水車の会で作っている赤米も穂を出した。
国道沿いで、出揃った赤米は目立っている。
手間を考えると引き合わないが、水車の会の活動の宣伝にはなる。
刈り取ったら、今年も「よずく稲架」を作る予定だ。
手間隙掛けて作る赤米やよずくはでは一見無駄な事のようだが、文化は無駄から生まれる?・・・と信じたい。
山村の男たちの遊び心は、地域力のバロメーターだ。
卑弥呼も見ていたであろう赤い稲穂は、時間に追われる現代人に無駄の大切?さを教えてくれる
国道沿いで、出揃った赤米は目立っている。
手間を考えると引き合わないが、水車の会の活動の宣伝にはなる。
刈り取ったら、今年も「よずく稲架」を作る予定だ。
手間隙掛けて作る赤米やよずくはでは一見無駄な事のようだが、文化は無駄から生まれる?・・・と信じたい。
山村の男たちの遊び心は、地域力のバロメーターだ。
卑弥呼も見ていたであろう赤い稲穂は、時間に追われる現代人に無駄の大切?さを教えてくれる