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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

旧市街のクリスマスイブ

2006-12-25 09:45:22 | 交通
機器2台を先にサイゴンに送り戻し、身軽になってホテルを変えることにしました。K君が泊まっている旧市街のミニホテルが一泊10ドルで部屋も悪くないと聞き、部屋を見に行きました。市内の移動も路線バスにすれば交通費も抑えられるし、不便はありません。ちょうどチュンクアン通りのホテルの前のバス停からホアンキエム湖北側までのバスがありました。どうせNは自分でホテルを探すこともしないだろうからと、このホテルに移ることにしました。

旧市街は、言わばハノイのバックパッカー街で、オフィスビル街にいるよりも買い物や食事も便利で気楽な雰囲気があります。土日の朝は、K君からの電話で起こされました。毎朝ビンユンの工場までバス通勤しているK君は、ハノイに来ても早起きの習慣が抜けないようです。ところがハノイの朝はサイゴンよりも遅いようで、7時にカフェや食事のできる場所を探してもなかなか見つかりません。ハノイのほうが経度を見れば多少サイゴンより西に位置しているようですし、この冬の曇天空は早起きに不向きであるには違いありません。

旧市街の露天市場に並べられた野菜や果物は、普段GO BAPの家の近くで目にするものより選別された上質のもののように見えました。場所柄ということもあるのでしょうけど、ハノイの人々のほうが几帳面さにおいては優れていることは確かのようです。「旅行に来て何でも満足を求めようとしちゃいけないんだ」と言うK君のことば通り、ハノイのコーヒーの不味さに文句を付けようとは思いませんが、その味にも関わらず値段は5Kドンから10Kドンほどもしてサイゴンのアイスコーヒーが懐かしくなります。カフェ文化の違いはハノイと異なるというより、サイゴンのカフェだけが特別なのかも知れません。ハノイの若い女の子達もとてもお洒落ですが、ここではお洒落な女の子はお金持ちタイプで、カフェのウェートレスは皆お洒落とは無縁のようです。サイゴンでは貧富の差に関わりなくお洒落に気を遣うとすれば、ハノイではお洒落の層が一部分だけに限られているという印象です。そのためか、サイゴン以上にお洒落だと感じるものが少なくないわけですが、どことなく浮いた感じを伴います。官と民、豊かさと貧しさ、学歴格差、都市と地方等の対照がサイゴンよりもよりあからさまな社会のように映ります。

寒さ故か、空腹になると胃が痛むようになってきました。鼻水も止まりません。去年の12月は気が張っていたのか、無理を続けてのハードスケジュールでも問題なく、しかし、年が明けてから2ヶ月連続して二度風邪を引いてしまいました。やはりインフルエンザのシーズンなのでしょう。ホテルの受付に置かれたTVからクリスマスソングが流れています。聞き覚えのある、山下達郎の曲です。TVを見上げるとコカコーラ・カラーの衣装を着た女性たちが、琴や胡弓で演奏しています。ハノイのケーブルTVで流されている北京の番組だそうです。
K君は昨日の披露宴でもらったクッキーを子供へのお土産にすると言って、昼の便でサイゴンに戻りました。Nの姉は予定を変更し、明日の朝便に延期したそうです。

ハノイ着

2006-12-24 22:18:44 | 交通
バクザン、ハイフォンにそれぞれ一泊した後ハイズンを経由して木曜日の夕方、ハノイに着きました。先に送っておいた機器2つ、計50kgも引き取ったのでこれを抱えて安宿を探して回るのも面倒です。ティエン・クアン湖に面したクアンチュン通りのホテルに泊まることにしました。訪問予定の大学はCau Giayに位置するものが多いからと、途中でNがCau Giayに行くよう運転手に告げましたが、ハイフォンで雇った運転手は「道がわからないからタクシーに乗り換えてくれ」とハノイ・ホテルの前で車を止めてしまいました。もう少し早めに行き先変更を告げておけば運転手のご機嫌も損なわずに済んだに違いないと思うのですが、嫌なことはギリギリまで口にしたくない、ということなのでしょうか。午後から半休を取る時も、そうと告げられるのはいつも12時になってからです。

前日はタクシーでバクザンからバクニンに移動する際、バクニン近くまで走ってから宿から二人のIDカードとパスポートを渡し忘れたとの電話が入りました。時間は余裕をとっていたので問題ありませんでしたが、往復のタクシー代300Kドンは前日の宿泊費を超えてます。きょうもまた余分なタクシー代を払うのか、と不機嫌を隠すことができません。Nは運転手に押し切られ、運転手は他のタクシーを呼んで来ました。梱包していない機器を積み換えるのも面倒に思え、日本語で喋り続け自分の不機嫌さを十分相手に伝え、頃合いを見計らって運転手が道を知ってると言う、当初の予定のクアンチュン通りに戻ることにしました。

ホテルは工事中で騒音の中です。宿泊費も一部屋250Kドンと予算を超えるので長くは泊まれません。それでも日本の1万円を超えるビジネスホテルよりは満足できる部屋でした。エアコンの暖房も効くしバスルームもお湯も問題なく清潔でした。Nのストレスも溜っていそうだし、ここでリフレッシュできればそれに越したことはありません。

土日の二日間は二人共予定がありました。K君が友人の結婚式に出席するためハノイに来ており、Nは親戚の姉がハノイの恋人に会いに来ていました。2年前に初めてNを連れてハノイに出張する時には、Nの母親が事務所に押しかけて来て説得するのに苦労しました。Nの姉も恋人に会いにハノイに来ることに家族の許可が下りずにいたとのことです。それが今回は、Nがハノイに来ているのでNと同室のホテルに泊まるということで初めてのハノイ訪問となったようです。

お陰で金曜日の夕食はハノイの彼氏にCha caをご馳走して貰いました。仕事以外の会話ができるためか、姉の役に立つことができたという自負からか、Nは上機嫌で饒舌でした。ハノイの彼氏は公安関係のお役人のようで、サイゴンのへ出張が多いとのことです。Nの姉は虚弱体質のNとは違って、道を歩けば多くの男性に声を掛けられそうなタイプでした。
Nも二人と一緒にハノイ見物するのか?と聞くと、「二人はきっとホテルに籠もりっきりじゃないの」との返事。それじゃ「保証人の」役割果たせないじゃないか、とからかうと、「もう大人だからいいのよ」だそうです。

フートーやバックザンの寒さの後だからか、ハノイの気温はさほど苦にはなりません。それでも小刻みに腹が減るのは寒さのせいのようです。腹は減るのに食べたいと思うものが見当たりません。ハノイのご飯が口に合わない、というサイゴンの人々の声もよく聞きますが、身体がハノイの気候に適応していない、ということがそう感じさせるような気もします。

北部2日目

2006-12-24 11:32:39 | 交通
宿の向かいは公園で、放し飼いの鶏がウロチョロしています。放し飼いの犬が鶏を追いかけることもありません。この辺では家禽類の飼育禁止措置が取られてないようです。確かホーチミン市では禁止されてた筈だとNに言うと、Nの家の鳥は数ヶ月前、公安に没収されたとの返事でした。こうして田舎では犬、猫、鶏などが放し飼いでも共存して生きていけるわけで、たぶんそれが長年続いた当たり前のことなんでしょうけど、それを奇異に感じてしまうほどに今の都市生活というのは人々の意識を歪めてしまってるみたいです。

朝起きて、とりあえずコーヒーでも飲もうと近所を歩いてみました。が、カフェがありません。朝食を取る店は何軒かありますが、最低限の買い物をする以外は見事に何もない町です。お役所関係の立派な建物は見受けられます。この地の師範短大を訪れるはずでしたが、来てみると二年前に大学に昇格したとのことでした。それでも教員養成課程が主要学科であるためか、学生は9割近くが女子のようです。昨晩泊まった下宿屋に寄宿していた3名の女子学生は、この大学で経営管理学科に籍を置く1年生でした。

政府教育省の方針では、現在の大学・短大数310数校を2002年までに約倍の600校に増やすとのことです。全64省・都市で大学のない省がなくなり、就労人口に占める大卒者数を先進国並みにする計画のようです。個人的には、そんなことより初等教育を何とかするほうが先だろうに、との思いがしてなりませんが。何れにしろ、数はともかく質をどうするんだ、と危惧する声は多いようですが、その内容がどのように論議されているのかはわかりません。メコンデルタの師範短大の学生に、地元の教員となることを前提とした奨学金の制度が設けられたそうです。教員の職ですら地元に残らず大都市へと流出するわけですから、地方に開設された大学の卒業生たちが地域社会を支える人材として活躍するような状況になるのかどうかは疑問です。

10年ほど前、最初のベトナム投資ブームの頃は、このPhu Tho省は、まだVinh Phuc省と分割される前で、Vinh Phu省という名でした。工業団地が造成され、トヨタ、ホンダの工場が建設される頃でした。これらの工場団地は今はハノイに隣接するVinh Phuc省に位置します。こちらのPhu Tho省には見るべき産業があるようには思えません。果して彼女達、この大学の経営管理学科卒業生にはどのような就職先が準備されているのでしょう。

午後からはViet Triで約束があるため、昼前にViet Tri行きの路線バスに乗ることにしました。分割前のVinh Phu省時代からの省都だけあって官庁関係の立派な建物が目立ちます。と、いうよりその威圧的なコンクリートの建物は、自転車に乗った農民たちの姿との対比に耐え難い感情がこみ上げます。
ここは何度か訪れた地なので宿泊先や食事の店には困りません。それでもホテルの室内には暖房も電話もなく、かすかに暖かいシャワーは5分と持たずに水に変わり震え上がりました。

出張日記 初日

2006-12-23 19:07:01 | 交通
腕時計の蛍光塗料がかすかに見え、2時半を差しています。夜の7時にベットに入ったので、ちょうど目が覚める時間なのでしょう。あぁ、これだからちゃんとフートーの宿は予約しておくようにと言ったのに、と溜め息が出ます。とにかく毎度のことです。北部の地方に来て想像外の泣きたい気分にさせてもらえるのは。

フートー省はハノイの北に位置するため、ハノイ市街に入ることなく空港から直接バスで向うことにしました。80kmほどの距離をタクシーに乗る贅沢はできません。空港から市内に向かう路線バスに乗って最初の国道沿いのバス停で降りようとすると、扉が開くや否や乗り込む客が先に殺到し、呆気にとられました。池袋の東武東上線でも似たような光景はあるのですが、そんなことは忘れて、北部の人々の貪欲さを呪いました。交差点を歩いて右に曲がり、国道2号を北上する長距離バスを持ちました。途中乗車になるのでどのバスも既に満員ですが、それでも無理やり客を詰め込もうと、何台ものマイクロバスが止まります。無理強いするバスは料金もぼったくられそうなので避けましたが、その客引きのひつこさは閉口しました。これぞまさしく北部のど根性。南部の人間が喧嘩して勝てるわけがありません。Tuyen Quang行きと書かれたマイクロバスが止まりました。たぶん方向は同じと思い、Phu Thoに行くと告げると乗せられました。

30人乗りのバスは補助席を含め4人掛けのシートは既に埋まり、無理やり5人掛けにさせられましたが、後から乗り込んだわれわれに先客は面積を空けてくれるつもりはなく、どうにかお尻を半分乗せられるという窮屈な体勢です。先客は股を広げ、腕を組んで寝た振りで、まぁこれも日本の電車の中と同じと言えなくもありません。途中何度か客の乗り降りがあったので、次第に体勢は楽になりました。それでも窓際の太った男が股を開き続けていたので全身の力を込め体当りで押し寄せました。不満げな顔で文句を言いそうだったので、「4人掛けのシートに5人座るのにアンタは一人分以上占めてるじゃないか」と言うと、何も言いませんでした。身体の細いNが隣に座ると更に座席はゆったりです。「人間は肩が一番広いんだから肩を半分ずつ入れて座れば多くの人数が座れるんだよ」などと20歳の頃、地検に向かう護送車の中で「官憲」に教えられた言葉を口にしてしまいました。

バスは、国道2号を北上します。Phu Tho省の省都Viet Triを過ぎたころから起伏の多い風景に変ります。だだっ広い紅河デルタの田んぼに替わり、三里塚や町田の小山田のような変化に富む丘陵地帯で、道路もカーブが多くなりました。

てっきりPhu Thoに行くと思っていたバスは、しかし国道を直進してTuyen Quangに向かうため、途中の三叉路で降ろされることになりました。Phu Thoの町は国道2号沿いに位置するわけではありませんでした。直ぐにXE OM(バイクタクシー)が寄って来ました。2時間ほど窮屈なバスに揺られたので先ずは道端の店でインスタントコーヒーを飲みながら一服。Phu Thoまでは、ここから10km、一人4万ドンで乗らないか、とXE OMが言い、Nが「サイゴンでは1km2500ドン」と言い返しています。Phu Thoへのバスを待つ人々の姿もあったので、暫らくバスを待つことにしました。見知らぬ土地でXE OMにぼったくられるのも不愉快です。ところがバスは来るのですが、悉く満杯。学生らしき人々は窓から乗り込んだり、ステップにしがみついたりして乗って行きましたが、荷物を持ったわれわれには無理な行為です。次第に日が暮れ始めたの仕方なくバスは諦めXE OMと交渉することにしました。一人15000ドンで話がまとまりました。

訪問先の学校近くのNha Troと呼ばれる宿に泊まることにしました。余りのみすぼらしさに、「これ、学生向けの下宿って書いてあるぜ」とNに言ったのですが、Nは気にも留めず、料金の交渉を始めています。宿の主人は、「ベッドは2つあるけど部屋は二人で一部屋、7万ドン」などと説明しています。これは、なんという展開でしょう。これこそがNの母親が一番恐れていた事態ではないでしょうか。さっきまでは、ここはやめようよ、と言うつもりだったのに、ちょっとした心境の変化が。

ところが、やはりそんなことになる筈もなく、パスポートを出すと、外国人の男とベトナム女性を一緒に泊まらせることはできない、とかでNは3階の女子学生3人の部屋に移され、こちらはお喋り好きな宿の主人を含め男3人で泊まることになりました。その鬱陶しさを逃れるためには例え7時であろうと寝る以外ありませんでした。部屋には暖房がないというより先にドアがありません。シャワーもなく、トイレでバケツの水を浴びることは可能のようですが、晴れた日の昼間でもその気にはなれません。つまらぬ期待を抱いた一瞬の間違いで、自業自得と言うべきものでしょうか。

サイゴン着

2006-11-02 02:26:09 | 交通
日本に12泊して昨夜サイゴンに戻りました。予定外の急な帰国のため12日間の日数は暇を持て余すかとも思っていたのに、毎度毎度日本を経つ直前になってあたふたしてしまいました。パスポートを更新したのでVISAも取り直しとなり、空港渡しのビジネスVISAを手配していたにも関わらず、引き換えに必要な公電書類を印刷し忘れたまま、途中の駅で気付きました。空港に行く前に一軒寄り道をするために早めに家を出ていたので運良くどうにか助かりましたが、危ないところでした。日常の仕事同様、必要事項を紙に書き出さねばならいということのようです。

今回は出発前日にスーツケースを空港に送ったので駅の階段の登り降りは楽でした。2、3日後に筋肉痛になることもなさそうです。前回は成田でスーツケースの中のライターを没収されたのに、今回は何故かチェックイン前の荷物検査がありませんでした。その代わりに客室に持ち込む手荷物やポケットの中は丹念に調べられました。全日空便はノースウェストとのシェア便のためかベトナム人乗客の姿が増えました。新作映画でも見ながらのんび6時間を過ごせるかとの期待は残念ながら座席に液晶モニターもない古い機種のため叶わず、しかも隣と周辺はベトナム人乗客ばかりの座席です。ベトナム国内の列車や国内線航空機でも人間同士の距離感覚が少々異なるためか、余程の美人でない限りベトナム人の隣に座るのは苦手です。日本の電車の中でも不当に座席面積を占領する日本人も居るわけですが、比率としてはさほどとは感じません。ところがここでは多数派が侵略民族という気がしてなりません。この日も何度となく国境を侵犯して体に触れられ、その都度眠りを妨げられてしまいました。

その上、台風の影響だとかでシートベルト着用の表示が頻発し、その度に眠りながら聞いていたイヤホーンの音楽も中断。平原綾香という歌手の番組が流れてました。サンディ・ラムやベトナムのMy Linhとの競演の歌が流れたのには驚きました。平山綾香という名だけを知りませんでした。隣に座るベトナム人のオバサンに腹を立てながら、イヤフォンからは「アジアは一つ」などというスローガンが聞こえてきます。商業音楽の世界では確かにアジアは一つになりつつあるのかも知れません。

予定時間の11時を15分ほど過ぎてタンソンニャット空港に到着しました。入国審査カウンターの右手にVISA発給のデスクがあり、申請書に記入し、公電のコピーと写真一枚を添えて提出すると手早くVISAが受け取れました。わざわざ日本で大使館に足を運ぶことを思えばとても便利なシステムです。街に近いこの空港では出迎え人が居ない乗客のほうが少ないようです。出迎えられたいと思ったことはありませんでしたが、人の顔を捜す必要もなくタクシーの客引きの洗礼を受けるというのも楽しいものではありませでした。

二階建バス

2006-10-06 04:46:15 | 交通
朝、起きると二人の姿が見えません。大家さんが家賃を取りに来ても鍵がないので門扉を開けられませんでした。二人はそれぞれ朝食とカフェへ鍵を持って出掛けたようです。Dさんが一人で先に帰って来ました。朝は、腹が減って目が覚めるそうです。Dさんの携帯はまだT君が持ったままなので、T君に電話をするとカフェにいるとのこと。Dさんの携帯番号は郵便局からの電話が入るはずなので、再び取り替えて二人にそれぞれ携帯を持って貰わないと面倒です。カフェに出掛けてSIMカードを交換することにしました。T君は最近一人でカフェに行くことが多くなりました。好きな女の子ができた、ということではないようです。毎回行く店を変えています。

家に戻ると、「公安が来てて大変だった」とのこと。隣家の世話役の爺さんと大家さんも一緒で居住登録のことのようですが、「ベトナム語しか喋らない」から何を言われてもお手上げ状態だったそうです。隣家の爺さんがもう一度来て、台風被害への義援金を募りました。災害と義援金については頻度が高いせいか、爺さんの詳しい解説を聞くまでもなく趣旨は十分伝わりました。

T君は、きょうもまた一人でブラブラしたいとのことなので、事務所へは雨上がりを待ってDさんと二人で向かいました。PCを一台、バイクの後ろに跨るDさんが抱えることになりました。「運転し難いからPCは膝の上に乗せて」と当然の如く要求したところ、「足が地面に着かないのが不安」「股開いて乗ってるから狭いところは通らないで」などと言ってます。ベトナム人の女の子二人乗せるよりも重たい上に煩いヤツだ、とは思いましたが、考えてみればバイクの後部座席に乗り慣れない日本人が手を塞がれて掴まることが出来ずにバイクに乗る恐怖も当然です。体型や外見、日頃の言動からは思い至らないことではありますが。

ホッチキスを3個調達しなければならなくなり、どうせサンミゲルのビールも買わねばならないわけだから、とスーパーのMETROまで行きました。24缶買っても5日分にしかならないと言われ唖然。5日後また買いに来るのも面倒です。他に持ち帰るものもあったので12缶入りを3箱買いました。何故か24缶入りは@75Kドンなのに12缶入りは@70Kドンでした。その帰り道、国道を2階建てバスが通ったのを見てDさんに教えると、「四トロのマークが付いてるのが変だなー」と一言。ビールは買いましたが、まだ飲んではいない筈。酔っ払いの戯言を昼間からは勘弁です。40年近く前の新左翼用語をそのまんまで連発するところはビアオム先生と変りません。「そういうこと言ってるとヤマダさんに言いつけるよ」と時には恫喝してみるのですが、「ヤマダの引越しの時に車を運転しててぶつけちゃったんだけどさー、後ろをちゃんと見ててくれたと思ったんだよなー・・・」などとこれまた古い話の言い訳が始まります。

H君が来たので「Dさんはさー、自分がミスすると直ぐ他人のせいにして言い訳するんだよ。ベトナム人そっくり」と言いつけると、H君は「それなら、ここで生活するのに合ってるんじゃない。大丈夫やって行けるよ」と励ましてくれました。

E-Town

2006-09-09 02:53:09 | 交通
この三日間雨なしです。昨夜に続き、今夜も外に出ても涼しくありません。夕食後に疲れを感じるのは、この暑さのせいでもあるようです。シャワーを浴びてスッキリすれば良いのにそれも億劫。部屋に置いた温度計は、見る度に壊れているかのように30度ぴったりです。カレンダーでは満月ですが、雲に覆われているようで姿が見えません。今夜か明日には降りそうです。

今朝は寝坊したおかげで、公安の訪問を受けてしまいました。仕事に行くのだから早くしてくれよ、と言いたいところですが、どっかりと椅子に腰掛けたままどうでもいい質問を繰り返します。T君を先にカフェに行かせ、バイクを外に出して止め、こちらは立ったままで、一刻も早くお引取り頂くよう振舞うのが精一杯でした。3ヵ月毎の居住届けも提出したばかりですから、わざわざご足労頂く理由もわかりません。相手の都合にはあまり関心を払わない国民性かと常々感じるところですが、まして公安となると期待できるものは皆無です。

一昨日の晩、T君が始めて宝くじを買いました。一枚5Kドン。最高賞金は125Mドンです。きょうの新聞に発表が載ってるはずですから、いつものように路上の新聞スタンドでバイクを止めようかと思った瞬間、Nからの電話が入りました。遅刻の負い目もあり、急ぎ新聞も買わずに一緒にE-Townのビルへ納品に行くことにしました。新聞は後でも買えるし、ウェブサイトにも当選番号は載るわけだから・・・と思ってはみたものの、結局そのまま忘れてしまいました。以前、自分で買った時は一枚2Kドンでしたから宝くじもインフレの影響を受けてるようです。

Ree-techという名の空調会社が建てたこのE-Townという名のオフィス・ビルの中に入るのは初めてです。外見はとても立派で10年前であれば、中心部の1区から遠いこんな場所にこんなビルが建つなどとは想像できなかったに違いありません。3年前ですら初めに入居する時は果たして全部借り手が付くのだろうかと心配したそうです。今ではホーチミン市のみならず、ハノイもまたオフィス・ビルの需要が供給を上回っているようです。契約更新時の値上げも必至です。

その結果、通勤時間帯の道路渋滞はますます激しくなるばかり。きょうは1区の出先で5時を迎えたため、ハイバチュン通りは帰宅バイク・ラッシュでした。堪らず迂回して四輪車通行禁止のディンティエンホアン通りを走りましたが大差ない混みようで、更に迂回を重ねても何処も渋滞に変わりありません。家に辿り着くまで騒音と排気ガスに晒され続けて1時間。日本の満員電車に揺られるのとどちらが幸せななのかはわかりません。


お盆休み

2006-08-15 02:40:54 | 交通
日本がお盆休みのため、日系企業のオフィスでは今週休みなるところもあるようです。工場などでもこの時期に合わせて出向者が一時帰国したり。そのためこちらもややのんびりした一日でした。反対に暇な時期を利用して視察のミッションを組んだ日本の会社もあって、その受け入れをさせられる事務所は大忙し。
K君のところでは、4ヶ月待ってやっとVNNのADSLが引けました。念願のスカイプも導入し、これで日本との打ち合わせもバッチリ、音声はクリアだし電話代無料と大喜びだったのですが、今はそれが裏目となり、お盆休みで暇な日本からの長電話に付き合わされてるそうです。

今朝、日本では「大停電」だったとか。ネットの動画ニュースで見ました。6本ほどのニュースしかありませんが時間が短いせいか、ワイドショーを見てるような薄っぺらさを感じます。「へー、日本じゃ停電がニュースになるんだ」と驚きました。Dさんの口癖を借りれば「もっと大切なことがあるんじゃないの」?しかも「経済産業省は、東京電力の林喬副社長を呼び、早期復旧と原因の徹底究明、再発防止を指示」だそうです。停電しても平然と何一つ変わらず時が過ぎていく社会にも未だ違和感は残りますが、数時間の停電で大騒ぎするのも薬の切れた薬中患者みたいな気がしてきます。

首都東京。あの満員電車に乗って通勤しなければならないという家畜以下の耐え難き非人間的扱い。その異常さと比べれば、送電線が切れて停電になることのほうが当たり前のことのように思えます。とはいえ、ベトナムの通勤時のバイク渋滞も快適とは言えません。
新しいスタッフが50ccのカブに乗ってきたので触ってみました。勿論バイクをです。前ブレーキを引くと硬すぎてビクともしません。「後輪のフットブレーキ使ってるから」必要ないとか。日本の教習所ではバイクのブレーキは前が7、後ろ3の比率で効かせると習ったような。数年日本で過ごしたベトナム人もベトナムに帰った直後は怖くて道を渡れないそうですから、やはり異常な交通マナーというべきものです。

最近はサイゴンもバス路線が増え、便利にはなりました。空港から郊外のTHU DUCまでも3Kドンだそうです。回数券を買えば2割引。ところがバスの運転が荒っぽいのなんのって、かつての国際興行バス以上です。バイクと接触し倒してもそのまま走り去り、倒された男がレンガを持って追いかけて来た、と乗客に聞いたことがありました。それならバスに乗ってたほうが安全。回数券でも買おうかと話していたら、「回数券と定期券の客はいじめられる」のだとか。ここでは高額の病院でないと医者や看護婦に罵られるのが当たり前だそうで、それと同じことみたいです。貧乏人が貧乏であるがゆえに虐げられる世界、というのはこの国に限ったことでもなのでしょうけど。

出入国票

2006-07-19 02:16:32 | 交通
タクヤ君を迎えに空港に行きました。14:30分着予定のVN951便。「この便はいつも早く着くからさ-」というヒュー君の言葉通り、電光掲示板を見上げると既に到着ランプが点灯していました。空港渡しビザを頼んであったので、彼にカンターでの出迎えも頼みました。きょうは、先週の夜便とは大違い。出迎え者用のベンチにも空席があり閑散としています。
この空港は行く度毎に何かが変わっていたり、あるいは知ってる人に会ったりします。以前は少し場所を移動すれば到着する航空機の姿も見えたのですが、新しいターミナルや立体式道路の建設で視界が塞がれてしまいます。
時に混雑の中で一時間も姿を見つけられなかったりすると「ひょっとして乗り遅れたのではないか」などと心配になることもあります。特にデウミさんは出てくるのが遅いようです。機中でしこたま飲み続け「酔っ払ってるから」なのでしょう。反対にスモーカーは6時間の禁煙に耐えかねるのか足取りが早いようです。

「混雑したら脇の通路のほうで待ってて」とヒュー君に言われましたが、そんな心配も無用なほど疎らで、2時半になるかならないうちに二人で建物を出てきました。こんなに早くて楽な出迎えは初めてです。ところがタクヤ君の荷物はバッグが2つだけ。と、いうことは私へのお土産は・・・・?と動揺。デウミさんからお土産を貰えなかったニューの心境です。手荷物25kg、客室持込10kg。最低でも計35kgは持ってくるだろうと勝手に思い込んでいたわけです。「ここに来る時は何でもかんでも持てるだけ持って来なければ駄目だよ」との語気が強かったのか、ヒュー君が「また次に来るときに持って来れば良いさ」と、とりなしてくれました。

MAILINH TAXIのワゴンRに乗り込みGOVAPの家に向かいました。先月は空港からTRUN SON通りを左折できたものが、今は再び右折しかできず、大回りしなければなりません。HOAN VA THU通りに出る前にPHO QUANG通りに抜ける道を左折すればまだしも、そこを直進しようとする運転手に腹を立て、更にまたもう一度NG.T.S通りで一悶着。これじゃ空港タクシーと変わらぬ不愉快さです。

出入国票の記入については借家の届出のこともあり、事前にメールで連絡しておきました。ところが、わざわざそうする時に限って書式が変更されてしまいます。たぶん今週からなのでしょう。先週までの複写式に代わってタクヤ君のそれは切り取り式になってました。記入内容も簡素化されたようです。
15年ほどするとサイゴンの国際空港は50kmほど離れたドンナイ省へ移転する計画だそうです。頭上を通過する航空機の機体を確認しバイクで出迎えに行くなどということも出来なくなります。成田同様の不便を感じることになるのでしょう。