ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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安心と不安

2011-09-21 | 育児
 人と違っていると不安になります。違っていいのだろうかと心配になります。これは、誰でも経験することです。
 違いがあると「なぜ、違うのだろう。」と違いに焦点が当たります。そして、みんなと同じにしたいと思います。違っていいとは、なかなか思えません。
 これは、脳がいつも安心を求めているからです。

 体験や経験はそれぞれ違うため、違うことは、当たり前なのですが、集団で生活すると、自分と他人の違いが違和感となります。同じ仲間だから、似ていることや揃っていることが多い方が安心です。これは、自分だけでなく、誰もが同じように感じています。
 ですから、違っていると違和感を排除したいという気持ちが強くなります。そのため、集団の中に居づらくなります。
 違うことは、恥ずかしい。
 違いがあると辛い。
 違いを認めたくない。
 違いを作り出したのは、何か間違いを犯したからではないか。
等と様々な思いを感じてしまいます。
つまり、違いを違いと素直に認めることができず、違いに自分の価値観をくっつけている状態になっています。

 
 一旦価値観とくっついてしまうと、それを解消するためにかなりのエネルギーが必要となります。ですから、堂々と「違う」と言うには、勇気というエネルギーが必要になります。


 本来違っていることは当たり前ですから、勇気など必要ないはずなのに、どうしてこんなことにエネルギーを使わせてしまうのでしょう。

 それは、違いに焦点が当たっているからです。

なぜ、違うのだろうと違いを探求し始めてしまいます。つまり、原因の追求を始めるのです。違いを認めたくないからです。


 違いがあって当然。その違いがあった上で、その違いを新たな視点とし、課題解決できないかという視点が必要なのです。

 違いがあったから、

こんな素敵なことが起きた。
こんなに深く見つめることができた。

 と違いがあることで、みんなが新しいステージに立てたと実感した時、違いのあることが素晴らしいということになります。

 「誰もが違っていい。」と言われても、違うことのよさを実感しない限り、素直にこの言葉を受け入れることは、できません。

 それが人間なのです。

 「誰もが違っていい。」と言われても、安心できません。
「誰もが違っていいんだ。」と実感した時に、安心できます。

 私たちは、違いをよさとして実感させる場面をどれ程用意しているでしょう。

 「違ってもいいから、言いなさい。」・・・・これでは、違いは言えません。

 「違いから、何が学べるかが、楽しみだ。」・・・これなら、違いを言う価値が生まれます。

 安心して、「違う」(わからないも含む)と言える学級にするには、「違う」(わからない)と言ったことが仲間の役に立つ場面をどれだけ、保障したかによります。
 100回、「違っていい。」と繰り返すより、1回の「違っていてよかった。」と実感させる方が効果があります。

 「違うと言ってくれた○○さんのお陰で、今日は、こんなことが学べたね。」
 「聞き手の○○さんが、わからないと言ってくれたから、話し手の話し方がうまくなったね。」

 安心と不安は、常に隣り合っています。

 不安にさせるのも、安心させるのも教師の構え一つで決まります。

違いを常に生かそうとする教師でいてほしいと思います。