村の水車番

水車小屋のおじさんは見た?  山村のくらしは、今日も快調!

端午の節句飾り

2015年03月31日 | Weblog
休日に、ギフト屋へ立ち寄った・・・
家内が用事をしている間に端午の節句飾りが展示してあるのを見て回った・・

端午の節句飾りは鎧兜がほとんどである・・・
男の節句に節句飾りを贈る習慣は・・・武家の風習だと言うことが良く判る・・・

百姓町民には縁の無い鎧兜を贈られても・・・
戦時中ならいざ知らず・・・子供が成長したら戦場での初陣を飾ることが一番出世のような価値観を強要されると思うと・・・うれしくない・・・!

今の時代なら、もっと違った価値観の飾りが、節句飾りとして考えられないものだろうか・・?

我が家に昔から伝わる節句飾りは、長浜人形と呼んでいた土人形である、
金太郎さんが熊と相撲を取っている人形さんと、浦島太郎・・・それに・・天神さんが数体ある・・・

間違っても鎧兜は無かった・・・

だからだろうか・・・平和憲法に違和感は無い・・憲法改正には反対である。


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田舎の田圃は守れるか?

2015年03月30日 | Weblog
集落内のYさんは一人住まいである、高齢のために稲作もままならなくなったからと・・・今年から耕作を委託されることになった・・・

今までが一人農業だったのでどうしても耕地の手入れが疎かになっていた・・・
排水路が土砂で埋まってうまく機能しなくなっていたのを掘り上げる手伝いに行った・・・

中山間地域の圃場の給排水路は土木機械などが入る余地もない・・・
手作業である・・・高齢者にはきつい作業である・・・

90歳代での一人農業では圃場の維持管理も思うようにはいかない・・・
それでは・・・業者に依頼・・・・となると・・・近頃の米価では採算が合わない・・・
昔なら、結いの組織があって、農業者は運命共同体的に手間替わりでの作業をしていたが・・・・

今の農村から結い組織も無くなった・・・
運命共同体でもなくなった・・・

中山間地域の農業は・・・弱いところから消えて行かざるを得ない・・・
私の手伝いぐらいでは・・・・どこまで守れるだろうか・・・疑問である・・・

軍備増強でどこまで国が守れるだろうかも・・・疑問である・・・
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神様への挨拶

2015年03月29日 | Weblog
菜園にジャガイモを植える・・・
少し早い気がしたが、明日から他所での仕事を頼まれたのでジャガイモだけを済ませておいた・・・
ごぼうの植え床も作る・・・
まだ10代の頃に母に教わったごぼうのタネ蒔きは・・・
2月に蒔いてもよいが、まだ雪が残っているので・・・3月でも4月でも・・ごぼうの種を蒔く時には・・・「2月16日・・・2月16日・・・」と口の中で呟いて蒔くといい・・・
と・・・・
あやしげな教えだった・・・なぜ2月16日とつぶやくのか・・・理由は無いそうだった・・・

ごぼうは、掘るのが大変なので今頃は肥料袋の両端を切り、筒状にしたものを畑に伏せて・・
その中に蒔くことにしている・・・・
掘る時には、鎌で肥料袋を切り裂くだけである・・・

百姓は、寒波、降霜、大雨などの天候に左右されることが多い・・・
昔は、人智の及ばない・・・神の領域に頼ることが多分にあったのだろう・・・

母が教えてくれた、ごぼうの播種時に唱える呪文?は畑の神様への挨拶だったのだろうか?

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軍靴の音が高くなる

2015年03月28日 | Weblog
このところ・・・4月の半ばの様な天気が続いているが・・・
桜名所の木次土手からも三刀屋土手からも桜だよりはまだ聞こえてこない・・・
我が家の庭の老桜となると・・・・
まだまだ枯れ枝の様な姿をさらしている・・・

九州や近畿、東京ではすでに開花宣言がなされたそうである・・・
日本人は桜の花がことのほか好きである・・・

私は・・・
子供の頃に聞いていた軍歌から・・・どうしても桜と戦争が頭のなかで結びついてしまう・・・
娯楽の無かった山村では、花見行事が盛んだったが・・・
軍隊経験のあるおじさんたちが酔って歌って行進していた・・・

 万朶の桜か 襟の色
     花は吉野に嵐吹く 
          大和男児と生まれなば・・・散兵線の花と散れ・・・

 貴様と俺とは  同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く
   同じ花なら散るのは覚悟  見事散りましょ~
 
 若き血潮の予科練の~七つボタンは 桜に錨・・・・


散兵線の花と散れ・・・なんて・・・
イスラム国の戦闘員に呼び掛けるみたいである・・・
桜には戦火の匂いがする・・・

テレビの国会中継を観ていたら・・・いきなり「八紘一宇」の言葉が出て来た・・・

オドロイタ!!  何時の時代の話かと思った・・・
日本書紀に基づいた語句で別に悪い言葉ではないらしいが・・・
子供の頃に、蔵の片隅に残っていた、戦時画報の中でよく見かけた標語である・・・

偵察衛星の打ち上げや空母らしき軍艦の就役、そして八紘一宇の国会発言・・・
全国的に桜の花への大歓声・・・

軍靴の音が高くなる!!

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松江城

2015年03月27日 | Weblog
日赤病院への送迎を頼まれて松江市に出た・・・
日赤の駐車場の屋上から、ビルの間を縫って松江城が見える・・・
美しい城だ・・・

今の時代に比較すると・・・
技術的にも経済的にも人口でも・・もちろん資材面でもずいぶんと劣っていたであろうに・・・
よくもまあ・・こんな大構造物を作ったものだ・・・
セメントなんてもちろん無かった時代なのに・・・

このごろ、古くなった橋梁、トンネル、ビルなどの耐用年数が問題視されているが・・・
松江城の石垣の耐用年数が問題になった話は聞かない・・・

鹿島原発の地震や津波対策が取りざたされても・・
松江城の石垣の地震対策がニュースになった話も聞かない・・・・

そう言えば・・・
ピラミッドでも万里の長城でもインカやアンデスの建造物なども・・・作られた時代は何千年、何万年前の・・気が遠くなるような時代のものだそうである・・・

当時の人間は、寿命なども短いものだったのだろうに・・・・

3月25日は私の73回目の誕生日だった・・・
ビル越しに見える松江城を眺めながら・・・
70年も生きていても、小屋の一つも満足に出来ない我が身を省みて・・・・
人間の持つ、秘めた能力についてつくづくと考えさせられた

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空母「伯耆」

2015年03月26日 | Weblog
前々から噂になっていたが・・・
海上自衛隊の護衛艦「いずも」がいよいよ就役したらしい・・・

まるで空母・・!テレビ画面に字幕と一緒に映った護衛艦「いずも」は・・・
素人目には空母そのものに見える
・・・

先の戦争時の日本海軍の空母群とは・・・ほぼ同じ大きさのようである・・・
太平洋戦争時なら・・・立派な空母である、

何時の間に、こんな立派な空母まで持つ国になったのだろう・・・
総理が・・・「わが軍は・・・」と言うはずだ・・・

どこと戦う用意なのだろうか・・・?

艦名が「いずも」と言うのは・・情けない・・・

出雲の神様、「大国主の命」は・・・・
大和朝廷の挑発にも乗らずに・・・戦わずして外交で国を譲った平和の神様である・・・
軍艦の艦名に「いずも」はふさわしくない・・・

軍事おたくとして名を挙げた人もいる・・・どうせなら「伯耆」が良かったかもしれない、

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どこまで続く・・・・?

2015年03月25日 | Weblog
夕方、掛合の総合センターへ用事で出掛けた・・・
旧役場だった総合センターも相当に古くなってきている・・・
そうそうに建て替えの計画が持ち上がっていた・・

新しい庁舎は、川向うの町体育館の道路を隔てての前側に決まったそうである・・
総合センターの駐車場から、新庁舎建設予定地を写してみた・・・

今の庁舎のある所より狭そうな予定地である・・
国道沿いでもあるので・・現在の庁舎より便利かもしれない・・・

旧町時代には5,000人になんなんとしていた人口も、今や3,000人を切るほどまでに減っている・・・
これからも・・・増えそうには無い・・・

あまり大きな庁舎は必要ないのだろう・・・・

お隣の旧吉田村は人口2,000人を切っている・・・
小中学校の卒業生も一桁台がもう数年続いているらしい・・・・

掛合、吉田は・・・
学校区も行政区も何時か一つになる時代が……来るかもしれない・・・?

田舎の人口減少は・・・どこまで続くのだろうか・・・
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役目は終わったかな・・?

2015年03月24日 | Weblog
急な用事で穴見経由で波多地区に行った帰り・・
遠回りだったが恩谷から54号線を走って帰った・・・・

おりしも・・・
つい2~3日前には尾道、松江の高速道路が全線開通したばかりである・・・
裏街道に当たる54号線は、交通量が激減するだろうと言われていたが・・・

なるほど・・・・
と思えるぐらいに交通量は少なくなっている・・・
昔から陰陽を結ぶ重要な道路とされていた54号線である・・・
広島大本営に向かっての軍事道路の側面も担っていたらしい・・

子供の頃には、境港から大消費地の広島へ鮮魚を運ぶトラックが・・・
早朝、轟音を立てて走っていた・・・
急坂の都賀加峠では、人が歩くほどの速さで登ってゆく鮮魚運搬のトラックから、子供たちが車に飛び乗って魚を失敬すると・・・
まことしやかに噂されていた・・・・

当時とは比較にならないほどに整備された国道だが・・・・
一つの時代は終わったようである・・・

役目を終えた定年退職者の感がする・・・
70歳を過ぎたわが身になぞらえて・・・少しだが・・さびしい・・・
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貧農の自負

2015年03月23日 | Weblog
我が家はまだトンネルで稲の育苗をしている・・・
今日はその準備でトンネルの床を作った・・・

近頃は育苗も専門化していて・・・山間の小さい農家のほとんどが苗はJAに注文している・・・
育苗も昔と比べるとずいぶんと楽にはなっている・・・

私の10代の頃には、我が家はまだ水苗代だった・・・
次が折衷苗代・・・最初は油紙を苗床に被せていたが、後ではビニール製に変わった、、、
水苗代でも折衷苗代でも苗取り作業が必要である・・・
これがなかなかに難しい・・・
農家の若嫁さんの受難の時代である・・・
箱苗が普及してから、ようやく苗取り作業から解放された・・・

電熱の育苗機が普及してから、育苗の失敗はほとんどなくなった・・・

苗代半作・・・と昔の人は言っていた・・・
苗代の出来具合で収穫量の半分は決まると言い伝えられていた・・・

それだけに、百姓なりたての頃には苗代には人一倍気を使っていた・・・

今、地域の中で、トンネルでの育苗をする人はいない・・・
ハウスでの育苗がほとんどである・・・
私は、数十万円するハウスを買えなかっただけである・・・
貧農を自慢にしていた・・父の代からの自負である、
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日本一住みたい田舎

2015年03月22日 | Weblog
「住みたい田舎日本一」で話題になった太田市の彼岸市に行った・・・
太田市の彼岸市と言えば、むかしは 田舎の一大イベントだった・・・

まだ子供が小さかった頃、父母も交えて一家総出で彼岸市へと繰り出したことがある

「住みたい田舎日本一」にもなったと聞いていたので、久しぶりに彼岸市へ行ってみた・・・

駅前から市の中心部は交通規制がなされていて・・・
露天商のオンパレードである・・・

昔の彼岸市は、農家向けの道具類から苗物植木など農業市の様相だったが・・・
今はほとんどがたこ焼き、饅頭、そして子供むけのゲームなどで占められている・・・

「住みたい田舎日本一」がどことなく判るようなよい意味での泥臭さがある・・・
地元の人に「日本一」の感想を聞いて見ると・・・・
怪訝な顔をされる人が多いが・・・・
移住者に対する支援は、経済的にも制度的にも充実度が高いそうである・・・

「住みたい田舎日本一」は、今のところ「住んでみたい田舎日本一」のようである、

山あり、海あり、温泉あり、世界遺産あり・・・と一応なんでも揃っているところが日本一の所以かもしれない・・・・
原発の無いことも所以の一つと思いたい、
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