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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

Hoa Binh省

2007-05-21 02:37:28 | 交通
土曜日に初めてホアビン省を訪れました。漢字にすれば和平省、そのまま日本語に訳せば平和賞ではなく省です。前日、ハノイの仕事を終え(内容的には終わってませんが)、ホアビンに向かいました。ハノイから西へ72km。6時に起きてハ・ドンバスターミナルに行き、そこからバスに乗りました。

出張前日の晩、何故か眠れず「こりゃ拙い」と思いつつ、それでも身体を横たえているだけでも身体は休まると自分に言い聞かせていたものの何度か目を覚まして本を読んでしまいました。お陰で朝寝坊することは避けられましたが、身体と精神のバランスが崩れてしまったようで航空機の中でも眠れず仕舞。疲れると怒りっぽくなるようで、ハノイの空港売店で怒りを爆発させてしまいました。Uさんに荷物の引き取りを頼み、一足先に到着ロビーを出て煙草を吸おうと売店で「すいませーん」と声を掛けても見向きもせず、「ほら、あんた客が来てるよ」と他のスタッフに促されて嫌々こちらに顔を向けた店員のオバサン。それだけでも不愉快でしたが、ビナタバ1箱とライターで何と1.5万ドン。市場価格の50%増しです。それも知ってたことで諦めてはいたのですが、2万ドン札のお釣りに2千ドン札2枚と飴を2個放り出して立ち去りました。その憎たらしい態度に切れました。「ちゃんと5千ドンのお釣りを払えよ」と声を張り上げ、周りの雰囲気は最悪。子供の頃にはこういう変な頑固爺がそこらに居たような気がしますが、まさか自分がその仲間入りをするとは。自分でももうちょっと恰好良く振舞えないもなのか、と後悔しないわけではありません。

仕事をしてる間は何とか身体も持ちましたが、7時過ぎにホテルに着き、値段交渉で再び一戦交えるとグッタリ。そんなことはベトナム人のUさんに任せれば良いわけですが、どうせ自分が払うわけじゃない、と思ってか常に相手の言い値で受けてしまいます。Uさんは気楽にもそのままハノイの友人に会いに出掛け、一人で4回の部屋まで上がろうとすると胸に痛みが走りました。「もしや、これは心筋梗塞?」と不安に駆られベッドに横たわっても痛みは残ります。しかし右側だから心臓ではないみたい。すると肺でしょうか、昨夜も咳き込んだし、このところ煙草の本数も増えっ放し。目が覚めたのは土曜の朝6時前で、痛みは殆ど残っていませんでした。

ホアビンでの仕事も予想外の展開に戸惑いましたが、それもまた今更ながらのことでしたので不愉快は増大したものの午前中で無事切り上げることになりました。ホアビンは、ベトナム人曰く「陸のハロン湾」の景観です。外国人にとってはハロン湾が「海の桂林」ですから、そう言われた時はやや微妙な感じでしたが。
翌日は日曜だし、国会議員選挙の投票日ですが、外国人には無関係なので僕だけホアビンに残ることにしました。今まで訪れた北部の各省と異なり、鉄道が走っていない省都です。とても省都とは思えぬ規模の街だし、見るべきものがあるとも思えませんが、身体を休めるためだけでも一泊してみることにしました。


午前9時の太陽

2007-04-25 01:45:04 | 交通
ダナンに2泊し、月曜日の夜サイゴンに戻りました。6日間閉切っていた部屋の中は熱せられた空気が淀み、こういう時は一人暮らしが恨めしく思えます。この季節、ダナンもまた日中の日差しの強さの割には気温は低めでホテルのエアコンを付けずにも済むほどでした。ダナンのパシフィック・ホテルはまだ改装工事が終わらず、同じダナン・ツーリスト系列のVINAFAホテルは満室。仕方なく初日は、TRAN PHU通り60番地の新しいミニ・ホテルに泊まりました。一泊220Kドンで70Kドンばかり予算オーバーですが、部屋にもADSLのケーブルが引かれているし、ベッドの硬さも清潔感も申し分ありません。しかし、月曜日の夜便しかサイゴンに戻るチケットが取れず、夕方のチェックアウトにすると半日分の料金加算で、しかも半日料金は半額ではなく、70%という納得できないものだったので、2泊目はVINAFAホテルで交渉し、1.5泊190Kドンで泊めてもらいました。

ハノイ以外の北部ではADSLの設置されたホテルはまだ経験したことがなく、ホテルの電話回線から繋いでましたから、その点ダナンはホテル料金も同程度なのに便利でした。が、VNNのメールサーバーが相変わらずの不調で、しかもハードディスクの壊れかけたノートPCが遂に立ち上がらなくなってしまう始末。XPの英語版を持ち歩いて東アジア言語をインストールすれば良いのでしょうが、出掛ける前にそこまで気が回らず、ホテルに置いてあるPCではメールどころか日本語サイトも読めません。せいぜい開幕不調だったマリナーズ、イチローの試合結果を確認するくらいしか英語サイトを開く気力は起きませんでした。

最近はベトナムのニュースも日本語で読めるものが増えたため、ベトナム語のニュースを読まずに済ませたりもするようになってしまいました。便利さを享受することによって人は日々能力を退化させ、歩く代わりにフィットネスジムに通ったりするように商品化されたサービスの購入によってしか能力の回復ができないかのような社会になりつつあるようです。便利さを拒否することが困難になるにつれ、「義務教育」の持つ意味も変わってくるように思えます。便利ではない環境が学校の中には必要であって、その意味ではIT教育というのは愚の骨頂と言うべきなのかも。人間生活のあらゆる領域が商品化されていく状況の行く末は人間の家畜化みたいなもので、コンビニ弁当などは家畜の餌に有害なものすらあるようです。

今朝はゆっくり寝坊を決め込みました。家を出る時の太陽は高く、ウンザリしながらふと「午前9時、10時の太陽のように・・・」という言葉を思い出しました。毛沢東語録の「青年論」だったでしょうか。映画「パッチギ」の中にも出てきましたが。広い中国の何処のどの季節の太陽のことなのでしょう。毛沢東はサイゴンの4月の太陽を見たことがないに違いないと確信しました。
サイゴンに戻り、会う人毎に「北部や中部は涼しくてねー」などと言いふらしていたわけですが、新聞を開くと中北部の「VINHで42度」との記事がありました。何のことはない、結局のところ自分の感想も像の尻尾を撫ぜてきただけのことなのかも知れません。

バス酔い

2007-04-24 03:31:23 | 交通
土曜日は6時起きで7時半から昨日の続きを済ませ、早々とダナンに向かうことにしました。ハノイからサイゴンに戻る途中で立ち寄れば、交通費も節約できる筈です。先方には日曜日でも構わないかを予め確認しておきました。問題は果たして今日の便の空席があるかどうかです。前回は同じことをしようとしてチケットが買えませんでした。小雨の降る中を国道までバイクで送ってもらうと、ちょうど「Luc Yen - Ha Noi」と書かれたバスが通りかかりました。古そうなバスで後方にはバイクも一台積んであり、緑色のヘルメット帽子を被った男の姿もあります。空席はなく、通路に置かれたプラスチックの小さな椅子に座らされました。車内も喫煙フリー状態で如何にも時代から取り残された感じの光景です。

空港までと告げると、「これで空港までは二人だよ」と言われ、少々安心したものの、一言で外国人と分かってしまったらしく、何処の国かと訊かれました。一言答えて延々と質問が続くようなことは勘弁だし、咄嗟に「KORIA」と答えてしまいました。北部ではKORIAという呼び方は少ないらしく、誰かが「Han Quocだよ」と説明しました。昨日もその前も、会う人毎に長崎市長の暗殺事件の話題となり、あるいは其々の人々の日本観やら知識を披露されるのにウンザリしてたところです。北部の女性は必ずと言っていいほど「日本の女性は綺麗なんですってね」?と訊いてきます。

どころが、もう一人の空港で降りる男に誰かが同じ質問をすると「Han Quoc」と答え、これじゃ国籍詐称がバレバレだと内心冷や汗ものでした。自分でもベトナム語で訊かれれば、JAPANなどとは答えず、NHATと言ってるわけですから、KORIAと答えただけで見破られていたのかも知れません。

数人の乗客が途中で下車し、空いてる席に座れるようになりました。が、隣のお兄さんは足をこちらの座席に乗せたままで半分しか腰掛けられません。国籍を偽った罪悪感を引きずってたのでそこで文句を言うことも控えていたところ、この青年はポリ袋を取り出しゲェゲェ吐いています。小学校のバス旅行の際、一人か二人は乗物酔いの女子がいたように覚えてますが、ここでは男も女もかなりの人数です。先日も事務所のNGに近くにタクシーで納品に行くように言うと「酔います」とのことで拒否されたばかりです。それで、ふと思い付きました。自己中で環境に適応できない体質だから酔うのではないか、と。したがってこの青年に同情しても始まりません。彼の体質改善のためにも毅然と「君の席はここまで。こっちは僕の席」と教えてあげることにしました。

有難き人情

2007-04-23 12:52:08 | 交通
3日目の作業は夜10時過ぎまで続きました。それでも後1・2日は掛かりそうです。Nを残して金曜日には一人でフートー省に向かうことにしました。朝、客先に途中で失礼する旨挨拶をしに行くと、お土産にタイグエン名産のお茶をどっさり贈れました。前日の昼食時にビールやコーラを断り「お茶が好き」だなどと言ってしまったせいです。自分では100gもあれば1ヶ月以上持つほどの飲み方ですが、手渡されたお茶は2・3kgは軽くありそうな巨大な量です。好意や愛情は量で表現されるもの、との観念が強いためかも知れません。戦時統制下の物不足の時代の名残?-ベトナムでもそういう時代が長かったということでしょうか。パッケージに高級感を持たせ、少ない量でも高価に見せかける方が有難味があるかどうかは別にして、大きな荷物を抱えるのは勘弁という思いが先に立ちます。お返しに次回、日本茶を贈るとしても200g程度ではシミッタレと思われそうです。少量高品質、少数精鋭が日本文化だなどと言い訳をすれば、タイグエンのお茶が低品質だと言ってることになってしまうわけだし。

バスターミナルまで歩くと、ちょうど9時発のフートー行きの便がありました。カウンターで「ヴィエット・チーまで」と告げると発音が悪くて伝わりません。声調は上がるのか下げるのかも覚えてなく、上げたり下げたり何度も言い続けるとどうにか通じたようです。一昨日のタクシーの中で運転手にタイグエンからヴィットチーまでの料金を訊ねると800Kドンとのことでしたが、バス料金は23Kドン。タクシーに35人乗ることができればリーズナブル・プライスです。バスターミナルからの公定料金は米価などと同様に恐らく低めに抑えられているようです。多くの場合、途中乗車で途中下車した乗客の方が高めの運賃を払わねばなりません。

今回もまた4人掛けのシートに6人座らされて3時間ほど我慢しなければなりませんでした。道は来た時と反対にノイバイ空港方向に向かっています。ヤマハ・ベトナムの工場が見えました。青々した水田が続き、水牛が水浴びする姿を見るのは悪いものではありません。しかしこの囚人護送車以下的車内環境では景観など何の慰めにもなりません。ビン・フー省のトヨタとホンダの工場の前の道路が工事中でバスが大きく揺れました。ジャストインタイムを実現するためには、この道路の整備が必要とされているのでしょうか。田んぼの中の工場という立地で、この工場へハノイ市内から通うには無理がありそうな場所です。

ヴィェト・チーには思いの外早く着き、食事の後カフェでゆっくりとコーヒーを飲み時間を潰しました。サイゴンを出た日の朝に送った荷物が遅くても午前中には着くとの話で、予定の2倍以上の送料も払うことになったわけですが、案の定、着いていません。その製品の設置に来たため、これが着かなければここまで来た意味もありません。1時から空しく2時間半をイライラしながら過ごし、やっとのことでトラックが到着しました。2台の機器の設置に1時間近くを費やし、動作確認もしようとしたところで仕事は終わり。4時を少し過ぎたばかりだというのに、「結婚式があるので一緒に参加してくれ」とのことです。何で毎度毎度ここに来ると宴会の席に付き合わされてしまうのでしょう。見ず知らずの他人の披露宴は、何時始まって何時終わるのかも不明で、招待客は来た順に飲んで食べて喋って騒ぎ帰っていきます。

何処の誰だかもわからぬ他人と握手をし、ウォッカを注がれます。「スイマセン、飲めないんです」と断っても中には必ず「じゃ、今飲む練習をしろ。そうすれば飲めるようになる」などと抜かす輩がいるわけで、猫に小判、下戸にウォッカ・・・でこれほどの「濫費」もないわけですが、しかも自分が支払って買った酒でもないものを他人にまで強要するとは何事でしょう。時々、所有の概念がここでは違うのでは、と思うことがあります。反対車線をクラクションを鳴らしながら逆走するバイクのように、空いてる場所や誰も使っていないものは勝手に使える権利があると考えているが如くです。

ウォッカは口に含んだだけで粘膜をヒリヒリと刺激しました。口の中の消毒には良いかもしれません。しかし飲み干してしまったら胃の粘膜を傷付けそうで、席を外し吐き出しました。それでも少量のアルコールは内に吸収されたようで、披露宴会場でもあったホテルの部屋に入り横になった途端眠ってしまいました。この披露宴のためか客室は満杯で、泊められたのは普段使ってない5階の崩れかけたボロ部屋です。シャワーからお湯は出ず、それでも掃除はしているのか、室内に埃臭さはありませんでした。

パシフィック航空

2007-04-19 01:54:52 | 交通
北部への出張旅費がなければもう少し楽ができるわけですが、顧客の多くは北部のため出張しなければ売り上げにもつながりません。ベトナム航空の国内便だとハノイまで今は往復約200ドル。それだけで一人分の一ヶ月給与です。どうせハノイまで行くのならついでに周辺の省も回ろうという気にもなり、すると宿泊費やらタクシー代も追加され、二人で出掛けると1000ドル近くの出費になったりします。

以前は、経費を浮かすために行きだけ飛行機を使い、帰りは土日に合わせてバスで48時間かけて帰って来たりもしましたが、最近はその根性もなくなりました。その代わり、パシフィック航空の安いチケットを買うようにしています。ベトナム航空も確か2週間前までに買えば割引があったりもするらしいのですが、常に土壇場にならないと日程が決まらない状況です。きょうの便の予約も昨日の午後になってからでした。「明日の便だからもう予約はできません。オフィスに来て直接買ってください」と言われ、Vo Thi Sau通りまで行くぐらいなら近くの代理店に頼んでチケットを届けてもらおうと思ったわけですが、代理店に電話を入れると「午前の便は席がありません。午後便は1.5Mドンです」とのつれない返事でした。

それじゃベトナム航空とさして変わらない値段だし、パシフィク航空の事務所では午前便が1.2Mドンであるとのことだったので、慌ててVo Thi Sau通りまでバイクで走りました。するとカウンターでは、1.3Mドンだと言われ、何でこうも値段がコロコロ変わるのか不思議で、「じゃあ、どの便だと安いわけ」?と訊くと、13時40分発だとFIXチケットで1.18Mドンのがあるとのことでした。安い代わりに変更が効かないため乗り遅れたら捨てるようなものです。午後便なら寝坊する心配もないのでこれを買いました。

午後便だから午前中に支度をすれば良い、などと思って前日を過ごしてしまったのが間違いでした。朝、事務所に顔を出して不在時の段取りを決めて直ぐに家に戻るつもりでしたが、「クレヨンしんちゃん」のメンタリティーを持ったスタッフに梃子摺り、事務所を出たのは12時過ぎになってしまいました。神経を逆撫でされ時間を奪われ、この先も足を引っ張られ続けるに違いありません。家に戻り、支度をして大慌てで空港に着いたのは1時20分。チェックインカウンターで嫌味を言われたものの無事間に合いました。

昨日痛めた左足の腫れはまだ治まらず、ローカルバスを探す気力も湧かないのでハノイの空港からは、タクシーでタイグエンに向かいました。ここで40万ドンもタクシー代を使っては採算がとれない、とは思いつつ。それでも目的地に着いたのは既に5時半。きょうはホテルでゆっくり早めに寝て・・・と思い、先に来ているNに電話を入れると、すこぶる不機嫌な対応。仕事はまだ1/6の処理しかできず、残り5/6を終わらせるまで後3・4日帰れそうもありません。きょうも夜7時半から作業を続けるとのことです。

唯一の救いは、サイゴンの蒸暑さと比べるとまるで天国のようなこの涼しさです。冬の寒さと夏の厳しさがあるとはいえ、北部には春と秋があることも確かなのだと実感しました。

前輪のないバイク

2007-04-18 01:28:21 | 交通
朝は雲って薄暗い灰色の空です。それがいつの間にか強い日差しに変わるのですが、夕方から再び曇り出すため蒸し暑くて堪らぬここ数日です。この反対に昼間は雲が太陽の日差しを遮り、夜は晴れ上がって地表の熱を奪ってくれればいいのに、と恨めしくもなります。この蒸し暑さの不快感のため誰もが苛立つせいなのか、きょうはあちこちで交通事故を見かけました。

もっとも昨日他人事のように語った罰が当たったようで、3区に出掛けた帰り道で自分が接触事故の当事者に。Tan Dinh市場の脇の道をトロトロと走っていると対向車線から大幅にはみ出して2人乗りのバイクが向かって来ました。こちらは10kgほどのA4用紙を運んでいたので急ハンドルで避けるのも憚られ、スピードを緩めただけでした。相手のバイクはそのままのスピードで走り抜けようとし、恐らくハンドルが接触したのだと思います。ガツンという衝撃はあったものの直ぐに止まれる速度でした。振り返って見ると通り過ぎた相手のバイクはハンドルを取られて更に別のバイクと接触して転倒。何とバイクの前輪が外れて何処かへ転がっていったようです。ブラブラと垂れ下がった2本のサスペンションが何とも滑稽でした。

こんなところで時間を奪われるのも勘弁だし、かと言って知らん顔で通り過ぎる卑怯者を受け入れたくもありません。原因は兎も角、相手のほうが怪我も破損も多いわけだし、バイクのスタンドを下して様子を見に行こうと思いました。すると足の甲を打撲したようで歩くと痛みが走ります。あちこちの接触事故でお互いに相手の非をあげつらい罵り合う光景が思い浮かびました。口論になったら100%負けだなー。「凱旋門」のラヴィック先生が逮捕される切欠は事故に遭遇し、被害者の救助をしたからでした。自分は不法滞在の亡命者ではありませんが、公安のご厄介になるのも懲り懲りです。

すると近所の人と思えるお婆さんが僕のところに来て「Thong cam Thong cam」となだめようとします。何でこのお婆さんが僕に同情してくれるのか分かりません。口振りからすると「家の子が迷惑かけてすいません」という感じなのですが、ちょうど自分の家の前で事故を起こしたとも考えられず不思議に思っていると、再びやってきて、また「Thong cam Thong cam」と繰り返し、「ご怒りはご尤もですが、どうぞお引取りください」という仕草でした。その場に残って2人の無謀運転を公安にでも証言されたら困ると考えたのか、あるいは損害賠償を請求しないでくれという意味なのかはわかりません。

多少の後ろめたさは残りましたが、その場を立ち去ることにしました。履いていた左足の皮靴がざっくりと破れていました。サンダル履きでバイクに乗っていたら骨まで達するほどの傷だった可能性もないとは言えません。4年ほど前、サンダル履きでバイクを運転し、交差点で自転車と接触した際に足の小指が自転車のポークに巻き込まれ、深い傷を負ったことがありました。それ以降極力靴を履いてバイクに乗るようにしています。明日は北部に行かねばならず、こんな時に怪我などしたら目も当てられません。

ところがです。この破れた靴を履いて行くわけにはいかず、代わりの靴もありません。こんな時にまた余計な出費かと思うとがっかりです。その上、靴を買いに行く時間も惜しまれます。買い物の楽しみを知らないわけではありませんが、ここで靴を探しても気に入るものが見つかることは期待できないわけで、偶に1区のショーウィンドーでその気にさせられる靴を見ることがあっても、値段が10倍もする輸入品だったりするのがオチです。

今日中に済ませっておかねばならないことは何なのか、明日からの準備はどうするのか、を考える間もなく時間が過ぎていきます。とりあえずハノイ行きの片道航空券だけは手配しなければなりません。幸い昨日、未収残金が回収できたので当面の資金繰りの心配だけは免れました。が、北部に先に行っているNから電話は入らず、痺れを切らしてこちらから電話しても繋がるのは数回に一回。それも電波状況の悪さか、音声を聞き取るのはやっとです。連絡がないのは問題がない証拠、などということはなく、大トラブルの様子。電話をする気力もなく忙殺されてるようでした。「だから言っただろう・・・」との言葉を飲み込み、また明日は空港から憂鬱な気分でローカルバスに揺られるのか、とため息を吐き出しました。


中央分離柵

2007-04-17 01:25:21 | 交通
きょうからまた新人を採用して働いてもらってます。4ヶ月後に卒業予定の会計を勉強している子です。先週の月曜日も他の人に来てもらいましたが、朝一時間も経たないうちに「こりゃだめだ」と思わせてくれたので、お昼までで半日分の日当を支払い早々にお引取りいただきました。専属で一人会計を置くような仕事量があるわけでもなく、また会計業務の目的は税務報告、などと勘違いしている人も多いので業務の実態に即した処理をしてもらうためにも「会計半分、その他の事務半分」との話をしていたところ、「2つも仕事をするならその分給料を上げてくれ」とのことで、ここではさほど珍しくない論理ですが、とにかく何事も自分に都合の良いように解釈し要求するタイプでした。面接の時点で気付くべきでしたが、「ちょっと可愛いかも」などと思ってしまったのが敗因。その一瞬の隙を見逃さずに付け込まれたとも言えそうです。

日々の伝票を間違いなくきちんと処理できる人がいないと困るため、さてどうしたものかと考えながら歩いていると店番をしている朝飯屋の娘の姿がありました。昨年デウミさんが毎朝食べていた近所の店です。「もうそろそろ卒業では」?と聞くと「企業実習に行かねばならないのに行き先がない」との話なので、即、話がまとまりました。事務所から歩いて30秒足らず。「道路が渋滞して遅刻しました」とは言えないし、定時の朝8時に姿を見せたことのない二人を抱えているだけに何かと便利かも知れません。

まじめで大人しそうなタイプの子なので、せめてきょうは怒鳴ったりの醜態は見せまい、と思っていたわけですが、客先から「修正プログラムのCDがまだ届かない」との電話を受け、土曜日に送った筈とNGに確認すると、「今朝出しました」との返事に逆上してしまいました。急ぐからEMSで送ることにしたのにそれを2日間も持ち歩いたとは流石です。「文句を言うなら私に郵便局に行かさないで頂戴」とでも言いたいのでしょうか。

決められたルールを守るよりも自分の都合を優先する、というのは道路を走るバイクを見てもまったくその通りです。赤信号で停止線で待つと必ず後ろから来たバイクがその前に止まり、前に出すぎたバイクは信号が見えないから青信号に変わっても走り出さない、という光景は毎日です。センターラインはなきに等しく踏み切りの遮断機が下りると両側とも反対車線一杯に広がってしまいます。

それでも最近は信号を守る度合いも多くなり、またセンターラインの位置に分離帯というかガードレール状の柵が設置させるようになりました。GO VAPのPham Van Tri通りにも最近設置されましたが、その意図とは逆にやたら圧迫感があり、先週1件、昨日も1件の事故を目撃しました。整理整頓をしようとして却って必要なものが見つからなくなってしまうのと似ているのでしょうか。この2年近く、この道路での事故を見た記憶はありません。

事故防止策というのが新たな事故を招く、ということでは高校生のバイク通学が禁止され、軽トラックにベンチを取り付けたような乗り合いバスで通学した高校生がトラックと衝突して何人も一度に死亡したという事故もドンナイ省でありました。規則を守るだのマニュアル通り仕事をするだのということが、実際のところどの程度有効なのかは疑える面もあります。それでもです。朝30分も遅刻して来たら、せめて「スイマセン」の一言ぐらいは言って欲しいわけで、「昼休み30分しか休みませんから」などと偉そうに居直られるのにはどうにも腹立たしさが残ります。

ローカルバス

2007-02-04 14:17:41 | 交通
昼前に仕事は片付いたので、「疲れてるなら空港で早めの便に変更して帰れば」?とNに言うと、「だって2時に送金書のコピーを受け取りにもう一度寄るって言っちゃいました。誰が行くんですか」?以前、知り合いの日本人が「家のお手伝いさんに聞いたんだけど、ベトナム人で奥さんを殴らない男はいないんだって」と言ってたことを思い出しました。こんな口の利き方をする女と毎日暮らしてたら、と思うと真実味を帯びた話のようにも感じられてきます。そんなものわざわざ取りに行かなくてもFAX送ってもらえば済むことです。「君がそう言ったのなら君が行ってこいよ。オレは先にハノイに戻るから」と言う根性はありませんでした。何しろ昨日は寝坊して醜態を晒した身ですから。

空港へ行くにはどこでバスを降りれば良いか分かってるの?と老婆心ながら尋ねると、「バクニンの近くで降りれば良いんです。そこから空港までは15kmです」。誰に聞いたのか知りませんが、言われたことをそのまま受け入れてしまう素直さには呆れてしまいます。国道3号線を通ってハノイに戻るバスなら空港から数キロの近さで、Nは来るときはその道を通ったのに。と言っても無駄なことでしかないので、「それじゃあ、なおさら早めに空港に戻るようにしたほうが良いね。かなり時間を食いそうだから」と調子を合わせました。バスターミナルまで行き、ハノイ行きの券を買うと一枚20Kドン。80kmほど走っても日本で2km走るバス料金と同じということです。物価が違うとは言え、40倍の格差は滅多にあるものではありません。その分安全性をも犠牲にしなければならないわけだし、車内の不愉快の数々を思うと無理な価格設定であるようです。

バスは国道3号線からも逸れ、ノイバイ工業団地の近くを通って空港の直ぐ近くに出ました。前の席に座るNに「空港が直ぐ近くに見えるぜ」と言うと、バクニンノ近くで降りる、と言ったことなどなかったかのように嬉しそうな表情でした。この日とその前日でわかったことは、この手のバスは運転手の気分と裁量で通過する道路を選択できるということ。特に若い女の子には親切に対応するけども、薄汚い中年外国人には素っ気無いということです。まぁ、それは自分が運転手でも同じには違いないでしょうから文句が言える筋合いでもないようです。

キャノンやパナソニックの工場のあるタンロン工業団地を通ってバスは市内に向かい、ハノイ国家大学を過ぎてミーディン・バスターミナルに着きました。ここまで来れば市内バスが何本も出ています。どの路線に乗れば良いかあれこれ考えながら、ザーラム行きと書かれた34番のバスに乗ってみました。途中でホアンキエム湖の近くを通るはずです。サイゴンの暮らしに慣れてしまってからハノイに来るとウンザリですが、北部の地方都市からハノイに戻った時は「ほっと」するものがあります。暖房付きのホテルは予算的に無理でも温水シャワーやADSLは使えるし、食べ物も懐具合次第で日本料理も可です。タクシーもあれば地図も売ってます。

前回泊まった旧市街のバックパカー向けまで足を引きずって歩きました。ここも一ヶ月の間に30Kドンも値上げされてました。テト前だからでしょうか。シャワーを浴び、それから必要なのはバス路線の記された地図です。チャンティエン通りの大きな書店で一枚買いました。50Kドン札を渡すと、領収証を記入しながら後ろを向いて他の店員と話をしていたレジの係りは、お喋りを中断することなく紙幣を受け取り、暫く待たせてから5Kドン札一枚を返してきました。「何で?渡したのは50Kドンだぜ」と講義すると、引き出しから20Kドン札を取り出し、「受け取ったのはこの20kドン」だと譲りません。少ないお釣りを渡すのは作為なのか、あるいは単なる勘違いなのかは考えても意味のないことです。「絶対に50Kドン渡した」と睨みつけると、再び引き出しをかき回してから渋々20Kドン札を2枚返して来ました。

間違えたなら一言ぐらい謝れよ、あの店も旧国営書店か?と不愉快を募らせて暫く歩いた後、計45Kドンもお釣りを貰っては10Kドン多過ぎることに気付きました。レジの金額が10Kドン少なかったらどういう処理をするのだろう、とは考えてみたものの、あの高慢な態度の店員のことです。10Kドン返しに行ったところで再び不愉快な思いにさせられるのがオチです。この10Kドンでホテルの近くのケーキ屋でミルフィーユを3つ買うことができるし、と愛想のいい可愛い店員の顔を思い浮かべました。

走行5万キロ

2007-01-18 02:14:38 | 交通
他に誰も行く人がないので仕方なくビエンホアの工業団地まで納品に行ってきました。バスだと不便だし、片道約30km、バイクで行く以外は赤字になってしまう距離です。ガソリンのメーターを確認すると、いつの間にか走行距離が5万キロを超えていました。8年前に買ったベトナム・スズキの110ccです。年平均6~7000キロ走ってることになります。年間300日バイクに乗ったとして毎日20km平均の走行距離になり、平均的な使い方のように感じてますが、若いベトナム人はもっと走るそうです。

僕自身もバイクを購入してから初めの4年間ほどはあちこち出かけたので、年9000kmほど走っていました。メコンデルタのアンザン省まで2回。ソクチャン、バクリュウを経由してカマウ岬までバイクを走らせたこともあります。ダラットの帰りにファンランを経由してサイゴンに戻った時は一日に400kmほど走りました。しかし、このGO VAPに引っ越して来てからは、ほとんど遠くへは出かけてません。バイクを買い換えて、オフロード仕様にでも乗れば出かけたくもなるのでしょうが、国内生産はしていないのでかなり高価のようです。

村上春樹の「ノルウェーの森」にやたら音のうるさいヤマハの125ccが出てきます。やや時代は後になりますが、サワダ君の乗っていたバイクと同じかも、と思ってしまいました。ハルミちゃんもバイク通勤してたそうですが、今でも乗っているのはナカバヤシ君だけでしょうか。ベトナムで日本メーカーの現地生産が始まったのは10年ほど前ですが、今はスクータータイプが増えてきました。特にハノイでは新しい4サイクルエンジンのべスパが目立ちます。僕がビエンホアにいる頃乗っていた2サイクルのべスパには懲り懲りでした。ハサマのイシムラさんに騙されて買わされたものです。「イタリア製の新品でまだ100kmしか乗ってない」との話が、実は台湾組み立て。ギアは欠けてて突如シフトダウンしてしまうし、クラッチワイヤは1年に3回も切れ、エンジンの掛かりも最悪。流石、ゼネコンのサラリーマンというところです。工場の若い人にはべスパは、当時、ソ連製ミンスクと同列ですこぶる不評でした。こんなバイクに乗ってたら絶対女の子にモテないのだそうです。確かに当時後部座席に乗ってくれた女の子は、朝遅刻しそうになって便乗した子とか総務の飲み会の帰りに乗った掃除のオバサンくらいのものでした。
そのべスパが今やハノイではステータスシンボルと化しているわけですから、時代は変わったものです。

市内で乗る分にはともかく、国道1号線をビエンホアまで走ると排気ガスと土埃で顔も服も汚れが堪りません。帰りは途中でTHU DUCに折れ、交通量の少ない道を通りました。大型トラックが通らない分だけ気分的に幾らかはマシです。家に帰り、着てるものをすべて洗濯機に投げ込み、シャワーを浴びました。以前アンザン省からバイクで帰って来た時は鏡を見て自分の顔に吹き出してしまいました。顔がススで真っ黒で、眼鏡を掛けてた目の周りだけが白くて異様でした。勿論日焼けして目の周りとて日本で暮らす人と比べれば黒々しているわけですが、それでも排気ガス+土埃の黒さとは比べものにならないということです。

先日、ガソリン料金が値下げされ、10100ドン/1Lになりました。ガソリン・スタンドが増えたということなのか、最近はペットボトルに入れて売る姿は見かけなくなりました。オバサン達の道端でのゲリラ的な商売は日々少なくなっているようです。それでも、きょうも9区のNIDECの工場近くの国道では、交通警官の取り締まりの手前で「貸しヘルメット」屋さんが出ていました。

予定変更

2006-12-28 16:32:03 | 交通
ハノイのクリスマスを楽しんだ反動でしょうか、朝起きてきたNも風邪を引いた様子。低血圧のウンザリした表情で不貞腐れていました。「ちゃんとバッカンには電話したわよ。年明けにどうせまた行かなくちゃならないんだから、その時行けば。もう疲れちゃった」。こちらも胃痛と鼻水で再び長距離バスに乗って北に向かう気力がありません。一度足を運んでおいた方が良いには違いないのですが、無理してNの仏頂面と付き合うのも後が大変。こちらのストレスもそろそろ限界に近づいて来ました。ハノイ市内の仕事を終えたら予定を2日早めてサイゴンに戻ることにしました。キャンペーン・チケットのため便の変更には手数料を払わねばなりませんが、宿泊費が浮くので負担が増えるわけではありません。やはり一週間を超える出張は無理があったようです。

ハノイ市内はバス路線が整備されているので、荷物がなければ移動は容易です。受験生用のためなのか、市内の大学を記した地図も売っていました。バス路線地図もサイゴンのものより遥かにわかり易く、使い易いものです。この2つの地図を買いNに渡しておいたのですが、地図を見る習慣がないのか、行き先を地図で確認することなく、行き当たり場足り。この5年間で一番頼りになるスタッフなのですが、それでも段取りの悪さには呆れ果ててしまいます。こういう時は南部の人間のおおらかさというのは、ただのズボラの役立たずでしかありません。

50万分の1全国道路地図などもハノイの書店で見つけたので買いました。155Kドンと驚く価格。サイゴンでは5Kドンの市街地図も、ハノイでは15Kドンもします。道路地図を開いて、5万分の1だから1cmで何キロだ?と聞いてみると返事がありません。縮尺が明記されてない地図もあるし、生活の中や社会科の授業で地図を見ることも少ないようですが、算数は得意な筈だからと思っていました。旧社会主義計画経済の名残で理数系偏重の割には数値化するのに得意でないようです。物の価格や携帯電話機のモデル番号などの暗記能力は抜群なのですが。

市内路線バスに乗ると学生の多さが目立ちます。大学の多さや立地の良さのためもあるのでしょうけど、サイゴンとは大きな違いです。ハノイの学生をアルバイトに雇った方が、仕事が遥かに効率的であることは間違いなさそうです。
KIM MAから路線バスに乗り、約50分後、空港に着きました。市内から30kmほど離れた不便な空港と思っていましたが、バス代5000ドンで着くことができるのですから成田と比較するまでもなく便利です。パシフィック・エアラインのチェックイン・カウンターの無愛想なお嬢さんも座席の狭くて古い機体もチケット価格相応なのでしょうけど、やっとサイゴンに戻れるという安堵とは無縁です。

南部に近づくと雲が厚くなり、冬空のようでした。地上に近づいても視界は鮮明でありません。サイゴンも冷える季節かと思ったもののタラップを降りると、やはり熱帯の空気で、北部の寒さを思えばサウナに近い状態です。Nはベンタン市場までのバスに乗って帰りました。GO VAPまではバイクタクシーを拾うしかありません。空港を出て暫らく歩いてみました。北部で感じていた疲れはもう残っていないようでした。