Katrina 2へのミチコさんのコメントへの回答、こっちに振りました。
こういう大きな出来事はなかなか実情がつかみにくく、部分的な情報に振り回されるということだと思います。なかでも9月2日の Randall Robinsonの記事が衝撃的でした。
「ニューオリンズに残された人たちは、食べるものもなく、カニバリズムに走っている、どうしてこんなにひどい状況になったかといえば、政府の対応がないからだ!アメリカは民主主義といいながら、国民全員を救おうとはしていない、なぜならこんな風に放っておかれているんだから!残されているのはアフリカ系アメリカ人の貧困層、ということは・・・」という論旨です。
Wall Street Journal のOpinion JournalでもRobinsonの既述が最も醜いニューオリンズの描写だったと書いていますが、そのためかこの記事への反響がすごくて、324通のコメントがかかれ(途中で打ち止められた)、最後を締めくくったのがあのマイケル・ムーアです。ムーアの批判が最も包括的な非難だと思いますが、ブッシュは、カトリーナが来ることを知っていて何もしなかったと非難しています。
8月26日にLouisiana州知事が連邦政府にヘルプを打診しているのですが、Bushが夏休みで動かなかった、ということです。しかしこの時点ではKatrina 2にも書いたように市長のNaginがきちんと動いていればいいので、Bushが対応することではありません。324のコメントのなかにもそういう指摘が散見されますがなぜかそれは軽視されています。そして人種差別のためにBushが動かなかったという批判には、Naginがもともとアフリカ系なのに、という反論がされています。
コメントのなかに、この非難はとても政治的だと述べたひとがいました。僕もRobinsonの記事から始まって、いろいろ議論が展開しているのに(Robinsonの記事の出所がわからないので)、ムーアで切るなんてのもすごく政治的だと個人的に思いました。ムーアの本が日本で出たときも、なんだかイヤラシサを感じて読まず映画もみていないのですが、何かを感じます。しかし僕には、Robinsonの記事を掲載したThe Huffington Postをふくめて、どういう風に政治的なのかを解説することができなかったので、これはPostできませんでした。
約250年に渡る奴隷制度によって、アメリカは、アフリカ系アメリカ人というひとつのCollectiveな集団に罪悪感を持っていますが、あるひとたちにそこをねらわれたという「勘ぐり」は否定し去れないということです。しかし、これは先に引用したOpinion Journalにもありましたが、法的な人種差別は過去のことです。個人的ないやがらせによる差別については、国は責任を取る必要がなく(異論があるところでしょうが)、また、1964年に公民権運動の成果として投票権などの公民権がみなに平等に与えられる法律ができています。そしてご存知のように、積極的差別是正措置によって、White Americansは逆差別の対象になり、1996年にはカリフォルニアで、いかなる「ひいき」も認めない法律ができたこともありました(アメリカはまだない)。
フェミニストのなかにもこういうことを主張する人がいましたが(Post feministsといいます)、マイノリティに属し続けてこうした過去の罪(?)からの因果関係を持ち出して、政府にぶらさがり、利益をあげていこうというのがありましたが、それに似ているなと感じたわけです。しかし誤解がないように付け加えたいのですが、フェミニストが全員そうだというわけではありません。Post Feministsはフェミニストからも非難されています。
建設的な議論をすると、結局は仲良くやっていくのがベターなので、先に引用したOpinion Journal にもありましたが、アフリカ系アメリカ人指導者に今求められているのは、自分たちの悲しみを探索していくことではなく、ほかのアメリカ人を理解することを求められると指摘しています。フェミニストだけでなく、アフリカ系だけでなく、みな、現実を生きていくうえで「差別」に出くわすことがあるわけですから(ここでの「差別」とは、本来持ち出すべきでない指標を持ち出して自分の優位を確保することです)。
そして今日のOpinion JournalではBushもそうした批判にきちんと正面きって説明する段階に来ていると指摘しています。これは、日本にもいえることだと僕は思います。もちろんアメリカの場合は、アメリカとしてまとまる必要性がその裏にあるわけですから日本との違いがあり、それに伴う困難さもあるわけですが。。。
こういう大きな出来事はなかなか実情がつかみにくく、部分的な情報に振り回されるということだと思います。なかでも9月2日の Randall Robinsonの記事が衝撃的でした。
「ニューオリンズに残された人たちは、食べるものもなく、カニバリズムに走っている、どうしてこんなにひどい状況になったかといえば、政府の対応がないからだ!アメリカは民主主義といいながら、国民全員を救おうとはしていない、なぜならこんな風に放っておかれているんだから!残されているのはアフリカ系アメリカ人の貧困層、ということは・・・」という論旨です。
Wall Street Journal のOpinion JournalでもRobinsonの既述が最も醜いニューオリンズの描写だったと書いていますが、そのためかこの記事への反響がすごくて、324通のコメントがかかれ(途中で打ち止められた)、最後を締めくくったのがあのマイケル・ムーアです。ムーアの批判が最も包括的な非難だと思いますが、ブッシュは、カトリーナが来ることを知っていて何もしなかったと非難しています。
8月26日にLouisiana州知事が連邦政府にヘルプを打診しているのですが、Bushが夏休みで動かなかった、ということです。しかしこの時点ではKatrina 2にも書いたように市長のNaginがきちんと動いていればいいので、Bushが対応することではありません。324のコメントのなかにもそういう指摘が散見されますがなぜかそれは軽視されています。そして人種差別のためにBushが動かなかったという批判には、Naginがもともとアフリカ系なのに、という反論がされています。
コメントのなかに、この非難はとても政治的だと述べたひとがいました。僕もRobinsonの記事から始まって、いろいろ議論が展開しているのに(Robinsonの記事の出所がわからないので)、ムーアで切るなんてのもすごく政治的だと個人的に思いました。ムーアの本が日本で出たときも、なんだかイヤラシサを感じて読まず映画もみていないのですが、何かを感じます。しかし僕には、Robinsonの記事を掲載したThe Huffington Postをふくめて、どういう風に政治的なのかを解説することができなかったので、これはPostできませんでした。
約250年に渡る奴隷制度によって、アメリカは、アフリカ系アメリカ人というひとつのCollectiveな集団に罪悪感を持っていますが、あるひとたちにそこをねらわれたという「勘ぐり」は否定し去れないということです。しかし、これは先に引用したOpinion Journalにもありましたが、法的な人種差別は過去のことです。個人的ないやがらせによる差別については、国は責任を取る必要がなく(異論があるところでしょうが)、また、1964年に公民権運動の成果として投票権などの公民権がみなに平等に与えられる法律ができています。そしてご存知のように、積極的差別是正措置によって、White Americansは逆差別の対象になり、1996年にはカリフォルニアで、いかなる「ひいき」も認めない法律ができたこともありました(アメリカはまだない)。
フェミニストのなかにもこういうことを主張する人がいましたが(Post feministsといいます)、マイノリティに属し続けてこうした過去の罪(?)からの因果関係を持ち出して、政府にぶらさがり、利益をあげていこうというのがありましたが、それに似ているなと感じたわけです。しかし誤解がないように付け加えたいのですが、フェミニストが全員そうだというわけではありません。Post Feministsはフェミニストからも非難されています。
建設的な議論をすると、結局は仲良くやっていくのがベターなので、先に引用したOpinion Journal にもありましたが、アフリカ系アメリカ人指導者に今求められているのは、自分たちの悲しみを探索していくことではなく、ほかのアメリカ人を理解することを求められると指摘しています。フェミニストだけでなく、アフリカ系だけでなく、みな、現実を生きていくうえで「差別」に出くわすことがあるわけですから(ここでの「差別」とは、本来持ち出すべきでない指標を持ち出して自分の優位を確保することです)。
そして今日のOpinion JournalではBushもそうした批判にきちんと正面きって説明する段階に来ていると指摘しています。これは、日本にもいえることだと僕は思います。もちろんアメリカの場合は、アメリカとしてまとまる必要性がその裏にあるわけですから日本との違いがあり、それに伴う困難さもあるわけですが。。。