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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

喧騒の町

2016-03-24 20:56:57 | 旅行

昨日朝、タン・ソン・ニャット空港に降りました。カンボジアからバスやバイクでベトナムには何度か来ていましたが、日本からこの空港に着いたのは久々のように感じます。ここ一年ちょっと日本で過ごしたせいで体脂肪が日本仕様になってしまい、暑さがことのほか厳しい。

体調といえば、20年来の湿疹を日本で直そうと病院に通ったところ、「慢性苔癬状粃糠疹」との病名で紫外線を毎週浴びてどうにか治まりつつあったにもかかわらず、この暑さで再び赤い発疹が開花。発汗のせいで水分不足となったのが原因のよう。

昨日今日と市内を歩いているせいで足が痛い。20数年前にこの町を歩いた時は人糞を踏まないようにと下ばかり見ていたことを思い出しました。自転車やバイクを持たないのはとても不便。気が付けばこの街を走るシクロの姿はだいぶ前に消えてしまったようです。プノンペンでは最近も見掛けました。

サコム・バンクに行って口座に入金しようと窓口で頼むと「外国人は入金できない」と断られてしまいました。入金も可能なATMもあるのに不思議です。「現金で持ってれば良いじゃない、それなら手数料も掛からないから・・・」と、ご親切な言葉を添えてくれました。銀行によって或は店舗によって対応が異なるようなのでDONG A銀行で頼んでみました。すると今度はパスポート番号が違うので「古いパスポートを持って来なければダメ」とのこと。押し問答を暫く続けた後、「出金が不可というのならまだ話は別だけど、入金がどうしてダメなのかは理解できない」と食い下がると、渋々ながら受け付けて貰えました。

Cach Mang Thang 8通りとNguyen Dinh Chiu通りが交わる角にThich Quang Duc僧の新しい記念碑が建てられていました。Phu Nhuan区には通りの名としても残されています。1963年にゴ・ディン・ジエム政権の弾圧に抗議して焼身自殺を図った事件は、その後のゴ・ディン・ニュー夫人のコメントによって更に印象深く記憶に残っています。


罰金の支払い、パスポート返却

2014-05-15 07:42:22 | 旅行

かつては交通違反を名目にバイクを止められ、反則切符も発行せずに「コーヒー代」を要求されたことも少なくありませんでしたが、そのような警官の不正行為も社会問題となり、その場で警官が罰金を徴収するシステムは改められ、「Kho Bac Nha nuoc」(国庫)での支払いに変更されました。交通違反の場合はバイクの登録証と運転免許を没収され、納付した領収証を持って再び公安に出向いて返還を受けるシステム。今回の行政処分ではパスポートを没収され、平日であれば大した手間でもないことですが、土曜日だったので月曜の朝まで待たねばなりませんでした。

ザーギアで泊まったホテルの向かいがちょうどダクノン省の国庫だとホテルの従業員に教えられ、そこで納付してからTuy Ducの公安に向かおうかとも考えましたが、すると8時過ぎまでここで待たねばなりません。できるだけ早くベトナムを離れたいので7時にホテルを出てTuy Duc県の国庫で納付することにしました。Tuy Ducの町に着き、国庫の場所を尋ねるとちょうど国庫へ行くところだと言う人が居て一緒に国庫に向かいました。建物には看板も表示もなく、これでは自分で探すことはできません。建物は公安の隣で、公安の建物にも表示はありません。これじゃ道路標識がなくても不思議ではない土地柄のようです。

収納窓口で行政処分決定書を提出すると「これ、番号が取ってないじゃないの。どうして?」と聞かれたので「それを作成したのは僕ではなく公安なので公安に聞いてください」と答えるしかありません。窓口の女性は携帯電話で公安と連絡を取り、番号を記入しました。しかし、今度は処分対象者の名前が記載さててないことに気付き、再び公安に電話。しばらくして公安の担当者が来て、パスポートを開き「名前は何処に書いてあるの」?と聞かれました。氏名の蘭もこれで埋まり、さて納付しようとすると、「その前に公安に来るように」とのこと。納付しないとパスポートの返却が受けられないのだから先に納付する、と言い張ると困った様子で上司に電話し、「同意しません」と伝え、渋々納付を認めて貰いました。2百50万ドンを納付すると領収書を2枚手渡され、しかし行政処分決定書は返却されません。これにはカチンと来ました。お前らグルだなーと思い、「行政処分決定書が2通作成されるのは1通は被処分者のためのもので、罰金支払い用ではないんですよ。あなたたちはコピーがあれば十分でしょう。ちゃんと規定通りに仕事してください・・・」とその場に居た誰もが聞こえるような大きな声で要求しました。

さあ、これでパスポートを返して貰える、と思ったところが公安まで一緒に来い、と言われ、公安で再度書類作りに付き合わされました。見ると書類は「押収品返却書」。お役所仕事はこんなものか、と思って言われるままに記載すると次には何と「押収同意書」も。パスーポートの押収に同意します?同意するわけないだろうこのクソッタレ。とベトナム語では言われるままに書きましたが、日本語での記入は正直に書き入れました。かつて90年代に警察官の態度に激昂して殴ってしまったホリさんは、その後5年間だかVISAが発給されない状況が続きました。同じような過ちを犯したくはありませんが、二度とベトナムには来たくないとの思いは募ります。他にも2通ほど書類を書かされましたが、内容は覚えてません。

最後に「行政処分決定書」の返却を求められました。「そういう規定なんだよ」。と言うので「じゃ、今電話して領事館にその規定を確認する」と答えると担当者は部屋から出て行き、戻ると「これは持ってて良いから領事館には言うな」との返事でした。無事パスポートの返却を受け、建物を出ようとすると「一緒に食事でも・・・」との有難いお誘い。「一体何を考えているんだこの人たちは・・・」と思わざるを得ません。庁舎の庭には没収されてかなりの時間が経過したと思われるスクラップ同然のバイクが紫外線に晒され並んでいました。

再びTuy DucからKien Ducに戻り、国道14号を南下してDT759(とグーグルマップに記された)でロクニンに向かいました。来る時と同じ道です。ソンベ川を渡ると「Khu Vuc Bien gioi」の看板が道路の左側に見えました。国境は道路の右側方向ですからこの道もまた外国人が通れば罰金250万ドンということになるようです。ゲートも「外国人立ち入り禁止」の標識もなく、公道を走っただけで罰金の対象とされるとは驚くばかり。しかも人々はそれを当然の如く受け入れているようです。ベトナム社会で暮らすには自分が些か歳を取り過ぎたのかも知れません。


ベトナム中部高原6泊7日(続)

2014-05-14 18:04:22 | 旅行

激昂したのは久しぶりでした。ベトナム生活では日常茶飯事だったかも。ああ、そうだ、これがベトナムだったんだ・・・などと過去の不愉快な出来事を思い出しながら夜の山道にバイクを走らせました。それにしても腹が立つのは一々見え見えの嘘を吐くことです。最初に道を聞いて通報した男も「Phuoc Longへは戻らないと行けない。この男が途中まで案内するから」と言って監視付で道を走らせ、すると道の途中で軍の人々が待ち構えてました。そして軍施設から出る時は握手まで要求して「公安の人がLoc Ninhまでの行き方を案内するから」と送り出してくれたのでした。そんな訳がある筈ないだろう・・・と思えることをどうして平然と言えるのかが不思議。もっとも日本でもがん患者に告知をするようになったのはそう古いことでもないわけで気休めの嘘は嘘でない時代があったみたいですが。ベトナムでは最近になって死刑執行が銃殺刑から薬物投与に変更になりましたが、銃殺刑の時もビデオを見る限り既に麻酔薬等を投与されている状態。この時もまた「苦痛を和らげるために」嘘をつかれて投与されるのでしょうか?

国道14号沿いのKien Ducまで30㎞ほど。そこまで出ればホテルや店も多い筈。そこに至るTL681号は一本道ですが、舗装されているとは言え補修されていないので穴だらけ。暗くて視界が利かずスピードが出せません。途中で何度も休み道を聞いて確認しました。初めて走る夜道ほど遠く感じることはありません。14号に出てできればザーギアの町まで走ろうかとも思っていたもののKien Ducに辿り着くともう歩くこともやっとのヘトヘト状態。12時間も何も食べていないわけだし。しかし胃の痛みはまったくなくなりました。ハノイホテルという名のホテルとは呼べない国道沿いのホテルに値段も聞かずに部屋を取りました。温水シャワーもなく、部屋も狭くて居心地は最悪でしたが兎に角ベッドの上で眠りたい。食欲はないものの何か食べねば・・・と思い外に出て屋台を覗くと食べられそうなものは肉まんしか売ってませんでした。聞くと緑豆のあんまんがあるというのでそれを2つ食べ、足を引きずりながらホテルに戻って爆睡。

翌朝早々にチェックアウトし、ザーギアの町に向かいました。ザーギアならば一日暇を潰せそうだと思ったわけですが、日曜日なのに町は3日前より閑散としていました。前回泊まったホテルの隣に朝食も出すカフェがあり、そこそこ客も入っていたのに今回は他の客の姿もなく、食事は麺類しかないとのことで仕方なくその麺とコーヒーを注文したところ、持って来たのはコーヒーだけ。麺もありません、との返事に「だったらコーヒーも要らない」と席を立って出てしまいました。落ち着けるような店を探してしばらく町をバイクで走りましたがトタン屋根ブリキ壁の店ばかり。それでいてモンドルキリ同様にサイゴンやビンフォックより価格は高めです。床には客が投げ捨てたチリ紙が散乱したまま。

町から東南方向に向かう道があり、Quang Khe方面と書かれていました。Quang Kheの先はラムドン省。国道28号をさらに南下すればファンティエットの海岸に出るようです。気分さえ良ければ行けない距離でもなさそうでしたが、パスポートを没収されていてはその気にはなれません。道を逸れて山に向かうとコーヒーや胡椒の林が広がっていましたのかし大規模農場ではなく、個人農家の畑のようでカシューナッツやジャックフルーツ、ドリアンの木も植えられていました。収穫の終わった胡椒の木の根元には有機肥料が撒かれ、キャッサバが植えてありました。カメラは既に電池切れ、持って来た予備の電池は充電されてませんでした。

コーヒーの木はこの数日間何度も目にしましたが、モンドルキリの木と比べると何処も低く剪定されている様子。果樹の多くは下草が綺麗に刈られていてモンドルキリのものよりかなり手入れされている印象です。町を離れて人々と触れ合うと決して不愉快な思いをせずに過ごせるのはカンボジアと変わらないようです。しかし、町で食べたトタン壁の定食屋では冷めたスープに料理も選択肢がなく一品のみで店のオバサンは食事中ずーっと鼻の上に皺を寄せて亭主を怒鳴り続けていました。あれにもこれにも幾ら幾ら掛かるのにお金がないじゃないの・・・というような内容だったかと。

昼過ぎに前回泊まった倒産寸前の雰囲気のあるホテルにチェックインしました。隣はアグリバンクの立派なビルが建ち、ホテルの一階は宴会用のレストランですが閉店状態。ホテルの従業員は若い女性二人のみの様子。この日も赤いスクーター、ベスパに似たAttilaが2台停めてありました。エアコンなしの部屋が一泊150,000ドン(725円)で、その割には部屋が広いのでのんびりできます。多少打ち解けて世間話の序に国境地帯の道を走り、捕まって罰金250万を払うことになった旨愚痴ると、「250万は何の通貨で」?と聞き返され、思わずベトナム・ドンに決まってるじゃないか・・・と答えようとしましたが、ふと以前スピード違反を犯してもいないのに捕まって怒り抗議し続けたところ、傍にいた男に「たかが20万ドンで何でそんなに怒るんだ」と言われたことを思い出しました。

日本円で250万円、米ドルで250万ドルの罰金ならば同情の余地はあっても250万ドンなら外国人が怒るほどのことではないじゃないか・・・ということのようです。話好きのベトナム人と何度か雑談した序に今回の罰金の話をすると反応は皆同じで同情をかうことはありませんでした。もっとも自分の場合は日本人からも同情されることはありそうもないわけですが。甚だしいのはロクニンでバイクを借りたオバサン。バイクを返しに行った時に話すと、「そうよ、無免許運転は罰金250万ドンにバイク没収1週間なのよ」。だったら今日バイクを返しに来れないだろうに・・・この糞ババア。「え、免許持ってるの?」

日本人や外国人に対してベトナム人が抱く羨望は、同時にその羨望の対象が光を失った時には「ざまを見ろ」の感情に転化するものなのかも知れません。近藤紘一の本だったかに外国人目当てにひったくりをするバイクに周囲の人々が拍手を送るという情景が書かれていました。流石にその時代は知りませんが、サイゴンの町でポーチをひったくられた時、傍には交通警官がいて通りかかって目撃した外国人がその警官にひったっくりを訴えても聞く耳を持たずとばかりそっぽを向かれたことがありました。歩行中にバイクに衝突されても周りの誰一人手を差し伸べてはくれませんでした。カンボジアでもバイクで走行中後ろから四輪車に追突され転倒した時も同様に人々の冷たい視線があっただけ。日本人=お金持ち、ベトナム人=貧乏の図式で個別の人間をも判断するのはもういい加減止めてもらいもの。

一晩で体力はそこそこ回復し、胃の痛みもなくなったもののホテルの部屋に入ると出掛ける気力はなく、着替えもなくなったのでシャンプーと石鹸で洗濯を始めました。バンメトートでの二晩は雨が降ったものの昼間は晴れていて埃塗れ。ベットに横たわりウトウトすると鼻水が流れました。久しぶりに風邪を引いたようです。手持ちの薬入れから葛根湯を取り出して封を開けると包装に問題があったのか湿気を吸って固形状態。カビは生えてないようなので飲んでしまいました。確か4・5年前に誰かに貰ったものだったような。


ベトナム中部高原6泊7日

2014-05-13 18:32:56 | 旅行

先週水曜日の朝に家を出てベトナム国境を越え、ダクノン省ザーギアで一泊。翌日ダクラック省バンメトートまでバイクで走り、ホテルでベトナムの知人と落ち合いました。金曜日には更に北上してザーライ省との省境近くのEa H'Leo地区まで行って来ました。ビンフォック省の国道14号も拡張工事のために道路状態は最悪でしたが、バンメトートから北もまた工事中で片道100㎞程度の距離を2時間以上揺られてしまい胃の調子も最悪でした。

ちょうど木曜日は南シナ海のベトナム名ホアンサ海域での中国船舶との衝突が報じられベトナムの株価も暴落した時でしたが、わがベトナム人の友人は「アメリカはフィリピンを助けてもベトナムは助けないし、ロシアはウクライナで手一杯。ベトナムは孤立して耐えるしかないよ」などと自嘲的に語っていました。

      

一日中紫外線に晒されてダクラック省北部の荒地を歩き続けたためか体力の消耗が激しく胃の痛みは強まるばかり。薬を飲んだり手ぬぐいを腹巻代わりに巻いたりを繰り返してました。

    

最後はヘトヘトになり、通りかかったトラクター(?)の農民に頼んで丸太の上に乗せて貰いました。歩かなくても済むのは楽な筈ですが、振動はかなり激しいし、木材が崩れるのではないかとの恐怖と共に過ごす時間は快適とは言えないものでした。

その日バンメトートに戻ると既に日は暮れ、再び同じホテルに宿泊して土曜日の朝、ロクニンの国境ゲートに向かうことにしました。工事中の区間が多い14号を避けて帰れないものかとグーグルマップを見ると、Dak Millの先で14C号に右折し、その後TL741号との交差点を左折すればビンフォック省Phuoc Longに至ることになっています。

グーグルマップをナビ代わりにと思ってベトナムのMobifoneで3Gの手続きをして貰いました。が、何故か3Gの電波に繋がったのは手続き後の3時間のみ。それ以降は2Gの電波も受信できない状態になってしまいました。わが友人が得意げに「直してやるよ」と言うので手渡すと最後には携帯を初期化してくれました。それでも回復せず。たぶんHTCの機器自体に問題があるようです。まだ使って2年足らずですが。使えるのはWifiのみ。

ホテルのWifiに接続して地図を何度も確認し、14C号への分岐と741号への分岐さえ間違えなければ問題はない筈と思って走り始めました。14C号への分岐は目印となる木材工場があるので簡単でしたが、741号への分岐が見当たりませんでした。次第に人家が疎らとなり通るバイクも殆どない状態になってしまいました。それでも道路は狭くても簡易舗装されている山道だったので下り続け、暫くすると人家があり人影もあったのでPhuoc Long方向へはこの道で良いのか、と聞いてみました。しかし、ここで道を尋ねたのが運の尽き。「身分証明書を見せろ」と言われてパスポートを見せると「外国人が居る」と通報され、国境警備の軍隊施設へ連行されてしまいました。

ここは「Khu Vuc Bien gioi」だから外国人が許可なく入ることは禁止、とのこと。「だったら、外国人侵入禁止の看板を立てなくちゃ分からないじゃないの」?と言っても「規定は規定だから」の一点張り。リュックを開けさせられ所持品検査からカメラの画像もチェックされ、財布の中の所持金も数え上げられました。しかし、建前はそうであっても外国人の取り調べの経験はこれが初めてのようで、パスポートの見方も知らない様子でした。

拘束された1時過ぎまで昼食が取れるような店もなく、胃の調子が悪いとは言え流石に何か食べたくなりました。取り調べらしき受け答えは僅か10分程度。国境警備の軍から公安に身柄を引き渡すだけのようです。入れ替わり立ち代り興味本位の質問を浴びせられる雑談が続き、それでも時間が余り放置され、植木や塹壕、トーチカなどを眺めて時間を潰しました。軍の方々はバレーボールに興じてました。ホアンサ海域では中国船舶との放水の応酬が続いている時に。

ダクノン省Tuy Duc県の公安が到着したのは5時近くになってから。バイクに二人乗りの青年が来ましたが「公安」とは思えぬ立ち居振る舞いで、ジャンバーの下に制服を着ていたのでやっとそれと分かるほど。一人は私服で公安関係者ではなかったようです。二人のバイクに着いて暫く走ると、後部に乗っていた青年が下りて来てハンドルを握り、後部シートに座らせらせました。それからは細い山道をかなりスピード上げ、後ろに乗っていると身体が後方に引っ張られるほど。背中越しにスピードメータを見ると70km/hを越えています。「こいつら本当に公安か」?と呆れていると急に前を走るバイクの姿が消えました。右に曲がるカーブを曲がり切れず、藪に突入して転倒してました。ジャンバーの下に制服を着ていた青年です。流石にバツが悪いのかひたすら苦笑を続けてました。

バイクはヤマハの5速ギア。たぶん普通のベトナムのバイクより早く走れるのでしょう。しかし、このバイクは借り物のようで、途中で立ち寄った家でバイクを交換し、もう一人の青年もここから先へは同行しませんでした。Tuy Ducの警察に着くと辺りは暮れかけて薄暗くなっていました。小さな湖があり、こじんまりした町のようです。しかし官庁の建物以外は殆ど何もありません。ダクノン省の省都ザーギアも立派な官庁と銀行のビルは建つものの多くはトタン張りの店ばかりでした。官民のこの格差はあまりにも酷すぎる・・・などと思いつつ警察の建物に上がり、さて再び取り調べか?と思っていると質問は一切なく、規定違反の行政処分決定書を渡されました。「罰金250万ドン、月曜日に国庫に支払ったらパスポートを返却する」とのことでした。

土日の2日間ここに釘づけ。と知った途端怒りを抑えることが出来ませんでした。250万ドン(1万2千円)もキツイし。その上、行政処分決定書も手渡さない、などと言うのでそれでは再びトラブルの素を作るだけ、これだけは譲れないと思い無理やり受け取って当てもなく町を出ました。


クラチェからプレイベン

2012-10-25 00:03:15 | 旅行

19日金曜日の朝、クラチェのOudom Sambath ホテルをチェックアウトし、と言ってもチェックインの際に料金7ドルは払ったので鍵を返しただけ。ラオスでもベトナムと違ってホテルにパスポートを預けるということはありませんでした。宿泊料を後払いしたパクセホテルではパスポートの提示を求められ、コピーを撮りその場で返却してました。

               

外国人観光客が入るような店で朝食を取ると、壁にイラワジイルカのポスターがありました。ラオス側のメコン河でもイルカが見られるとのことですが、今回イルカ見物をパスしたのは、高倍率ズームのカメラを持ってないから。このポスターのような写真を撮りたいものです。

 

河沿いの地方政府機関と寺にシハヌーク前国王の遺影が飾られていました。数日前に日本からのメールで「シアヌーク殿下が亡くなられた」ことを知りました。たぶん日本でカンボジア報道が一番多く目にした頃は「シアヌーク殿下」と呼ばれていた時代だったわけで、「前国王の逝去」より「シアヌーク殿下」という言葉の方が多くの記憶を呼び覚ますものがありました。 

               

道路沿いの農家にも半旗が掲げられていました。

 

グーグルアースによるとメコン河沿いの308号線。ラオスでは稲刈りの季節でしたが、この湿地では田植えが行われてました。

              

73号線に分岐して直ぐに急にバイクの数が多くなり、高校生の下校時のようで雰囲気が一変しました。クラチェの町からは遠く離れ、コンポンチャム州との州境近くの農村地帯なのにバイクだけ都会的でお金持ちの雰囲気。

 

由緒あるLYCEEのようで、「セラヴェティ キアット チョン高等学校」と日本語を含め7ヵ国語で校名が刻まれていました。

メコン河沿いの町は右岸に位置するものが多く、クラチェのみが左岸にあります。また国道7号が何故コンポンチャムからクラチェの間を大きく迂回しているのかも不思議に思いますが、この位置にエリート校らしき高校が建てられた経緯も知りたいものです。1月にコンポンチャムで見たかつてポルポトが通ったと言われる「リセ・プレアハ・シーハヌーク」よりも立派な印象です。

 

喪章のリボンを胸に付けた生徒もいました。携帯を握りしめた指の爪には黒マジックインキの落書き風ネイルペインがありました。2年ほど前にはプノンペンで女子学生のミニスカートに反対する教職員組合のデモがあったそうです。高校生はロングスカート姿が多いようで、巻きスカートも。ラオスでは裾に柄が織られていましたが、ここでは無地。

              

ブレーキのない自転車に二人乗りしてました。座るとやっとペダルに足が届くかどうかという高さ。ラオスでは後輪に足を伸ばしてタイヤの上を踏みブレーキを掛けていた子供を見ました。泥除けがあるこの自転車ではそれも無理。

     

コンポンチャムに入った73号沿いのキャッサバ畑。

                       

SUONの町の食堂で昼食。子の髪飾りは毛を編んだものでした。店の人は皆フレンドリーで、国籍を聞かれたので日本人と答えると「女の子たちはパキスタン人じゃないかって・・」とのこと。確かに一週間でかなり日焼け顔にはなりましたが、パキスタン人と言われたのはこれが初めて。

コンポンチャムの町の手前で11号に折れ、プレイベンに向かいました。プレイベン経由で国道1号に出てプノンペンに戻っても7号をそのまま走って帰るのと距離は大して変わらないようです。プレイベンの雨期の風景を見たいと思いました。

            

湖畔の売店で休みました。前回ここに来たのは2010年の1月だったかと思います。初めはメコン河と間違えました。今はさすがに水面積はさらに大きくなっていました。

              

走り続けると幾つもの湖、というか池なのか川なのかわからない水面が見えました。

 

水辺の集落でバイクを止め水面近くに降りてみました。子供たちがベトナム語で話していました。トンレサップで水上生活を送るベトナム人も少なくないと聞きましたが、ここでもカンボジアの人々と混住しつつもベトナム語で生活しているようです。

この日の夕方、無事プノンペンに着きました。走行距離は往復2,020kmほど。ガソリン代は約60ドル。自転車だと1日200km計算で10日間掛かることになり、その差僅か3日ばかりでしかありません。そう考えると疲れが消えてしまいました。


VEUN KHAMの国境ゲート

2012-10-24 00:23:16 | 旅行

ラオスの13号線を南下すると「VEUNKHAM」までの距離標識が道路脇に見えます。たぶんそれが国境ゲートのある地だろうと思いましたが、バイクを走らせながらだとこのアルファベットのスペルをわが衰えた脳細胞は認識できず、読んでる途中で標識が視界から消えてしまいます。Veun Khamと分けてみてやっとどうにか分かったようなつもりに。

 

ラオス側の国境ゲートの名がVeun Khamかと思いましたが、国境税関の表示は「Nongnokkhan」とこれまた読みにくい名前になっていました。ラオス側でも立派な国境チェックポイントの建物建設が進んでいますが、まだ実際の窓口は古い建物で。最初にバイクの持ち込み書類を返却してから出国手続き。再び2ドル請求されました。

 

カンボジア側では相変わらずお盆休みを引きずってかトランプ博打に皆さん夢中でゲートハウスには誰も居ません。係官を呼びに事務所へ行き再びゲートハウスに戻って入国手続き。スタンプを貰うのに5ドル要求され、「あれー、ベトナムとのボーダーでは只なのに何故」?と聞くと「わかったわかった2ドルで良いよ」とのこと。しかし財布の中には5ドル札しかなく、しぶしぶ差し出すと「小銭はないよ」。「リエルで良いから12,000リエル返して頂戴」と頼んだのですが「持ってない」の一点張り。たぶん運悪くトランプ博打で負けた係官に当たってしまったのかも、と諦めました。

            

建設中のカンボジア側の出入国事務所。昨年5月から大して工事は進んでいない様子。

国境からクラチェまでは200km強。クラチェに着くのは7時近くになってしまう計算です。夜道は走りたくないものの次の日のことを考えるとやはりクラチェで泊まることにしました。しかし、わかっていたこととは言え、国道7号の舗装状態が悪いため思いの他時間が掛かってしまい、日が暮れてしまいました。すると益々スピード落とさねばならず、7時を過ぎてもクラチェの町から程遠い地点でした。わがAX-1の最大の問題はライトがやたら暗いことで、30km/h程度で走らないと穴を避け切れません。結局クラチェの町に着いた時は8時を過ぎてました。2回ほど泊まったことのあるHOTELでエアコン無しの部屋に7ドルで一泊しました。


Xe Pian 自然保護区

2012-10-23 18:46:44 | 旅行

カンボジアへ戻る途中の13号線で、Thang Bengの交差点で休憩し、このまま帰るのがちょっと惜しくなって、東に向かう道に折れてみました。

 

地図を見るとボロベン高原の南側を走りAttapuへと通じる道路です。グーグルアースでは18号と記されていますが、標識では116号となっていました。

 

「生物多様性のイニシエイトに世界的重要性のある自然保護区」に足を踏み入れたようです。Xe PianがここラオスでDong Hua Saoはベトナム語のようです。地図を見るとその間にカンボジア、ラタナキリ州のViracheay National Parkがあります。3つの国を貫く自然保護区ということに。

             

さらに直進するとKINGFISHER ECOLODGEの看板があったので、右折して見に行きました。

 

地元の人々の集落の近い場所でしたが、湿原にサギが舞う姿はECOを感じさせるものでした。一泊料金は2,700円ほどだそうです。詳しくはウェブサイトを見てくださいとのこと。

http://www.kingfisherecolodge.com/

 

池には蝶が舞っていました。画像に収めようとカメラを構えましたが、4倍ズームでは無理、というか反射神経が付いて行きませんでした。

 

最初にカメラを手にしたのは昭和30年代のフジペット。それでも昆虫を写したことはなく、このラオスのイナゴ(?)がたぶん初めてです。

 

116号を暫く東進すると泥濘道が見えたので諦めて引き返しました。登る時は気楽だったこの溝のある坂を下る際に溝にタイヤを取られ、焦って後輪ブレーキを踏んでしまったためロックされたタイヤが横を向き、右側の藪に突っ込んでしまいました。転倒はしなかったものの前輪が藪の溝に落ち汗まみれで引き上げていると通り掛かったオバサンが引くのを手伝ってくれてどうにか無事脱出。お礼の単語も覚えずにラオスに来たことを悔みました。

 

13号線に戻り、昼食は肉とドクダミ入りのインスタントラーメン。店にカエルを売りに来たお婆さんがいました。


フェリーでワット・プーへ

2012-10-21 23:06:47 | 旅行

メコン河右岸にある世界遺産のワット・プーへはパクセから13号線を南下し、フェリーで河を渡って行くことにしました。それしか方法がないと思い込んでいたためです。

             

このフェリー乗り場への分岐点は13号線を北上してパクセに向かっていた時に確認しておいたし、観光バスをはじめ観光客はこのルートでワット・プーに向かうのだと思っていました。

             

河岸に着いて唖然としました。乗用車やバスを何台も乗せられるフェリーが其処に待っているとの期待は裏切られました。小船2台の上に板を乗せただけのフェリーがバイクを乗せているだけです。岸辺は砂地で桟橋も小舟に板を乗せた簡易的なものです。安全性の概念が根本的に異なるようで、かなり怖い思いでした。

 

その上、料金も40,000KIP(400円)でカンボジアのネァクルン・フェリーの700リエル(14円)と比べるとかなりの高額。利用者が少ないのでそれも仕方ないとは思いますが、観光客料金ではないようで、地元の人も40,000KIP払っていたのには驚きました。

河を渡り土手を上がって少し進むと何と舗装された新しい道路があり、ガソリンスタンドには観光バスが止まり、観光客がマイクロバスに乗り換えていました。この道があるのならパクセで橋を渡って来るべきでした。高い料金を払って怖い思いをせずに済んだわけだし。

             

ワット・プーへの入場受付の建物は最近出来たもののようで明るく清潔感のあるものでした。プレハビヒアとは大違い。入場料45,000KIP、バイクの駐輪3,000KIP。

 

敷地はかなり広く、たぶん10ha以上なのですが、電動カートのサービスが利用できます。クメール遺跡の中で時代的にどういう意味を持つ遺跡なのか、後で調べてみたいと思いました。

 

遺跡の保存にはインド政府が支援しているようで、「INDIA-LAOS COOPERATION PROJECT」と看板に書かれています。

 

登れるところまで登ってみるつもりでしたが、「NO Climbing」の看板があったので諦めました。見たことのない花びらの形が「古代」から咲き続けているのか・・・などと感じさせてくれました。

 

カートに乗らず、貯水池の周りを歩いて戻ったので堪らぬ暑さでした。アイスコーヒーはミルクが多めでしたが予想以上に美味しかったです。このDao coffeeはカンボジアでも見たことがあります。ラオスコーヒーのブランドなのでしょうか?

メコン河右岸のこの周辺を探索してみるつもりもあったのですが、何故だかこの周辺は「禁煙」地区のようで、雑貨店などにも禁煙のシールが貼ってあり、長居をする気になれず、右岸の道路を直進してパクセの町に引き返しました。50kmほどだったかと。


パクセのサイドカー

2012-10-21 08:44:06 | 旅行

パクセの町では弾むような2ストロークエンジンの軽快な音が聞こえました。勿論ベトナムなどでも聞くことのある音ですが、ベトナムでは町の騒音に埋もれて騒音の一部でしかなかったように思います。ラオス第2の都市とは言え、何処となくベトナムのフエの町を思い出すような、と言うかもっと小さな 町です。やや時代から取り残されたような雰囲気に2ストロークエンジン音が馴染んでいました。バイク単体、即ち単車でも走っていましたが、多くはサイドカー付き。サイドカーには憧れと郷愁を感じるのですが、パクセのサイドカーはちょっと異質な雰囲気でした。

 

 殆どはスズキ、ヤマハ、カワサキの2ストエンジン車です。山が近く坂が多いため馬力がある2ストロークの方が好まれたのかも知れません。90年代の後半、ベトナムのサパへ行った時も当時ラオカイ駅の前に並んでいたバイクタクシーは2ストのソ連製ミンスクばかりでした。

小学生も大人も圧倒的多数の女性が巻きスカートを着用しているためサイドカーが普及したのでしょうか?

              

ヤマハの新しいスクーターなども多く走っていましたが、カンボジアで人気のタイ・ホンダ製のドリーム125は見ませんでした。地方の小さな町で販売されていたのは、KOLAOと言うメーカー製バイクや中国製のLIFAN。KOLAIはKOREA+LAOのようで、KORAO Huyndaiトラックもしばしば目撃しました。

 

ダイハツとの表示も見える3輪バス。本当にダイハツなのか?と疑って運転席を覗いたところ、計器パネルのガラスの中は数十年間の埃が積もった状態で50年前の製品である可能性は大ですが。

 

 プノンペンでも犬を乗せて走るバイクを見ることは少なくありませんでした。日本の道交法ではどうなんでしょう?ヘルメットの着用義務とか。自転車にこんな格好で乗ってる犬は今回初めて見ました。

              

日本の軽自動車はナンバープレートが黄色なのがちょと格好悪い、などと感じたこともありましたが、ラオスではレクサスもバイクと同じ黄色のナンバーでした。白のナンバーもあり、その違いは知りません。サイドカー付きバイクはサイドカーの方に白のナンバーが取り付けられ、バイクには付いていませんでした。

地方ではベトナムやカンボジアでもノンヘル走行が少なくありませんが、パクセの町でもノンヘルが主流でした。町の道路は東西に走る13号がメインでこれにメコン河が蛇行して交差してるため方向音痴の自分には分かり辛く、迷うこと度々。信号の消滅時は「赤」を意味するということを知らずに交差点を通過して交通警官に捕まりました。100,000KIP(1000円)払えと紙に書かれたものの小遣い稼ぎのようなので20,000KIP札を差し出すと相手にされず、50,000KIPで手を打ちました。


ボロベン(Boloven)高原

2012-10-20 21:32:58 | 旅行

地図を見るとラオス南部には、チャムパサック、アタプー、セコーン、サーラバンの4つの県があり、その4つの県を跨ぐ形でBolovens Plateauと記載されています。アタプーの町からセコンの町までは川に沿って北上する道路が走り、グーグルマプでは11号線と記してあります。

この道をそのまま走れば16号線に変わりパクセに至ることになり、以前ベトナムからのバスが通った道路でもあり、この日、コンツムに向かうマイリンのミニバスともすれ違いました。

 

稲刈りをしている田圃に降りてみました。女性4人でのんびと作業していました。若い女性二人は口に丸めた葉を煙草のように吸いながら。

 

道路沿いで野菜や魚などを売っていた子供たち。黄色の死んだ鳥を吊るしていました。

   

11号線の橋、Mun Houamuang付近。

 

昼食にフォーを食べたところキャベツも付いていました。何でキャベツが・・・との疑問はその後で思い当たりました。この家で飼われていた豚か猪。ちょっと凄味のある目つきで睨まれました。

 

セコーンの町はアタプーよりかなり小さく、それでもこの小学校はかなり大きなものでした。アタプー県は人口11万人、セコーン県は8万人ほどのようです。

セコーンの町を過ぎると道路は16号線となって西に向かいます。

 

池で小魚を獲っていた青年たち。今風のヘアースタイルだったので「ベッカム」?と聞くと、こっちはルーニー、ロナウド、ロナウジーニョだ、とのこと。カンボジアよりサッカー人気が高いようです。

 

水浴帰りのようでした。近くの池では男の子たちが泳いでました。

 

セコーンの町から1時間ほど走った場所で標高は200mほどになっていました。

 

さらに30分ほどで標高は600mを超えていました。午後からの授業に向かう生徒たち。身長差があるのは小中併設校なのかも知れません。

 

Thatengの三叉路。標高890m。北上すれば20号線でサーラバン県、左折して南下するとパクソンです。南下と言ってもパークソン付近は標高1,300mほどなので緩やかな登り坂。三叉路には市場があり、「宝くじ」らしきものを売る机が並んでいました。十二支みたいな絵が描いてあり、自分で何かを選んで買うようなのですがそのシステムはさっぱり分かりませんでした。この宝くじ売りの机はパクセの町でも夕方になると数多く目にしました。高原では日傘は何よりの生活必需品なのか雑貨店の一番前に飾られていました。

 

キャベツの集荷作業

 

日が傾くと気温が低くなりました。池が見えたので、草むらに降りました。バイクに乗り続けた後で柔らかい草の上を歩くのは気持ちよく、靴の泥も落ちました。見たことのない形の木がありました。根本はヤシ科のような気もしますが、枝はヤシとは思えません。

 

パクソンの町に着き、COFFEEの看板を見て暖かいコーヒーが飲みたくなってバイクを止めました。欧米人が二人座ってましたが、一人が店の主人でした。客に「日本人」かと聞かれ、この更に日焼けした顔が何でそうとわかるのか不思議に思ったところ、三重県の鈴鹿に3年暮していたそうです。何が日本人ぽかったのか自分ではわかりませんが。味は余り期待してなかったところ、小さなカップに注がれた濃いコーヒーは美味しくてびっくり。近くで獲れるアラビカ種の豆をこの鍋で自分でローストしているそうです。スターバックス・コーヒーより遙かに美味しく値段は一杯10,000KIP(100円)でした。

パークソンからパクセまではほぼ直線の下り坂で約50km。走り続けるとここからは空気が徐々に暖かくなって来ました。