躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

ダサダからブジヘ

2008-02-22 22:48:32 | Weblog
ダサダで泊まったホテル。丸い部屋。
(写真:とうちゃん)
今日の写真はここ↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080207/index.html

私の生まれ育ったのは「ど」がつくくらいの田舎の村だった。
家ではヤギも鶏も飼っていた。
本家には牛もいた。
荷車にもよく乗った。
お風呂は小学生になる頃までなかったような気がする。
本家に2日に1度もらいぶろをしていた。
玄関から台所は土間で、ねずみもよく出ていた。
もちろん、汲み取りのトイレだったし、外で用を足すこともあった。
ポンプはあったけど井戸水だった。
小さい頃は夏はパンツ一枚で遊んでいたこともある。
などと思い出して見れば、旅行中に貧乏に見えた村の子供達よりは、少しはましな程度の生活だったのだ。
村では、みんなが似たり寄ったりの生活だったから、なんとも感じてなかった。
普通の生活をしていただけだ。
きっと、あの子供達もそうなのだろう。

村々を訪ねる時はそんな体験からくる懐かしさもあった気がする。
それから、近代化の生活に慣れてしまった私には、もうこんなたくましい生活は出来ないという引け目のようなものもあった。
たくましく生きている人たちが羨ましいのだ。
アクセサリーを売りつけてきた人たちにさえ、そのしたたかさを羨ましがっている自分がいた。
彼等を見ていると、生きるという野性を自分が失っているのではないかとさえ思ってしまう。


ダサダからブジへ行く途中で、遊牧民が道路脇の広い空き地に宿営しているのを見かけて、バスが止まってくれた。
兄弟のところに一族で手伝いに来たらしい。
はるばる大カッチ近くから、家畜を連れ、家財道具一式をラクダに乗せてやってきたのだ。
家畜は農家の人に頼んで農地に入れてもらうそうだ。
それで、家畜の糞が肥料になるから、農家からはお金が支払われるらしい。
男性たちは背が高く、目に威厳があり見たことないほど男らしい顔立ちだった。
最初は写真をとらせてくれなかった。
少し交流したところでOKが出た。

それから、ジャイナ教白衣派の修行者(女性)達に出会った。
バスの全員を前にお経をあげてくれた。

次は、綿畑が続く道路の途中でバスが止まった。
農場主が使用人達に綿摘みをさせている。
降りていって綿摘みをした。

予定のブロックペイントの工房へ。
版木に染料をつけ、手作業で押していく。
染料は自然のもの。草木染めだ。
ブロックペイントは好きなので、布を2枚買った。

ブジに無事に(さむ!)着いて昼食。
古い街。
何年か前の大地震で被害の大きかった所。

昼食後ブジョディ村へ。
また子供達。元気で明るい。
露地の脇に座り込んで、女性達が刺繍をしている。
顔にハエが何匹もいるのに気にしていない。
若い女性が結婚のための衣装だと嬉しそうに刺繍をしていた。
ここでもミラーワークの布を販売。
外で待っている間に、懐いた2歳の男の子を抱っこさせてもらった。

その後バザールへ。
葡萄とナツメヤシを買っただけ。
根性が入った少女が売る葡萄は値切れなかった。
ぼられたと思いながらも、ま、いいか。

ホテルの一角で、緻密なミラーワークと刺繍のバッグを売っていた。
今まで見たのとは違う出来の良さ。
形がイマイチだけど買った。

ホテルの部屋があまりにも酷く、おまけに窓のすぐ側にダクトがあってうるさい。
替えてもらった。
6度くらいまで冷え込んだのに、暖房なしで毛布一枚。
とうちゃんの風邪が悪化して、機嫌が悪く、寒がるので私の毛布を貸す。
予備の毛布もない。
成田へ行った格好になってシーツだけで寝る。
それでも寒くてホッカイロを1つ貼った。

あ~寒いインド。