雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Katrina 8: 学歴

2005-10-08 00:12:11 | 歴史
数ヶ月前のNY Timesの記事に、アメリカでは学歴が就職に役立たなくなったとあった。しかしこれを不思議に感じるより、むしろ時価会計の国アメリカで学歴がものをいう時代があったことの方が矛盾しているように感じられないだろうか。

日本の学歴偏向は、司馬さんによると「荒城の月」に始まった。滝廉太郎の祖父は、明治維新で用がなくなった武士階級に属し、いきなり喰えなくなった。そのため学業を修めることにし、その傾向がやがて一般化した。「荒廃した城の上に浮かぶ月をみて無常をはかなむ」これが「荒城の月」だったわけだ。

思えば、司馬さんが描いた武蔵にもそんな兆候が出ていた。武蔵は、家康が重視した武芸という一指標を、安土桃山時代の茶道のように考え、将軍家はともかくほかの徳川御三家と並ぶ就職口を希望していたが、相手にされなかった。そのため自分の養子には、学業をやれ、武芸は古い、といった。学者が名を馳せ始めたのが江戸時代だった。

さてアメリカの話。コロンビア大学教授 Ira Katznelson によれば、学歴が社会で生きていくためのシステムの一環になったのは人種差別だという。その始まりは、ルーズベルトが大恐慌のあと実施したニューディール政策で、南部出身の国会議員によってアフリカ系アメリカ人の大半が福祉・教育などの社会保障の面で排除される法案が作られた。

周知のように、ニューディール政策は、現在のアメリカでは考えられない公共事業のオンパレードで、その恩恵を最も受けた米南部では、「あの男」といえばルーズベルトを指すくらいお気に入りになったほど(「あの女」というとルーズベルトの奥さんでルーズベルト政策がもたらした悪いところは全部この奥さんの所為にされる)。

もちろん名目は貧困の中にあった南部を救うためである。この時期全くといっていいほどビジネスチャンスがなかった南部には、移民の国アメリカとは思えないほど移民者が少ない。手元の移民者推計によると、ほぼゼロである。

それからこの時代の教育といえば、ヒットラー政権誕生(1932)以降、ロックフェラー財団が買いあさったヨーロッパの知の巨人たちの貢献もあった。本当に強いアメリカを作ったのは彼らで、ヒットラーの最悪の罪は、ヨーロッパの遺産をアメリカに売り渡したところにあるとまで書いた本があったように記憶している。

さてこうしたIra教授が「白人優遇政策」と呼ぶ路線は、トルーマンにも引き継がれた。第2次世界大戦の退役軍人は、いわゆるBI Bill(復員兵援護法)によって、ずいぶんの給付金が与えられた。なかでも大学に行く権利はこの時代の復員兵がずいぶん享受した(戦争に結局いってないフォークナーもこの給付で大学に行った)。

Ira教授によると、ここでの1000億ドルの給付がアメリカの社会システムをかえたという。つまり大学からいい就職口というパイプがつくられ、学歴という入り口が、金のないアフリカ系アメリカ人に国のメインストリームに入れないようにするための体のいい差別を実現したというわけだ。

カラクリはルーズベルトのときと同じで、GI Billの実施は各地方に委ねられたため、南部各州では、その適用を白人主体にした。1947年のMississippiでは、3000人を超える退役軍人にBI Billが発行されたが、そのうちアフリカ系アメリカ人はたった2名だった。

1960年代に確かに公民権運動がひとつの成果をあげ、アフリカ系アメリカ人は白人と同じ土俵に立つことが可能になった。しかしそれ以前に大学に行くことでいい職を得て、あんていした老後が確保されている白人とは財力という点で大きな差がつけられていた。

70年代に差別是正運動があったとしても、結局は学歴を始まりとするシステムが白人を守っていたわけだから、貧困層はどうしてもアフリカ系アメリカ人に多くなる。そしてここでちょっと飛ぶのだが、そうした差が、New Orleansに貧困層が残った理由だとIra教授は述べているらしい。

一応最後の論旨には僕は納得しないが、Katrinaをめぐる議論がとまらないね。

参考はワシントン・ポストほか。

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