雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

酒と言葉と音楽の渾然4

2006-11-21 18:25:48 | 文学
Pさん(コウモリコウモリ2参照)と場末の居酒屋をはしごする。

もう憲法の「ケ」の字もなくなって、今夜は、ワグナーの話をして外に出た。ゾクゾクっと背筋に寒気が走った。Pさんもそう感じたらしい。「皮膚がないかのようだ」とおっしゃった。

「ニーチェですね?」とすかさず聞く。

「僕はわかるねぇ、皮膚がない気持ちがさ。君もわかるだろ?」とPさん。

「皮膚がない」とニーチェがいったのは、サロメーと誰だったかにもてあそばれたことが判明して、あまりの悲しみに神経がむき出しになってるほど過敏というかもろくなってるニーチェ自身を描写したものだから、上記Pさんの言葉は僕ももてないだろ、という意味にとれる。

(失礼な)と思ったが、たしかにもてるほうじゃないし、ニーチェがいったみたいに、哲学者たるもの、ひとりの女性といられなくたっていいのだ(ただ僕は哲学者でもなければ結婚もしてるが)。

次の店では、サロメの話になった。

サロメといえばいい女の代名詞で、会う男みんなが虜になる。しかも19世紀ヨーロッパのきらめく巨星ばかりが相手で、ニーチェほか、リルケ、フロイトなんかもその毒牙(?)にかかった。

面白いのは、「サロメに会うとその9ヵ月後に本ができる」などという格言めいたもの。

ふつういい男に会うと女性に子供ができるがサロメの場合は男が一流になるというか本を書く。リルケなんかはそれまでは並みの詩人だったといわれている(と記憶する)。

まあ、詩の永遠のテーマといえば、エロス(愛)とタナトス(死)だから、リルケはさぞ刺激的だったろう(あんなのとロシア旅行したんだから)。

エロスの感情は、言葉で捉えられるものを超えてるから、日本でも和歌などの題材として最高とされていたと丸谷さんが書いていたが、そうであるからこそあれだけの知識人が惹かれたんだろう。サロメのことを思うたびに俺だったら征服してやるのにと思うが(根拠はありません)。

言葉で捉えられるものを超えてるといえばワグナーというか音楽にそんな力がある。なんなんだ、この高揚感はっ!

三島の映画に「トリスタンと~」が使われてドンピシャだったように記憶してるが、あのなんていうんだろ、人間の心をえぐるような、ニーチェがいう、「苦悩できるひと」が導くことのできる救済感は確かにあるように思う(ニーチェはその救済が余分だと思ってるわけだが)。

なんだか、「酒と言葉と音楽の渾然」がシリーズ化してしまった。これまでのは、123で。


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