君も駆けつけてくれました。近所の人も手伝ってくれて四人掛かりでDさんをタクシーに乗せてH君もそのまま一緒に直ぐタクシーを走らせました。僕は家の鍵を閉め、H君のバイクで後を追いました。ここから一番近い外国人用の病院はコロンビア・アジア病院です。左手をさかんに動かしていたので、カワギシさんの時と同じように右手と言語の麻痺が残るのかも知れない、Dさんには日本人看護婦が常駐する病院でないと・・・などと思ってました。
コロンビア・アジア病院に着くと、同一敷地内にあるザーディン病院の救急受けに行けと言われました。Dさんの左手はH君の手を握っていました。病院との対応はすべてH君がやってくれました。救急病棟ですが、アメリカのTVドラマのそれとは雰囲気は大違い、日本の病院とも別世界の感じでした。CTスキャンを撮るのにも、まず費用の支払いが先です。会計で支払いを済ませ、その領収証と書類を貰って別の窓口に提出しないと治療・検査が受けられないシステムです。病院の支払いを考えず来てしまった自分の間抜けさが情けない。ここはベトナムなんだよ、何年生活してるの?とH君に嫌味を言われてしまいそうです。立場が逆だったら僕はそう口にしたに違いありません。支払いはH君に立て替えてもらうことになりました。
「処置室には一人しか付き添えないけど、どうする」?とH君に聞かれ、医師とのコミュニケーションが大切なわけだからH君に残ってもらうことにし、僕は外で待つことにしました。救急の受付があり、救急車はひっきりなしに患者を運んでいます。しかし何処か救急病院というイメージと重なりません。サイゴンやハノイ駅の待合室の混雑の方が似たような雰囲気です。処置室では寝台が所狭しと並び、多くは無表情で横たわり、腰に注射を打たれた男性が痛さに耐えかね大声で叫ぶ声が響き渡っていました。その中できびきびと働く若い医師や看護婦には頭の下がる思いがします。
ところが、それはわが身にではなく、突然Dさんの脳血管に起こりました。木曜日の夕方Dさんが先に一人で食事に出掛け、後から家を出た僕が食事とカフェから戻ったのは8時過ぎでした。散らかった床を箒で掃いていると先に戻っていたDさんが二階から降りてきて言葉を交わしました。かなり酔っていたようで、話がかみ合わないので僕は掃除を続け、Dさんは二階に引き返そうとした時だと思います。
Dさんの足元がもつれ、家の中に止めてあったバイクにもたれ掛りました。てっきり酔っ払って足にきたのだと思いました。足を擦っているので、「どこが痛いの」?と僕は酔っ払いにウンザリという口調で冷たく声を掛けましたが返事をしません。事の深刻さに気付くまでに数分間あったかも知れません。喋る意思がないのではなく喋れないのです。慌てて身体をバイクから引き離し、身体を床に横たえ、直ぐに救急車を呼ぶから動かずにじっとしているように声を掛けました。
115番に電話すると「何を言ってるのか分からないからベトナム人に電話させろ」と冷たくあしらわれてしまい、H君に電話しました。
救急車を呼ぶよりタクシーで運んだ方が早い、とのことでH君も駆けつけてくれました。近所の人も手伝ってくれて四人掛かりでDさんをタクシーに乗せてH君もそのまま一緒に直ぐタクシーを走らせました。僕は家の鍵を閉め、H君のバイクで後を追いました。ここから一番近い外国人用の病院はコロンビア・アジア病院です。左手をさかんに動かしていたので、カワギシさんの時と同じように右手と言語の麻痺が残るのかも知れない、Dさんには日本人看護婦が常駐する病院でないと・・・などと思ってました。
コロンビア・アジア病院に着くと、同一敷地内にあるザーディン病院の救急受けに行けと言われました。Dさんの左手はH君の手を握っていました。病院との対応はすべてH君がやってくれました。救急病棟ですが、アメリカのTVドラマのそれとは雰囲気は大違い、日本の病院とも別世界の感じでした。CTスキャンを撮るのにも、まず費用の支払いが先です。会計で支払いを済ませ、その領収証と書類を貰って別の窓口に提出しないと治療・検査が受けられないシステムです。病院の支払いを考えず来てしまった自分の間抜けさが情けない。ここはベトナムなんだよ、何年生活してるの?とH君に嫌味を言われてしまいそうです。立場が逆だったら僕はそう口にしたに違いありません。支払いはH君に立て替えてもらうことになりました。
「処置室には一人しか付き添えないけど、どうする」?とH君に聞かれ、医師とのコミュニケーションが大切なわけだからH君に残ってもらうことにし、僕は外で待つことにしました。救急の受付があり、救急車はひっきりなしに患者を運んでいます。しかし何処か救急病院というイメージと重なりません。サイゴンやハノイ駅の待合室の混雑の方が似たような雰囲気です。処置室では寝台が所狭しと並び、多くは無表情で横たわり、腰に注射を打たれた男性が痛さに耐えかね大声で叫ぶ声が響き渡っていました。その中できびきびと働く若い医師や看護婦には頭の下がる思いがします。