村の水車番

水車小屋のおじさんは見た?  山村のくらしは、今日も快調!

酒作り

2006年11月20日 | Weblog
ふるさとの酒を作る会の会員になっている。
今日からいよいよ仕込みが始まった。
朝の5時半に家を出て、酒場に向う、 蒸しと引き込みが今日の仕事だ。ようは麹つくりである。
蒸し暑い麹室の中でわいわい言いながら蒸し米と格闘する。

酒と人間の付き合いは古い。
お神楽で活躍するスサノウの尊もおろちを退治するのに酒を使っている?
地球上何処でも人類の歴史の中で何らかの形で酒との出会いがある、当時なんのつながりも無かったと思われる地域でもちゃんとそれぞれの材料から酒を造っている。

人間は、どこかで酔うと言う状態を好むものだろうか?
自分で自分がコントロール出来ない状態をつくり、神に近づきたいのだろう?

私も毎晩神に近づくように努力している。 家内の目を気にしながら・・・・
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メタセコイア

2006年11月19日 | Weblog
11月の日曜日はいろいろな催事が重なる。
今日は地区の小学校の学習発表会、地区の講演会、掛合統合小学校の建設工事安全祈願祭と起工式があった、それぞれに顔を出そうと思うと、身一つが辛い!

地区コミニュテーの講演会の昼食の蕎麦を、入間水車の会で引き受けていたので、朝の6時から100人分の蕎麦を打つ、茹でるまで立ちづめだったので、足が棒の様になると言う表現が実感出来た。

祈願祭の会場に向う際に、掛合高校の校門を通った。
私が、農業科定時制の高校生として4年間通った学校だ。
授業のほとんどに実習が多かったが、今思うと、自給の生活を良しとする宮沢賢治にあこがれた青春時代の定時制への通学は、いまの私の形を作った様の思う。

入学時に小さかった校門のメタセコイアが随分と大きくなっている。
中世代、中新世代の化石として知られるメタセコイアだ.
自給生活、知足安分の生活は、現代ではすでに化石の様な存在かも知れない。

私は、その化石を大切にしようと思っている。
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陶芸クラブ

2006年11月18日 | Weblog
掛合、多根の陶芸クラブに入っている。
なかなか例会に参加できなかったが、夏の終わりに作っておいていた縄文土器風つぼを焼きに出す。

午前中はその窯入れだった。
福祉協議会からの助成金が潤沢にあった時代は終った。あまり沢山に焼くと焼き代も馬鹿にならない、趣味に使うお金も限られる年金生活者は多少の加減も必要だ。

田舎の老人は経済活動を常に求めている、「霞みを食べては生きられない」と言うのが理由だが、私は「霞みを食べて生きていこう」と言っている。

国民年金は夫婦で月13~4万円だが、田舎では老人の経済活動では思うような収入も得られない。
ならば、その13~4万円の年金で生活することを考えよう?
かすみを食べて生きていける知恵を出そう!

仙人の様に 孤高の生活が私の理想だ。
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波しぐれ三度笠

2006年11月17日 | Weblog
ふるさとの酒を作る会で使う精米を、鳥取県の東伯町O酒造から運ぶ。
毎年、私の仕事だ。
すっかり慣れて来た。 途中の赤崎道の駅で鮮魚を買って帰るのも楽しみの一つだ。

今日も忘れないで道の駅に寄った。
 少々の鮮魚を買って、壁のポスターを見ると赤崎港の隣の菊港に、千石船の寄港地としてのシンボル「波しぐれ三度笠」(彫刻家、流 政之氏?作)が建っているとある。

時間もあったので足を伸ばして行って見た。
漁港として活気のある赤崎港と比べると、ひなびた感じの港だった。
昔の千石船の寄港地としての賑わいは感じられないが、何処と無く気高い風情がある。

港の突端にくだんの彫刻があった。
海とまたたび姿はそぐわないと思われるが、上手く溶け込んでいる。
港から港へと男たちが命がけで舟を繰りながら渡って行く哀愁が窺える。

男の立ち姿には哀愁が欲しい!
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公民館での葬儀

2006年11月16日 | Weblog
今日は、午前、午後と葬儀に立ち会う。
11月、12月と寒さが厳しくなると葬儀が多くなる。
人もやはり生物なのだろう、枯葉の様に一片、二片と寒さに向って散って行く。

午前の葬儀は自宅葬だったが、午後の葬儀は公民館であった。
この頃、入間地区でも公民館での葬儀が多くなった。
宅葬と会館葬のどちらかの至らない所を補うには、よい方法だと思う。

公民館なら、お付き合いのあった隣近所の人も参列できるし、集落葬としての対応も出来る。 駐車場、台所の設備も良い。
いたずらに派手な業者任せの会館葬より、何処と無く暖かい雰囲気だ。

だが、祭壇が画一的だ、使用料も結構高いそうだ。 敷布を敷き詰めた手作り風の祭壇をそれぞれの個性で飾ってもよさそうなものだが、 そうも行かないだろう?

2日間の葬儀に、2~30万の祭壇費は高いように思えるが、結婚式の花嫁衣裳がたったの2時間で数十万円と聞く、 比較をすると妥当な金額かもしれない。

だいたい、比較する事が間違いだろうが?
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柚子こんにゃく

2006年11月15日 | Weblog
我が家の裏庭には柚子の木がある。
この間まで、畑に行く道すがら、下を通っていたが柚子がなっているのに気が付かなかった。
秋のはじめに、家内が「今年は柚子が不作だわね」と言っていたのを耳にしていたので
端から期待をしていなかった。
今日見ると、結構柚子の姿が見える。

コリャアうれしい!!
毎年、柚子風呂と柚子こんにゃくを楽しみにしているので、逢えなかった恋人を見つけたような気分だ。

我が家で作る柚子こんにゃくは、もらった人の上手口かもしれないが評判がいい!!
手前味噌ならぬ、手前こんにゃくは毎年楽しみながら、自分では旨い!と思っている。

実際には、こうした手前勝手な思いが自給生活の醍醐味であり、楽しさであろう。
精神的にもいい! 自給食は、比較するものがないだけに、いつも世界一だ!
我が家では、いつも家内と共同作業で世界一?のこんにゃくを作る事にしている。

「おい今度は何時こんにゃくを作ろうか?」
早速、濡れ落葉的居候は家内の都合を確かめる。
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八重滝の紅葉

2006年11月14日 | Weblog
小雨模様だったが、掛合からの帰りに八重滝の紅葉具合を見に行った。
駐車場のあたりはすっかり色づいている!  朱色に輝く木木は、曇り空をも感じさせないほどだった。
今年の紅葉は綺麗だ!

川縁の紅葉は、いま少し早いようだが、あと一週間ぐらいで全体の見ごろになるだろう。
駐車場の周囲には桜も植えられているが、公園として整備する際に、あれもこれもと八方美人的に植栽した設計者の感性は疑問だ。
紅葉だけに特化していたら、今頃は島根県でも有数の紅葉の名所になっていただろうに。

紅葉も、土によってはこうも色づかない。向かいの家の山紅葉の色があまりに美しいので、同じ場所から採取して来たのに、色づかなかった、と嘆く人も居る。

八重滝の土は、紅葉に向いているようだ、 成長も早いし、色も美しい!!

将来、雲南市の大きな財産になる!  市長に見せたい!!


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古代出雲歴史博物館

2006年11月13日 | Weblog
来年の3月に開館する古代出雲歴史博物館でボランテア・ロードの意見交換会があり、水車の会の会長と出席した。

時間を間違えて少し遅刻した、出席者が全員大社の実施団体の現場視察で留守の上に、新しい建物で、まだ開館していない為に入口がわからず、大きな博物館のまわりを入口を捜して一周する羽目になった。
会が終ってから、博物館の好意で、まだ未公開の館内の一部分を見せていただいた。
思わぬことで一部ではあるが拝観一番乗りが出来た。

旬の初めに初物をいただいて、長生きが出来ると喜んでいた父や母を思い出した。

小学生にアメリカ大陸を発見したのは誰でしょう? と先生が問うたら。
「はい!サンタ・マリヤ号の見張り番です」と答えた子供が居たそうだが、誰にも先駆けて拝観できたと喜ぶ事も、大人気ないか?

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長者木

2006年11月12日 | Weblog
我が家の庭にはどうだんつつじが5~6本植わっている。
今が紅葉の盛りだ、紅色に染まったどうだんは存在感がある。

父が吉田の田部さんと同年で、丙午生まれだった。
その松露亭さんが昔の郡内の丙午生まれを集めて駿馬の会と言う親睦会を持って居られた。父もその会員だった。 終世自慢の種にもしていた。

田部邸の庭のたくさんのどうだんつつじが、秋の頃、深紅に色づいていたのがいたく父の心を捉えていたらしい。
どうだんつつじは、別名長者木とも言うそうだ。

以来 我が家のあちらこちらにどうだんつつじが植えられた。

今、我が家の庭のどうだんつつじの紅葉を見ると、生き方に於いて到底かなわない田部家のありようにあこがれて植えた父の思いを・・・・・・

ちょっぴりと切なくもまたほほえましく思いながら眺めている。
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報恩講

2006年11月11日 | Weblog
11月に入ると、地区の門徒家の回り持ちで報恩講がある。
午後には、今年の当番の家まで家内と出かけた。
今日は、午前中に、鳥取の東伯町まで、酒つくりの会の酒米を運搬したが、報恩講に間に合うように朝早く家を出た。

親鸞さんには悪いが、朝が早かったので、何時もの生活リズムが狂ってしまい、一日中お腹が詰まったような、便秘状態でくるしい。
早く家に帰って、我が家のトイレに心置きなく入ることばかりが頭にある。
信心も生理には勝てない?

親鸞上人の悪人正機説は、若いときには今ひとつ理解できなかったが、年とったこの頃になって、おぼろげながら理解出来るようになったかな?と思っているがまだ自信が無い?

煩悩の徒の凡夫は仏の救済に頼る気持ちが強いので、阿弥陀さんに救われる?絶対他力の思想らしい? 自分で悟りを開こうなどと、出来もしないことを考えるな!ということだろう?

お浄土も近くなった? 信心、信心。

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